下北沢の1号店はまだ赤字なのに…脱サラ証券マンが「神保町に2号店を開く」と決断したワケ
プレジデントオンライン / 2022年4月15日 12時15分
■赤字続きなのに…「脱サラ焼きそば店長」の無謀な決断
黒田が経営する焼きそば店「焼き麺スタンド」がテレビで紹介されたのは、2019年3月のことだった。赤字続きの個人経営店には効果は大きかった。
1日あたり40食程度だった平日の売り上げは80食近くまで伸び、週末は100食を超えた(図表1)。赤字続きの焼きそば店は、一時的に行列のできる人気店になった。
特に大きいのがランチだ。1日の売り上げの3分の2は、正午から午後2時の間に集中する。4つに倍増させたコンロで下焼きを済ませておき、ランチタイムだけスタッフを増やした。
下焼きをしておくことで、焼きそばを作る時間はほぼ半分になった。フローを効率化させることで回転率を上げ、行列を見て客が帰ってしまうのをなるべく避けるようにした。その結果が数字になって表れた。
だが「特需」は1カ月も続かず、売り上げは落ち着きはじめた。平日は60食程度、週末は90食程度まで下がった。引き続き100食を超える日もある週末に比べて、物足りないのは平日だ。テレビ出演前に比べて増えてはいるが、効率化できた分だけ暇に感じてしまうという。黒田は下北沢に、市場としての限界を感じはじめていた。
「実は、焼き麺スタンドの第2号店を探そうと思ってるんです」
ひと通り足元の売り上げを説明すると、黒田が思い切ったように打ち明けた。
「どこに出すの?」
「やっぱり、神保町に対する思いは今でも強いですね」
■飲食の激戦区・神保町への強い憧れ
東京・神保町の魅力については、何度か聞かされていた。食のビジネスをする以上は、街の雰囲気が重要だという。本の街として知られているが、舌の肥えた、食べることが好きな人が集まる街でもあり、飲食店もこだわりのレベルが違った。
「もう店舗を探しはじめてるの?」
黒田がうなずいた。ランチを営業していない火曜日の日中は、このところ金策と店舗探しに動いているという。神保町の交差点の近くでつぶれそうな店がないか、不動産会社を回っていた。
「今狙ってるのは、昔天ぷら屋があった場所です。大手の外食チェーン店が入ってるんですけど、はやってると思えなくて、近々撤退するっていう噂もあるんです」
家賃は、15坪で月60万円程度を想定していた。下北沢の23万円に比べると3倍近いが、神保町の路面店はそれほどの金を払う価値があるという。
1日あたりで計算すると、家賃2万5000円、アルバイト2人で人件費2万円、電気ガスなどの諸経費1万円で、総コストは5万5000円になる。1食あたり700円の粗利で単純計算すると、損益分岐点は80食近い。こんな水準に前提を置いていいのだろうか。
「本気かよ?」
口から出てきたのは、正直なぼくの感想だった。下北沢の店は、2018年の開店以来、ほぼ一貫して赤字が続いていた。「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)で取り上げられたことで客数が増えたのは事実だが、すでに特需は剝落しはじめている。
まずは足固めをする必要があるというのは、黒田本人が自覚しているはずだった。にもかかわらず、もう次の店に関心が移っている。そして、黒田はあっさりと2店舗目を開くことを決断したのだった――。
■1号店すら赤字、資金は底をついているのに…
これまでの赤字を回収するのに、どれほどの期間がかかるのだろうか。
疑問は次々と沸き上がってくるが、黒田の明るい表情を見ていると、もしかしたらぼくが気付いていない戦略があるのかもしれないという思いも捨てきれなかった。
「自分なりに考えたうえでのことです。もちろんお金がないと何もできないので、そっちが解決してからの話ですけどね」
「スポンサーは見つかりそうなの?」
ぼくは、銀行からの追加融資は難しいだろうという返事を想定しつつ訊いた。日本政策金融公庫から調達した創業融資1500万円は、すでに使い切っているはずだった。
「今のところ厳しいです。そりゃそうですよね、リスクありますから。でも、応援してくれる人はいるはずです」
黒田の回答には確信はあるが、秘策やトリックは感じられなかった。何人かの友人の名前を挙げ、今から交渉するのだという。どうやら黒田は、ぼくが思っていた以上に打たれ強い性格のようだった。
■偶然見つけた最適物件
次に進めたのが物件探しだ。すでに黒田は、神保町で気になる物件を見つけていた。新築の2階建てで、小さいが建物ごと借りられるという。靖国通りとすずらん通りの間で、人通りも多い。
「1フロア6.5坪の2階建てで、1階部分と2階部分合わせて50万円で行けそうです。この辺では、リーズナブルな金額だと思います」
「それでも下北沢の倍以上か?」
「相場が違いますし、2階分ですからね。単純に比較することはできません。アクセスはかなりいいので、名前さえ知られれば行列ができる可能性は十分あります」
そういうと黒田は、新店舗のアイデアを示した。下北沢の教訓から厨房(ちゅうぼう)のスペースを広く確保したいので、1階は数席しか客席を置かないという。その分テイクアウト用の窓口も作ることで回転を良くして、ファストフード感を出していきたい。2階はゆっくり食べられるように、15席ほど用意する。
また2階に1畳ほどのスペースを設けて、焼きそばと異なる業態のビジネスにも取り組みたいという。後にスタートする、バナナジュースのような事業を想定していた。
新メニューとしては、塩焼きそばを準備している。ダシにひと手間加えたことで、ソース焼きそばと比べても味のクオリティーは満足できるレベルだ。ネギと桜エビを加えるコストも加味して、ソースより100円高い価格を想定している。実現すれば、ソース、ナポリタンに続く3本目の柱になる。
4月中に契約すれば、2カ月かけて準備をして、7月にはオープンできるかもしれない。すでに開店に向けたスケジュールまで考えていた。
■「実力はマクドナルド仕込み」ある店長候補との出会い
黒田が神保町に新たな店を開くことになれば、下北沢店の運営は誰かに任せなければならない。黒田は社員として一人の男性を採用したのは、テレビ番組の特需が落ち着いた5月のことだった。
粕谷秀一は、黒田より2歳年下の1994年生まれ。大学を中退してマクドナルドで長く働いていたが、父が定年を迎えるにあたって自分の身の振り方を考えていた。
マクドナルドでのアルバイトを始めたのは15歳の時。バイト歴は8年になる。製造、販売、材料管理、スケジュール作りと、マネジャーとして目の回りそうな毎日だったが、やりがいはあった。アルバイトの学生が多く、後輩が成長していくのを見るのが好きだった。
マクドナルドを辞めたのは、新しい上司の言動に嫌気がさしたからだという。接客が好きだったので、その後も焼き肉レストランのチェーン店で1年ほど働いていた。
転職先では、社員になる話もあったという。しかし店長になるのに10年はかかる。同じ10年を使うのであれば、ポテンシャルのある黒田の「焼き麺スタンド」にしてみようと思った。
■飲食店主を悩ませる「2店舗目の壁」を超えたワケ
なぜ黒田は彼に1号店を任せる決断を下せたのだろうか。
評価が高かったのが、飲食店での豊富な経験だ。新しく採用した粕谷は、物覚えが早くてセンスがいい。接客サービスから厨房のオペレーション、衛生面まであらゆることに通じている。マクドナルドのマネジャーとして、多くの修羅場をくぐり抜けてきた経験が頼もしい。
「飲食店の経験が長いだけあって、たくさん貴重な意見をもらってますよ」
「どんなことをいわれたの?」
「細かい店舗運営のスキルから、アルバイトの使い方まで幅広くです。一番貴重なのは、アルバイトの学生がどんなことを感じているか代弁してくれることですかね」
「例えば?」
「アルバイトが困るのは、いろんな人から違うことをいわれることなんです。うちのように新しい会社には完成した育成のシステムがないので、アルバイトがやり方に迷うことがあるみたいなんです。ぼくが忙しくしてるとスタッフの些細な迷いに気付かなくなりがちで、あらためて指摘してくれるのは本当に助かります」
誰でも作ることのできる再現性を重視する黒田にとって、アルバイトの確保は重要な問題だ。
焼き麺スタンドのアルバイトは学生ばかりだ。マクドナルドに比べると教育水準が高く向上心も強いが、どんな人間も一定水準まで引き上げることのできるトレーニング用のマニュアルがない。アルバイト全員のモチベーションを引き上げ、店全体を統括する力を見込んでいた。
今後整備していかなければならないのは、客数を極大化するための態勢づくりだ。50食を超えてくると、店に入り切れない客が出てくる。
スタッフを増やせばコストも増えるので、増やせばいいというものでもない。どの時間帯に人員を増強し、どう効率的に提供するか。待つ客にはどういう対応をすればストレスが少ないか。並んででも食べたいという客を増やしていくために、粕谷の経験が求められていた。
■自宅を引き払い、退路を断つ黒田
「6月10日に新店の引き渡しが決まりました」
神保町への出店準備が進む、ある日のことだった。神保町店はレイアウトも決まり、内装工事に取り掛かっていた。7月オープンという話が、現実味を帯びていた。
「しばらくは神保町で指揮を執るの?」
「そうですね。社員も採用したんで、下北沢は任せようと思っています。粕谷がいれば、もう店は一人で回していけますから」
下北沢店は、しばらく粕谷が代理の店長として運営していくという。アルバイトの活用に懸念はない。気になるのは、小さな店で働いた経験がないことだ。粕谷は真面目な性格だが、焼きそばが好きでないとソースのにおいを一日中嗅いでいるのはきついだろう。
しばらく新メニューの開発や企画はいったんストップして、黒田抜きで行列に対応できるように通常フローの整備に注力することにした。アルバイトでも作れる再現性の高さが、まさに試されようとしていた。
「来月いっぱいで、下北沢のマンションも解約しようと思っています」
住宅費も節約したいのだろう。すでにほとんど持ち物は処分したので、洋服などボストンバッグに入る程度の荷物しかない。まさに自分の身一つでの勝負だった。
自信に満ちた黒田の笑顔を見ながら、ぼくはこの3カ月間の動きを思い出していた。出店費用を出してくれるスポンサーを探し、幸運にも何とかメドがついた。候補となる店舗物件を探し、自分の代わりとなる社員を採用する。ものすごいスピードで突き進んでいた。
■「チャンスが来たら、やるしかない」
最初の店が赤字だったのに、なぜ2店舗目を出すのか。下北沢という街の市場規模に、限界を感じていたのは事実だ。メディアで取り上げられても平日ランチで数十食しか出ない街より、食べることを目的に外から人が集まってくる街で戦ってみたいという気持ちは止められなかった。
しかし、開業から1年も経たず、まだ赤字の状態で2店舗目を出すというのは、通常のリスク感覚ではありえないだろう。なぜそこまでするのか。
「自分の焼きそばに自信があるっていうのが一番です。好きなんですよ、どうすればおいしい物をたくさんの人に提供できるかって考えるのが」
「不安になったことはないの?」
「正直いって、ヤバいかもって思ったことはありましたよ。でも証券会社に戻るなんて思いつきもしませんでした。いつかは売れると思ってましたから。でもそれがいつになるか、わからないから難しいんです。こんなに早くチャンスが来たら、やるしかないじゃないですか」
勝負するタイミングは今しかない。迷っている余裕も残されていなかった。
■飛躍する飲食店に不可欠な条件は…
結論からいうと、神保町の2号店は大成功となった。
オープン早々平日はランチで100食に達し、短縮営業に切り替えざるを得なかったほどだ。毎日12時前には、行列ができはじめた。この大台まで3、4カ月かかると考えていた黒田にとって、驚異的なペースだった。
重要なのはタイミングだった。6月には『dancyu』(プレジデント社)、「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)で取り上げられた。焼き麺特集を組んだ『SPA!』(扶桑社)、8月には『東京カレンダー』(東京カレンダー社)でも紹介されることが決まっていた。
焼きそばは日本人にとって親しみのある料理だが、焼きそば専門店はまだマイナーな存在でしかない。わざわざ食べに行く必要はなく、コンビニでも家でも食べることができる。そんな固定観念を取り払うために、メディアへの露出は重要だった。
しかも若者が集まる街というだけでは効果が少ない。黒田が意識する老舗やきそば店「みかさ」が営業している神保町であればこそ、焼きそば専門店を街の人々が抵抗感なく受け入れてくれる。そんな黒田の戦略に乗せるには、何よりもスピードが大事だった。(続く)
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作家
1973年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手証券会社に勤務する傍ら、小説を執筆する。著書に、天才投資家と金融犯罪捜査官との攻防を描いた『神様との取引』(金融ファクシミリ新聞社)、ノンバンクを舞台に左遷されたキャリアウーマンと本気になれない契約社員の友情を描いた『三週間の休暇』(きんざい)などがある。
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(作家 町田 哲也)
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