「これだから黒人は」と言われてしまう…ウィル・スミスのビンタを黒人たちが迷惑がる理由
プレジデントオンライン / 2022年4月12日 11時15分
2022年3月27日、カリフォルニア州ハリウッドのドルビーシアターで開催された第94回アカデミー賞のステージ上で、司会のクリス・ロック(左)に平手打ちする米俳優ウィル・スミス - 写真=AFP/時事通信フォト
■アカデミー賞が目指していた変革を台無しにした
第94回アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスがコメディアンのクリス・ロックをビンタした事件は、世界中に生中継されて大きな波紋を呼んだ。
ウィル・スミスというアメリカ、いや世界で最も愛されている俳優と、アメリカのコメディ界のトップスターによるこの一件は衝撃を与え、アメリカでは一時ウクライナ情勢よりも大きく報道されたほどだ。
さまざまな報道を見ているうち、日本とアメリカでは受け止められ方に温度差があることにも気づいた。
日本ではウィル・スミス擁護派がマジョリティーなのに対し、アメリカは逆なのである。その背景には、日本とはまったく違うお笑いの質やジョークの受け止め方ももちろんあるだろう。しかし、それ以上に着目しなければいけないのは、今年のアカデミー賞が目指していた変革をウィル・スミスの行動が台無しにしてしまったと、多くのアメリカ人、特にアフリカン・アメリカンが考えていることだ。
米国メディアの論調やアフリカン・アメリカンの声も交えてリポートする。
■当初は「病気をネタにするなんて」と同情的だったが…
まずは出来事をもう一度振り返ってみよう。
長編ドキュメンタリー賞のプレゼンターとして登場した人気コメディアンのクリス・ロックが、ウィルの隣に座っていた妻のジェイダ・ピンケット・スミスをネタにしたジョークをかました。
「ジェイダ、アイラブユー、君が“G.I.ジェーン2”に出るのを楽しみにしているよ」分かりやすいジョークだった。短く剃り込んだヘアで輝くように美しかった彼女を、映画『G.I.ジェーン』で髪型が大評判になったデミ・ムーアに例えたのだ。私も、隣で見ていたアフリカン・アメリカンの夫も、むしろ褒め言葉だと思ったほどだ。普段からきついジョークで人をいじるクリスにしては、おとなしい内容とさえ思った。
だから、ウィルが席を立ってクリスの前に歩いていき、彼をビンタしたときには何が起きたのかまったく分からず、唖然としてその展開を見ているしかなかった。
そして騒動の直後にSNSを駆け巡ったのが、実はジェイダが脱毛症だったという事実である。「病気をネタにするなんてクリスはひどいじゃないか」と、ジェイダへの同情コメントで溢(あふ)れかえった。
そこからの進行はとても早かった。数分後にはウィル・スミスが『キング・リチャード』(邦題:ドリームプラン)で主演男優賞を受賞したのである。
そのスピーチで彼は、主催者の米映画芸術科学アカデミーに対し涙を流して謝罪しながら「愛は人をクレイジーにさせるものだ」と自分がジェイダを守ろうとしたのだと訴えた。これには会場も総立ちの拍手となり、皆が受賞と共に彼の行動を祝福しているかに見えた。
しかしそれは長くは続かなかった。
■「朝の顔」黒人ジャーナリストが厳しく批判
一夜明けると、ウィルを擁護する意見が多かったのが、いくら妻のためだとしても、暴力は決して許されないという論調に変わり始めたのだ。
強い影響を与えたのは、米放送局のABC、NBC、CBSという3大ネットワークの朝番組に出演する、2人のジャーナリストである。平手打ちしたウィル・スミス、やられたクリス・ロックと同じアフリカン・アメリカンである2人がウィルを厳しく批判したことで潮目が変わった。
まず、翌朝のABCテレビの「グッドモーニングアメリカ」は、現地リポーターのT.J.ホルムズが「どんな理由であれ暴力に言い訳はできない」とはっきり言い切り、ウィルを批判した。NBCの「トゥデイ」のキャスター、クレイグ・メルヴィンはこう指摘した。
「アメリカ人は子供に対し、何があっても暴力はいけない、感情をコントロールしなければならないと教える。一方で長い歴史の中で、有色人種の男は怒りをコントロールできないと思われ続けてきた」
「それなのに最も愛されている有名なアフリカン・アメリカンが、それを見せてしまった。これでは今後が本当に心配だ」
■「これだから黒人は…」冷たい視線が復活してしまう
実は筆者の夫も、ビンタを目の当たりにした瞬間確かにこう言っていた。
「このせいで、アフリカン・アメリカンの立場はもしかすると20年くらい前に戻ってしまうかもしれない」
今回の一件はアフリカン・アメリカンから見ると、ただの2人のセレブリティの争いだけにとどまるものではない。クレイグ・メルヴィンが言ったように「これだから黒人は……」という社会の冷たい視線が復活してしまうのではないかという懸念だ。そして、同じくアカデミーから見ても、何年もかけて実現しようとしていた変革が丸つぶれになったと感じた瞬間だったのである。
彼らはいったいどんなことを懸念しているのか。これを理解するためには、ハリウッドを含めたアメリカの歴史を知る必要がある。
■「頭が弱く暴力的」というイメージはいつ生まれたのか
かつて奴隷制があった時代、黒人は「白人より弱く頭が悪い」存在とされていた。奴隷として使役するためには、彼らを動物並みと考える必要があったからだ。
そうした認識は、映画黎明期に歴史的な大ヒットを記録した映画によって、さらに根深く浸透してしまう。
1915年に公開されたサイレント映画『バース・オブ・ア・ネイション』(邦題:國民の創生)は、アメリカ人が初めて本格的な商業映画に触れた、衝撃的な作品である。その中で、黒人男性(もちろん顔を黒くぬった白人)が白人女性をレイプしようとするシーンが出てくる。「黒人は頭が弱く暴力的」というイメージはここから白人社会に広がっていった。
一方で、黒人を虐殺してきた白人至上主義団体のKKKがヒーローとして描かれている。今でこそ明らかな人種差別として強く否定されている作品だが、当時の人々は、ショッキングな映像として描かれたプロパガンダを信じたのである。
公開当時のアメリカ社会は、奴隷解放後の黒人男性が経済力をつけ始めており、白人からみると職を奪われるなどの脅威になり始めていたために、黒人にネガティブなレッテルを貼ろうとしたと解釈されている。
■地位向上のための努力が台無しになった
つまり、黒人は暴力的で感情のコントロールができないというステレオタイプは白人、かつてのハリウッドの映画業界が作り出したものだった。そのイメージは長く残り続け、多くのハリウッド作品に反映されただけでなく、黒人に暴力を振るうことへの言い訳にもなり、ブラック・コミュニティを傷つけている。
![アメリカ・ロサンゼルスにあるハリウッドサイン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/4/670/img_3480ab1aa81e6fd1e126b81226f5326a427012.jpg)
警官による黒人の暴行死をきっかけに広がった2020年のブラックライブスマター(BLM)運動は、そうした白人の意識を大きく変えるきっかけになった。暴力が起きるのは、作られたステレオタイプが根底にあるという認識が、特に若者の間で広がった。
ところが、ウィルがとった行動のために、BLMも含めこれまで積み上げてきた黒人コミュニティの地位向上の取り組みが台無しになるのではないか、という不安が広がったのである。
同時に、これはアカデミーとハリウッド映画業界自身の懸念でもあった。
■「白すぎる」と批判されたアカデミーの改革
2000年代に入ってからのアメリカは、バラク・オバマ氏が初めて黒人初の大統領になるなど、社会や文化における人種的ダイバーシティを推し進める動きがどんどん強くなってきていた。
移民の流入で人口比が変わり、特に映画業界はグローバル化も伴って、生き残りのためにはマイノリティにも支持される作品を作らなければいけないという使命もあった。
「#オスカーは白すぎる」というハッシュタグがSNS上で拡散され全米を揺るがせたのは、ちょうどこうした論調が高まりつつあった2016年だ。その年のノミネートが、女優、男優全員が白人だったからだ。(参照<「監督賞は中国系女性に」白すぎるアカデミー賞が生まれ変わった本当の理由>)
しかし、これはその年に限ったことではない。今回も、主演男優賞を受賞した黒人男優はウィル・スミスで5回目、主演女優賞はハリー・ベリー1回のみ、監督はゼロ、黒人が主役で最優秀映画賞を受賞したのはわずか3作品のみだ。
こうした批判をかわすために、年配白人男性ばかりだったアカデミーの投票メンバーに、女性やマイノリティ、若い世代を増やすなどの努力を重ね、ダイバーシティの観点が希薄な作品は候補に入れないなどの規則も作った。
さらに今年は大改革にチャレンジした。アカデミー賞の中継を黒人で構成されるプロダクションに任せたのである。
■「あれで収まったのはクリスが冷静だったおかげ」
その結果、冒頭ではビヨンセが素晴らしいパフォーマンスを見せ、3人の女性司会者のうち2人が黒人コメディアンで、軽妙な笑いで会場を盛り上げた。外国語映画賞ではアジア代表として日本の『ドライブ・マイ・カー』が受賞し、スピルバーグ監督の『ウエストサイドストーリー』では、助演女優賞に初めてプエルトリコ系アメリカ人でLGBTQの女優アリアナ・デボーズが輝き、人種やジェンダーを超えてダイバーシティを祝うムードで快調に進んでいた。
しかしその明るい雰囲気もウィル・スミスの行動で一変してしまった。
授賞式のチーフプロデューサーを務めたウィル・パッカーはその緊迫の瞬間をこう語っている。
「あの直後、われわれ実行委員会は、ウィルに退場してほしいと促したが、彼はそれを拒んだ。実はロサンゼルス市警も来ていて、ビンタされたクリスに対し、“ウィルを訴えたければ今すぐにでも逮捕するがどうするか”と尋ねたが、クリスはそれを即座に拒絶した。今考えると、平手打ちされたのにもかかわらず、冷静であり続けたクリスのおかげで、あれ以上ひどいことにならずに収まったと思う」とクリスの対応を評価していた。
クリス自身もあそこでこれ以上の騒ぎを起こしては、アカデミーにとってもブラック・コミュニティにとってもマイナスにしかならないと分かっていたのだ。
ニューヨークに住む30代の黒人女性ナターシャはこう言う。
「黒人チームがプロデュースしたことと、この出来事を関連づけて批判する人が出ないことを願うわ」
多くの黒人にとって、「黒人が作ったからこんな騒ぎが起きた」と思われるのは最も避けたいことなのだ。
■多様な俳優、作品が受賞したのにそれも吹っ飛んだ
それにしても残念なのは、今回のアカデミー賞報道のほとんどすべてがこの件一色になってしまったことだ。
平手打ちの直後にクリスがプレゼンターとして長編ドキュメンタリー賞を渡した『サマー・オブ・ソウル』は60年代の黒人による知られざるサマーフェスを描いた素晴らしいドキュメンタリー映画だった。助演男優賞には、初めて聴覚が不自由な俳優が『コーダ』で受賞した。
そしてウィル自身も主演男優賞を受賞した『キング・リチャード』は、テニスの歴史を変えたウィリアムズ姉妹と父リチャード・ウィリアムズの感動の物語。ニューヨークに住む50代の黒人女性イモヤは「騒動の影に隠れて作品や他の俳優の素晴らしさがまったく語られなくなってしまった」と無念さをにじませた。
アフリカン・アメリカンやマイノリティ、そしてダイバーシティあふれる社会の実現を望む多くのアメリカ人にとっても、本当に残念なアカデミー賞だったと言うしかない。
![ハリウッド大通りの土産物店に並ぶレプリカのオスカー像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/f/670/img_cf014a33fd5e39839abc5fc534d23007444382.jpg)
■ウィルを擁護する意見もあるが…
ここで断っておきたいのは、誰もウィルを嫌いになったわけではない。むしろ自分たちの代表としてこれまで頑張ってきてくれたウィルを愛し感謝しているからこそ、今回の出来事が残念でたまらないのだ。同じように大好きなクリスとの間でこんなことが起き、どちらに賛同するかでブラック・コミュニティが分断していることにも失望している。どちらが裁かれたとしても、勝者がいないむなしい戦いだということはよくわかっているのだ。
実際に、日本ほどではないがウィルを擁護する意見もある。2人の友人でもある黒人女性コメディアン、ティファニー・ハディッシュは、歴史の中で男性以上に黒人女性は弱い立場に置かれ、レイプなど多くの犯罪の犠牲になってきた。だから妻のために立ち上がったウィルは素晴らしい夫だとコメントした。
■黒人たちはやるせない思いで見つめている
ところが、同じコミュニティの声はやはり厳しい。50代の黒人男性デイビッドは「女性はもちろん脅かされるべきではない。でもウィルはジェイダを何から守ったの? ジョークから? 彼は決して白馬の騎士ではないよ」。前出のナターシャも「黒人女性が欲しいのは、守られることではなくリスペクトでしょう」と指摘する。
アフリカン・アメリカンの情報発信をしているBETは「黒人女性を守るのに必要なのは暴力ではない。彼女たちのために声を上げることだ」と言い切った。
ナターシャはこうも言う。「今回の出来事はウィルやジェイダの人格から、黒人社会、アカデミー賞の対応まで、あまりにも多くの問題をはらんでいて何とも言いがたい。でもだからと言って、これでウィルが積み上げてきたものがすべて失われるべきではない。他にももっと酷いことをした俳優もいるのだから」
ウィルはアカデミーを退会すると表明しているが、「退会したくらいではとても責任をとったとは言えない」という声も大きく、騒動はしばらく続きそうだ。しかし、黒人セレブのひと悶着よりも、一向に減らないヘイトクライムや警察暴力など報道すべき事件はたくさんあるだろうと、ブラック・コミュニティの人々はやるせない思いで見つめている。
最後に、黒人女性イモヤはこう語ってくれた。「私の兄は警察暴力にあい大怪我を負ったのに、容疑者の警官は3年もたってようやく逮捕されたばかり。こうした事件に対しても、メディアが同じくらいのエネルギーを持って報道することを願っています」
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ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家
早稲田大学政治経済学部卒業後、1991年からニューヨーク在住。ラジオ・テレビディレクター、ライターとして米国の社会・文化を日本に伝える一方、イベントなどを通して日本のポップカルチャーを米国に伝える活動を行う。長い米国生活で培った人脈や米国社会に関する豊富な知識と深い知見を生かし、ミレニアル世代、移民、人種、音楽などをテーマに、政治や社会情勢を読み解きトレンドの背景とその先を見せる、一歩踏み込んだ情報をラジオ・ネット・紙媒体などを通じて発信している。
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(ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家 シェリー めぐみ)
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