「笑って」ではプロ失格…一流の写真家が「自然な笑顔」を引き出すために編み出した"コーヒー作戦"とは
プレジデントオンライン / 2022年4月30日 15時15分
※本稿は、小林紀晴『写真はわからない』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■プロでもポートレート撮影はいつも緊張する
被写体の存在なくして撮影は成立しない。これは間違いない。必ず被写体の存在が必要だ。被写体あっての写真、あるいはフォトグラファーといえる。
だから、写真について語ることイコール被写体を語ることになる場合が多い。本来、別々に考えること、語るべきことかもしれないが、これがなかなか難しい。場合によっては、混在していることすら意識しなくなっている場合もある。これが写真の特性であるともいえる。
被写体との関係は撮影の数だけ存在するといってもいいだろう。その中でもポートレート撮影は特別だと思っている。常に緊張するからだ。慣れることがない。いつでも新鮮で、飽きることがない。
その理由は「怖いから」という一言に尽きる。ポートレート撮影をするときは、毎回、今回が初めてという気持ちになる。それはなぜか。端的に言えば、相手が「人」だからだ。
人には意識があり、意思があり、感情があり、そして個性がある。個体差が大きいといってもいいかもしれない。だから予測がつかない。撮影する上でコントロールできない。だから怖いのだ。
■広告の中にいる女性の笑顔は本物か
例えば、ある広告の中で女優がいい笑顔をしていたとする。はたして、その表情は誰が引き出しているのか。
もちろん、女優が自らその表情を出しているに違いないが、撮影者がいないカメラの前に一人で立ち、勝手に笑顔をつくっているわけではない。もちろんプロなのだから、そんな状況でも笑顔をつくることも不可能ではないだろう。ただ、自然な笑顔というのは、誰かとのコミュニケーションの中で感情が動いたときにより自然になる。意外なほど、人はそれほど器用ではない。
何より見る側は、不自然な笑顔を怖いほど見破ってしまう。写真に詳しいとか詳しくないとか、そんなことは一切関係ない。人は、人の表情を読み取ることを日常的にしているから敏感なのだと思う。
■フォトグラファーは「表情引き出し係」である
だから自然な笑顔の写真を撮るには、そのきっかけが少なくとも必要だ。つまり、一部の例外を除けば、フォトグラファーがその笑顔をつくり出すことになる。フォトグラファーは「表情引き出し係」である、というのが私の持論だ。
写真の技術を抜きにしたら、これに尽きる。違う言い方をすれば、技術は簡単に学ぶことができるが、表情を引き出すことは残念ながらそう簡単に学ぶことができない。ポートレートの撮影に関して、少なくとも私はこのように考えている。
人は「笑って」と言われたからといって、そう簡単に笑えるものではない。表情は実に正直なのだ。何より自然な笑顔ではない。本来、表情とはあくまで感情、理由があっての結果だからだ。それらがないのに表情をつくることを人は苦痛と感じる。それが、たとえ愛想笑いであっても理由が存在するように。
![手で顔を覆うモデル](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/6/1200wm/img_569857ac5df4cfc8e139531bf7614379403206.jpg)
■撮影対象者の笑顔を引き出すために必要なこと
では、どんなふうにして笑顔を引き出せばいいのか。笑顔になる感情の動きや理由をつくればいい。私が考えるのは少しばかり抽象的だが、かなり有効だと考えている。撮影者が恥ずかしい存在になることだ。それが相手を笑顔にさせる第一歩になる。
さきほどと同じく撮影される側から考えてみてほしい。写真を撮られるのが好きな人ももちろんいるが、恥ずかしさが邪魔することがあるだろう。特に一対一の撮影だと照れも含めたそれが先に立つ場合が多い。
そこには、撮られる側の自意識が大きく関係している。その意識がやっかいだ。少しでもきれいに撮られたい、格好よく見えているかな、お化粧は大丈夫かな、風が吹いて髪が乱れたから鏡を見たいな……といった感情が複雑に絡んでくる。
カメラを通して、自分の顔や姿を凝視されることへの抵抗感もあるだろう。いってみれば自意識の肥大化はしごく当然の反応といえる。とにかく、写真を撮られることは恥ずかしい。
だったら、写真を撮る側がその恥ずかしさを消せばいい。完全に消すことができないとしても、軽減することはできるだろう。
そのためには撮られる側より撮る側が恥ずかしい存在になる、というのが私の方法だ。撮られる側の恥ずかしさを、撮る側の恥ずかしさによって消すのだ。私はこれを「セブン‐イレブンのコーヒー作戦」と呼んでいる。
■セブン‐イレブンのコーヒー作戦の中身
俳優やタレントとは初対面の場合が多い。まず自分の名前を名乗って挨拶する。その後で実際に撮り始めるのだが、撮り始めて少ししたところで、手を止めて次のように口にしてみる。
「あのう……唐突なんですが、セブン‐イレブンのコーヒーとファミリーマートのコーヒー、どっちが好きですか?」
大抵の場合、相手は、
「はぁ?」
と怪訝な顔をする。当然だ。
それまで特にコーヒーの話なんかしていなかったからだ。そもそも初対面なので、私も目の前の方がコーヒー好きなのか、あるいは紅茶派なのかをまったく知らない。でも、そんなことにかまわず、
「ぼく思うんですけど、セブン‐イレブンのコーヒーの方が美味しい気がします……」
と続ける。
「あ、そうなんですね」
と返してくれる人もいる。
「私もセブン‐イレブンだと思います」
と返してくれる人も稀にいる。「コーヒーはあまり好きではなく」と正直に言ってくれる人もいる。いったい何のことを話しているのかわからず、「え?」「なに?」と聞き返してくる人もいる。
![ワークデスクに置かれたコーヒーカップ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/1200wm/img_6b27c061e417e6d8d419c7693d5d3ad3392550.jpg)
それに対して、私からも特に話の続きがあるわけではない。
あるいは冬だと、
「セブン‐イレブンのおでんとファミリーマートのおでん、どっちがおいしいと思いますか?」と、同じく突然聞いてみる。
反応はコーヒーのときより少しいい気がするが、やはり唐突感がありすぎて、大抵は、やはり「はぁ?」という反応であることが多い。
■「このカメラマン、大丈夫?」と思わせたら勝ち
なんか、この人、変じゃない? なんでこんなこと聞いてくるの? 間が悪くない? といった微妙な空気が流れるのがわかる。
ただ、意外と思われるかもしれないが、こんな会話の後、相手からいい笑顔がこぼれることが多い。嘘だと思われそうだが本当だ。
「このカメラマン、大丈夫?」──相手にそう思われたらこっちのものだ。
間が悪い、KY、あるいはマイペースすぎるとか、なんでもいいのだが、私はここで明らかに空回りしている。つまり、かなり恥ずかしい存在になっている。そんな空気ができあがる。すると不思議なことに、撮られる側は次第にリラックスしてくれるのだ。肩の力が抜けていくのが目に見えてわかる。
■意外に“地雷”となる話題は多い
それに、食べ物の話題は地雷を踏むことが少なく、ほどほどにプライベート感があっていい。天気の話題も悪くないが、あまりに当たり障りがなく、まったくプライベートに踏み込めないのであまりすることはない。
俳優やタレントとの話題は気をつけるべき点がいくつかある。特に家族などの話題はNGの場合がかなり多い。
以前、ある女優を撮影しているとき、女優側からお子さんの話題が出て、さらに「男の子なんです」と言うので、その流れで「お名前なんていうんですか?」と訊ねたら、いきなり沈黙になってしまった。すぐに公表しないことにしているのだと察したが、冷や汗が流れた。その後は当然のように、雰囲気が極端に悪くなってしまった。これは、まさに地雷を踏んでしまった例といえるだろう。
■「おじさん」だから習得できた秘技
実はこの「コーヒー作戦」あるいは「おでん作戦」の技(「技」といっていいものか迷うところだが)を編み出すまでに長い時間がかかった。
40歳を過ぎた頃に初めて確立できた。20代の頃は目の前の方がテレビで見たことがあるというだけで、カメラを持つ手が冗談みたいに震えた。緊張し過ぎて頭が真っ白になり、フィルム一本まるまる露出を合わせないまま撮ってしまったこともある。その方を時折テレビでお見かけすると、いまでもあのときの自分の焦りを鮮明に思い出す。
![小林紀晴『写真はわからない』(光文社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/2/1200wm/img_127c2d188dedc7a39b728c095bc0ff24245715.jpg)
でも慣れというものは確かにあって、あるときからそんなことはなくなった。逆にアドレナリンが噴出する場面が増えてきた。それは一種の快感といってもいいし、闘志が燃えるといってもいいかもしれない。
目の前の方が有名だったり、大物だったりすると、まだ誰も撮ったことのない表情を自分が初めて撮るのだ、というより強い気持ちを抱くようになった。
実際に撮り出すと、時間の感覚が消える。撮影を終えたとき、10分間の撮影時間だったのか、あるいは30分間くらい経過したのかまるでわからない。それだけ集中しているということだろう。
40歳を過ぎてからこの技を確立したというのは、それまでの経験ももちろんあるが、世の中でいう「おじさん」の部類に自分が入ってきたことが何より大きい。一種の「開き直り」ができるようになったのだ。
■「最近聞いてる音楽ってなんですか?」も効果的
何よりポートレート撮影はどれほど短い時間であっても、一対一の関係になる。通常の人間関係でも初対面では性別、年齢(自分より年上か年下なのか含め)、立場などが重要なのと同じだ。このことは絶対に無視できない。
若い頃、撮影中に自分からは絶対に聞けないことがあった。それは「最近聞いてる音楽ってなんですか?」といったものだ。無難な話題としてとても適していることはわかっていたが、絶対に聞けなかった。自分がまったく音楽の流行に詳しくなく、コンプレックスさえ抱いていたからだ。それが40を過ぎたら、若い方に対して平気で聞けるようになった。
聞いたところで、私が知っている曲名が返ってくることはまずない。そのことは織り込み済みだ。
「最近、どんな音楽聞いているんですか?」
「○○○○○というグループです」
「……ごめん、おじさんだから、若い人の流行りはわからなくて……」
すると目の前の若者は苦笑いする。
「それって、どんなグループですか? K-POPとか……」
わからないまま会話を続けることはできる。やはり、おじさんだからだ。これで相手の緊張がとける。ジェネレーションギャップを味方につけられる。ここでもまた空回りしていることが何より重要だ。
自分が若い頃は「知らない=流行に疎い=センスが悪い=いい写真が撮れない」と思われるのが怖かった。そんな連鎖が抑えられなかった。これもまた、過剰な自意識の表れだろう。40を過ぎて、それから解放された。
■空回りが相手の緊張を解きほぐす
私が恥ずかしい存在になって空回りすると、撮られる側は楽になる。するといい表情を必ず引き出すことができる。私はそう信じているし、実感している。
もちろん目の前の相手を尊重する気持ちが大切だ。撮っているのではなく、撮らせていただく。だから、私はどんなに年齢が離れた年下でも、常に敬語で接することにしている。それらを疎かにするとあっという間に足をすくわれる。
一方で、高校生くらいの若者を撮ることの方がずっと難しいと思うことがある。彼らは大人を冷静に観察している。もちろん、場合と個人差はあるが彼らは愛想笑いをしてくれない。自意識が高い世代でもある。さきほどの「コーヒー作戦」も「おでん作戦」も通用しない。彼らはコンビニでコーヒーやおでんをあまり買わない。だからこそ技量が問われる。
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写真家、東京工芸大学芸術学部写真学科 教授
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社カメラマンを経て、91年に独立。アジアを旅しながら作品を制作する。97年、『DAYS ASIA』で日本写真協会賞新人賞を受賞。2013年、写真展「遠くから来た舟」で第22回林忠彦賞を受賞。写真集に、『孵化する夜の啼き声』(赤々舎)など。著書に『ASIA ROAD』(講談社文庫)、『父の感触』(文藝春秋)、『愛のかたち』(河出文庫)など。初監督映画作品に『トオイと正人』がある。
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(写真家、東京工芸大学芸術学部写真学科 教授 小林 紀晴)
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