一度は落ちたけれど…フルタイム看護師が「75歳でケアマネ資格を取得」するまで
プレジデントオンライン / 2022年4月20日 13時15分
※本稿は、池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)の一部を再編集したものです。
■定年後も再就職、フルに働き続ける
56歳のとき、20年近く勤めたT病院を定年退職しました。1980年当時、定年の年齢はそのくらいが普通でした。最後の1年は、総婦長さんが先に定年退職をされたので、私が総婦長をやりました。
そして、次の職場を紹介してもらい、また精神科の病院で総婦長として勤務しましたが、通勤時間が長かったこともあって、3年ほどで退職しました。そろそろ次の職場に行きたいなと思っていたら、別の病院から「総婦長として来ませんか」と誘われて、今度はそちらで働くことにしました。
次の職場に行きたいなと思っていると、タイミングよく新しい仕事の声をかけてもらえることが多かったですね。
■体調を崩した40代、50代
定年で仕事を辞めてしまう人もいますが、私はまだ元気で、働きたい気持ちは十分にありました。40代、50代は胆嚢炎や子宮筋腫の手術をしたり、体調が悪いこともありましたが、60代で病抜けしたのか、その後は元気になり体もよく動きました。
59歳のときに総婦長になったのは、精神科ではなく、リハビリを中心にしたS病院でした。介護老人保健施設(老健)が今ほど発達していなかったので、高齢者の社会的入院(治療の必要のない患者さんが長期入院すること。自宅看護が難しい高齢者が入院を続けることもあった)も多かったですね。
私はどちらかというと現場主義でした。総婦長として机の上での仕事がないときは、病棟に行って患者さんやその家族の話を聞いたり、忙しいスタッフの仕事を手伝ったりしたいなと思っていました。
時々病棟に行って、患者さんの爪を切りながら話を聞いたことも。長いこと社会的入院をされている患者さんの中には、爪が長いままの人もいたんです。現場の看護師は日々忙しいので、そこまで手が回っていなかった。私にとっては、現場のフォローもしながら、患者さんの声を聞ける貴重な機会でした。
■総婦長になっても、現場主義を通した
入院患者さんの中に、同じ部屋にベッドを2つ並べているご夫婦がいました。私がたまたま病棟を回っているときに、奥様から「主人のオムツは私が替えています」という話を聞かされました。
まだまだ完全看護が行き届かなかった時代。ご主人に比べて、奥様は病気の進行がゆるやかだったとは思いますが、やはり入院しているのだから1人の患者さんです。奥様に、ご主人の看護をさせるのはいけないなと思い、看護の問題点として拾い出すことができました。
そんな私の仕事を見て、スタッフの中には「総婦長さんは、病棟には行かずに部屋にいてください」と言う人もいました。
でも私は、「スタッフの感覚と少しずれているかもしれないけれど、それでいいわ」と思って、現場主義を通しました。机に座っているだけでは、病棟や看護の問題点を引き出すことはできなかったからです。
でも、一方で、「そう考えているスタッフもいるんだな」と、自分とは違う考え方があることは心に留めていました。
いくつかの病院を経験して、組織は大きくても、小さくても、いろいろな問題があることもわかりました。前の職場と比較して、その組織の良さや悪さもわかりました。今までの経験を生かして、問題に対応できるようになりましたね。
■70代で介護施設の立ち上げに参画
70歳になる前、10年近く勤めたS病院の総婦長を退職しました。その後、I病院に併設された新しい老健で、責任者として働き始めました。ここでの仕事で、初めて高齢者福祉に関わることになりました。
I病院は当時、病院グループ内で老健や特別養護老人ホーム(特養)、グループホームなど、介護施設を次々と立ち上げている時期でした。その立ち上げのお手伝いに参加した形です。
80代前半までの10数年、グループ内のいろいろな施設で働きました。
私は、認知症の人のお世話をするのも初めて。新しい施設だったので、スタッフもまだ慣れていません。
認知症は内臓の病気などとは違い、体は元気なので、あっちこっちと動きます。人の物を持ってきてしまったり、逆に自分の物を置いてきたりなど、認知症特有の行動にスタッフみんなで目を白黒させて、対応していました。
でも、おかげで認知症がどういうものかがわかりました。仕事をしながら、勉強をさせてもらいました。
■75歳でケアマネの資格取得
I病院グループにいた75歳のとき、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格を取得しました。三重県では最高齢だそうです。
ケアマネジャーは2000年の介護保険制度の導入にあたってできた資格です(試験は1998年から)。介護が必要な方のケアプランを作成し、介護サービス全体を統括する専門職です。周囲で取ると言う人も多く、自分も介護施設に勤めているので、取っておこうと思いました。
70歳を過ぎて覚えも悪くなりましたが、最後の資格試験として挑戦してみることに。それに、たとえ試験に落ちても、介護のことを勉強できるなら、悪くないなと思いました。
でも、一番最初に受けたときは、少し軽く考えていました。保健医療に関わる知識も出題されるのですが、そちらは看護師として専門ですから、わかっているつもりでいました。そうしたら、不合格に。これはいけないと、翌年の2回目は半年間勉強しました。
仕事を休んで勉強しようと思ったけれど、「合格して当たり前」と言われるのは悔しいから、昼間は仕事をして、勉強は家に帰ってきてから。子どもたちは独立していて主人と2人暮らしでしたので、夕食の支度や片づけをした後、朝まで勉強していました。
そのときはまだ、フルタイムで働いていて、仕事は絶対に休まないと決めていました。
家に合格通知が届いたとき、主人が職場にわざわざ電話をしてくれました。私が夜中まで勉強していたから、気にしてくれていたよう。日頃は、とくに声をかけてくれることもなかったのですが、合格を一緒に喜んでくれたのはうれしかったですね。
その主人は、私がケアマネジャー資格を取得した翌年、亡くなりました。
この職場でケアマネジャーの仕事をしたのは、ほんの少しだけでした。でも、資格は持っていても邪魔になりません。長く働いていると、いつか役に立つことがあります。
いちしの里に入ってから、数カ月ケアマネジャーの仕事をしました。ケアマネジャーの経験がある同僚の橋口さんに教えてもらいながらしたことは、いい経験になりました。
■3日家にいると仕事に行きたくなる
80歳を過ぎた頃、I病院グループ内で責任者をしていたのは、グループホームでした。
グループホームは、認知症の高齢者が少人数で共同生活する介護施設です。入居者は6人の小さな施設でしたが、職員6人でシフトを回し、食事作りや入浴介助などを行います。責任者の仕事もしながら自分もシフトに入るのは、体力的にも大変になってきました。
勤務のシフトを作るのは責任者の仕事なのですが、やりくりが難しく、スタッフの希望を優先にすると、自分が犠牲になることもありました。当直をし、昼間の勤務をし、10日間くらいぶっ通しで働くなんてこともよくありました。
きちんと仕事をしたい気持ちはありましたが、だんだん年齢がついていかなくなりました。後任が見つかったことを機会に、83歳で退職しました。
しばらくはうちにいましたけど、主人はおらんし、ひとりでうちにいても仕方がない。小さい老健から仕事を頼まれたりして、パートでちょこちょこと働いていました。
仕事をしないで家にいると、自分ひとりが取り残されているような感じがしました。3日家にいると、働きたいと思ってしまう。外で働く癖がついているんでしょうね。
そして、88歳から、いちしの里でお世話になっています。気づいたら9年、97歳の今まで働き続けていました。
「老後」「引退」という発想がないんですね。でも、近頃は、体が言うことを聞かんし、そろそろ老後を考えなあかんかも、なんて思っています。
年金もいただいているので、贅沢しなければ、働かなくても暮らしていけます。でも、労働してお給料をもらえるのは、純粋にうれしい。いちしの里からいただいたお給料で、孫の学費を出したりもできました。
それに、仕事は疲れますけど、うちに帰ったときの充実感は、何物にも代えがたい。「健康で動けた」という充実感。これは、ずっと働いているからこそ、味わえるものですね。
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看護師
1924(大正13)年、三重県生まれ。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所へ進む。1943年、19歳のとき、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護老人保健施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。75歳のとき、三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳のとき、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務。現在も週1~2回の勤務を続ける。2018年6、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる第4回「山上の光賞」を受賞。
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(看護師 池田 きぬ)
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