直下型地震では即座に人命救護…世界最大の都市・江戸を守った「与力」のすごい働きぶり
プレジデントオンライン / 2022年4月18日 12時15分
※本稿は、山本博文『江戸の組織人』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■人口100万人を超える江戸の行政・司法・警察のトップ
将軍家のお膝元である江戸は、18世紀初頭には町方人口50万人、これに将軍の家臣である旗本・御家人や諸藩の江戸屋敷に暮らす武士を加えると100万人を超える世界最大の都市であった。
この大都市の町方の行政・司法・警察を担当したのが町奉行所で、トップは町奉行である。町奉行は、現在で言えば東京都知事・東京地方裁判所裁判長・警視総監を兼ねる幕府官僚のエリートである。
町奉行は、南北各1名ずつだが、地域で業務を分担するのではなく、月番で業務を行った。たとえば、4月に北町奉行が訴訟などを受け付けると、5月は南町奉行が訴訟を受け付け、北町奉行は4月に受け付けた訴訟を審理するという関係にあった。
■町奉行はキャリア組で、実務は与力たちが握っていた
町方人口50万人の治安を守るのは、町奉行に付属された与力・同心たちである。
与力は、騎馬の格とされた武士で、南北町奉行所に各25名いた。そのうち、各3名は、町奉行の家臣が務める内与力であった(佐久間長敬著・南和男校注『江戸町奉行事蹟問答』東洋書院)。同心は、南北各100名、全部で200名いた。幕末の安政期(1854~1860)までに各40名が増員され、280名になった。
町奉行所の与力・同心たちは、わずか300名ほどの人員で、江戸の施政を担当し、治安を守ってきたのである。
町奉行は、20年も務めた大岡越前守忠相(在任1717~1736)などは例外で、短い時には1年、長くても数年で交代する。任命されるのは、旗本中のいわばキャリア組であって、町奉行の職務に精通しているわけではない。町奉行所の実務を担ったのは、ほぼ世襲で役を務めた与力たちであった。
たとえば北町奉行所を例にとると、与力25名のうち、上から5名が支配与力を務める。この支配与力が、一番組から五番組まで20名ずつの組に分けられた同心を1組ずつ預かるのである。
■犯罪捜査にあたるのはポケットマネーで雇われた岡っ引き
支配与力5名の中から2名が、年番方となって、年番で与力の頭となる。町奉行所の人事は、町奉行の権限であるが、実際には与力・同心をよく把握している年番方が人事を行うことになる。
与力の担当は、裁判を行う吟味方、判例を調査する例繰方、養生所見廻、牢屋敷見廻などに分かれている。これら役の担当をする与力は能力のある者で、新任の者やあまり能力がないとみなされた者は「番方」となる。番方は、奉行所の当直や臨時の役を務める。
町奉行所の警察組織は、同心のみで構成される定廻、隠密廻、臨時廻の三廻である。この人数が意外に少なく、この中心であった定廻が南北各3~5名ほどしかいない。隠密廻、臨時廻を加えても、せいぜい南北合計30名ほどの組織で、江戸の治安を守っていたわけである。
もちろん、犯罪の捜査などは、この程度の人員では困難なので、定廻同心たちはポケットマネーで目明し(岡っ引き)を雇い、捜査にあたらせた。また、放火や盗賊に関しては、別に火付盗賊改が置かれ、配下の同心を指揮して取締りを行った。
いざ、容疑者を捕まえようということになると、番方与力のうちから「検使」が任命され、同心を率いて捕縛にあたる。実際に捕り物を行うのは同心で、与力はその指揮にあたる。時代劇などで、「御用」と書かれた提灯を持って犯人を捕縛しているのは同心で、目明しなどは犯人を捕まえる権限を持たなかった。
現在では考えられないほどコストのかからない組織であるが、これが可能だったのは、将軍の威光と江戸町人の自治組織が作り上げた秩序意識があったからであろう。
■夜10時ごろ、直下型地震が江戸の街を襲う
安政2(1855)年10月2日、江戸をマグニチュード6.9の直下型地震が襲った。この地震について、町奉行所の与力を務めていた佐久間長敬が、当時の体験談を話している。
地震があった時、長敬は19歳の青年だった。10畳敷きの座敷の寝床に入り、寝付きもしないうちに西の方からごうごうという響きが耳に入った。何事かと頭をあげると、夜具のまま3、4尺も投げ上げられたように感じたという。
地震が起こった時刻は夜10時頃と伝えられるから、けっこう早寝だったのである。
枕元では、姉2人が裁縫をしていたが、あまりの揺れに、「どうしよう、どうしよう」と泣き叫びながら長敬の上にうち重なってきた。長敬は、2人の重みで飛び起きることもできなかった。奥座敷からは、寝ていた父親の声が聞こえた。
姉たちとともに廊下に駈けだしたところ、壁が落ちているのにつまずき、将棋倒しになった。ころがるようにして両親の寝間に入ると、母親が声も出せず、うなっている。
どうしたことかと寄って見ると、大柄な下女が3人も母親の上に折り重なっている。地震が起こった時、片付けものをしていた下女たちは、夢中で主人の寝間に走ってきて、母親を守ろうとその上に押し被さったのだった。それが次々に3人もだから、かえって母親は死ぬほど苦しんだ。母親は、3歳になる子を守ろうと身をもって防いでいたのである。
■火事が起きても自分と家族の命を救うだけで精一杯
その日は、新月の頃で、全く明かりがない。父親は、火をともせと叫んだ。ようやく蝋燭や提灯に火をともして見たところ、戸や障子は外れ、家具が散乱し、土蔵はみな土が落ちて柱が傾いている。
早く安全なところに立ち退こうと玄関前の広場に出た。火事が心配なので火は消した。
ところが、近所裏の茅場町辺の町家では、すでに火が出ていて、たちまち火の粉と光が目に入った。しかし、通常の火事と違い、警鐘も板木も鳴らない。誰も彼もみな地震の揺れで動くこともできず、ただ自分と家族の命を救うだけで精一杯だったのである。
長敬たちは、燃えては何にもならないというので、一番いい衣服を着、大小の刀も一番いいものを差し、お金もできるだけ持ち出して各自に分け、もし離ればなれになったらどうにか生き延びて、再びこの地に帰ってくるようにと申し合わせた。
■仲間の与力・同心25人が集まり、奉行所へ
周辺では、すでに大火事が発生していた。長敬は、お城が気がかりになり、金を投げだし、家族も見捨ててお城に駆けつけようとした。しかし、父親は、「夜中に大地震では城には入れない。それより仲間の若者をさそって奉行所に行け」と指示した。そこで長敬は、人を走らせて仲間の与力・同心を呼び、集まった25人で奉行所に出頭した。
奉行所では、町奉行池田播磨守が火事具に身をかため、玄関前で床几(臨時に使用する腰掛け)に腰かけていた。長敬は、奉行の無事を祝し、与力・同心の家の様子を報告し、何か御用があればと駆けつけたと申し上げた。
奉行は、お城に同心を遣わし、若年寄から、「上様は我々が御警固申し上げる。奉行所は市中の救護をせよ」との命を受けていた。そのため、被害者への炊き出し、御救い小屋の建設、怪我人の救護、必要な物品の確保、諸職人の呼び出し、売り惜しみや買い占めをする奸商の取締りなど、市中の救助や取締りを次々に指示していた。
■大地震に遭って助かるのは「たんにまぐれの幸運」
こうして見ると、現在の都庁に相当する町奉行所は、被害を受けた人々を救うために、迅速に手を打っていたことが分かる。もちろん、都職員の数とは比較にならない少人数であるが、そのわずかな人数で、大江戸をできるだけ混乱のないようにしようとしていたことは、高く評価してよいと思う。
さて、長敬は、大地震の時にどうすればよいかについて、次のように述懐している。
「出る猶予があれば表へ立退くより外はないが、せっぱ詰まった状況では、学者でも英雄でも工風(工夫)もなにも出るものではない、アーといふ間に家はつふれて来る、其時表へ飛出した人は夢中に出たので助かったので、たんにまぐれの幸運だったにすぎません」
つまり、大地震に遭って助かるのは、行動がよかったというより、運がよかっただけ、というのである。水戸藩では、有名な尊王攘夷の理論家、藤田東湖が倒壊した家で圧死している。見当たらぬ母を案じて躊躇しているうちに、被害に遭ったという。学者でも英雄でも、運が悪ければ死ぬのである。
われわれも、実際に大地震に遭遇すると、思っていることの10分の1もできないかもしれない。しかし、運任せにするのではなく、歴史に学び、できるだけの対策は立てておくべきであろう。
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歴史学者
1957年、岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。文学博士。東京大学史料編纂所教授などを勤めた。1992年『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書に『日本史の一級史料』(光文社新書)、『歴史をつかむ技法』(新潮新書)、『流れをつかむ日本史』『武士の人事』(角川新書)など多数。共著に『人事の日本史』(朝日新書)。NHK Eテレ「知恵泉」を始め、テレビやラジオにも数多く出演した。2020年逝去。
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(歴史学者 山本 博文)
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