「相手を変えたければ、まず自分を変えよう」そんなよくある助言を、禅僧が真正面から否定するワケ
プレジデントオンライン / 2022年4月17日 9時15分
※本稿は、南直哉『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)の一部を再編集したものです。
■こじれた人間関係は愛情や努力では変わらない
あなたは、人間関係で何か問題が生じたとき「自分の努力が足りないから、うまくいかないのだ」「私が愛情をもって接したら、相手は変わるはず」と思ってはいませんか?
あるいは、人間関係の悩みを誰かに相談したら、「相手を変えたければ、まず自分が変わりなさい」と言われたことはありませんか?
しかし、こじれた人間関係は、「愛情」や「努力」でどうにかなるものではありません。努力や愛で相手が変わると考えるのは、新たな苦しみを生むだけです。
たとえそれが家族であっても、同じです。
私は福井県の永平寺で僧侶として20年近くを過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。その間、生きづらさや苦しさを感じているという、たくさんの方々とお会いしてきました。
皆さんのお話を伺う中で、仏教の考え方がさまざまな問題の解決の糸口、生きるためのテクニックとなるのだということに気がつきました。
仏教は、こだわりや執着から起こる悩みや苦しみの正体を知り、その取り扱い方を身に付けるためのツールとして利用できるのです。ここでは、拙著『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)の中から、多くの人が抱える人間関係の悩みを解消するためのヒントをいくつかお話ししたいと思います。
■老親を一人で介護する50代男性の苦しみ
まずは家族の問題について「自分さえがんばれば」と努力し続けた、ある50代男性のお話です。
彼は役所勤めをしながら、90歳間近の父親をひとりで介護していました。父親には視覚障害と軽い認知症があり、デイサービスや介護サービスは一切拒否し、息子の介護しか受けつけなかったのだそうです。
母親はすでに亡くなっており、ひとりっ子だった彼は孤軍奮闘しましたが、体重が減ってあきらかに顔色も悪くなり、倒れるのではないかと職場で心配されるまでになりました。市の福祉担当者からも「このままでは、あなたが先に死んじゃうよ」と言われたそうです。
それでも彼が父親の介護をし続けたのは、両親の愛情を一身に受けて育ち、恩義を感じていたことと、もし父の望みどおりにしなければきっと後悔するだろうと考えていたからです。それで、「お前が親の面倒を見るのは当たり前」と言われれば、従うしかなかったわけです。
極限状態で、彼は私に電話でアドバイスを求めてきました。そうでなければ病気で倒れるか、あるいは、「父親さえいなければ」と考えるようになっていたかもしれません。
「この人さえいなければ」と考えるのは、あってはいけない話です。しかし、介護の場面で、人はそこまで追い詰められます。いびつな関係の中で「自分が我慢すれば」「私さえがんばれば」と考えて、にっちもさっちもいかなくなってしまうのです。
■真面目で一生懸命な人ほど思いつめる
私は、とにかく父親をデイサービスにあずけるようにと言いました。
一日数時間だけでも、彼が父親から解放される時間を確保することが最優先だと考えたのです。男性は、「父の説得はむずかしいし、悲しませることになる」と抵抗しました。
しかし、「あなたが死んでしまったら、お父さんはもっと不幸になるでしょう」と言うと、なんとか納得してくれました。
「がんばれば、いつか努力が報われる」
「自分が変わりさえすれば、事態は好転する」
真面目で一生懸命な人ほど、そう思いつめる傾向があるようです。
しかしいくら努力しても、人間関係は報われないことのほうが多い。そう思っておいたほうがいいでしょう。
特に、家族の問題は、思いやりや愛で強引にカタをつけようとすると、袋小路に入ってしまいます。なかでも、その傾向が顕著に表れるのが介護の問題です。
介護では、家族の中で一番力の弱い人にしわ寄せがいきます。最近、問題になっているヤングケアラーは、まさにその典型でしょう。
■自分の中で解決策を探しても見つかるわけがない
こじれた人間関係が、自分ひとりの努力や愛情でどうにかなると考えるところから、まず一歩離れてみる。家族であろうが、恋愛相手や友人であろうが、年齢も性別も職業も「情」も関係なく、その人を冷静に見る。そういった訓練をしないと、状況を正しく判断できません。
そこから、その人間関係を自分の力でどうにかできるのか、できないのか。
枠組みを変える余地があるのか。それとも、関係を切るのかどうか。
冷静に考えていくのです。
このとき大事な視点が、家族から国家まで、どんな集団であっても、人間関係の基本は「政治」だと考えることです。つまり、すべての人間関係の底には「利害関係」と「力関係」が働いていると見とおすのです。
そこをきちんと見なければ、正しい状況把握はできません。
「いや、家族は愛情という絆で結ばれているだろう」と反論する人もいます。
しかし家族間であっても、利害関係と力がからんだ政治であることに変わりはありません。
人間関係を考えるとき、多くの人は「自分」の枠の中だけで考えます。そして「記憶」と格闘しています。もし、その記憶で他者との関係が正確に捉えられていれば、問題を考える材料にはなるでしょう。
でも、そこに自分の感情や自分の視点しかなく、「なぜ自分はうまくいかないんだろう」と自問自答しているだけなら、意味はありません。
閉じてしまった自分の中で、他者との関係を無視しながら解決策を探しても、見つかるわけがないのです。あるいは、ひとりよがりな解決策しか出てこないでしょう。
事態を正しく認識するためには、記憶との格闘をやめ、感情と距離をとって問題を考える必要があるのです。
■悩みは人間関係の中でしか生まれない
私のもとに相談に来られる方には、2つのタイプがあります。
「今の状況がこじれて苦しい人」と「今いるところからどこかへ行きたい人」です。
両者に共通しているのは、「自分の話」がまず出てこないことです。
「子どもが引きこもっていて、どうすればいいかわからないのです」
「上司がワンマンすぎてもう限界です」
「母親と同居していますが、干渉されることが多くて我慢できません」
「愛情が感じられなくなったので離婚したいのに、夫が納得せず、苦しいのです」
もちろんご本人は、「自分の問題」を話していると思っています。しかし、どんなに深刻な問題も、そのほとんどは「自分をめぐる人間関係」についての話です。
親や子ども、配偶者やパートナー、職場の人間と自分がどんな関係にあり、どのような問題が起きていて、いかに苦しいか――。
あるとき、40歳過ぎの独身男性が、相談にやって来ました。
同居する母親が何かにつけ自分の生活に口を出す。あまりにも支配的なので一緒にいるのが苦しい。どうしたらいいだろう。それが彼の悩みでした。
きちんとした仕事に就き、経済的にも安定している男性です。第三者から見れば、母親と距離をおけば解決すると、すぐわかります。
■「自分ではどうにもならない大問題」でも実はシンプル
私の助言は、いたって簡単でした。
「そんなに苦しいのなら、とりあえず離れてみればいいじゃないですか。実家から独立してアパートを借りたらどうですか?」
すると彼は、驚いた顔で言いました。
「そんなこと言ったって、母はすぐ部屋まで来ちゃいますよ!」
それならいったん母親を部屋に入れ、しばらくして帰せばいいのです。泊まらせなければ、自分の時間や空間は確保できます。
しかし、「そうは言っても……」と納得した様子はありません。
本人は「苦しい」と切実に訴えます。でもじつは、本気で母親から離れたいと思っていないのだと私は理解しました。
確かに、彼にとって母の存在はうっとうしいのかもしれません。しかし、母親が食事も身の回りの世話もすべてしてくれているのですから、多少の干渉さえ我慢すれば、ラクな暮らしができているはずです。「生活の便利さ」と「親の過干渉」のどちらを選ぶのか。問題の本質は、シンプルです。
でも当人には「自分ではどうにもならない大問題」に映っていて、苦しくて仕方ない。推測するに、彼には仕事や他の人間関係で悩みがあり、その鬱々(うつうつ)とした思いを母親にぶつけていただけなのかもしれません。
■感情と状況を切り分けて考える
人間関係の問題を考えるときに大事なのは、「つらい」「憎い」「嫌いだ」の話と、「今起きている出来事」とは、別ものだと理解することです。
まずその前提に立たないことには、話は始まりません。
しかし多くの人は、その2つを混同しています。だから、堂々巡りを繰り返してしまうのです。相手との関係を正確に把握することなく、自分ひとりの思い込みで動いても、うまくいくはずはありません。
「今起きている出来事がつらいから悩んでいるのに、2つを切り離して考えるなんてできない」と言う方もいます。
でも、「今の状況」と「こうあって欲しい状況」が違うのなら、問題を明らかに見なければなりません。そのために、感情と状況を切り分けるのです。
要するに、冷静になって「考える」わけです。たとえば「上司が嫌いで会社に行くのがつらい」というのは、性格的あるいは人間的に「合わない」のか、それとも仕事上で「うまくいかない」のか。前者なら、仕事上の必要以外に接触する時間を極力減らし、さらに相手を適当に褒めるかおだてるテクニックを身につけると、状況はかなり改善するはずです。
後者なら、相手を仕事に関わる「条件」として配慮しつつ、当面の課題に集中するのです。その場合、最終的な手柄を相手に譲る覚悟で臨むと、事態は好転しやすいと思います。
関係がいわゆるパワハラのレベルにまで悪化しているなら話は別です。対処の方法も個人のテクニックだけでなんとかできるものではありません。しかし、問題が「好き嫌い」にとどまる内は、それなりの動かしようがあるものです。
■問題は自分の中ではなく、人との「間」にある
「あきらめる」は、漢字では「諦」と書きます。
「諦」は、「悟る」ことと同じ意味です。ふだん使う「断念する」意味でなく、「つまびらかに見る」「明らかに見る」、仏の智慧を表します。
明らかに見るときに一番大事なのは、「苦しい」「つらい」という感情を抜きにして、事態を正確に判断できるか。そして、問題は自分の中ではなく、人との「間(ま)」にあると気づけるかです。人が直面する問題のほとんどが、人との「間」に存在します。「私の問題」とは、他人と一緒に織った織物のようなものなのです。
その証拠に、この世に自分ひとりだったとしたら悩むことはないでしょう。
他人がいて、自分がいる。その間にはストーリーが生まれ、人は喜怒哀楽を感じます。そしてそこに執着し、いつまでも反芻(はんすう)し続けます。
しかし、そのストーリーとは、自分自身の「記憶」にすぎません。
自分のつくった物語だけを見て苦しい感情にどっぷりつかる前に、問題を解決するには、他人との関係を組み替えることだと見極める必要があります。
「関係を組み替える」と言うとき、試してみる価値があるのは、人間関係の根底にある力関係と利害関係をよく見て、そのバランスを変えてみることです。
やり方のひとつは、「少し相手に譲ってみる」こと(無理して大きく譲るのは逆効果です。バランスが「崩れて」しまうから)。
もうひとつは、新たに第三者を引き込んでみること(あらかじめ十分に問題を理解してもらわなければいけません)。これらの工夫が引き起こす変化を効果的に取り込んで、問題の解決に活かしてみてはどうでしょう。
この種の見極めができるかどうか。これが、今自分が問題だと思っている状況から抜け出すための大前提です。
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禅僧
1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。著書に『恐山 死者のいる場所』、『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(いずれも新潮社)、『善の根拠』『仏教入門』(講談社)、『死ぬ練習』(宝島社)など多数。
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(禅僧 南 直哉)
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