大事なのは「どう見たか」なんだから…試合経過より記者の情熱を書いた「週刊プロレス」が40万部も売れたワケ
プレジデントオンライン / 2022年5月14日 10時15分
■最盛期には40万部を発行していた『週刊プロレス』
——かつて13のプロレス団体を東京ドームに集め、超満員6万人ものファンを動員した「夢の懸け橋」という興行がありました。これは、いち雑誌社であるベースボール・マガジン社の主催でしたが、ターザンさんが編集長をつとめ、最盛期40万部とも言われる発行部数を誇った同社の『週刊プロレス』の存在抜きには語れないものですよね。
【ターザン】ああ! あれは大それたことだよ! だって『少年ジャンプ』も『週刊文春』もできないことを、プロレスというマイナーなジャンルの雑誌がやったわけだからね。狂ってるよ。
——はい、とんでもないことだと思うんですが、当時ターザンさんとしては、あの一大イベントも、週刊誌をつくる延長線上にあったというご認識なんでしょうか。つまり「編集」の先には、あれほどまでに大きな興行も……。
【ターザン】会社がドームを予約しちゃったんだよ。で、予約が取れちゃった。そこで編集長のおまえが責任を持ってやれと押しつけられたのよ!
——ああ(笑)。
【ターザン】サラリーマンだから、社長命令だから、やるしかないもんね。もちろん、話を聞いたときは「そんなのできませんよ? 無理ですよ?」と言いましたよ。絶対ダメですよ、と。そんなことやったら大変なことになりますよ、と。『東スポ』は北向くし、(ライバル誌の)『週刊ゴング』も北向くし、えらいことになりますよ、と。
——でも、やった。なぜなら、やれと言われたから。
【ターザン】プロレスのことをわかってないから、会社も。ただ何十万部も売れて儲かってる『週刊プロレス』ならやれるんじゃないのって。そうやって外堀から埋められて、勝手に盛り上がっちゃったんですよ。大変でしたよ。雑誌社が興行やるなんてどういうつもりだって(ジャイアント)馬場さんにも怒られたし。ただ、各プロレス団体にしてみれば、1試合につき500万ももらえるんならよろこんで出るよね。
■「編集とは独裁である」
——なるほど……。では、質問を変えます。ターザンさんは、その数十万部超の雑誌『週刊プロレス』を9年間も率いてらっしゃったわけですけれども。
【ターザン】ええ。
——今から思えば、「編集」って何だと思いますか?
【ターザン】独裁ですよ。
——独裁……編集長の?
【ターザン】そうですよ。編集長の独裁政権ですよ。全権限を与えられた独裁者が、好き勝手なことをやる。それが雑誌であり、編集という仕事ですよ。
——これまでの「編集とは何か。」のいい流れを、最後の最後でひっくり返すのはやめてください(笑)。
■『週刊プロレス』じゃなく『週刊ターザン』
【ターザン】すべての誌面を、俺が握っていたんです。表紙、巻頭記事、エッセイ、インタビュー、編集後記……野球で言えば監督で4番でピッチャーで総合マネージャーだったんですよ。つまり『週刊プロレス』じゃなく『週刊ターザン』だったんです。
——はあ……そんな編集長、他にいませんよね。なかなか。
【ターザン】名前を出さずに黒子に徹して、ジャンルを盛り上げていく。それが編集者だと思われているからね。俺みたいなのがいたら、たちまちクビですよ。他の雑誌……たとえば相撲の雑誌だったら社長から電話で「舞の海が曙に勝ったぞ、表紙を差し替えろ!」とかあるでしょ。でも、当時の社長からするとプロレスはどうでもいいジャンルだったんです。だから、目をつけられてなかったんだよね。
——じゃ、その隙を突いて。
■好きなことやったらバカ売れした
【ターザン】好きなことをやってたんですよ。俺がおもしろいと思うことだけをやった。そしたらバカ売れしたんです。で、バカ売れしたら資本主義の法則で誰も何も言えないんですよ。
『週プロ』の利益がベースボール・マガジン社の経営を潤したわけです。すべての赤字を解消した。だから、あらゆる就業規則を破っても何も言われなかった。俺だけテレビに出たり、俺だけ新聞のインタビュー受けたり、俺だけラジオでしゃべったり、俺だけ他社から本を出したりとかしてても、まったく怒られない。タイムカードなんか押したことないよ。
——タイムカード(笑)。
【ターザン】人事部が適当な新入社員を送ってきても、ぜんぶ拒否。だってプロレス知らないんだもん。プロレスを愛する人間しか編集部に入れなかった。編集長の権限で。
——まさに独裁ですね。
【ターザン】そうすることで編集部に団結力がうまれるんですよ。ふつうの学生が入ってきたってダメです。早稲田とか慶應の学生が入ってくると、朝9時に来て夜6時に帰ろうとするわけですよ。
■編集部員はプロレスが恋人だった
——当時はともかく、現代では当然の権利ですが……。それと早稲田とか慶應とかいうのも偏見だと思います(笑)。
【ターザン】うちには休みはないよ、と。有休もないよ、と。だいたい徹夜作業だよ、と。それでいいという人間しか入れなかった。今そんなことやったらブラック編集部だよね。でも、彼らはプロレスが大好きだったから。プロレスが恋人だったんです。だから、頼まなくたって勝手にやってた。文句のひとつも聞いたことありませんよ。
——編集長の考えに納得できない人がいたら、どうしていたんですか。いくらプロレス好きとは言え、編集部員たちにもそれぞれ考えがあるわけじゃないですか。
【ターザン】無視ですよ! 編集部員が何を考えていようが俺には関係ない、と。俺は、表紙を握る。巻頭記事を書く。エッセイも書く。インタビューもやる。編集後記も書く……ファンは俺の記事しか読んでないと思っていたから。
——なっ……なるほど。
■「他の部員の原稿なんか読んだことない」
【ターザン】ただ、それぞれの編集者にも好きに書いてもらってましたよ。全日本担当、新日本担当、FMW担当、女子プロ担当。全員、好き勝手に書いてもらった。なぜなら、俺が認めている限り何を書いても大丈夫だから。ぜんぶ任せていましたよ。俺、編集部員の原稿なんか読んだことないよ。チェックしたことがない。
——だから同じ号でも微妙に矛盾するような話が載ったりしたわけですね(笑)。
【ターザン】見てるヒマがなかったんですよ。だって、ふつうの編集長って編集後記を書くくらいでしょ? あとは表紙をチョロっとやったりとかさ。その点、俺は部下の編集者の5倍くらい書いてたんだもん。重要なのは、俺の見方、俺の考え方、俺の原稿。それだけ。
——そのターザンさんの「主観」が受け入れられたからこそ、数十万部という部数が出ていたんでしょうけど……。
■主観だらけの記事を書いたワケ
【ターザン】客観なんて信じてない。あんなもんカスですよ。
——カス(笑)。主観がすべて?
【ターザン】つまり「事実を報道する」なんて、その態度が間違ってるんですよ。事実なんか、どうだっていいんですよ! 大事なのは「どう見たか」なんだから。自分は、どう見たか。自分は、どう感じたか。自分は、どう考えたか。
ライバル誌の『週刊ゴング』は試合経過しか書いてないわけです。つまり自分で見てないし、自分で考えてないし、自分で思ってないんですよ。だから試合の評価も何もやらない、できないわけです。それはね、新聞でも週刊誌でも「個人の視点から書くなんて間違いだ」という不文律があったから。正体のわからない「事実」を報道することこそが「正しい」とされていた。俺は、そんなの冗談じゃなかったんですよ。つまんなくて。
だから、編集部員の書く原稿も署名記事にした上で、勝手に書いてもらったんですよ。
■活字プロレスの始祖
——その「異端の編集哲学」は、誰から学んだんですか?
【ターザン】3人いますよ。まず、編集者としての基本的な考え方については、俺が『週プロ』の前にいた『週刊ファイト』の井上義啓編集長。つまり「主観でやれ」と。俺は井上プロレスでやった、だからお前は山本プロレスでやれ……とね。それが「活字プロレス」で、井上編集長は、その始祖なんですよ。
——ええ、ええ。
【ターザン】次に、学生時代に愛読していた『映画芸術』編集長で映画評論家の小川徹さん。この人からは「自分の視点で見ること、映画を別の角度から考えること」の重要性を学んだ。すべての映画には政治と性の問題が隠されているという考えを知ったのも小川さんからだけど、その影響で、プロレスについても「常識的な視点」ではなく、まったく違う切り口から斬り込んでいくことができたんです。
——なるほど。
■アントニオ猪木から学んだこと
【ターザン】そして、それ以外のすべてを、アントニオ猪木から学んだ。
——おお……!
【ターザン】逆転の発想・反権力の精神・サプライズの重要性・アジテーションの思想・世間をひっかきまわすおもしろさ……そういったすべてを、猪木さんから学んだ。そして、それらは同時に「編集の道」に通じているんですよ。
——編集者としての「ターザン山本!」をつくった、3本の柱……。なるほど、なるほど。ちなみに「雑誌の顔」である「表紙」については、何か一家言ございますか。編集長として。
【ターザン】ひとつは『週刊ゴング』と絶対に被らないこと。被っちゃったら、両者沈没。共倒れになっちゃうからね。でも『ゴング』はプロレス雑誌の常道を行く編集方針だったから、絶対に被ることはなかった。あちらはメインイベントでドカンとくる。それがわかってたから、簡単に予想できるんです。1週間を振り返って「『ゴング』は絶対こうくるはずだ、だったら俺たちはこうだ!」と。
——つまり『ゴング』の直球ストレートに対して『週プロ』は変化球で。
■表紙に必要なのは意外性とインパクト
【ターザン】ただ、いくら変化球と言ったって、読者にインパクトを残さなきゃダメだから。その「大いなる意外性」で、読者に楽しんでもらうんです。それこそ「猪木イズム」ですよ。サプライズ。じゃなきゃ誰もザ・グレート・サスケなんか表紙にしませんよぉおお!
——自分も、2002年の国立競技場で行われた「Dynamite!」で、満場の猪木コールの中、猪木さんどこから出てくるんだろうと思ってたら上空から落下傘で降りてきて腰を抜かした覚えがあります。
【ターザン】その精神だよね。編集も同じ、表紙も同じですよ。意外性と衝撃とインパクトがすべて。ま、細かいことを言えば「写真は1枚に限る」とか、いろいろあるんだけど。つまり、表紙にちっちゃい写真をいくつも載せない。コピーは詩的に、とにかく短くコンパクトに。四字熟語で言い切れたら最高。文字色はぜんぶ蛍光ピンク……とかね。
■ライバル誌があったから『週プロ』は活きた
——ちなみに、ライバル誌『週刊ゴング』については、どんなお気持ちだったんですか。当時。
【ターザン】ありがたかったよね、『ゴング』があって。潰してやろうなんて思ったことは一度もない。『ゴング』は昔ながらのスタイルを守り続けていたでしょ。ようするに「いいプロレス」だよ。どうぞ、その道を行ってください、と。俺は違うことやりますんで、と。あっちは古き良きプロレスをやる、こっちはむちゃくちゃなプロレスをやる、ふたつ並べてワンセットなんです。『ゴング』と『週プロ』は二卵性双生児だと思っていましたよ。
——好敵手がいたから、自分たちも輝けた。『文春』に『新潮』があるように、『ジャンプ』に『マガジン』があるように。
【ターザン】『週プロ』には、『ゴング』があって、『東スポ』があった。これは、大きかった。『東スポ』は一貫して「ごーん」とやるでしょ。瞬間的で、上っ面な感じで。『ゴング』は『ゴング』で予定調和で、うまくプロレスファンの心理をとらえた。そへ持ってきて俺たちは「スキャンダルだ!」と。プロレスとは「すべて事件!」であり「感性の表出なんだ!」……と。
■編集長を辞した後は坂道を転がるように…
——そのような方針で9年間も編集長として突っ走ってきたあげく、新日本プロレスから取材拒否を受け、その責任をとってターザンさんは編集長を退任するわけですが。
【ターザン】そこからは坂道を転がるようにね。もう20年以上、まともにはたらいてないもんね。
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『週刊プロレス』元編集長
1946年、山口県生まれ。立命館大学文学部中国文学専攻を中退。77年、新大阪新聞社に入社し『週刊ファイト』でプロレス記者としてスタート。80年にベースボール・マガジン社へ移籍。87年に『週刊プロレス』の編集長に就任し、同誌発行部数40万部を達成する。プロレス興行「夢の懸け橋」で東京ドームに13団体を招致し、いまなお伝説的興行として語り継がれている。また、“活字プロレス”“密航”などの流行語を生む。96年8月に同社を退社後、フリーとして活動する。
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(『週刊プロレス』元編集長 ターザン山本!)
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