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なぜ子どもの自殺が「過去最悪」となっているのか…「遊びの喪失」がもたらす深刻な影響

プレジデントオンライン / 2022年4月9日 15時15分

写真提供=宮原洋一『もう一つの学校』(新評論)

子どもの自殺が増え続けている。2020年には499人と過去最悪となった。東京大学名誉教授の汐見稔幸さんは、「子どもたちの『困難を解決する力』が弱くなっている。その背景には、人生をシミュレートする活動である『遊び』が失われたことがある」という――。(前編/全2回)

■子どもの自殺に対して日本人は感覚が麻痺している

子どもの自殺が増えつづけている。文部科学省の発表によると、2020年の1年間で、499人の小中高校生が自殺した。これは過去最悪の数字で、この数年、子どもの自殺者数は過去最悪を更新しつづけている。

いまの日本は1年に子どもが500人近く自殺する国なのだ。多いと考えるか少ないと考えるか、基準がないので判断は難しいが、頭によぎったのはしばらく前に訪れたキューバのことだった。

世界一と言われるキューバの医療制度とか教育制度、それと都市部で大規模に行われている自然農に関心があった私は、世界遺産の街ハバナを中心に友人たちとあちこちを訪問した。そのとき案内してくれた若者が、雑談のおり、私たちに悲しそうな顔でこう言ったのだ。

「去年とうとうキューバで自殺者が1人出てしまったんです」

人口1000万強で自殺者が1人出たことを悲しそうに語る国と、国民の多くが知らないうちに子どもだけでも500人近く自殺してしまっている国と。感覚の麻痺に敏感でないといけないと思い知った体験だった。

■困難を乗り越えることができない現代の子ども

子どもは突然自殺を願望するわけではあるまい。

日頃の生活ぶりの中に、生きることに希望を失ったり、ちょっとした失敗をうまく乗り越えることができなくて苦しんでしまったり、等々、ちゃんとした理由があるはずだ。その多くは、その子自身の育ちの過程で抱えた困難を、その子自身がうまく処理・解決できなかったか、周りがそれに気づいてその子の困難解決をうまく応援できなかったか、が背景にあるのだろう。いずれも子どもの育ちの過程の実際とその質の問題だ。

ここでは、そういうことを考えるために、子ども自身の生活ぶりが短期間にどう変わってきたかを探ってみることにしたい。日常に埋没するとその日常の特色が見えなくなるので、ここでは少し歴史的に子どもの生活ぶり、特に子どもにとってもっとも大事な、人生をシミュレートする活動である遊びを中心にその変遷をみてみたい。

■「時間・空間・仲間」が失われたことだけが原因なのか

子どもが自由に遊ぶには3つの「間(ま)」が必要とよく言われる。

時間、空間、仲間の3つの間だ。この3つの間が失われてきたことが、子どもが次第に遊ばなくなった、遊べなくなった原因だという考えだ。子どもの育ちにとって、自由で、時に冒険的で、ダイナミックな遊びは、心も体も頭もいつのまにか鍛えてくれる自然の学校になる。それが次第になくなってしまった。塾通い等で子どもは自由な時間が奪われている。道路がすべて舗装され道ばたで子どもが遊ぶことは危険になった。少子化の上、群れて遊ぶ異年齢の集団もなくなった。この3つが、子どもたちが地域社会で遊ばなくなった原因だ。こういう説明だ。

しかし、どうだろうか。

私などは、いや、ちょっとまてよ、という気持ちになる。子どもは本当に遊びたければ、どんな小さな空間でも遊ぶだろうし、ちょっとした隙間時間でも遊ぼうとするのではないか。そこに仲間がいなくても、遊びが面白いとなれば仲間は増えていくはずだ。確かに「3つの間」の喪失は子どもの遊びの減少を説明する必要条件かもしれないが、それで十分に説明されているとは思えない。私などはそう感じる。

■「遊び=ゲーム」だと思っていた若いお父さん

現代の若い世代は、自身の子ども時代に大胆で冒険的な、それでいて面白いと感じさせてくれるような昔風の遊びの体験がない人が多い。

ある保育園で遊びの大切さを学ぶ講演会を開いたが、講演が終わったあと、参加していた若い父親に園長が「お父さん、わかったでしょう。もっとお子さんと遊んであげてくださいね。遊びは本当に大事なんですから」といった。するとその父親は「いや、よくわかりましたが、うちの息子はまだちょっと無理だと思うんですよ」「え、どうして? 2歳なんだからもう十分に遊べますよ」「いやあ、ちょっと無理だと思いますけどねえ」「どうして? 十分遊べますよ」「いやあ、2歳の子にはゲームは無理ですよ」……

笑顔でタブレット端末で遊ぶ幼児
写真=iStock.com/yaoinlove
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yaoinlove

何のことはない、このお父さん、「遊び=ゲーム遊び」と思い込んでいたのだ。園長が聞くと子どもの頃の遊びはゲーム以外記憶にないとのこと。ゲームがものすごい勢いで広がっていた40年ほど前の話だ。昔の子どもの遊びは、映画で見るか写真で見ないかぎり、実感できない時代になっている。

■昔の子どもはおもちゃを手作りしていた

昭和の子どもはどんな遊びをしていたのだろうか。

下記の絵は、熊本市に住むグラフィックデザイナーで印刷業等も営んでおられる原賀隆一さんが丹精込めて描かれた『ふるさと子供 遊びの学校』という本からのものだ。

原賀さんはこの本の中に、子どもの頃に遊んだ遊びや手伝いの様子を実にきめ細やかに自分の絵で再現している。原賀さんは1991年に『ふるさと子供グラフティ』という本を出版(自費)され、昭和の時代の遊びの面白さとそれが失われていく悲しさをバネに、子どもたちは実際にどんな遊びをしていたか、記憶をたよりに、絵でそれを表現し始めた方である。その後『ふるさと子供ウィズダム』を2年後に出され、その約10年後に引用の絵の描かれている『ふるさと子供 遊びの学校』を出版した。

イラスト=『ふるさと子供 遊びの学校』より
イラスト=『ふるさと子供 遊びの学校』より

この絵はミノ虫ごっこと名付けられているが、見てほしいのは、このミノ虫型の入れ物を子どもたちは自分の手で一からつくったということだ。本のその前のページにはその作業過程が紹介されている。それぞれがつくったら木に登り、枝までそろそろ進み、適当なところに手製のかごをぶら下げ、それから注意してその中に入る。見事なものというしかない。

その次は、体操ロボットと名付けられた遊び。小さくて見にくいかもしれないが、竹細工の一つだ。鉄棒選手を一人木で削ってつくり、削って大きさを整えた竹を組み合わせて鉄棒をつくってその腕を竹細工の鉄棒にはった紐に通す。その作業の様子が説明されている。今の子どもたちでも、こういうおもちゃをつくろうと呼びかければ、応じる子が多いのではなかろうか。

イラスト=『ふるさと子供 遊びの学校』より
イラスト=『ふるさと子供 遊びの学校』より

子どもたちは、ちょっと前までは、遊び道具、おもちゃの大部分を自前でつくるしかなかった。私などもそうで、親父にねだって、小学校に入る前に、大工道具一式自分のものをもっていた。ノミもカンナもブリキを切るはさみやガラス切りももっていた。それで何でも自分でつくるのである。

当時は、今のように児童公園などはない。

あるのは道ばた、原っぱ、河原、畑、田んぼ、川原、川、あぜ道、ドブ、橋の下、空き家、場合によっては海岸等だけだ。そこで遊ぶには、そこにあるものを最大限利用して何かの遊びを創造するか、遊び道具の方を工夫してつくり出すか、いずれしかなかった。遊び道具づくりは大人に教えてもらった子どもが代々伝えていったのだと思う。そのため、子どもたちは小さな折りたたみナイフを日常的に持ち歩いていた。写真に見られる肥後守(ひごのかみ)というナイフだ。これで枝を切り、木を削り、何でも自分でつくろうとしたのだ。

肥後守 特選桐箱入 青紙鍛造
肥後守 特選桐箱入 青紙鍛造(写真提供=永尾かね駒製作所)

今の社会で子どもがポケットに毎日ナイフを忍ばせていたらなんといわれるだろうか。しかし少し前までは日常的に、誰もが持ち歩いていたのである。

■日本のものづくりの力は遊びで育まれた

こうした事実は何を表しているのだろうか。

実は近代の日本の産業界をになった人物の多くが、学校ではなく、こうした生活の中でも工夫や努力によってもの作りの才覚を身につけていったということが示唆されている。

松下幸之助氏は小学校4年までしか行っていないし、本田宗一郎氏の学歴も小卒だ。私の親父もレコードを作らせたらこの人の右に出る人はいないと作家五味康祐にいわせた録音技師だったが、学歴はやはり小卒だ(『芸術新潮』1973年秋号)。

元京都大学教育学部教授だった藤本浩之輔氏が明治時代に子どもだった人に聞き取って、当時の生活を再現した『明治の子ども 遊びと暮らし』(本邦書籍1986年)という興味深い本があるが、その中でも明治時代の子どもの実にダイナミックな遊びの様子が聞き書きで再現されている。

それを見ても、明治以降の日本の近代化を最も底辺で支えたのは、もの作りの工夫を尋常ならざるレヴェルで追求した職人魂の持ち主たちで、その動機、志向性は生活の中特に遊びの工夫の中で育まれたという印象が強くなる。明治期の職人たちが、日本の産業革命後に工場で職工として活躍したのであるが、その職人的な志向性は子どもの頃の遊びの中に淵源をもっている。

■1970年代に子どもの遊びは大きく変容した

原賀氏が再現したのは戦前から戦後の時期の子どもの遊びだが、戦後、高度経済成長期以降は、こうした遊びはどうなっていったのであろうか。

今度は一連の写真を見ていただきたい。

車の上に駆け上がる少年
写真=『もう一つの学校』より
段ボールで秘密基地づくり
写真=『もう一つの学校』より
滑り台からジャンプ
写真=『もう一つの学校』より

これらの写真は、写真家であり学校の教師であった宮原洋一氏が、趣味で撮り始めた頃の子どもの遊びの様子だ。宮原氏は1960年代の末頃から東京や川崎で、子どもの遊びや手伝いの様子を写真で撮り続けた。

氏が学校を定年でやめる2000年代になって、これまで何万枚と撮ってきた子どもの写真を整理してみたという。すると、この写真のようなダイナミックでときに大胆でスケールの大きな遊びは、1970年代に入ると急に減ってきて、80年代には全く撮れなくなったというのである。

日本では1970年代に子どもの遊びが大きく変容したのである。

■荒れる学校、不登校、いじめ…さまざまな問題が噴出

そして宮原氏は「こうした遊びを日本の子どもがしなくなったときと、中学校が荒れ、子どもにいじめ、不登校等の問題が大きく起こってきたときがきっちり重なります」「なぜ子どもたちは問題行動をおこすのか、その原因の一端はこの遊びと生活の変化の中にあるのではないですか」

そう感じて宮原氏は、この60年代末から70年代初めの頃の子どもたちの遊びと生活の写真を出版したという。題して『もう一つの学校』(新評論)である。

路地で遊ぶ子どもたち
写真=『もう一つの学校』より
空き地で遊ぶ子どもたち
写真=『もう一つの学校』より

■深刻な運動能力の衰え

遊びが失われると、子どもの育ちにはどのような影響が生じるのだろうか。

容易に想像できるのは、体の柔軟性、しなやかさ、俊敏性、忍耐力など、筋肉系と神経系、循環器系等の育ちの違いだろう。実際、文科省が行っている小中高校生に対する運動能力テストのデータは1985年ごろをピークに下がってきて、教育関係者を焦らせた。50メーター走などの走力だけでなく、俊敏力、投力等も下がってきて、体格は伸びているのに、運動能力が下がって関係者は驚いたものだ。

1000m走 親世代と子世代の比較
文部科学省「体力・運動能力調査」より

図表1は、運動能力テストの中の女子の1000メーター走の結果を昭和45年と平成12年で比較したものだ。

昭和45年は1970年で平成12年は2000年だからちょうど30年の差がある。このグラフは母親と娘の持久走力の比較のようなものだ。ごらんのようにだいたい20秒の差がある。

21世紀に入って文科省は焦って学校に運動指導の強化を要請したが、形式的な一斉指導を導入すると、逆にデータが下がってしまう等がわかり、遊びの中で育った体の力を意識的に取り戻すことには、十分な工夫が必要なことがわかってきている。

■自然遊びではコミュニケーション力も伸びる

もう一つ、こうした遊びを積極的に子どもの頃から行う場合とそうでない場合とで育ちに違いが出てくる分野がある。それが意外なことにコミュニケーション能力だ。

作家の浜田久美子氏の著書『森の力 育む、癒す、地域をつくる』(岩波新書)の冒頭の方に次のような一節がある。

「そのとき(※筆者註:2001年)の取材でもっとも驚いたことは、森の幼稚園に通う子どもたちはコミュニケーション能力が高くなるという点だった。ドイツでの比較研究によれば、森の幼稚園に通う子どもと普通の幼稚園の子どもとでは、発話が早い、発話量が多い、語彙が豊富などが、森の幼稚園の子どもに顕著に見られる特徴なのだという」(p4)

森の幼稚園というのは、森や林、川、海岸など自然の中で自由に遊ばせ、生活させることで子どもを育てようとする1960年代にデンマークから始まった運動だ。今はドイツや北欧の諸国で熱心に取り組まれている。

浜田さんも驚いているが、どうして、毎日自然の中で走ったり、木に登ったり、川で遊んだりしていると、コミュニケーション力、言葉力が高くなるのか。おそらく、自然の中で自由に遊んでいると「ちょっと、そこ持っていて! ちがう! ここ、ここ、そう、そこ!」「あ、そこ滑るから危ないよ! 左によった方がいい!」「足下に赤い実のなる草があるよ、そう、そこ、見て!」などというコミュニケーションというか言葉でのやりとりが必須になる。その場で、ちょうどそのとき、できるだけ的確な言葉で、相手に通じる言い方で伝える、ということを繰り返さないと遊ぶことができない。これが自然の中での遊びの特徴になり、結果として子どもたちの言葉力、コミュニケーション力が伸びるのだろう。

日本の兄と妹(7歳男の子と2歳女児)がハイキング
写真=iStock.com/ziggy_mars
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ziggy_mars

この力は、その後友人を作るときも、遊びを計画するときも、学校で発言するときも、間違いなく生きてくる。その意味で人間力の基本が以前の子どもたちがやっていたような遊びの中で育つのだ。

■遊びには「積み重ね」が必要

最初に空間、時間、仲間の三つの間がなくなってきたことが子どもの遊び力の衰退の要因だという言い方にはもっとていねいな吟味が必要だと述べた。

たとえば先の宮原氏の写真の中で、公園の滑り台から飛び降りる遊びをしている子どもたちの様子をもう一度見てほしい。現在の子どもたちに、同じような滑り台とマットを与えたらどうなるだろうか。おそらく、誰もこういう遊びをしないだろう。やってごらんといっても怖がってしないと思うし、無理にさせようとすると逃げていくにきまっている。

つまり、遊びには、幼い頃から徐々に上手になり、大胆になっていくという積み上げが必要なのだ。

遊びは、工夫してやることでだんだん面白くなるという体験、やっとできたという達成感、それに伴う喜びの感情、そしてもっと挑んでみようという意欲、そうした感情体験と、それらを通じて育つ自分への信頼感や自信、そうしたものがない交ぜになった遊び体験のポジティブな感情と記憶が体に刻み込まれていなくてはならない。

もちろんスキルアップはいる。しかし遊び力というのは単なるスキルアップではなく、世界を自分のものにできるという情動的能動性が高まっていくことなのだ。体が遊びを覚え、それが世界に向かうときのその子の能動的な立ち位置をたかめていく。

今はこうした体験を幼児期からすることが極めて困難になっている。

体に遊びのワザと喜びの記憶が刻み込まれていかないし、自分はできるという自己信頼も育てることが難しい。それではいくら三つの間が与えられても、子どもたちが遊び出すことはないだろう。遊びは生きながら順次発酵していく、世界への能動的な姿勢であり意欲であり作為力なのである。(後編に続く)

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汐見 稔幸(しおみ・としゆき)
白梅学園大学名誉学長、東京大学名誉教授
1947年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。専門は教育学、教育人間学、育児学。育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。主な著書に『小学生 学力を伸ばす 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など多数。近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)、『教えから学びへ 教育にとって一番大切なこと』(河出新書)がある。

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(白梅学園大学名誉学長、東京大学名誉教授 汐見 稔幸)

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