「豊かな経験をして育った子どもほどキレにくい」怒りっぽい人が感情をコントロールできない脳科学的理由
プレジデントオンライン / 2022年4月28日 10時15分
※本稿は、茂木健一郎『意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■人は「怒る」のではなく「怒らされている」
何かに対して怒りが湧いたときに、果たして怒っているのは「自分」なのだろうか?
妙な質問に思われるかもしれないが、「怒り」および感情全般を脳科学的に考えたときに、本質はこの質問に集約されていると言ってもいい。例えば、お腹が空いてご飯を食べるのは自分だ。体重を気にしているが、デザートにケーキを食べてしまうのも自分だ。しかし、そんな自分に対して込み上げてくる怒りは、どこから発するのだろうか。
怒りを例えて言うなら、「お腹が痛い」という現象に近い。お腹が痛くて薬を飲むのは自分の意志だが、お腹が痛いのは自分ではどうにもならない。それと同じように、怒りも「怒ろう」と思って発生するものではない。自分が怒るというよりも、自分の中の別のものに「怒らされている」という感覚でいるとわかりやすい。
そういう意味では、感情は極めて無意識の領域に近いところに存在し、無意識の消息を伝えてくれるものでもある。
■感情のメカニズムを知ることは良好な人間関係につながる
近年、この感情をいかにコントロールするかが重要なテーマになっている。ポジティブな感情に満たされているときならいいが、ネガティブな感情に支配されているときは、パフォーマンスにも悪影響が出る。普段やっている簡単な作業をしくじったり、大切なところで判断ミスをしたりして、さらなる感情の悪ループに陥ることも珍しくない。
当然、人間関係においても感情の置き所は重要だ。怒っているときに勢いまかせで言った言葉に、「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」と後悔した経験は誰にでもあるだろう。そうした負の感情やストレスと上手に付き合っていくために、昨今ではアンガーマネジメントが随分と話題になっている。
なんのために感情が生まれるのか、どのように生まれるのか。
あの人はいつも穏やかなのに、なぜ自分はこんなにも怒りっぽいのか。
感情というメカニズムを俯瞰して眺めることで、それをコントロールするための重要なヒントを見つけられるかもしれない。
そこでここでは、立ち返って、そもそも感情とは何なのかを考えてみたい。
■「怒り」や「恐怖」は人間が生き残るための脳の生存戦略
「生まれて初めて息を吸ってから、人生最後の吐息の瞬間まで、あなたの脳はたったひとつの問いに応えようとしている。それは『今、どうすればいい?』という問いだ」
これは、「2021年1番売れた本」として話題となったアンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』(久山葉子訳、新潮新書)の一節だ。同書では、人がなぜ感情を抱くのか、そのメカニズムを進化論的に極めてわかりやすく説明している。
その昔、人はさまざまな脅威に晒されていた。自分たちを襲う野生の肉食動物たちに狙われながら、餓死しないよう食べ物を探して集団で絶えず移動しながら生活をしていた。もちろん、安全を脅かすものは肉食動物だけではない。天候や自然災害、伝染病などの多様なリスクに晒されながら、常に「どのようにして生き延びるか」を最優先して生きてきた。
そのような環境では、「恐怖」「ストレス」「怒り」といったネガティブな感情が大いに役に立った。草むらに隠れたライオンを目にしたときに感じる「恐怖」という感情があるからこそ、危険を察知することができ、身体が逃げることを選択できるのだ。
つまり感情とは、単なる「現状の感想」ではなく、危険を回避するためのツールの一つだった。生きるために「今、どうすればいい?」という問いに応えるべく、脳が構築した戦略装置だったのだ。
■感情は本能だがコントロールできないと日常生活に支障が出る
感情が発生するときの脳のメカニズムを、少し詳しく見てみよう。
まず、「怒り」や「恐怖」などのネガティブな感情は、脳内の「偏桃体」という場所で発生する。偏桃体とは、マイナスの情動に深く関わる感情の中枢だ。偏桃体が感情を察知したとき、「ファイト・オア・フライト(戦うか逃げるか)反応」と呼ばれる反応が起こる。これは、人間をはじめあらゆる生物が持つ、恐怖と対峙(たいじ)したときに起こる身体的現象だ。
このモードに入ると交感神経が優位になり、脈拍や血圧が上がり、アドレナリンが分泌される。アドレナリンは「闘うホルモン」とも呼ばれ、神経を興奮させる働きがある。怒っている人の顔が赤くなったり、声や手が震えたりしているのは、ファイト・オア・フライト反応が起きている証拠だ。「戦うか逃げるか」して生き延びるために、身体が戦闘モードに切り替わるのである。
生き延びるためにあらゆる危機を捉え、ネガティブな感情を発する偏桃体は、しばしば「生命の火災報知器」のようなものだと言われる。いずれにせよ、「怒り」をはじめとするさまざまな感情は、古来人間に備わる本能そのものであるため、自分では制御できない。
冒頭の「誰が怒っているのか?」の質問に厳密に答えるなら、「私の脳の偏桃体が怒っている」ということになるのだ。ただし、いくら感情が本能とはいえ、現代社会で本能のままに身をまかせていたら正常に暮らすことができない。コンビニのレジに行列ができているからといって怒りを爆発させていたら、通報されるのがオチだ。
そこで機能するのが、脳の「大脳新皮質」である。
■特に人間の脳で進化した「大脳新皮質」が感情を制御する
大脳新皮質とは、知覚や計算、推測、運動の制御といった、知性全般を管理する脳の重要部位だ。その一部である前頭前野は、記憶や感情の制御など、とりわけ高度な精神活動を司っている。
この前頭前野は、偏桃体をコントロールするという大切な働きを担っている。例えば、偏桃体が察知した「怒り」に対して、「今は怒るような状況じゃないから抑えよう」と判断し、感情をスルーする。あるいは、その「怒り」を客観的に捉え、「私は今怒っているけど、何に対して怒っているんだろう」と根本的な原因や打開策を分析することで、怒りを前向きに消化する。
人によっては、怒りをうまく制御できず、そのまま爆発させてしまうケースもあるだろう。発生した感情をどう捉え、対処するかは、その人の前頭前野の発達具合によって異なる。
偏桃体は、その機能からもわかるように、太古から化石のように脳に鎮座する原始的な部位だ。生命活動に深く関わるものなので、人間以外にもあらゆる生物に、爬虫(はちゅう)類にすら備わっている。対して大脳新皮質は、進化的に新しい部位で、特に人間の脳において著しい発達が見られる。現代社会の構図に対応するために、偏桃体のコントロール装置として進化してきたとも考えられる。
■感情は「喜怒哀楽」で表されるよりももっと複雑で繊細である
大脳新皮質はまた、ネガティブな感情以外の、「嬉しい」「楽しい」といったポジティブな感情にも深く関わってくる。
ネガティブな感情が偏桃体で発生するとしたら、ポジティブな感情もまた、偏桃体で発生するものなのだろうか? その質問に対しては、イエスともノーとも言い難い。なぜなら、厳密に言えば、感情を「喜怒哀楽」で分類することはできないからだ。
「今泣いたカラスがもう笑う」という言葉があるが、子どもを見ていると、確かに感情がコロコロとよく変化する。ただしこれは子どもに限らず、大人の感情もまた、実際には絶えず変化している。「怒った→収まった」「悲しい→泣き止んだ」といったように点在的に感情が存在するのではなく、言葉では表現できない繊細で微妙な感情も含め、感情の大きなダイナミクスが存在し、そこを漂っているようなものだ。
それはさながら、氷上を舞うフィギュアスケートの選手のようでもある。サルコウやトリプルアクセルという技はあっても、パフォーマンスは一連の滑りとして絶えず継続されていて、感情もこれと似た構造をしている。喜怒哀楽という分類は言語的便宜性からつけられたラベルに過ぎず、実際にはもっと複雑で繊細な感情が、僕たちに渦巻いているのだ。
■人間の感情が多彩で豊かなのは大脳新皮質が発達しているから
そういう意味では、「嬉しい」「楽しい」といったポジティブな感情も含め、あらゆる感情の「源」は、すべて偏桃体で検知していると言える。ただしそれを実際に「嬉しい」という感情で処理するのは、やはり大脳新皮質の前頭前野だ。
感情を察知するのが偏桃体なら、それを味付けするのが前頭前野だとイメージすれば、わかりやすいだろうか。そう考えると、大脳新皮質が発達した人間の感情が、他の生物に比べて、実に多彩で豊かであることにも頷ける。
■感情に左右されない脳は多彩な人生経験によって育てられる
つまり、感情のコントロールには、大脳新皮質、中でも前頭前野の機能が極めて重要となる。怒りを制御できるか、できないかも、喜びや悲しみといった感受性の豊かさも、前頭前野の発達具合によるところが大きい。
前頭前野の発達具合に関しては、その人の育った環境によって大きく左右されることが、さまざまな研究でわかっている。単純に裕福な家庭で育ったか否かではなく、いかに多くの、多彩な経験をしているかどうかだ。豊かな自然環境で育ったり、スポーツに打ち込んだり、多くの芸術作品に触れる機会に恵まれたりして育つと、怒りをはじめとするさまざまな感情をコントロールしやすくなる傾向がある。
こうした経験の豊富さは、言いかえれば、パターン学習の豊富さでもある。世の中には多様な人がいて、人生はさまざまなことが起こる。人にこういう行為をしたとき、自分はこういう気持ちになる。経験を通じてそうした事例を前頭前野に学習させておくことによって、感情に左右され過ぎない脳を育成することができる。
これは実際の経験に限らず、本や映画でもかまわない。あらゆるストーリーを内部モデルとして自分の中に蓄積させておけば、リアルの世界でそれが役立つシーンが必ずあるはずだ。本や映画、音楽を通じて芸術的な教養を身につけておくことは、感受性を高めるだけでなく、アンガーマネジメントにも大いに効果があるのだ。
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脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。
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(脳科学者 茂木 健一郎)
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