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「監督の不祥事→作品のお蔵入り」はもうやめるべきだ…園子温監督の作品に出演した私が言いたいこと

プレジデントオンライン / 2022年4月20日 15時15分

イタリア・ベネチアで開かれた第68回ベネチア国際映画祭に出席し、トロフィーを掲げる園子温監督=2011年09月10日 - 写真=dpa/時事通信フォト

映画監督やプロデューサー、俳優による性加害・性暴力の告発が相次いでいる。そうした告発を受けて、公開中止となる作品も出てきている。作家の岩井志麻子さんは「監督らに問題があるからといって、作品をお蔵入りにするのは反対だ。これでは関係者すべてが救われない事態になってしまう」という――。

■一連の報道を受け、憤りとともに私が感じた“ある思い”

立て続けに告発され暴露され糾弾され、というのが続いてしまった。高名な監督や人気俳優による女優、そして女優志願者たちへの性的な暴行や強要、嫌がらせ。

甘言や脅しはセクハラとパワハラの複合。悪質すぎると世間は彼らへの非難一色となり、刑事罰こそないが、ほぼ今後の表舞台での活動は断たれてしまった。

一連の報道は、同じ女として憤りを覚え、彼女らの痛みを生々しく感じた。だが、その世界に端くれとはいえ関わっている者としては、それだけではない思いも抱いた。

■私が見た園子温監督の実像

私の本業は小説家だが、結構な数の映像作品に出してもらっているし、テレビもレギュラーで出続けている。実は、告発された一人である園子温監督の作品『地獄でなぜ悪い』にも出演しているのだ。

嘘偽りなく、現場では楽しかった記憶しかない。本当に、園監督はおもしろくて優しくてという、いい思い出しかない。次にお声がかかるのはいつかと、待ち望んでもいた。

うまくセリフが言えない自分に腹が立った、変な訛りがあるのを指摘されて恥ずかしかった、という場面もあったが、それらも私の中では笑いとともに思い出せるものとなっている。監督は的確な指導をしてくれ、感情的に怒鳴られるなんてまったくなかった。

■被害を受けてこそいないが、私も傷ついている

その映画の上映イベントにも出させてもらい、監督夫人となった女優さんに再会し、2人きりになったとき、監督にどこで指輪をもらったか、なんて話を聞かせてもらった。

素顔の奥さまは少し恥ずかしそうに、でも幸せいっぱいの笑顔で、夫としての彼、監督としての彼に惚れこんでいる姿を、演技ではなくそのまま見せてくれた。被害者となった女性たちと同じくらい、そのときの奥さまの笑顔を思い出すと胸が痛い。

監督よ、私はあなたにひどい目に遭わされたことはなく、嫌な思いをさせられたことは一瞬たりともない。でも、私も傷ついていると伝えたい。

良い思い出しかない。楽しかった記憶しかない。だからこそ私は、今頃になって傷ついているのだ。今このような心境にいるのは、私だけではないはずだ。そして別の監督や俳優に関しても、きっと私みたいな人たちはたくさんいる。

■どうか作品はお蔵入りさせないでほしい

とはいえ、彼らの作品すべてを上映中止、発売停止、という措置は賛成できない。これは、自分が表現者の端くれだからというのもあるが。

真摯(しんし)にその作品に取り組み、頑張ってきたスタッフや共演者としては、何で自分まで巻き添えにされる、まるで連帯責任みたいなことまでされなきゃならないのか、とやるせない憂鬱さに沈み、あるいは持って行き場のない憤怒に燃えているだろう。

ただいい作品を作ろうとした彼ら彼女らの努力や情熱までもが、まるで彼らの罪と罰であるかのように扱われるのは、私も居たたまれない気持ちになる。

不祥事を起こした張本人は、ある程度の社会的制裁は受けているのだ。共演者やスタッフのために、どうか作品は「お蔵入り」させないでほしい。

被害者が見たくない気持ちはわかる。ならば、せめて被害者が出ていない作品に限っては、予定通り発表してもらえないか。でなきゃ、関係者の誰もが救われないではないか。

小さな映画館
写真=iStock.com/LeMusique
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LeMusique

■被害者の名誉を取り戻す場を与えるべき

「作者と作品は別のもの問題」はさまざまな考え方があり、私も思うところある。ただ、多くの視聴者、観客は、作品は見たいと願っているのではないか。

榊英雄という監督と面識はないが、主演を張った女優さんの作品が上映できなくなったというニュースは、とにかく彼女が第三者から見てお気の毒というのを通り越し、まるで身内みたいに彼女の心身の状況が心配になってしまった。

女優生命を懸けたような熱演だったと聞くし、これからを大いに期待されていい演技だったといわれている。そんな彼女が体当たりで挑んだ主演作を台無しにされただけでなく、「もしや監督と……」みたいな色眼鏡でも見られることになってしまうのだ。

現にこの一連の報道で、あの女優もあのアイドルも彼とそんな関係あったのか、と興味津々の臆測が飛び交っているではないか。

せめて彼女の主演作は上映し、下種(げす)な好奇心を吹き飛ばす存在感を見せつけてほしい。女優として輝いていればその魅力で上書きできる。

彼女だけに限らず、何も悪いことをしていないのに作品が葬られるだけでなく、ずっと「あの男の」バイアスをかけられてしまうのは、公私ともに死活問題になるではないか。繰り返すが、吹き飛ばすには輝ける存在感や名演技を披露するしかないのでは。

■不祥事を起こしても映像はNGで書籍はOKなワケ

と、この辺りまでは映像に関わる立場で考えていたが、私の本業は小説家。この一連の報道が起きる前から、少し不思議に思っていたことがある。

これ以前にも、芸能人や歌手の不祥事、逮捕などで番組降板、上映中止、発売延期、代役で撮り直し、契約打ち切り、というのはしょっちゅうでもないが起きていた。

特にテレビは厳しく、即座に降板となり、その後も長らく出られなくなる。反社会的勢力にいた、大きな事件での前科がある、といった人は、地上波に出演するのは難しい。

しかし書籍や雑誌の場合、殺人犯どころか死刑囚の手記も大手出版社から出るし、反社会的勢力にいた人、今も現役の人の書くものは、一定の人気を持っていたりもする。

検察担当、罰を聞いて絶望的な手錠をかけられ容疑者
写真=iStock.com/Motortion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

盗作、登場人物のプライバシー問題といったものは別にして、作者の前歴や不祥事で書籍が発売延期、中止になることも、全然とはいわないがあまり無い。さすがに逮捕となれば連載打ち切りはされるようだが、既刊の絶版も回収もない。

これを親しい編集者に尋ねてみたところ、このような見解をいただいた。

「犯罪者の手記や死刑囚の告白本は、作品以前に『報道』だから公開、公表できるのでしょう。生々しい目に見える映像や写真と違い、作者の顔が見えない活字の本は、拒否感や忌避感も薄れるのもあるかもしれません。人を殺した瞬間を、映像で見るのと文章で読むのはショックの度合いも違いますよね」

■自分自身を失わないために

まるで状況も立場も違えど、コロナで自宅待機を余儀なくされた上、テレビ番組が中止になったときがあった。そのとき私はもちろんさまざまな不安に苛まれつつも、

「大丈夫だ、テレビは出られなくなっても、私には小説がある。コロナに感染しても書けるし、コロナに関係なく私が犯罪者になっても服役者になっても、小説は書ける。真摯に罪と罰と向き合った手記を書けば、どこかの出版社が出してくれる」

みたいなことを考え、平静さと情熱を保つこともできた。

一連の監督や俳優も、謝罪と禊を済ませてから、それでも自分は映像に携わりたい、それでも自分は演じたい、自分にはこれしかない、自分にはこれだけは残った、という職業、仕事そのものに真剣かつ強い執着やよりどころとしての思いがあれば。

多くの物を失っても、自分自身を失うことだけはないだろう。

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岩井 志麻子(いわい・しまこ)
作家
1964年、岡山生まれ。少女小説家としてデビュー後、1999(平成11)年「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞受賞。翌年、作品集『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に『でえれえ、やっちもねえ』(角川ホラー文庫)がある。

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(作家 岩井 志麻子)

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