「ロシアに占領されても電子政府で対抗」旧ソ連崩壊の引き金・バルト三国が"プーチンの野望"を挫く
プレジデントオンライン / 2022年5月7日 11時15分
※本稿は、池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)の一部を再編集したものです。
■「バルト三国」という呼び名の理由
バルト海の東岸に並ぶエストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国を総称して「バルト三国」と呼んでいます。それぞれ小さな国なんですよね。エストニアの面積が日本の約9分の1、ラトビアとリトアニアは、およそ6分の1ですから。
三国とも首都の歴史地区と呼ばれる区域に中世以来のさまざまな建築様式が現存していて、その美しい町並みは、世界遺産に登録されています。
何かと「バルト三国」とひとくくりにされる三国ですが、宗教や言語などの相違点も少なくありません。それでも「バルト三国」という呼び方が日本で定着したのは、近代以降の歴史に要因があります。
■「密約」で旧ソ連に取り込まれる
三国は、近代以前はそれぞれ独自の歴史を刻んできましたが、地理的環境から、常に東方のロシア、西方のドイツからの侵略にさらされてきました。18世紀からはロシア帝国の支配を受けるようになります。20世紀に入り、ロシア革命後に三国そろって独立を果たしますが、この独立は長く続きません。
第二次世界大戦前夜の1939年8月、ソ連のスターリンは、ドイツのヒトラーとの間で「独ソ不可侵条約」を締結しました。ところが、この条約には両国でポーランドを分割することや、バルト三国をソ連が併合することを取り決めた「秘密議定書」(付属文書)が存在したのです。
翌月、ドイツがポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まりました。一方、ソ連はヒトラーとの密約に基づいて、バルト三国を支配します。ソ連は、三国にそれぞれ共産党をつくり、ソ連邦に取り込んでしまいます。
■「欧州の天地は複雑怪奇」
バルト三国の人たちはそんな密約の存在は知る由もありません。秘密協定の内容は、戦後に明らかになったのです。
当時、「独ソ不可侵条約」は、世界中に大きな衝撃を与えました。ヒトラーは共産主義を敵視して、ドイツ共産党を壊滅させました。そのヒトラーがスターリンと手を結ぶとは考えられなかったからです。
でも、その後ドイツが一方的に条約を破棄して、ソ連に侵攻したでしょう。それが「独ソ戦」で、ヒトラーにとって独ソ不可侵条約は、ポーランド侵攻のために英仏を牽制(けんせい)する一時しのぎの条約だったのです。
実は、独ソ不可侵条約にいちばん衝撃を受けたのは、日本でした。日本はドイツ・イタリアと「三国防共協定」によって手を結び、ソ連とはノモンハン(当時の満州国とモンゴルの国境付近)で交戦中だったのです。
時の平沼騏一郎総理は、混迷する国際情勢の中、欧米との外交に自信を失ってしまいます。「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」という言葉を残して、平沼内閣は総辞職しました。日本が太平洋戦争に突入したのは、その2年後のことです。
■「東欧革命」がもたらした独立のチャンス
日本にも影響を及ぼした独ソ不可侵条約ですが、独ソ戦が開始されると、バルト三国は一時ドイツに占領されます。
しかし、反転攻勢に出たソ連軍によって解放され、1944年から、再びソ連邦を構成する共和国となりました。戦後はロシア人が多数移住し、ロシア語が強制されるなど、民族意識を押さえつけられます。
それから約40年後、ソ連がゴルバチョフ政権になって改革を始めると、いわゆる「東欧革命」が起きて、東欧諸国のソ連離れが進みます。
バルト三国は、もともとそれぞれ独立国ですから、自分たちの国をつくりたいという思いをずっと持ち続けていました。ソ連がガタガタになって、再びチャンスが訪れたのです。
■グラスノスチがもたらした抵抗運動「人間の鎖」
急速に独立の機運が高まるきっかけは、グラスノスチ(情報公開)によって、1939年の独ソ不可侵条約に付帯する秘密議定書の存在が明るみに出たことでした。この秘密協定によるソ連のバルト三国併合は違法である、という認識が強まり、三国が連帯して大規模な抗議運動を起こすことになります。
1989年8月23日、独ソ不可侵条約の締結から50年目にあたるこの日、条約の締結に抗議して、エストニアの首都タリンから、ラトビアの首都リガを経て、リトアニアの首都ビリニュスまで、100万~200万人もの人々が立ち並び、三国を「人間の鎖」で結びました。
当時の三国の総人口が800万人弱で、ロシア系の住民を除いて考えると、少なくとも5、6人にひとりが参加した大規模な抗議運動です。
およそ600キロメートルの距離を結ぶ「人間の鎖」の映像や写真は、世界の注目を集めました。エストニア、ラトビア、リトアニアが「バルト三国」として認識されるきっかけとなり、ソ連とドイツの支配に翻弄(ほんろう)されてきた歴史や、ソ連から独立を要求していることを、世界中の人々が知ることになったのです。
それから4カ月後、ソ連人民代議員大会は秘密議定書の存在を確認し、それを不当かつ無効とする決定を採択しました。
■三国の民主的運動「人民戦線」のうねり
抗議運動を推進したのは、三国それぞれに組織された「人民戦線」です。リトアニアでは「サユーディス(運動)」と呼ばれました。
人民戦線は、ファシズムの台頭に対抗するため、さまざまな政党や団体が統一した組織となって戦う必要があるとして、1930年代にスペインやフランスで結成されたのが始まりです。
バルト三国においては、ゴルバチョフの改革に伴って、ソ連当局に対して民主化を求める市民運動が、主に環境問題からスタートしました。バルト海を汚染から守るとか、チェルノブイリ型原子力発電所の拡大反対とかいった運動です。
三国それぞれが、さまざまな民主的運動を統一しようということになり、人民戦線がつくられ、次第に独立回復運動へと発展していきました。三国の人民戦線組織が互いに協力し合うようになり、指導層にも波及したので、大規模なデモンストレーションが実現できたのです。
1990年3月、まずリトアニアが独立を宣言します。翌年8月、ソ連国内で保守派のクーデターが失敗に終わると、直後にエストニア、ラトビアが正式に独立を宣言しました。ソ連が崩壊したのは同年12月です。
一般的に「ソ連が崩壊して15の共和国が生まれた」と表現しますが、正確にいうと、バルト三国はソ連崩壊の前に、それぞれ独立を果たしたのです。
■独立宣言、ソ連軍の介入、国民投票へ…
バルト三国には第二次世界大戦後、多数のロシア人が移住しています。彼らは、当然ですが、独立の動きが高まるのに対し、ソ連残留を望みました。
リトアニアが独立を宣言すると、親ソ派はソ連軍の介入を要請し、ソ連軍がリトアニアの首都ビリニュスの放送局を占拠しました。この時、14人の死者と数百人の負傷者が出ています。さらに、ラトビアの首都リガでも、ソ連軍が内務省などを攻撃し、死傷者が出ました。
しかし、このソ連軍による攻撃のあと、リトアニア、ラトビア、エストニアでそれぞれ独立の是非を問う国民投票が実施され、リトアニアでは9割、ラトビア、エストニアでも7割以上が独立に賛成という結果が出ます。
■親ソ派のクーデターの失敗
ゴルバチョフ大統領は、三国の自治権を認めつつ連邦に残留させられないか探りますが、ソ連政権内の保守派は、バルト三国に妥協的なゴルバチョフに危機感を募らせ、クーデターという行動に出たのです。
クーデターが起きると、バルト三国内でも親ソ派がソ連軍と共にテレビ局や電話局を占拠しましたが(エストニアではテレビ塔の占拠に失敗)、クーデター反対に立ち上がった市民によって退去させられました。
モスクワのソ連保守派のクーデターも失敗し、その4カ月後にゴルバチョフがソ連の解体を発表しました。こうして見ると、バルト三国の独立がソ連解体への直接の引き金になったといえるでしょう。
■「歌う革命」で平和的に独立回復
ところで、バルト三国のそれぞれの国に、大規模な「歌と踊りの祭典」があることを知っていますか?
バルト三国の「歌と踊りの祭典」はユネスコの無形文化遺産にも指定されています。エストニア、ラトビアでは5年ごとに、リトアニアでは4年ごとに行われています。
19世紀後半に始まり、各地から民族衣装を身につけた人々が集まって、歌と踊りを披露します。最大規模のエストニアでは何万人もの歌い手とダンサーが登場し、聴衆と合わせて10万人以上が参加する国を挙げたイベントなのです。
ソ連に併合されていた時代にもこの祭典は続いていましたが、それは当局による懐柔(かいじゅう)政策の側面もあったと見られています。ゴルバチョフ政権下の1988年9月、エストニアの首都タリン郊外の野外音楽堂で開催された祭典では、25万人以上が集まったといわれ、祖国を思う歌を歌い、独立回復を主張しました。
これを機に、三国では音楽集会や独立運動のデモで、盛んに祖国の音楽を歌い、演奏するようになりました。常に歌と共に、平和的に闘ったことにちなんで、バルト三国の独立に至るまでの行動は「歌う革命」とも呼ばれているのです。
■超電子立国エストニア
近年、バルト三国で世界的に関心を集めているのが、エストニアのICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)です。
たとえば、インターネット電話サービスのスカイプ(Skype)はエストニアで開発されたものです。
エストニアは小さな国ですが、世界の中でもトップを行く「電子国家」なのです。15歳以上の全国民と永住者に、本人確認やオンライン認証、電子署名が可能な国民IDカードが配布されています。このIDカードによって、役所で行うような手続きは、ほとんどネット上でできる状態になっているのです。
さらに、国政選挙の電子投票や電子裁判も行われており、「e-エストニア」という国家キャンペーンを張るほど、IT化が進んでいます。日本もデジタル化を進めたいので、自治体や企業がエストニアに視察団を送って、いろいろ学んできています。
■ロシアのサイバー攻撃への対抗がきっかけ
エストニアがこのようにICTを発達させたのには理由があります。
かつてエストニアの首都タリンに、エストニアを解放した「ソ連軍の兵士の像」という銅像がありました。だけど、ソ連が崩壊してエストニアが独立したでしょう。エストニア人にしてみれば、ソ連軍による占領の象徴というべき銅像は目障りだったでしょう。
2007年に銅像を郊外に移転させようという動きが盛り上がったのですが、その途端、エストニア政府は、正体不明のハッカーによって猛烈な攻撃を受け、国内が大混乱する事態に陥りました。犯人は、明らかですね。ロシアによってサイバー攻撃を受けたのです。
この時点でエストニアはすでに電子立国でしたから、その影響が大きかった。この出来事をきっかけに、エストニアはハッキングされない安全対策をとった本当の意味での超電子立国を目指すようになったのです。
■ネット上に電子政府をつくった本当の理由
現在、エストニアでは、さまざまな行政サービスが電子化されています。特に注目なのは、ネット上に「電子政府」をつくっていることです。しかも、エストニアの国民以外にも「電子居住権(e-Residency)」を与えるという政策をとっているのです。
電子居住権取得者になると、エストニアの電子政府のシステムを利用することができます。企業の設立・運営、納税や電子署名を国外からも行えます。だから、エストニアに投資したり会社をつくったりしやすいでしょう。
こういった外国からの投資や企業誘致を促進するのがエストニア政府の狙いなのです。でも、電子政府をネット上につくった目的は、それだけではありません。
もし将来、エストニアがロシアによって占領されたとしても、電子政府のデータをバックアップしておけば、いつでも再出発できて、結果的に国民を守ることができる。
「電子政府」をつくった理由は、ロシアによってエストニアが支配されても、また復活させるための安全対策、ということなのです。
■ロシアへの警戒は間違いでなかった…
プーチン大統領は、ソ連の崩壊について聞かれた時に「地政学的な悲劇である」と発言しています。
地政学的悲劇とはどういうことか。ソ連は、バルト三国をはじめ15の共和国でまとまった大国だった。ヨーロッパの国と戦争になっても、ロシアの周りに緩衝地帯となってくれる共和国がたくさんあった。ところがソ連崩壊で、共和国がそれぞれ独立し、ロシアは国境で直接敵からの攻撃にさらされてしまうことになってしまった。
プーチン大統領の思いを代弁すれば、こんなところでしょうか。
プーチン大統領の執務室には、初代ロシア皇帝ピョートル大帝の肖像画がかけられているそうです。プーチン大統領には「過去の栄光よ、再び」という思いがある。ということは、領土拡大の野心があるのではないかと、かつてソ連に支配されていた国々は警戒しているのです。
エストニアが電子立国になった背景には、ロシアへの強い警戒心があったのです。その危機意識が間違いでなかったことが明らかになったのが、今回のロシアのウクライナ侵攻だったといえます。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
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(ジャーナリスト 池上 彰)
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