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他社からの乗り換えで30万円分を進呈…携帯キャリアが大盤振る舞いできる理由を、経済学で解説する

プレジデントオンライン / 2022年5月1日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Osobystist

携帯電話キャリアは、競合他社から乗り換える顧客を狙って「一台10万円のポイント進呈」といったキャンペーンを行うことがある。驚くほど高額の販促が可能なのは、なぜなのか。慶應義塾大学経済学部の星野崇宏教授は「携帯キャリアは『顧客生涯価値』を計算しているのだろう。だから大胆な販促を行っても、大きな利益を得ることができる」という――。

※本稿は、上野雄史・星野崇宏・安田洋祐・山口真一『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』(日経BP)の一部を再編集したものです。

■日本では「顧客関係管理」が誤解され、乱用されている

私がここでビジネスパーソンに提供したい学知のツールは、世界標準の「顧客関係管理」(CRM : Customer Relationship Management)の方法です。

国内ではCRMという言葉が誤解され、乱用されているのは大変残念です。例えば、

①顧客データを使ったデータベースの話だから、オフラインの事業とは関係ない
②「お客様にいかにファンになってもらうか」といった話で、コモディティ化された業種(である自社)とは縁遠い
③BtoBの自社には関係ない

など。しかし、いずれも大きな間違いです。

新規顧客開拓と既存顧客維持のどちらにどの程度、経営資源を投下すべきか、BtoB業種での営業活動の効率化、BtoC業種での広告費と販促費の配分、さらにはメーカーの新製品開発、サービス業の新規サービス開始などは、それぞれ重要な戦略判断です。

このような様々な戦略策定に使える、膨大な学知に基づく「再現性のある利益獲得のためのビジネス戦略立案ツール」、それがCRMです。

■顧客情報を蓄積しにくい企業でも即座に利益率アップ

顧客の行動データを細かく蓄積できるオンラインサービスやEC(eコマース)であっても、CRMの本質である「どんな観点で」「どんなデータを」「どう利用するか」が分からず生かせない企業では、システム投資費用の回収どころか運用コストが垂れ流されている残念な状況になります。

顧客データを蓄積しにくいオフラインのサービスやメーカーでも、CRMの本質を理解し活用できれば利益率を即座に高めることができます。後述しますがデータの有無は本質ではなく、値は仮置きしたり業界統計や公的統計を出発点にすればよいのですから。

また、マーケティングというと4P(プロダクト・プライス・プレイス・プロモーション)やSTP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)を想像される方が多いですが、経済学的なフレームワークに基づきこれらを利益という観点で統一的に管理する一段上の経営的な視点、それがCRMである、といえます。

■「お客様」を「利益」というドライな目線で捉える

CRMとは「お得意客を大事にする」「顧客をファンにさせる」ことだ、など国内では多くの誤解があります。世界標準のCRMは残念ながらもっとドライに顧客を見ており、端的にいえば自社に利益をもたらしてくれる存在です。

実務では新規顧客キャンペーンや既存顧客キャンペーンとして別々に掛けるコストを決めて実施することがありますが、CRMの思考法は一気通貫です。つまり、

①新規顧客獲得においては、相応の営業や広告、販促コストを掛けてでも「利益をもたらす顧客」なら獲得し、コストに見合う利益をもたらさない顧客ならコストを掛けてまで獲得しないこと。さらに獲得時の営業や広告、販促といった各種手段にどれだけコストを配分するか決めること
②既存顧客維持においては、その顧客が他社に乗り換える可能性や自社顧客であり続ける場合の利益額を踏まえて離脱防止のための施策を打つ、あるいは打たないこと
③これらを利益の指標である顧客の生涯価値(LTV:Life-Time Value)で統一的に管理する、場合によっては全社の利益最大化の観点から新規顧客獲得と既存顧客維持にどのようにコストを配分するか、さらには営業、広告、販管のコスト(投資)の比率や総額そのものを決めること

これがCRMによる統一的な利益の最大化です。

他社からの送客に対するキックバック、営業の人件費、広告、値引き、顧客サポート、場合によっては新しい製品やサービスの開発など、あらゆる顧客関連の活動を利益観点で統一的に管理するフレームワークです。

男性は、本の中で顧客の生涯価値の概念を読みます
写真=iStock.com/designer491
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/designer491

■携帯キャリアを乗り換えただけで「10万円」のカラクリ

具体的に新規顧客獲得での例を挙げましょう。

CRMでは、顧客を「初期投資」と「長期的なリターン」で考えます。ひとことでいえば「ある顧客に、ある初期投資をしたら、どれだけの長期的な利益を見込めるか」という視点で顧客を捉えるのです。

私の体験談を例に説明します。

一軒家への引っ越しにともなって、大きめの冷蔵庫を買いに妻と一緒に家電量販店へ行ったときのことです。冷蔵庫を選び終え、会計を待っていると、別のスタッフらしき人が私に歩み寄ってきました。その人は家電量販店のスタッフではなく、ある携帯電話キャリア企業から派遣されてきたセールススタッフでした。

話を聞いてみると、「今日、ここで携帯キャリアを乗り換えたら、スマートフォン1台につき、この家電量販店のポイントを10万ポイントもらえる」とのこと。

我が家には3台のスマートフォンがあるため、家族全員で乗り換えたら、なんと30万ポイントも付与される。「1ポイント=1円」で30万円分ものポイントがもらえることになります。もちろん乗り換えを即決しました。

さて、我が家にとっては「正味30万円ももらえてラッキーだった」という、この話をキャリア企業の側に立って考えてみましょう。

■必ず回収できるから30万円分も「初期投資」した

30万ポイントを付与するというのは、かなりのコストです。そのキャリア企業は、我が家という新規顧客を獲得するために30万ポイントの「初期投資」をした。なぜかといったら、新規のお客様に喜んでもらうため……ということではありません。

一番の理由は、30万ポイントの初期投資が、いずれ大きなリターンとなって回収されると踏んだからです。我が家という新規顧客から得られる利益は、いずれ30万ポイントの初期投資を超えるという試算が働いていたはずなのです。

マーケティングの分割
写真=iStock.com/Jirsak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jirsak

実際、キャリア企業に支払っている通信料は家のインターネットをいれると毎月3万円ほど。1年で36万円ですから、コストなどを無視して単純に考えれば、そのキャリア企業は、まず1年間、我が家に離脱されなければ元が取れる計算です。たとえ利益率が3割であっても3年使い続けてもらえば初期投資は回収できますね。

一方で、乗り換えキャンペーンなどでよくある、「誰に対しても一律1万ポイント」といった薄く広い施策、これはどうでしょうか?

■薄く広いキャンペーンの費用対効果は著しく低い

もし私が「1万ポイント差し上げます」と言われていたらどうか。元のキャリアに対する思い入れはありませんが、手続きの面倒さなどのほうが勝ってしまい、おそらく乗り換えていなかったでしょう。

薄く広いキャンペーンで動く人もいるかもしれませんが、告知のための広告宣伝費や関連費用も生じます。これで動くのは値引きやポイントに敏感な顧客、手続きで失う時間をいとわない、比較的所得が低い顧客であり、他社が同様のキャンペーンをしたら再度乗り換えられる可能性は高いです。費用対効果は著しく低いでしょう。

ちなみに「1台10万ポイントあげちゃう」キャンペーンの対象になるのはどんな人でしょうか? 例えば「引っ越しで一軒家に移る」「それなりに高所得者の多い地域に住む」など、高い料金プランを選ぶ、つまり利益率が高い人。また、わざわざキャリア間の違いを調べて頻繁に乗り換えをするための時間や労力というコストを掛ける可能性が低い、つまり離脱率が低い人。要するに、1台で10万円を掛けてでも獲得する価値のある(=生涯価値の高い)顧客です。

実はこの会社とは以前、とある業務で関係があり、生涯価値観点でプロモーションの投資対効果を計算していると聞いたことがあるので、まず確実でしょう。

誰かれ構わず一律の広く薄いキャンペーンを打つことで振り向くのは、離反可能性の高い顧客です。離反しにくい対象を選んで大きなポイントを与えるような新規顧客獲得施策のほうが、長期的な利益が高いのは計算しなくても分かることです。

■「顧客生涯価値」を計算する一番簡単な方法

本来のCRMがどういうものか、何となくイメージはつかめたでしょうか。

お客様を大事にすること、顧客満足度を上げる努力をすることなどは、もちろん大切です。

ただし、ビジネスとは顧客から対価を受け取ってこそ成立するものである以上、「その顧客は、どれくらい稼がせてくれるのか?」という観点から冷静に戦略を立てる必要があるわけです。究極的には、稼がせてくれない顧客にはコストは掛けられないという判断も必要なのです。

「その顧客は、今後どれくらい稼がせてくれるのか」――これをCRMでは「顧客生涯価値」と呼びます。

その商品を買ってくれた瞬間、あるいは契約を取り付けた瞬間の利益ではなく、中長期的に見て、どれほどの利益が見込めるのか。これは、企業が継続して利益をあげていくために、さらにいえば、企業そのものが持続していくために、大変重要な観点です。

一番簡単な場合の顧客生涯価値の計算式を、念のため示したいと思います。

簡単化のためにサブスクリプションの契約としましょう。顧客は毎月A円のサブスクプランを支払いますが、そのプランの利益率はB%としましょう。また、その顧客の予想契約期間をCカ月としましょう。また、この顧客を獲得するために必要な値引き額や広告販促費をD円としましょう。

このとき、

顧客の生涯価値=A×(B/100)×C−D

です。簡単ですね。先ほどの携帯キャリアの例を具体的に見ていきましょう。

■計算できるかできないかで純利益に大きな差が出る

①として量販店のセールスの合間に声がけするのであれば、10万ポイント以外のコストはないので、「D=10万ポイント」となります。獲得すべき顧客は月の支払い額が高い人なので、ここでは「A=1万円」「利益率Bは30%」としましょう。

このタイプの顧客が平均10年で「C=120カ月」契約を続けるなら、

①で獲得できる顧客1人の生涯価値

=1万×30%×120カ月−10万=26万円

です。一方、

②として1万ポイントキャンペーンでは広告販促のコストが掛かります。ポイント以外に1人当たり追加で5000円かかるとすれば、「D=1.5万円」。このコストを掛けて獲得できる顧客の月の支払額は「A=0.5万円」「利益率Bは20%」の想定です。この顧客が平均3年で「C=36カ月」契約を続けるならば、

②で獲得できる顧客1人の生涯価値

=0.5万×20%×36カ月−1.5万=2.1万円

です。

ここで、1億5000万円の販促費があった場合には、

・①の顧客には1500人に投資でき、3億9000万円の純利益が得られる
・②の顧客には1万人に投資でき、2億1000万円の純利益が得られる

ことになります。

具体的な数値はどうあれ、この種の計算があり利益が得られると気付く企業では1台10万円という大胆な販促が行なわれており、この種の計算ができない企業は広く薄い販促をしてしまうのです。

■各部署の施策にどれだけコストを掛けるのが正解か

もし貴社が売り上げと利益で伸び悩み、社内会議で今後どうするかの意見を各部門のリーダーが提案するとしましょう。

広告宣伝部は新規顧客獲得のための広告費の増額を要求し、営業部は新規顧客獲得のためのセールスの人員を要求し、サービス部門は既存顧客の離脱を防止すべくポイントプログラムサービスの拡充を要求し、企画部は新しいサービス開発を求める……。

一体、どの施策にどれだけコストを掛ければよいのでしょうか?

実はこれを統一的に見ることができるのが、顧客生涯価値に基づくCRMの考え方なのです。

例えば先ほどのキャリア企業が既存顧客の離脱防止のために、ポイントプログラムを拡充するプランを考えたとしましょう。

一定の基準から、離脱する可能性のある、インセンティブに影響されやすい顧客として、過去に1万5000円のコストを掛けて獲得した既存顧客を考えましょう。

■自社にとって最もリターンの得られる選択肢を導ける

先ほどの②の顧客同様の顧客が既存顧客として存在すればその生涯価値は2.1万円です。この種の顧客を③としますが、彼らにポイントプログラムで「継続すればするほどお得になるインセンティブ」を付与したとしましょう。ここで、

③として月の支払い額が「A=0.5万円」「利益率B=20%」、平均で8年、つまり「C=96カ月」契約を続けるなら、継続のインセンティブを期間中「D=2万円」支払ったとしても、

③で獲得できる顧客1人の生涯価値

=0.5万×20%×96カ月−(2万+1.5万)=6.1万円

となるわけです。

つまり、「2万ポイントを与える既存顧客維持施策」で③の生涯価値を「6.1万−2.1万=4万円」高めることができます。

さて、あなたは経営者で10億円の投資をするとして、

・①の新規顧客獲得施策(10万円に対して26万円のリターン)
・②の新規顧客獲得施策(1.5万円に対して2.1万円のリターン)
・③の既存顧客維持施策(2万円に対して4万円のリターン)

のうち、どれを行なうべきでしょうか?

費用対効果が高いのは①(10万円に対して26万円のリターン)ですが、①で獲得できるタイプの顧客には限りがあります。もし①の顧客が5000人しか獲得できないなら、①には5億円しか使えず、5億円余ります。

その5億円を②の新規顧客施策に投じることで7億円のリターン、③の既存顧客維持施策に投じることで10億円のリターンが得られることになります。

結果としては①に5億円、次に③に5億円投資するのが一番よいことが分かります。

■新規顧客の獲得コストを分析した海外の研究結果

「1人の新規顧客を獲得するためのコストは既存顧客を獲得するためのコストの5倍」などといわれますが、本当でしょうか? そしてなぜでしょうか? また、どんなときに特に新規顧客のコストは高くなりがちなのでしょうか?

このような問いについても海外の研究者は大規模なデータを用いて、絡み合った様々な要因を解きほぐしながら、実務家にとって有益な研究結果を与えています。

ここではその例の1つとして、41カ国の携帯電話会社のデータを用いた有名な研究を取り上げましょう。

ここでは4半期ごとの新規加入者数と現在の顧客から離脱率を計算し、また販促費の変動と新規顧客数・維持された既存顧客数の関係から成立する式を導いて、1人の新規顧客獲得のコストと既存顧客維持コストを出しています(図表1)。

出所=『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』
出所=『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』(イラスト:川原瑞丸)

■既存顧客を維持するコストの平均2~5倍かかる

結果として得られた知見のうちいくつかを紹介します。

上野雄史・星野崇宏・安田洋祐・山口真一『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』(日経BP)
上野雄史・星野崇宏・安田洋祐・山口真一『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』(日経BP)

①原則として既存顧客維持コストは安い(1新規顧客獲得のコストは1既存顧客維持のコストの平均2~5倍)
②競合が増えると新規顧客獲得コストは増える。一方、競合が増えても顧客維持コストは変わらない
③顧客維持はリーダー(トップ企業)とフォロワー(2位以下)で変わらない
④リーダー企業の新規顧客コストは、その製品・サービスが普及すると大分下がる。その理由としては、新しい製品やサービスを後から利用するようになった顧客(有名なロジャースの分類でいう後期大衆)はリスク回避的であり、最大手を選ぶためだと思われる

つまり革新的な製品やサービスは競合が増える前にどれだけ新規顧客を刈り取るかが重要であり、一方、もしあなたがフォロワー企業の立場なら、早期であればまだ新規顧客獲得が重要であるが、成熟期なら既存顧客維持が重要であることを示唆しています。

やや常識的な結果と思うかもしれませんが、このような研究では具体的にどういう状態で新規顧客獲得と既存顧客維持のコストを定量的に比べ、どちらにどの程度、投資したらよいかまで導くことができる分析結果を与えています。

※1カ月の支払額が異なる場合や、離脱率が契約初期は高くだんだん低くなるなど現実を反映した式もありますが、ここでは説明のため簡単化しています。

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星野 崇宏(ほしの・たかひろ)
慶應義塾大学経済学部教授
1975年生まれ。2004年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。博士(経済学)。慶應義塾大学経済研究所所長。株式会社エコノミクスデザイン共同創業者・取締役。行動経済学会会長やマーケティングサイエンス学会理事を務める。

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(慶應義塾大学経済学部教授 星野 崇宏)

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