1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「小中学生の全国大会は子供を不幸にする」スポーツ界にはびこる"勝利至上主義"という麻薬

プレジデントオンライン / 2022年4月21日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CasarsaGuru

全日本柔道連盟が小学生の全国大会の廃止を決めた。小中学生世代のスポーツ大会はどう変わっていくのか。神戸親和女子大学の平尾剛教授は「『勝利至上主義』からの脱却につながる大きな一歩だ。スポーツには勝利より大切なものがあることを、親や指導者が再認識するべきだ」という――。

■「行き過ぎた勝利至上主義」が横行していた柔道界

2022年3月18日、全日本柔道連盟(全柔連)は、全国小学生学年別柔道大会を廃止すると発表した。「勝利至上主義の散見」を理由に2004年から実施されてきた全国大会を廃止するこの決断は、世間をにぎわしている。

全柔連が挙げた「勝利至上主義の散見」とは何か。全柔連によると、判定に対して指導者や保護者が審判に罵声を浴びせる、児童に減量を強制する、組み手争いに終始する試合が見られる、保護者がわが子の対戦相手をののしる、父親が試合に負けた子供の胸ぐらをつかんで壁に押しつける――など、勝利に固執するがゆえに大人が過熱する事例が現場で相次いでいるという。全柔連はこれらを改善すべく大会そのものを廃止する決断を下したわけである。

若年層のスポーツ現場における勝利至上主義の弊害は、今日に至るまで声高に指摘されてきた。これに対し、各競技ではすでにさまざまな対策を講じている。

たとえば「全国ミニバスケットボール大会」は2018年に決勝トーナメントを廃止した。加えて、ゾーンディフェンスの禁止や個々の出場時間を制限するなどのルールを制定している。「ゾーンディフェンスの禁止」には個々のスキルを向上させる1対1のシチュエーションを重視する意図がある。また「出場時間の制限」は、運動能力に秀でた児童ばかりが試合に出場する不平等の解消が目的だ。ともに目先の勝利よりも児童の将来を見越したものだ。

■「怒ってはいけない」バレーボール大会の狙い

知られるところでは、元バレーボール日本代表の益子直美氏が2014年から開催している「益子直美カップ小学生バレーボール大会」がある。「怒ってはいけない」というルールを設けたこの大会では、勝利にこだわるあまりつい熱くなり、言葉がきつくなった監督がいれば益子氏が出向いて注意をする。

怒鳴りが過ぎれば赤で×(ぺけ)と書かれたマスクを着けさせられる。暴力による指導で自主性を見失い、現役引退後も自信が持てずに悩み続けた益子氏の、勝つためという理由で暴力や暴言をともなう指導が許されてはならないという強い思いが結実した大会である。

■暴力・暴言の連鎖を断ち切ろうとする取り組み

暴力や暴言がともなう指導がなくならない理由として、選手時代にそれを経験した指導者が無反省に繰り返す「暴力の連鎖」が指摘されている。そんななか、自らの生い立ちを批判的に捉え直した益子氏には頭が下がる思いである。

益子氏の身を切るようなこの取り組みは他競技にも伝播しつつある。

2021年4月には、「怒ってはいけない大会」を他のスポーツにも広めることを目的として「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」が設立された。スポーツ関連企業のモルテン、アシックス、ミカサがスポンサードし、応援者には元バドミントン五輪日本代表の陣内貴美子氏と元ラグビー日本代表の野澤武史氏らが名を連ねる。

勝利至上主義がもたらす弊害の、最たるものである暴力や暴言による指導をなくそうとする動きはここ10年でかつてなく活発化している。

全柔連のこのたびの決定が、勝利至上主義からの脱却を図るこうした一連の流れを加速させるのは間違いない。とはいえ、勝利至上主義からの脱却がそうスムーズに進むとは思えない。

プレスリリース後まもなく、全柔連には保護者から「(これまで懸命に練習をしてきた)子供がかわいそうだ」という内容のメッセージが十数通ほど届いたという。従来の仕組みを変更することで被る不利益を訴える声は、いつの時代も必ずある。

■「勝利から得られるもの」と「勝利への固執で失うもの」

目標を失うことになるわが子やその友達をおもんぱかる気持ちは、わからないでもない。わが子に向けられる親心や顔見知りの児童への労わりは察するに余りある。だがこの気持ちは、大会において好成績を収められるであろう可能性を秘めた児童にしか向けられていない。大会のたびに親や指導者からの重圧を耐え忍ぶ児童は視野に入っていない。

子供を思いやる尊い気持ちを十分に汲みつつ、それでもなお指摘したいのは、たとえ短期的には不利益がもたらされるとしても、将来を見越した長期的な視野で恩恵にあずかるかどうかを想像する必要性である。「勝利から得られるもの」と「勝利への固執で失われるもの」とを天秤にかけ、冷静に吟味する態度が成熟した大人には求められる。教育を目的とした若年層のスポーツを考えるときに、この構えは決して欠かすことはできない。

■小中学生の全国大会は「不幸せな子供を生むシステム」

先の益子氏も含め、このたびの全柔連の決定を肯定的に捉える元トップアスリートや指導者は多い。

全柔連会長の山下泰裕氏は、児童が健全に発達していくのに「目先の勝利にこだわる必要はない」という。元陸上選手の為末大氏も「目先の勝ちを拾おうとする誘惑」には抗い難く、それを鑑みれば「中学生までは全国大会はいらないのでは」と提議している。「トータルでみると、若年層での全国大会は多くの子供を幸せにしないシステム」だとも感じているという。

両者ともに児童の健全な発達やその後の幸せな人生に「目先の勝利」は寄与しないと考えている。

さらに為末氏は、「陸上では、中学チャンピオンが五輪に出るのはきわめてまれ」だという現実から、「目先の勝利」がハイパフォーマンスにはつながらない点も指摘している。

これはラグビーでも同じである。コンタクトがともなうその競技性から、中学時代はからだの発育が早い早熟傾向の子供がその体格差を利用して活躍することが多い。まるで一人だけ大人のように突出したプレーをする選手を「超中学級」と呼んだりするが、彼らが卒業後も順調に成長を続けて日本代表になるケースはほぼない。まったくないわけではないが、ごく少数だ。ここから考えれば、発育の差がプレーの優劣や試合の勝敗を大きく左右する年代での競い合いにはあまり意義を持たせないほうがいいと思われる。

スペインのサッカー界では18歳以下の全国大会を実施せず、23歳以下を育成年代として長期的な視野からの育成を目指している。そのスペインで、リーガ・エスパニョーラのトップチームの監督に日本人および女性で初めて就任した佐伯夕利子氏は、現在所属するビジャレアルで2014年から指導改革を行ってきた。クラブを出たあとの人生を最優先に考え、競技力の向上よりも人としての成長を促す指導に切り替えたのだが、驚くことにプロ選手になる割合は改革前と比べて変わらなかったという。

少年サッカー
写真=iStock.com/AzmanJaka
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AzmanJaka

■大会の廃止で「弱くなる」と嘆く人たちが見落としているもの

全国大会の廃止に異論を唱える人たちは「子供が弱くなる」「有能な人材が育たなくなる」と主張する。この主張の根底には、競争がもたらす厳しさを通じなければ子供は育たないという考え方がある。

だが、その道を極めた人もしくは真摯(しんし)に子供と向き合う指導者は必ずしもそうは考えていない。勝利の競い合いとは別のところに若年層におけるスポーツの価値を見いだしている。それに重きを置けば健全な発達を促し、競技を継続する動機を支え、さらには結果的にハイパフォーマンスにもつながるという、いささかのんきともいえる考え方を持ち合わせている。

■勝利の匙加減を狂わせてスポーツの価値を見失ってはいけない

勝利の追求は否定しない。だが勝利より大切なものがある。

おそらくここが、勝利至上主義の弊害を理解する上でわかりづらいところだろう。ならば競争は不要なのかとつい反論したくなる人もいるだろうが、むろん、そうではない。競争が不要なわけではないし、もしそうなら勝敗の競い合いを原理とするスポーツの存在価値は無に帰す。

競争は必要である。スポーツからそれを取り去ることはできない。競技に優劣をつけ、勝者を礼賛するシステムは尊重されなければならない。だが、その「程度」には細心の注意を払う必要がある。匙加減をどうするかが問題なのである。

スポーツにおける価値とは、心肺機能の向上や筋力の増強などを通じて身体が健やかになることや、コツをつかみカンを働かせようと内側から感覚を探るプロセスを通じて、身体の感受性が育まれることが挙げられる。他にも、容易にくじけない強靭(きょうじん)さや主体性、積極性などを備えた心構えや自尊心を育んだり、挨拶やマナー、コミュニケーションスキルなど、所属する集団を快適に生きるための所作を身につけたりするのもそうだ。

その中で、勝利至上主義とは、勝利を最も価値あるものとみなす考え方である。

すなわち、勝利至上主義とは、先に挙げたスポーツの価値をなきものとして、勝利のみを重視する短絡思考に他ならない。あるいはこれらの価値を、あくまでも勝利を手にするために身につけるものとし、そのすべてを勝利に従属させる暴論でもある。もっといえば、勝利を手にさえすればこれらの価値は自ずとついてくるという思考停止といってもいい。

■勝利はスポーツの価値を養う上での方便でしかない

勝利はこのうえない充実感をもたらす。このとてつもない恍惚(こうこつ)は、勝利以外のさまざまな価値に向けるべきまなざしをかき消してしまう。この落とし穴を回避するためには、勝敗の競い合いはより丁寧に扱わなければならない。

勝利を目指すのはあくまでも方便であり、真の目的はそれへのプロセスで身につくさまざまな価値である。この紛れもない事実を、子供のそばに立つ大人はそのつど思い出さなければならない。スポーツを通じて、子供を「見る目」を養わなければならないのだ。怒鳴り声を上げている暇などないのである。

メガホンで叫ぶマッチョなトレーナー
写真=iStock.com/Wavebreakmedia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wavebreakmedia

■親・指導者の意識も変える必要がある

スキー板を履いて雪の斜面を横切るとき、ただ加速に任せてしまえば知らず知らずのうちに谷底へとたどり着く。目標を視認し、谷足の内側に体重をかけて軌道修正し続けなければ横断できない。

スポーツはこれと同じである。競争を前提とするがゆえに、いつしか方便であるはずの勝利の追求が目的化する。油断すればすぐに勝利至上主義へと傾いてしまうわけである。だからたえず微調整しなければならない。この微調整は、自らが斜面に立っている現実を自覚することで初めてなされうる。

全柔連は「仕組み」を変えた。日本にルーツがあり、オリンピックで多くのメダリストを輩出する柔道界のこの軌道修正は、若年層におけるスポーツの健全化に向けた大きな一歩であることは間違いない。だが、仕組みを変えただけでは不十分である。大切なのは、保護者や指導者など子供を取り巻く大人たちの「意識改革」である。勝利至上主義の弊害を学び直す大人が増えることで、子供が安心してスポーツに興じることのできる環境がつくられる。

勝利の味は格別だ。だがそれは、往々にしてひとときのよろこびでしかない。スポーツの豊かさは、真剣になって勝利を追求するそのプロセスにある。勝敗に付随して身についた価値は競技をやめてもなお残り続ける。これこそがスポーツがもたらす最大の果実であると私は思う。

----------

平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和女子大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。

----------

(神戸親和女子大教授 平尾 剛)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください