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結果を出した菅首相も1年で退陣させる…「日本はダメ」しか報じないマスコミが日本をダメにしている

プレジデントオンライン / 2022年5月5日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

日本のマスコミは、なぜ「マスゴミ」と嘲笑されるようになったのか。経営コンサルタントの倉本圭造さんは「あらゆる現象を『権力vs反権力』の闘争に見たててしまう日本のメディアのあり方は、すでに限界を迎えている」という――。

■「だから日本はダメなんだ」と報じ続ける日本のメディア

コロナ禍という危機の中で、国内メディアは機能不全を露呈させました。

私が特に問題だと考えているのは、冷静さを失った感情的な報道姿勢です。

いわゆる「出羽守(でわのかみ)バイアス」の問題です。「出羽守」というのは、出羽国(現在の山形県と秋田県)を統治する者……という古い役職名とかけて、「欧米“では”~、日本“では”~」と他国の例を引き合いに出して語る人を指す俗語です。

最近では「欧米では~、日本では~。だからもう日本は“おわり”だ!」と話してばかりいる人は「尾張守」と呼ばれているとか(尾張は現在の愛知県西部のこと)。

「バイアス」は偏見を意味します。つまり「出羽守バイアス」は、常に欧米を理想化し、日本が「ダメな理由」ばかりを話す人が持つ偏った見方を表します。

コロナ禍で日本国内が混乱する中、「政府批判側の極論」を言う人たちの「出羽守バイアス」のかかった情報が、ワイドショーを中心にして連日のように発信されました。新規感染者数の動向に一喜一憂し、外国の事例を基に日本政府の体たらくを指摘する――。こんな状況が2年近く続いてきました。

いかにも20世紀的な紋切り型です。私は、あらゆる現象を「権力vs反権力」の闘争に見たててしまう日本のメディアのあり方はすでに限界を迎えていると考えています。

本稿では、2020年から続くコロナ禍を振り返りながら、日本のメディアの問題と期待される「新しい役割」について考えてみたいと思います。

■菅義偉前首相は1年で退陣したけれど…

第一に、「出羽守バイアス」は日本人にどれほど影響を及ぼしてきたのでしょうか。例として、日本政府のコロナ対策が「どの程度の出来だったのか」という一般的イメージについて考えてみましょう。

2021年5月、法事で実家に帰る用事があった時に、母親やその周囲のママ友さんたちの「気分」について聞いたのですが、あまり政治に興味が無さそうなグループでも「日本政府って本当にダメねえ」と評判になっていたのが印象的でした。

当時は欧米でワクチン接種が先行し、一気に「平時に戻りつつある」との印象が広がりました。対して出遅れた日本では「コロナ対策は大失敗だった! 日本はもうダメだ」という世間的な印象が拭い難い状況になっていたのでしょう。

各社の世論調査における「政府の新型コロナ対策を評価しない」と回答した人の割合は最大70%に達しました。当時は任期満了を迎える衆議院議員の総選挙を控えた時期だったこともあり、この数字が菅政権が就任1年で退陣する原因にもなりました。

しかし、「日本政府って本当にダメねえ」という印象を排除して新型コロナ感染状況のデータを確認すると、2020年の日本の死者数は欧米と比べてかなり抑えられました。

それどころか「超過死亡がマイナス」=「例年よりも死者数が少ない」状況でした。つまり世界で稀に見るトップレベルの結果であり、データ上は「コロナ対策に成功した国」だということが分かります。

銀座三越でマスクを着用したライオン像の横を歩く歩行者
写真=iStock.com/kuremo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuremo

■繰り返された「批判のための批判」

確かに、コロナ禍の初期では台湾や中国、ニュージーランドなど、日本よりも感染者を抑え込んだ成功例はあります。しかし、それらの国では国民に罰則付きの強い行動制限を課すなど、「自粛」を基本とする日本とは条件が大きく異なります。

当時の論調を振り返ると、こうした外国の成功例を踏まえ、「台湾はスゴイなあ! 日本は本当にダメだね」という出羽守バイアスがかかった議論がメディアでは大展開されました。

成功例とされた外国と同等の「対策」を望むのなら、日本政府にもっと「権限」を与える必要がありました。しかし、「台湾はスゴイなあ! 日本は本当にダメだね」と言った次の日に「政府の私権制限に反対」と主張するようでは、支離滅裂としか言いようがありません。

これは「政府を批判するな」という話ではありません。メディアの機能として「批判」はとても大事なことです。批判を基に政策が検証され、より適切な方向に変えていくことで社会は機能していくからです。社会の問題解決には批判は欠かせません。

「政府批判ができればそれでいいじゃないか」という話ではなく、「どの程度の問題なのか」を適切に情報として取り上げられないと「批判」が現実離れしていくのです。とにかく「政府はけしからん」と騒いでいるだけでは役割を果たしていないのです。

また、対策を担う当局者としては、あまりに現実離れした議論に引っ張られるとかえって対策がスムーズに進まなくなってしまいます。

■「絶対善の俺たちvs絶対悪の政府」という二元論の弊害

この2年間、日本のネット空間でも「出羽守バイアス」の影響を受けた放言をよく見かけました。

例えば、「欧米は人命や人々の生活を大切にする高潔な政権だが、日本の自民党政権はクズだから国民に全くお金をかけようとしない」「大量のコロナ失業者を見殺しにしている」「やった政策といえばアベノマスク配布だけ」といったものです。

どれも根底的に間違っていることがわかります。冷静に事実を確認すると、日本政府はそれなりに頑張っていて、国際比較で見ても70点ぐらい取れていることは明らかです。

にもかかわらず、日本における「反権力が自己目的化」したような人たちの間では、「世界の恥だ」「日本に生きていることが恥ずかしい」「国民の命なんてどうでもいいと思っているクズどもの政権」などと大騒ぎする事が常態化していました。

日本における「政府批判」がどんどん妄想の中に取り込まれて機能不全になっていく様子は、かなり頭をかかえるものでした。「政府批判」をするために、いちいち「政府が完全に無能」だと全否定する必要はそもそもないのです。

仮に今の政府が70点取っているのを認めても、残りの30点の部分で「もっとこうすべきだった」と批判はできるのです。

しかしメディアが「絶対善の俺たちvs絶対悪の政府」というストーリーに耽溺(たんでき)すると、「70点を取っている政府」それ自体を否定して大騒ぎすることになります。結果として騒いでいる内容が、現実からどんどん遊離していってしまうわけです。

渋谷スクランブル交差点
写真=iStock.com/MarsYu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MarsYu

■メディアの仕事は政府を批判するだけではない

本来のメディアの仕事は次の2点にまとめることができます。

① 政府が発表した「今の対策」をちゃんと過不足なく、必要としている人々に知らせる
② ①をやったうえで、今の制度のどこに不備があるのか? 対象が間違っているのか? 周知が足りていないのか? 金額が足りないのか? 手続きが複雑すぎるのか? といった点を取材し、情報を伝える

国民に必要な情報を伝えるとともに、考える材料を提供するのがメディアの仕事のはず。ところが実際は、「反権力を叫べるなら中身はどうでもいい型陰謀論」で盛り上がってしまっているように思います。

日本政府はコロナ対策として大規模な財政出動を行い、かなりの大盤振る舞いをしたにもかかわらず、「欧米と違って日本の自民党政府はお友達以外に興味がないから何もしてない」といった世界観で盛り上がられると、そもそもの事実認識が根底的に間違っているうえ、「その先の具体的な話」、つまり「本来なされるべき現実に基づいた批判や改善提案」がかきけされてしまっているのです。

■「右の陰謀論」より「左の陰謀論」のほうが恐ろしい

デマや陰謀論と聞けば、政府を擁護する保守派(いわゆる“右派”)の間だけのもので、政府を批判する知的で高潔な俺たちの間ではそんなものは無い……と思っていませんか?

しかし、私が「右の陰謀論」より「左の陰謀論」に厳しいのは理由があります。

確かに自民党の支持者の中には、「中国や韓国は大崩壊する!」「2020年のアメリカ大統領選挙で勝ったのはトランプ!」などと言っている人もいます。とはいえ、こうした言説は一見してバカバカしいことがわかるし、自民党もリップサービスをして彼らを基礎票としてうまく取り込みつつ、実際の政策ではある程度バランスを取って調整しています。

本気で信じている人を除き、「右の陰謀論」は見分けがつきやすいのです。検証するまでもない根拠のない言説です。

しかし「左の陰謀論」はどうでしょうか。簡単には真偽の見分けがつきにくい言説が目立ちます。それを言っている本人たちは、「事実に基づいていない妄想の中にいるのは“右”の奴らだけで、国際的視野が豊富で知的で批判精神がある俺たちは常にちゃんと現実を見ている」と信じ込んでしまっている事が多いのが厄介な点です。

一見すると知的な言葉を並べ、客観性を装ったデータを提示し「政府を批判したい人」が寄ってたかって押し上げる――。結果、彼らはどんどん現実から離れていきます。

ミニチュアのテレビ
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■ウクライナ戦争で問われるメディアの力量

ロシアによるウクライナ侵攻を境に、安全保障やエネルギーの問題がメディアでも大きく取り上げられています。「リアルな議論」が必要な課題が沢山あります。

例えばドイツでは国防費を国内総生産(GDP)比で2%以上に引き上げる方針を打ち出し、ロシア産天然ガスに依存してきたエネルギー政策の見直しも急激に進んでいます。

安全保障やエネルギー問題に関する外部環境がこれだけ変わったのだから、「現実に対する責任感」があれば今までとは違う「リアルな議論」をせざるを得ないと誰でもわかるはず。

しかし今の日本では、そういう議論ができているでしょうか? 軍事的均衡状態を維持するための独りよがりの空論が、まだ日本にはのさばっているのではないでしょうか。

最近の日本では、毎年冬には電力需給の逼迫ひっぱくにより大規模停電の危機が発生するようになりました。この大規模停電が起きてしまう理由は、単に原発を再稼働するかどうか、再エネを導入するかどうか…という単純な問題ではなく、電力制度改革の細部が実情と合っていないことが原因です。

しかし、今のメディアは何が本当の原因なのかを深堀りする記事が少なく、単純に犯人探し的な論争だけが飛び交っている中で、電力の安定供給という重要な政策課題が混乱し続けてきているのです。

大事なのは「どうせ自民党政府など、自分たちの利益のことしか考えていないバカばっかりだから」というような思い込みからの単純化しすぎた構図で犯人探しを行う記事ではなく、今の電力制度がどういう利害対立に落ち込んで、どこに問題が起きているのかを深く考えていく動きをサポートする事であるはずです。

■「全てが政治闘争に見える世代」から主導権を奪い返そう

とはいえコロナ禍の後期には、単に「政府はけしからん」と嘆いて見せるだけの中身のない議論ではなく、病床確保のための広域連携のあり方などをテーマに具体的な対策を深堀りして報じるメディアも明らかに増えてきたように思います。

倉本圭造『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)
倉本圭造『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)

電力制度改革についても、単に「日本政府がけしからん」的な記事ではなく、ちゃんと実情を深堀りした記事も日本の大手新聞でもいくつか見られて感銘を受けました。

私はよく、「複雑化した現代では、単なる政府批判でなく問題解決のためにどうすればいいのかちゃんと取材して考えるメディアが必要だ」と主張をしているのですが、同世代のメディアの人から「全くそのとおりだ」という丁寧な賛同のメールを頂くこともよくあります。

あらゆることが「権力vs反権力」の政治闘争と捉える人が多かった団塊世代が、徐々に社会から引退しています。メディアの中でも団塊世代の下の世代に主導権が移り、雰囲気が大きく変わりつつあると思います。

社会的な課題を「自己目的化した反権力」「騒いで留飲を下げるだけ」のネタにするのではなく、メディアは課題解決のために知恵を寄せ合って考えるためのハブになるべきです。これが「新しいメディアの役割」なのではないでしょうか。

罵り合いをやめて、リアルな議論をしましょう。自己満足の権力批判をしている場合ではありません。社会の中で辛い思いをしている人がいる。そこに手を差し伸べる方法をちゃんと考えられる社会をつくる一歩になるはずです。

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倉本 圭造(くらもと・けいぞう)
経営コンサルタント
1978年生まれ。神戸市出身。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼーに入社。「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面し、両者をシナジーする一貫した新しい戦略の探求を開始。社会のリアルを体験するため、ホストクラブやカルト宗教団体等にまで潜入するフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。著書に『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)、『「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?』(amazon Kindleダイレクト・パブリッシング)など多数。

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(経営コンサルタント 倉本 圭造)

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