憲法9条があるからロシアの戦争には手を出せない…そんな「憲法解釈」は国際社会の非常識である
プレジデントオンライン / 2022年5月1日 15時15分
■日本は国際秩序の破壊を傍観するだけの国なのか
ロシアによるウクライナに対する侵略戦争は、日本人の世界観に大きなショックを与えた。多くの日本人が、21世紀の欧州で、あのような蛮行が起こりうるのか、と驚いている。この感覚は、憲法9条をめぐる議論にも影響を与えざるを得ないだろう。
一つの大きな意識変化は、国際秩序の存在に対する認識ではないだろうか。国際秩序は脆弱(ぜいじゃく)だが、確かに存在している。もちろん国際秩序に反する行動をとる者は、後を絶たない。しかしそれでも国際秩序を維持しようとする者が、違反者を糾弾し、秩序を維持するための努力を続けている。日本は、国際秩序の破壊を傍観するだけの国なのか、国際秩序を維持するために努力する国なのか。そこが問われている。
日本の憲法学者は、「憲法優位説」を唱えてきた。国際法に対して、彼らの憲法解釈が優越する、という主張だ。これによって憲法学における国際法の影響を抑え込んできた。
しかしこのような憲法解釈の問題性に、いよいよ意識が向けられなければならない。国際秩序に背を向ける憲法学者に国家運営を委ねている間は、日本が国際秩序の維持に貢献していくことはできない。それどころか、国際社会の中のガラパゴスであり続けてしまう。
■日本国憲法の「本来の性格」を取り戻す
日本国憲法は、国際協調主義を掲げ、国際法遵守の立場をうたっている。問題なのは、それを否定する憲法学者たちの歪(いびつ)な憲法解釈である。
イデオロギー的に偏向している憲法学通説を、日本国憲法そのものだと誤認したうえで、別の立場からのイデオロギー対決を迫る右派勢力も、国際協調主義への関心の乏しさの点では、大差がない。現代日本のニーズに適合しない。
今こそイデオロギー闘争と談合政治を通じて、安全保障政策を決めていく日本の社会風土に、終止符を打つべきだ。それはつまり、隠蔽(いんぺい)されてきた日本国憲法が本来持っている国際法遵守の性格を取り戻す、ということである。
■イデオロギー対立の犠牲になった国際主義
長い間、憲法問題は、左右のイデオロギー対立の主戦場とされてきた。護憲派と改憲派の戦いが、日本の国内政治の対立構造を性格づけてきた。
その対立構造の最大の犠牲者が、国際主義であった。
日本国憲法は本来、日本を国際協調主義の国に生まれ変わらせるために制定されたものだ。しかしそれは左派にとっても、右派にとっても、アメリカの影響を認めなければならない点で、屈辱的な歴史であった。そのため、左右のイデオロギー対立が憲法をめぐって加熱すればするほど、憲法の国際協調主義は埋没していくのが常であった。
護憲派として知られる左派勢力は、激しく敵対する右派勢力を蹴落とすために、改憲派に対して「軍国主義の再来」といったレッテルを貼るのを常套(じょうとう)手段とする。そして戦前の日本の軍国主義に対置させて、日本国憲法から彼らが読み取ろうとする絶対平和主義を正当化する。
左派勢力が信奉する日本国憲法の絶対平和主義は、世界で唯一、かつ最も前衛的なものであるとされる。ところが、その憲法9条がアメリカ人によって起草されたという事実は、左派勢力によって、隠蔽すべき恥部である。
そこで左派勢力は、あらゆる詭弁(きべん)を使って、日本国憲法とアメリカのつながりを分断しようとする。歴史的経緯として9条を作ったのは日本人の幣原喜重郎であったといった物語から、9条の内容もアメリカ人が想定したことを飛び越えているといった物語を、大真面目に推進し続けてきた。いずれも精緻な学術的検証に耐えられる主張ではなかったが、憲法をアメリカの影響から切り離し、日本人だけのものにしたい、という一般大衆の潜在的願望に訴える態度ではあった。
■左右両方が利用したアメリカへの複雑な心情
一方、戦前の日本を擁護する立場に立つ伝統的な右派は、「押し付け憲法」の無効を訴えてきた。アメリカによる占領の時代に、日本を骨抜きにしてしまう憲法が作られてしまった。自主独立を果たすためには、憲法の再制定が必要だ、という議論である。こうした右派の主張も、やはりアメリカ人の関与のない日本人だけの憲法を持ちたい、という一般大衆の潜在的願望に訴える点で、左派勢力との呉越同舟的な性格を持っていた。
太平洋戦争の惨禍を経験した世代の人々は、アメリカに依存する外交政策を心の奥底では認めつつ、イデオロギー的心情ではアメリカを否定する態度をとることが、自然であった。左右両派とも、そうした国民感情に訴えた。結果として、日米安全保障条約とともに運用されてきた日本国憲法の国際協調主義は、隠蔽されるか、そうでなければ軽視されるのが常となった。
■「ポツダム宣言受諾」の本当の意味
2022年にウクライナに侵略攻撃を仕掛けたプーチン大統領は、世界でただ一人この戦争を止める決断ができる人物だが、今のところ妥協する気配はない。だが、苦境に陥り、完全な勝利ではないところで妥協を図るのであれば、それは重要局面である。ウクライナ政府も合意できる形で停戦合意が締結できるのであれば、プーチン大統領の妥協は歓迎されるだろう。
しかし、後日になってプーチン大統領が、ウクライナ軍の大攻勢による強い軍事的圧迫でやむなく締結しただけだからあの停戦合意は無効だ、と言い始めたら、どうだろう。その無責任さに、一層強い非難が巻き起こるだけだろう。そして実質的な安全保障措置を伴った仕組みの裏付けがなければ、安易な合意はかえって危険だと痛感されるだろう。
日本国とポツダム宣言の関係も、同じである。日本は、太平洋戦争において、先に武力行使をした攻撃者側である。アメリカのほうが、自衛権を発動した側である。もちろん自衛権行使の論理だけでは、原爆投下や一般市民への戦略爆撃は正当化されない。それは国際人道法の観点からの審査すべき事柄である。ただ、いずれにせよ、アメリカはポツダム宣言と称される一連の要求を日本が受け入れる場合には、攻撃を停止する、という立場を表明した。日本は、熟慮の後に、これを受諾することを、決定した。日本は主権国家として、ポツダム宣言を履行する国際的責務を負った。
■日本と連合国が共に負った「平和国家建設」の義務
ポツダム宣言の受諾によって、大日本帝国軍の完全な武装解除、「言論、宗教及思想ノ自由並(ならび)ニ基本的人権ノ尊重」の確立、「国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且(かつ)責任アル政府」の樹立が、日本国と連合国の間で約束された。連合国は、これらの「基本的目的」を確実に達成するために占領統治を行うが、目的が達成された暁には「聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ」ということも定められた。
日本では、ポツダム宣言の受諾を「無条件降伏」とのみ描写することが多いが、これは正確ではない。確かにその内容は、特異な環境においてのみ起こりえた特異なものである。しかし実際のポツダム宣言においては、「日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ」とあるように、「無条件降伏」するのはあくまでも「軍隊」である。
ポツダム宣言の全体は、戦争後の日本において、民主的で平和的な国家を建設するプロセスの基本的方向性を示すものであった。そして、日本と共に連合国側も、同じように誠実にポツダム宣言を履行する義務を負ったのである。
■「押し付け憲法論」のどこがおかしいのか
日本国憲法の制定は、このポツダム宣言の内容の履行という国際的義務を果たす過程において、必須の事柄として、導入された措置である。大日本帝国憲法をそのまま残しておけば、「基本的人権ノ尊重」や「平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立」といったポツダム宣言の「基本的目的」を達成することは不可能だと考えるのは、自然であった。
右派の「押し付け憲法」否定論者は、「ハーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第43条が、「占領者は絶対的の支障なき限り占領地の現行法律を尊重して」公共の秩序や市民生活の回復に尽力すべし、と定めていることをもって、占領下で大日本帝国憲法を置き換える形で作られた日本国憲法は無効だと主張する。
だが「特別法は一般法を破る」という法学的原則を参照するまでもなく、占領前に日本国と連合国がポツダム宣言受諾という形で、統治政策の基本的枠組みに関して合意している以上、その実施に必要だった施策を、ハーグ陸戦法規を持ち出して否定することはできない。
とはいえ、戦後の日本において、ポツダム宣言が持つ国際効力を語ることはタブーであった。右派の改憲派は、日本国が拘束されていた国際的義務をイデオロギー的立場から無視し、結果として日本国憲法に内在する国際協調主義の性格も軽視する傾向を持っていった。
■GHQが憲法草案を作る決断をしたそもそもの理由
左派はどうだろうか。1945年当時、東京大学法学部憲法第一講座担当教授として、学界の頂点に君臨していた宮澤俊義は、政府が憲法改正のために設置した「松本委員会」の有力委員であった。マッカーサーをして、「こんなものでは(ポツダム宣言の履行とみなせず)連合国が構成する極東委員会を通せない」と感じさせ、連合国軍総司令部(GHQ)で憲法草案を作る決断をさせたのは、大日本帝国憲法とうり二つの、宮澤が起草した松本委員会憲法草案であった。
そのため、宮澤は、GHQ草案を目にした際、強い衝撃を受けた。ドイツ国法学の論理構成に慣れ親しみ、自らの権威も大日本帝国憲法の威厳に依拠していた宮澤は、主権者の交代は憲法改正の範囲を超える、という論文を書いたこともあった(ただし実際の大日本帝国憲法にそのようなことを定めた文言があったわけではなく、戦前の東大法学部系の憲法学者が、ドイツ国法学の理論にしたがってそのように主張していただけである)。
■「国民が革命を起こした」という荒唐無稽な見立て
途方に暮れた宮澤に、大きな示唆を与えたのは、東京大学法学部の同僚の丸山眞男であった。丸山は、「ポツダム宣言受諾の際に、国民が革命を起こしたのだ、と説明すればよい、そうすれば新しい内容を持った新しい憲法の制定も、革命を起こした国民が実力で行ったことだと説明できる」といったアイデアを披露した。これに宮澤は飛びついた。急ぎ新憲法案を擁護する論文を、丸山が提案した「八月革命」説のアイデアとともに、論壇雑誌から公刊した。
この「実はひそかに国民が革命を起こしていた」という極度に思弁的で荒唐無稽なアイデアは、驚くべきことに、大多数の憲法学者に受け入れられた。ドイツ国法学の理論を否定することなく、しかしなお新しい憲法を歓迎して生き残っていこうとしていた大多数の憲法学者たちにとって、宮澤の権威は、一つの免罪符だった。「憲法の内容を決めるのは憲法学者による人気投票である」といった多数説絶対主義の一方的な主張が、不都合な真実を覆い隠すイデオロギー装置として働いた。
こうして左派も、日本国の国際的責務を不当に無視する立場を、学会多数派説として強引に押し付けることによって、日本国憲法の国際協調主義を軽視していったのである。
(後編に続く)
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東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)
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