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資源も何もないから無税天国にするしかない…アメリカが「自由の国」となった理由は"税金"にあった

プレジデントオンライン / 2022年4月19日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RapidEye

なぜアメリカは「自由の国」と呼ばれるようになったのか。元国税調査官の大村大次郎さんは「アメリカはイギリスの植民地だったが、当時は資源もなにもないと考えられており、経済を活性化するため仕方なく『タックスヘイブン』となった。その後、イギリスが税金を課そうとしたため、アメリカは独立戦争に踏み切った」という――。

※本稿は、大村大次郎『世界を変えた「ヤバい税金」』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■イギリスが北米だけを「自由経済の場所」とした理由

昨今、「タックスヘイブン」が世界の注目を集めています。

タックスヘイブンとは、税金がほとんどかからない(非常に安い)国や地域のことです。多くの企業や富裕層がタックスヘイブンに移転して税金を逃れるようになっており、世界的な問題となっています。

そんなタックスヘイブンの、元祖と言うべき国があります。

それは、アメリカです。現在、世界の超大国として君臨しているアメリカですが、もともとはイギリスの植民地でした。

かつて、イギリスは世界中に植民地を持っていましたが、そのほとんどの地域で経済活動の自由を認めていませんでした。そして、特定の貿易会社に対し、植民地における独占的な権益を与えていたのです。

これはイギリスだけではなく、当時のヨーロッパ諸国はどこもそういう植民地政策をとっていました。

大村大次郎『世界を変えた「ヤバい税金」』(イースト・プレス)
大村大次郎『世界を変えた「ヤバい税金」』(イースト・プレス)

有名なところでは、「東インド会社」があります。東インド会社は、東インドの植民地について貿易を独占していた会社です。イギリスのほか、オランダやフランスに設立されました。

ヨーロッパ諸国は植民地を支配する際、東インド会社のような独占企業をつくり、輸入品などに高額の税金を課していたのです。

ところがイギリスは、北米植民地については経済を自由化していました。原則として誰でも自由に事業を行うことができ、貿易の制限もほとんどなかったのです。

なぜイギリスは、北米植民地にだけは独占企業をつくらなかったのでしょうか?

■ゴールドラッシュが起きたのは独立以降

実は当時、北米はそれほど重要な地域ではありませんでした。今でこそ、資源大国・農業大国として栄えているアメリカですが、かつては金などの鉱脈もほとんど発見されておらず、香料やお茶などが採れるわけでもありません。

広大な国土はあったものの、ほとんどが未開の地でした。北米でゴールドラッシュが起きたり、巨大油田が発見されたりするのは、独立以降のことです。

クロンダイクゴールドラッシュ
写真=iStock.com/ilbusca
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ilbusca

当時の北米は、金銀の大鉱山があった南米、貴重な香料が採れた東アジアに比べて、重要度が低い地域だったのです。そこでイギリスは、北米を無税地域にすることで経済の活性化を図ったのでした。

資源の乏しさは、逆に多くの移民を招き寄せる結果になりました。税が課されなかったため、北米は物価が安く生活がしやすい地域になっていったのです。

もちろん、自分たちで開拓する苦労はあります。が、ヨーロッパでたびたび飢饉(ききん)が起きたこともあり、それを逃れようと大量の移民が北米に渡ることになりました。

もし北米で、早くから重要な鉱山などが発見されていたらどうだったでしょうか? 経済的な自由は与えられず、ほかの植民地と同様、政府肝煎りの独占企業によって支配されていたかもしれません。

■アメリカ独立戦争の発端は「フレンチ・インディアン戦争」

北米植民地が発展するにつれ、ここを無税にしていたことは、イギリスにとってだんだん大きな負担になってきました。

北米はフランス、オランダなどと争って獲得した地域であり、それらの国との諍いが絶えませんでした。イギリス本国は、北米植民地を守るためにたびたび軍を派遣しなければならなかったのです。

しかも、北米植民地からは兵の供給がありません。イギリス本国から大勢が入植していたものの、彼らには納税の義務もなければ、兵役もなかったのです。

そのため他国から侵攻されると、防衛のためにイギリス本国から兵を出さなければならない状態でした。もちろん、遠く離れたアメリカ大陸に、本国の兵を派遣するには莫大(ばくだい)なお金がかかります。

アメリカ独立戦争の約20年前となる1756年、イギリスはフランス、ロシアなどと「七年戦争」を行っていました。

七年戦争では北米も戦地となり、イギリス軍とフランス軍が衝突します。その戦闘は、両軍がインディアン部族と同盟を結んでいたことから「フレンチ・インディアン戦争」と呼ばれています。

イギリスとしては、植民地を守るために行った戦争です。そのため、戦費を北米側に負担させたいと考えていました。

■北米の住民に納税代わりに茶を買わせる

そこでイギリスは、茶を北米に売りつけることで、少しでも財政負担を負わせようとします。

当時の北米では、茶の密輸が大々的に行われていました。大量の茶を輸入しているにもかかわらず、イギリス当局には関税がほとんど入らない状態になっていたのです。

イギリスは国策会社である東インド会社に、北米に無関税で茶を販売する特権を与えました。当時、東インド会社は茶の在庫を大量に抱えており、これを独占的に売りつけて処分しようと考えたわけです。

無関税になれば、東インド会社の茶は密輸品よりも安くなり、売れるようになります。イギリスは東インド会社の経営を助け、北米の住民に茶を買わせることで納税代わりとしたのです。そして同時に、密輸業者の利益を封殺してしまおうと考えたのでした。

これに対し、密輸業者は激怒します。

■現在のアメリカでコーヒー文化が栄えた驚きの理由

当時、北米の住民の間では、密輸は悪いことではないと思われていました。北米植民地には、議員の議席がありません。そのため、「代表なくして課税なし」という言葉を用い、一切の課税を拒否したのです。

その理屈から言えば、北米は関税を払うのもおかしいのだから、密輸をして当然という意識もありました。マフィアなどではない普通の貿易業者が平然と密輸を行っており、住民も半ばその存在を承認していました。

北米の密輸業者たちは茶無関税政策への反抗のため、ボストンで茶を積載していた東インド会社の船に乱入し、茶を海に投げ込む事件を起こします。有名な「ボストン茶会事件」です。

この事件をきっかけに、北米植民地では独立の機運が高まり、独立戦争に発展していきました。

ちなみに、茶に関する一連のゴタゴタのために、北米植民地では茶の代わりにコーヒーを飲むようになりました。現代のアメリカでは紅茶の習慣はあまりなく、コーヒーの文化が栄えていますが、それはこの茶騒動が原因なのです。

アメリカ国旗とホットドリンク
写真=iStock.com/goglik83
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/goglik83

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大村 大次郎(おおむら・おおじろう)
元国税調査官
1960年生まれ。大阪府出身。元国税調査官。国税局、税務署で主に法人税担当調査官として10年間勤務後、経営コンサルタント、フリーライターとなる。難しい税金問題をわかりやすく解説。執筆活動のほか、ラジオ出演、「マルサ!! 東京国税局査察部」(フジテレビ系列)、「ナサケの女~国税局査察官~」(テレビ朝日系列)などの監修も務める。主な著書に『あらゆる領収書は経費で落とせる』(中公新書ラクレ)、『ズバリ回答! どんな領収書でも経費で落とす方法』『こんなモノまで! 領収書をストンと経費で落とす抜け道』『脱税の世界史』(すべて宝島社)ほか多数。

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(元国税調査官 大村 大次郎)

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