「餓死者の肉がマーケットで売られた過去」ウクライナの人々が"プーチン戦争"に抵抗し続ける根本理由
プレジデントオンライン / 2022年5月1日 11時15分
ギリシャ首相との共同記者会見に臨むロシアのウラジーミル・プーチン大統領(左)。2021年4月16日パリのウクライナ大使館で記者会見するウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領(右) - 写真=AFP/時事通信フォト
※本稿は、池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)の一部を再編集したものです。
■豊かな国土に恵まれた穀倉地帯を襲った悲劇
2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、現在、ウクライナの民間人にも大きな被害が出ています。
ウクライナは、北はベラルーシ、東はロシア、南は黒海に面し、肥沃(ひよく)な大地があって、農業が盛んです。「欧州の穀倉地帯」といわれ、面積は日本の約1.6倍。
ウクライナの国旗は、上半分が青、下半分が黄色なんです。上の青は青空、下半分の黄色は小麦畑を象徴しています。青空のもと、見渡すかぎり、小麦畑が続いている。これがウクライナの国旗なんですね。
なぜヨーロッパ有数の穀倉地帯なのかというと、その秘密はロシア語で「チェルノーゼム」と呼ばれる黒土にあります。枯草などの有機物を微生物が分解したあとに残る栄養豊富な腐植を多く含む肥えた土壌のことです。
ウクライナには、世界の黒土の約3分の1から4分の1が存在するといわれ、その恩恵によって非常に豊かな農業国になっているのです。
■旧ソ連時代の2度の大飢饉
ところが、そのウクライナで、ソ連時代に大飢饉(ききん)が2度発生しました。
最初は1921~22年にかけてで、この時は深刻な干ばつが原因でした。ソ連政府は餓死者が出るほどの飢餓の状態を隠していましたが、結局、援助を世界に求めざるを得なくなり、それらの支援と翌年の豊作によって飢餓を脱しました。
2度めは1932~33年にかけてで、少なくとも400万人が餓死したといわれるほどの大飢饉でした。1000万人以上が餓死したんじゃないかという研究者もいます。この大飢饉は共産主義政権の悪政がつくり出したものだったのです。
当時、ソ連ではスターリン体制のもと、農業の集団化を進めていました。スターリンはなぜ集団農業という方法を考えて実行したのか?
資本主義においては、資本家が労働者から搾取(さくしゅ)している。だから、社会主義革命によって、労働者が資本家に打ち勝たなければならない、と考えたのです。
では、資本家と労働者は何が違うのか? それは「生産手段」を持っているかどうかということです。
資本家は生産手段を持っている。たとえば、工場や機械類ですね、これが生産手段。そして、生産手段を持つことで労働者を雇い、労働者から搾取するという構造になっている。それなら、社会主義革命によって、労働者が資本家から生産手段を取り上げて、自分たちのものにすればいいのだ──。
これがソ連、あるいは、スターリン流の社会主義の考え方です。
■スターリンの農民収奪計画
資本家が生産手段を持っていて、労働者は生産手段を一切持っていない。自分たちは労働力しか持っていない。資本主義ではこういう構造になっていると考えた時に、問題は農家です。
農民たちはどうなのか? 農民たちは農地を持っているでしょう。あるいは、さまざまな農機具や家畜を持っていますよね。これは生産手段を持っていることになるわけです。スターリンの考える社会主義体制に農民たちを組み込むには、どうすればいいのか?
そこで、スターリンは、自分の土地を耕して自活していた農民たちから生産手段(農地、農機具、家畜)を取り上げて、集団農場に集めて働かせ、収穫した農産物を国家に納めさせるという方法をとることにしたのです。
そのあと、中国でも、あるいは、北朝鮮でも同じことが行われます。
■「農業集団化」で低下し続ける生産性
集団農場入りを強制された農民たちは、自分の家畜を食べてしまうか売ってお金に換えました。この時期にウクライナから家畜の半分が消えたといいます。それは、農民たちのせめてもの抵抗だったのです。
また、比較的豊かな農民は「富農」、貧しい農民は「貧農」に無理やり分け、「富農」はブルジョワで人民の敵であるとされ、収容所に送られたり処刑されたりするなど徹底的に弾圧されました。「貧農」は集団農場の「労働者」にさせられました。農民を、都市の工場労働者と同じように、生産手段を一切持たず、労働力しか持っていない存在にしたのです。
農業は自然が相手です。雨が降ったらどうしようかとか、寒くて霜がおりたらどうしようかということを農民たちは常に考えて、自分の畑に手をかけています。
ところが、熱心に働いてたくさん収穫していた「富農」を絶滅させてしまったので、集団農場で熱心に働く人がいなくなってしまいました。「貧農」はもはや労働者ですから、朝9時から夕方5時まで働いて給料をもらえばいい、ということになり、労働意欲が低下しました。
この農業集団化によって農業生産性がどんどん落ちていきました。
■生産者を痛めつける搾取
生産量が減っても、ウクライナは小麦の大産地ということで、収穫した穀物は農民たちの取り分がなくても、強制的に国に持っていかれました。
![池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/1/1200wm/img_11e8264c77f85bd7b0aaf01044ec62b6102408.jpg)
当時、ウクライナはソ連全体の穀物の27%を生産していましたが、政府調達ノルマは38%だったという報告もあります。
その結果、ウクライナではとてつもない飢饉が広がって、多数の餓死者が出る状態になったのです。食物を隠した者は、人民の財産の窃盗罪で死刑にする法律ができたというから驚きです。
ロシア革命後、ソ連は重工業を重視した政策を進めていました。無理やり先進国の仲間入りを果たして、社会主義がいかに素晴らしいかを世界に示そうとしたのです。
その結果、農村で収穫される穀物は、都市の労働者に与えることが優先され、また機械輸入に必要な外貨獲得のため輸出に回されたのです。ソ連は、ウクライナが飢餓状態だった時も、穀物を外国に輸出し続けていました。
■ホロドモールの悲劇
当時のウクライナの写真が残っていますが、餓死者と見られる遺体が通りに置かれたままで、それが日常の風景になってしまったのか、人々がその横を平然と歩いているのです。
あるいは、食べるものがなくなって追い詰められ、人肉食が始まりました。飢え死にした人の肉がマーケットで売られて、それを買って食べる人がいるという、それはそれは悲惨な事態がウクライナで起きたのです。
集団農業政策の失敗のせいで、豊かな穀倉地帯だったところがそんな状態になったわけです。
人為的に引き起こされたこの大飢餓は、ウクライナ語で「ホロドモール」と呼ばれていて、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行ったホロコーストと並ぶ20世紀の悲劇とされています。
■ウクライナが内戦状態になった
ウクライナの人たちには、スターリンのもとでひどい目にあったという、歴史的な記憶があるわけだよね。だから、ソ連が崩壊して切り離されたら「とにかくロシアは嫌だ、西側のEU諸国と一緒になりたい」という思いを抱く人が多いわけです。
ただし、ウクライナの東部には昔からロシア系住民が住んでいましたし、ソ連時代に移ってきたロシア人も多いのです。ウクライナが独立をし、西側と一緒になりたいとなると、ウクライナの東部にいるロシア系の住民が「ロシアから離れるなんてけしからん」と、こういう対立の構図ができてしまいました。
ウクライナの西側はEUと一緒になりたい親EU派、東側はロシアと一緒になりたいという親ロシア派に分かれて、ここで内戦状態のようなことになったのです。
きっかけは2014年に起きたロシアのクリミア併合でした。
■ロシア人と「クリミア半島」の複雑な関係
ウクライナの南部で黒海に面したクリミア半島は、特にロシアにとって保養地として素晴らしいところなのです。温暖で、ロシア人は冬にクリミアへ遊びに行くのがとても楽しみなのです。
クリミア半島は、もともとロシアに属していました。それをスターリンが亡くなったあと、政権のトップに就いたフルシチョフ第一書記が、ロシア領だったクリミアをウクライナにプレゼントしたのです。
スターリンが進めた集団農業で、ウクライナはひどい被害にあったでしょう。ウクライナの人々には反ロシア感情が植えつけられました。フルシチョフはウクライナを懐柔(かいじゅう)するためにクリミア半島をウクライナに編入したのです。
■歴史的にも戦略的にも手放したくない土地
それでも、ソ連時代は、ロシアもウクライナもソ連を構成する共和国でした。クリミア半島がどちらに属していても、同じソ連国内の話です。ところが、ソ連が崩壊して各共和国が独立したので、クリミア半島はウクライナのものになります。
これがロシアには面白くありません。歴史的に見ても、クリミア半島は長い間ロシアに属していました。ヤルタの西に、黒海に面した不凍港のセバストポリがあります。ここはロシアの南下政策の拠点で、要塞(ようさい)が築かれていました。
かつてクリミア戦争(1853~56年)の際に、ロシア軍5万がセバストポリ要塞を連合軍から守るため、激戦を繰り広げました。ロシアにとって、セバストポリは歴史的にも戦略的にも、手放したくないところなのです。
■クリミア危機とは何か
ウクライナには、ウクライナ人もいればロシア系の人もいるでしょう。だから、大統領選挙をすると、ロシアとの関係を改善したいという親ロシア派の大統領になったり、ロシアから離れたい親EU派の大統領になったりするわけです。
2013~14年にかけて、当時のヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領は親ロシア派でした。ロシアとの関係を維持したい大統領に対して、民主化運動が起きて、それが反政府運動に発展。ヤヌコビッチ大統領が逃げ出して、ロシアに亡命するという出来事がありました。
この大統領は、国の金を使って自分の家をまるで宮殿のようにしていたことが、逃げ出したあと暴露されました。それによって、ウクライナの特に西側では、反ロシア感情が一挙に盛り上がります。
![兵士のシルエットがあるコンクリートの壁に描かれたウクライナの国旗](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/b/1200wm/img_5b2598d49336fb7ecb89e7a786d26f22503283.jpg)
■クリミア半島を占領した正体不明の武装勢力
すると、プーチン大統領が突然、クリミア半島はロシアのものだと言い出したのです。ウクライナが独立したら、クリミア半島がウクライナのものになったでしょう。プーチン大統領は、クリミア半島がウクライナのものになってしまったことを、苦々しく思っていたのでしょう。
ウクライナの大統領が逃げ出して国内が混乱している。そのすきをついて、突然、このクリミア半島はもともとロシアのものなんだと言い始めたわけです。そして、正体不明の武装勢力がクリミア半島を占領します。組織立った大勢の兵隊が出動したのですが、軍の国籍を示す印もつけていませんでした。
一方、クリミア自治共和国では、クリミアがウクライナから独立をし、ロシアに帰属するかどうかを問う「共和国政府」による「住民投票」を実施しました。その結果、ロシア編入に賛成という票が圧倒的多数を占めたと発表され、ロシアは、クリミア自治共和国の選挙結果を承認するというかたちで、クリミアを「併合」しました。
ウクライナ政府は、これをロシアの武力による違法占拠として承認していません。
■プーチンの「うそ」
ウクライナではロシアに亡命したヤヌコビッチ大統領のあと、親EU派のポロシェンコ大統領を経て、2019年からヴォロディミル・ゼレンスキー大統領になりました。
プーチン大統領は、我々はロシア軍をクリミア半島には一切送っていない、とずっと言い張っていました。国際社会は、ロシアが軍事力を使って、クリミア半島をウクライナから奪い取ったと考え、ロシアに対する経済制裁を始めます。EUやアメリカが、たとえばロシア製品を買わない、あるいは、ロシアにいろんなものを輸出しないという制裁をとるようになりました。
プーチン大統領は一切ロシア軍を出していないと言っていましたが、クリミア半島にロシアが入ってから1年経った記念式典で、「我々ロシア軍によってクリミア半島を奪い返すことができた」と言いました。
つまり、前の年、ロシア軍は一切出していないと言っていたのは全部うそだったのですね。そして、この時プーチン大統領は、クリミア半島併合に対して、ヨーロッパやアメリカが反発することに備えて、核兵器の使用を準備していたとまで言ったのです。
■2014年は相手にならなかったウクライナ軍
ところで、ロシア軍がクリミア半島を占領した際、ウクライナ軍の兵数はわずか5万人くらいで、ロシア軍の相手になりませんでした。
さらに、ウクライナ東部の親ロシア派の武装勢力にも対抗できず、武装勢力はドンバス地方のドネツク州とルガンスク州に、それぞれ「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」という自称国家を設立しました。
その後、ウクライナは徴兵制を施行して20万人の兵員を確保、軍務経験のある予備役の兵士が90万人に上るまでに軍を強化しました。
2022年1月からは、ウクライナが侵略を受けたら、すべての国民が国土防衛にあたる義務があるという法律が施行されました。
■8年続いた内戦から、ついにロシアの侵攻へ…
ウクライナでは、クリミア併合からずっと、親ロシア派の武装勢力とウクライナ政府軍との内戦状態が続いています。この親ロシア派の武装勢力はみんなロシア製の武器を持っています。
でも、プーチン大統領は、「ウクライナにはロシア軍の兵士はひとりもいない、彼らはロシア軍をやめて、自主的にウクライナに行っているんだ」という言い方をしていました。これはどういうことなのでしょう?
実際に何が起きていたかというと、ロシア軍がウクライナの親ロシア派の住民を支援するために国境まで行きます。すると、そこでロシア軍の将校がロシア兵に向かって、「お前たち、たった今をもって、ロシア軍をやめろ。今から我々はウクライナに行く」と言うのだそうです。つまり、ウクライナ領内では元ロシア兵になる。
ロシアに戻ればロシア軍に復帰しますが、万一捕虜になったり、あるいは、死んでしまったりしたら、元ロシア兵ということにしていたのですね。実際には、ウクライナの親ロシア派をロシア軍兵士が支援をしてきました。
そうして、ついに今回、ロシア軍がウクライナに侵攻したのです。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
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(ジャーナリスト 池上 彰)
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