昔は宝くじ以上の競争倍率だった…憧れの職業だった「新聞記者」がここまで没落したワケ
プレジデントオンライン / 2022年4月15日 17時15分
※本稿は、坂夏樹『危機の新聞 瀬戸際の記者』(さくら舎)の一部を再編集したものです。
■デジタル化が日本の新聞社に与えた影響
現在の大学生には信じてもらえないかもしれないが、かつて大学生の人気企業ランキング50位では、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社といった全国紙の新聞社が必ず上位にランクインしていた。就職するのは「宝くじを当てるよりも難しい」などという時代があった。
いまは見る影もない。
デジタル化の進展は、歪んだ効率化と合理化を生み出し、会話のない職場をつくり出して、新聞記者をとことんまで疲弊させた。
そして、希望に胸をときめかせてジャーナリズムの世界に飛び込んできた記者の芽を、次々と潰している。
■「他社に特ダネを打たれてもいいから休め」
最初は信じられなかった。
ある会議で編集幹部が「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」と発言し、現場のデスクに指示したというのだ。
「嘘だろう。悪い冗談だろう」と思っていたが、本当だった。
「この会社も新聞記者も終わったな」と思った。少し寂しかった。
この発言には伏線があった。
過労死や過労自殺が社会問題になり、働き方改革が叫ばれていた。過労死や過労自殺を撲滅しようと報道している新聞社自体が、常識はずれの働き方をさせている典型的な企業だった。
現場の記者だった当時、基準外の労働時間が月に100時間を切ることはなかったし、1年に2~3カ月は200時間を超えていた。公休日を完全に消化することは退職するまでなかったし、有給休暇なんて取得の仕方も知らなかった。
こんなめちゃめちゃな状態だったが、実は仕事しているのか雑談しているのかよくわからない時間や待機時間が結構あった。要するに“拘束時間が長い”ということだったのだが、拘束時間も労働時間だから、超過重労働態勢だったことに違いはない。
労働基準監督署(労基署)はよく黙認していたと思うが、政府が働き方改革を掲げ、締めつけが厳しくなってくると、新聞社だけ例外というわけにはいかなくなった。むしろ新聞社のような言論機関は“模範”でなければならない。
■有休はおろか公休すら消化できない勤務実態
労基署が事細かに調査してくるようになった。慌てたのは会社の幹部だ。公休日さえ満足に取れていない実態をまともに取り上げられたらとんでもないことになる。
現場では勤務帳簿が二つも三つもつくられることになった。「実際の勤務を記録した帳簿」「給与の支払いのためにつくった帳簿」「外部に示すときに使う帳簿」と、二重帳簿に三重帳簿まで現れた。
とにかくごまかすのに必死だった。
年次有給休暇は毎年最低でも5日間は取得させるようにという指示が労基署から届いた。抜き打ちで調査に入られる可能性があるなどと伝わってくると大騒ぎになった。
「公休も消化できていないのに有休なんて取れるはずがない」という声があちらこちらから上がった。
すると「公休は仕方ない。とりあえず年休から先に消化するように」というブラックジョークのような指示まで出た。悲劇を過ぎると喜劇になるという典型のような話だ。
こんな状況のなかで出てきたのが「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」という指示だった。
■「抜かれてもいい」は新聞社が口にしてはいけない禁句
記者の数は無計画と言いたくなるような勢いでどんどん削減されていた。デジタル化が進んだので要員は整理できるという理屈だが、現場の実情からまったく乖離(かいり)したものであった。
一人当たりの仕事の負担はどんどん増えているのに、休日を増やせるわけがない。「どんなことをしても休日をとれ」という指示が「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」という“具体的でわかりやすい”指示になったわけだ。
「抜かれても、落としてもいい」などと口にしなければならない幹部には大いに同情する。しかし、新聞記者が絶対口にしてはいけない言葉だ。禁句を口にして指示した罪はとても重い。
新聞記者に対して「君はもう記者でなくてもいいよ」と死刑宣告したようなものだ。
誤解のないようにしてもらいたい。100~200時間の基準外勤務をしなければ、新聞記者とは言えないなどという気はまったくない。
海外には1日8時間勤務でしっかりと取材して良質の報道をしているジャーナリストがたくさんいる。長時間労働は当たり前と考えている新聞記者は、社会の感覚からズレており、よい取材はできないし、よい原稿が書けるわけがない。
しかし、「抜かれる」ことと「落とす」ことを容認してはいけない。
ましてや休みを取るための代償として「特ダネはいらないし、特落ち(他社が扱ったニュースを自社だけ落とすこと)もOK」などと公言するのは言語道断だ。
要員が足りなければ補充すればいい。せめて公休ぐらいはまともに取得できるように持ち場の配置を工夫すればいい。長時間労働をしなくてもいい職場環境を整えるのが幹部の仕事だ。
こんな基本的なことをはき違えている新聞社で働く記者は本当に可哀そうだ。
■波紋を広げた「テレビを見て取材すればいい」発言
第一線の記者がどんどん減らされていることに抗議する労働組合に対して、編集局長が発した一言が大きな波紋を広げた。
「テレビを見て取材すればいい」
当然、社内では「懸命に頑張っている記者をバカにしているのか」と怒りの声が上がった。発言が漏れ伝わったネットでも話題となった。
私はその場にいなかったのでどんなやりとりのなかでの発言か、詳しくは知らない。編集局長は、「突発的な事故や事件があって、現場に記者が出せないような緊急事態になれば、テレビを見ながら原稿を書くのも手法の一つ」というようなことを話したらしい。
どんな言い回しにせよ、「テレビを取材源にしろ」と言ったことに変わりはない。私は怒りを感じたというよりも、「あ~あ、言っちゃったよ」とあきれてしまった。
本当のことを言うと、テレビの中継画像を見ながら原稿を書くことは禁じ手ではない。「よくあることだ」とまでは言わないが、新聞記者なら誰でも経験することだ。
マラソンや駅伝などのロードレースの取材では、むしろ積極的に使う場合がある。スタートからフィニッシュまで車などで伴走できるのは、レースの経過や途中の駆け引きなどの詳細を書くごく少数の記者に限られてしまう。周辺記事を書こうとすれば、レース中の選手の表情や沿道の様子などは中継画像を見るしかない。
当たり前のことだが、スタート前やフィニッシュ後は、テレビ画像取材を補うためにより綿密に取材することになる。テレビ画像と合わせて原稿を仕上げていくことは言うまでもない。
事件や事故によっては「現場への記者の到着が遅れた」「現場からなかなか原稿が届かない」などということが起こる。刻一刻と締め切り時間が近づいているときに、何もせず指をくわえて待っているというわけにはいかない。
そんなときは、テレビの中継映像を見ながら、“しのぎ”の原稿を書かなければならない。警察や役所からの断片的な情報と、現場周辺にかたっぱしから電話をかけまくって聞いた話と合わせて、とりあえずの原稿を仕上げてしのがなければならない。
■「テレビを見て取材」はあくまでしのぎの原稿のため
ただ、これはあくまでも“しのぎ”の原稿だ。現場からの原稿が間に合えば、ただちに差し替えられる。新聞は、朝刊でも夕刊でも起こし版から最終版まで何回か版を改めて制作する。間に合う版から現場の記者が書いた原稿を掲載していく。版が改まってもテレビ画像取材の“しのぎ”の原稿がそのまま残っているということはない。
新聞記者が、テレビ映像を見ながら取材して原稿を書くなんて邪道だし、読者をバカにしている。ただ、白紙の紙面を出すわけにもいかず、やむにやまれぬ緊急避難的な手法だ。そんなことは新聞記者なら全員が理解している「公然の秘密」だった。
だから公式の場で編集局長が発言したと聞いて、思わず、「あ~あ、言っちゃったよ」と思ってしまった。
問題は「テレビを見て取材すればいい」と言ったことの理由にある。全国紙の機能が損なわれるような要員削減をしているから「なんとかしろ」と要求を突きつけられている場面だ。要員が足りないのなら「テレビを見て取材すればいい」と回答したことになる。
新聞記者なら誰だって、テレビを見ながら取材したり原稿を書くことに後ろめたさを感じる。しかし、一時的に“しのぎ”の原稿を書くためで仕方ないと言い聞かせているだけだ。
「現場に出せる記者が足りないのならテレビを見ながら原稿を書いてはどうか」などと、真正面から言われたら新聞記者は全員怒るだろう。
あわせてこの編集局長は「地域面は発表モノや通信社の配信記事でつくってもいい」という趣旨の発言をしたようだ。地域面には特ダネもいらないし、手間暇かけてまとめるような分析記事もいらないと言ったわけだ。
地域面に特ダネを書いたことがない記者が、ある日突然、一面や社会面で特ダネを書けるわけがない。「もう君たちは忠実な情報の運び屋でいいんだよ」と通告したことになる。
そのうち、「ツイッターやインスタグラムを見ながら原稿を書けばいい」などと真顔で話す編集局長がでてくるのではないか。
「あ~あ、言っちゃったよ」などとあきれていてよかったのだろうか。
■新聞記者を目指す学生に「やめたほうがいい」と忠告
ある私立大学で約10年間にわたり、非常勤講師を務めたことがあった。
講義科目はメディア論。ありがたいことに「理屈っぽい話ではなく、現場の率直な声や考え方を学生に伝えてほしい」という条件だけだった。カリキュラムも講義内容も自由につくらせてもらえた。
私が「大した話ではない」と思っていても、受講生から「信じられない」という反応が多くて少し驚いたことがあった。会社の幹部から猛烈なお叱りを受けそうなメディア批判も平気でベラベラしゃべっていた。
毎年、2~3人の受講生が「マスコミを受けたいので話を聞かせてほしい」と相談にやってきた。志望先は、新聞社、テレビ局、出版社、アニメーション制作会社とさまざまだった(私も驚いたのだが、アニメ制作は「メディア」に含まれている。大学のメディア関連の学部の一番人気はアニメ学科と聞いてもっと驚いたことがあった)。
相談にくる学生の半数が新聞記者を目指していた。
当時はすでに「新聞は斜陽産業」などと言われていて、志望者は減少傾向だった。私自身も新聞の将来には明るいものを感じていなかったので「まだまだ新聞記者も捨てたもんじゃないのかな」と励まされる気分だった。
相談を受けたら、回答は二つのどちらかだった。
「新聞記者はいいよ。応援するから頑張ってね。作文書いたら見てあげるから、いつでも持っておいで」
「新聞記者はやめた方がいい。どうしてもなりたいなら、いったん一般企業に就職して、“それでもなりたい”と思うようなら、もう一度相談においで」
なんとなく“いいな”と思って新聞社を受けたいと思っているのか、ジャーナリストとして仕事をしたくて新聞記者を目指しているのか、5分も話をすればわかった。
ジャーナリストになりたいと熱っぽく語り、新聞記者として仕事したいと話す学生には、例外なく「やめた方がいい」とアドバイスした。
言われた学生はとたんに怪訝な表情になった。
「どうしてダメなんですか」と聞いてきたが、「とりあえず一般企業に就職して、それから考えても遅くない」と答えるにとどめた。
■「日本の新聞社からジャーナリストを育てる力が失われつつある」
講師を引き受ける際にお世話になり、その後も何かとアドバイスしてもらっていた大学教授からは「どうしてそんな夢を潰すような話を学生にするのか」と、何度もお叱りを受けた。
「日本の新聞社から、一からジャーナリストを育てる力が失われつつある」と説明したうえで、「安物の新聞記者で一生を終わっていいのなら応援します。でも、真剣にジャーナリズムの世界を目指している学生には、とても勧めることはできません」と曲げなかった。
「新聞社に勤めてから夢を潰される方が学生にとっては悲劇です」と繰り返しても、その教授はなかなか納得してくれなかった。すでに機能不全に陥りかけている新聞社の内情をどれだけ説明しても、教授には信じ難かったのだろう。
非常勤講師を辞めてから何年も経つが、新聞社の現状は坂道を転げ落ちるように悪化の一途をたどっている。
ジャーナリストを一から育てるどころか、育ちかけているジャーナリストを潰してしまう事態も起きていた。
目を輝かせながら「新聞社で仕事がしたい」と話す大学生の姿が目に浮かぶ。そして「あのときのアドバイスは間違っていなかった」と胸をなでおろしている。
「一般企業に就職したけれど、それでも新聞記者になりたい」と、私のところに再度相談にきた学生は一人もいなかった。
■心を病む記者を増やした新聞社のデジタル化
「人は城、人は石垣、人は堀」は戦国武将、武田信玄の名言だ。人を大切にし、人を育てなければ強い組織はつくれないと示唆している。
私がお世話になっていた新聞社は、2019年に早期退職200人を断行した。早期退職といえば聞こえはいいが、要するに首切りだ。残念ながら「背に腹は代えられない」とばかりに、「城」と「石垣」と「堀」を優先させたと言わざるを得ない。新聞社の財産は言うまでもなく「人材」。いくらデジタル化が進み、最新鋭のコンピュータを導入しても、特ダネを取ってくるのは人であり、ニュース価値を判断するのは人であり、心に突き刺さるような文章を綴るのは人でしかない。
たしかにデジタル化の進展で、雑用が少なくなり、新聞制作は飛躍的にスピードアップされた。そこで浮いた時間を本来の取材や原稿執筆のために使うようになったかというと、そうではなかった。浮いた時間は合理化と効率化のために使われてしまった。
人減らしの原資になってしまった。
人減らしは記者から笑顔を奪い、将来も奪いはじめている。
デジタル化が進み、人減らしが露骨になってくるのと比例するように、心を病む記者が増えてきた。
昔と現在では記者の総数が違うので人数だけで単純に比較できないが、肌感覚でいくと心を病む記者の数は2~3倍にはなっているように思う。きわめてプライベートなことなので詳細を明らかにすることはできないが、その症状は重症化しているように感じる。
■「見て覚えろ」もなく放置される新人記者
私が第一線で記者をしていた20年以上前にも、心を病む記者はいた。行方不明になったり、自宅に閉じこもって出社してこなくなったり、仕事の不安を酒でごまかすのが高じてアルコール依存症になったりする記者が何人もいた。
当時は「働き方改革」や「パワハラ」など話題にもならなかった。
私も「精神的にダメになるのはもともと弱い奴だ」などとまったく間違った認識を持っていた。いや、私だけではなく、一般的な認識もそうだった。
時代とともに、心を病んだ記者をフォローする態勢ができてきたし、勤務体制も昔のような「基準外時間労働が200時間」などというめちゃめちゃなことはなくなった。
にもかかわらず、感覚として心を病む記者が増えていると感じるのはなぜだろうか。次の二つが原因ではないかと思っている。
デジタル化の進展による「徹底的な人減らし」。
デジタル化で出現した「会話のない職場」。
新人の記者はほったらかしにされることが普通になった。
徹底的な人減らしで必要最低限の記者さえ備えていない地方支局では、誰もが自分のことだけで精一杯だ。新聞記者の世界に足を踏み入れたばかりで右も左もわからない新人を懇切丁寧に指導する余裕などあるはずがない。
私が新人記者だった時代も、手取り足取り指導を受けたわけではなかった。「先輩の仕事を見て覚えろ」と言われ、ほったらかし同然だった。
しかし、ほったらかし同然とはいえ、先輩は仕事を「見せて」くれた。たまには晩飯に連れ出してくれて、それとなく愚痴を聞いてくれたりした。完全に放置にされていたわけではなかった。いまではほとんどの新人が放置されてしまうらしい。
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元全国紙記者
1961年、大阪府生まれ。毎日新聞社で論説委員などを歴任したほか、大阪や京都を中心に警察、司法、行政などを主に担当した。一方で、バブル経済期の闇社会の実態に迫る特命取材に携わったほか、平和問題や戦争体験、人権問題を取材テーマにした。著書に『千二百年の古都 闇の金脈人脈』『命の救援電車』『一九一五年夏 第一回全国高校野球大会』(いずれもさくら舎)がある。
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(元全国紙記者 坂 夏樹)
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