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「NHK大河ドラマでは描きづらい」壇ノ浦で源氏に負けた平宗盛が潔く自害しなかった深いワケ

プレジデントオンライン / 2022年5月8日 18時15分

平宗盛像(『天子摂関御影』より)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

平清盛の三男で、平家最後の棟梁として源氏と戦った平宗盛とは、どんな人物だったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「愚将というイメージがあるが決してそんなことはない。衰退した平家の勢力を盛り返した武将であり、息子思いの良き父親でもあった。もっと評価されてもいい人物だ」という――。

■無能なリーダーのイメージが強い平宗盛

平宗盛は、清盛の三男であり、清盛亡き後に平家一門を率いた武将だ。今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、俳優の小泉孝太郎さんが演じている。

しかし、その評判は昔から今に至るまですこぶる悪い。宗盛というと愚鈍で無能なリーダーとのイメージで固まっている。

そういえば、1993年にNHKで放送されていた『人形歴史スペクタクル 平家物語』でも、宗盛はぽっちゃり体形の人形で造形され、その人物は優柔不断で頼りなく描かれていた。過去の大河ドラマでも、暗愚で狭量な武将として描かれがちである。

今回の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、初登場(1月16日放送)シーンにもかかわらず、宗盛(小泉孝太郎)は、父・平清盛(松平健)に叱られていた。

静かな口調で、伊豆で流罪となっている源頼朝(大泉洋)が男児を作って騒動になっていることを清盛に報告したが「つまらぬことをわしの耳に入れるな」と一喝される。すぐに「ご無礼をいたしました」と頭をさげる場面が印象的であった。

■平家が衰退するきっかけは宗盛だったのか

では、鎌倉時代に成立した軍記物語『平家物語』は宗盛をどのような人物として描き出しているのか。その物語における人物造形が、後世にも多大な影響を与えていると思われるので、まずはそこから見ていきたい。

源平合戦の幕開けであり、平家が衰亡していく契機になったのは、以仁王の挙兵(1180年)だ。平家打倒を願う以仁王の挙兵には、元は清盛の重臣だった源頼政が加担している。その原因を『平家物語』は宗盛に帰している。

頼政の子に仲綱がおり、「木の下」という名馬を所持していた。

その名馬を宗盛が所望したところ、仲綱は「休ませるために今は手元においておりません」との返答。それならば仕方ないと諦めていたら、実はそれはウソで、仲綱はずっと所持していた。それを知った宗盛はしつこく手紙を送り、馬をよこせと迫る。

結果、仲綱は泣く泣く馬を手放すことにした。だが、宗盛はその馬に「仲綱」という名をつけ、手荒く扱っているという。このことに、仲綱も頼政も憤慨し、挙兵につながったとするのである。

同書は宗盛の長兄・重盛が、仲綱の優雅な振る舞いに感心し、馬を与えた話を引き合いに出し、宗盛の無粋な行為を批判している。

■『平家物語』では散々な書かれよう

『平家物語』は何かと重盛と宗盛を比べたがる。例えば、治承3年(1179)に、清盛が軍勢を率いて京都を制圧するクーデターを起こした際のことだ。

後白河法皇を捕らえに来た宗盛が、父・清盛の顔色を恐れているばかりの様子を見て、「兄・重盛とは比べものにならないほど劣っている」と法皇の口を借りて言わせている。

つまり、宗盛を無能・愚将・横柄と散々な描き方をしているのだ。

なぜ『平家物語』は宗盛をこのように描いているのか。想像するしかないが、あれほど栄えた平家を滅亡に追い込んだのだから「愚将」に違いないという発想が作者の胸中の根元にあったからではないだろうか。

また、物語としても、道化役や愚物が登場した方が面白いし、盛り上がる。名将が一段と引き立つという効果もあるだろう。

■他の資料に描かれた姿は…

当時の日記や史書を見ていても、残念ながら、それほど優れた人物だとは思えない。

例えば、平家都落ち(1183年)の場面である。

京都に木曽義仲軍が迫ってきた時だ。彼らに対して、平家は戦うのか、もしくは都を放棄するのか。緊迫した場面である。この際、平家にとって重要な鍵となるのが、後白河法皇を手元(京都)においておくことであった。だが、法皇は比叡山に脱出してしまうのだ。

その原因をつくったのは、宗盛だった。当時の公家・吉田経房が書いた『吉記』という日記によると、法皇は宗盛に書状を送り「状況が非常に差し迫った時はどうするのか」と尋ねたという。すると宗盛は一戦を交えるのではなく、「すぐに御所に参上します」と返答した。

これによって、法皇に自分や安徳天皇を奉じて京から逃げる目論みを読まれてしまったという。迂闊と言えば迂闊であろう。

同時代の宗盛評もよくない。鎌倉前期に成立したとされる『愚管抄』によれば、この都落ちの時の宗盛は、「動転し、おろおろするばかりだった」と描く。

■平家一門を率い、劣勢を反転させた功績

都を離れた平家一門は九州にまで落ち延びる。

だが、そこで勢力を回復し、再び東上するのだ。

寿永2年(1183)10月には、木曽義仲軍を備中国水島で破り、再入京を企て摂津福原まで戻るまでになったのだ。

『平家物語』によると、この「水島の戦い」における、平家方の大手の大将は、平知盛(清盛の四男)、搦手(背面)の大将は平教経(清盛の甥)であり、宗盛の活躍が記されているわけではない。

ただ、平家の総帥の立場であった宗盛が一門をまとめて、ここまで盛り返したことに疑いはないだろう(もちろん、それは宗盛個人の力だけで成し遂げられたものではなかったにせよだ)。この戦いの功績は宗盛に与えても良いと思うし、ここまで這い上がってくるのは誰にでもできることではなかろう。

源頼朝も基本的に鎌倉にとどまり、部下を戦場に適宜派遣し、結果を残していた。その点、宗盛も変わりない。だが、宗盛に愚将の評価が出てしまうのは、結果として源氏の勢いを止められず、壇ノ浦で敗北したからだろう。

徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜にしても、名将か愚将かで意見が分かれているように、家を滅ぼした武将というのは、有能であったとしてもどうしても愚将論がつきまとうものなのである。

■敗北が決定的だったのに、入水しなかったワケ

宗盛は壇ノ浦合戦においても醜態をさらしたと『平家物語』は描く。

同書によると、敗北が決定的になったのに潔く入水しない宗盛は、味方である平家の武士に海に突き落とされたという。

壇ノ浦の戦い
壇ノ浦合戦(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

それを見た宗盛の子・清宗は父を追って海に飛び込んだ。宗盛は泳ぎが上手だったので(清宗が沈んだら自分も沈もう、助かったら自分も共に助かろう)と思い、親子は互いを見交わしながら、あちらこちらへ泳いでいるところを、源氏方の武将・伊勢義盛に捕縛されたのだ。

この逸話、創作というわけではなく、前出の『愚管抄』にも「宗盛は泳げる人だったので、浮き上がり、浮き上がりしているうちに、生きようという思いが芽生えた。そして生け捕られた」とある。

この話、読者はどう感じるであろうか。確かに、武将としては潔くない態度かもしれない。

しかし、宗盛はいたずらに死を恐れていたわけではないように思う。(清宗が沈んだら自分も沈もう)と思っていたということは、死ぬべき時が来たならば死のうと思っていたということである。

よって、この話は、宗盛の息子への愛情があふれたものと理解すべきではないか。宗盛は都大路を引き回された時も、四方を見回して、落胆したような感じには見えなかったという(『平家物語』)。

■息子思いの善良な父という姿

この父子は、源義経に伴われ、鎌倉から京都に向かう途中で斬られることになる。

道中、死を覚悟した清宗と違い、宗盛は助かるのではないかとの希望を持ち続けていたようだ。

ところが、近江国篠原の宿に到着したところで、父子は引き離される。

宗盛は斬られる直前になっても、本性房湛豪という僧侶に向かい「清宗はどこにいるのだろう。たとえ首を刎ねられても、骸(むくろ)は同じ筵(むしろ)に横たわろうと約束していたのに。早くも、この世で別れてしまったとは悲しいことだ。この17年間、ひと時も離れず、京や鎌倉で恥を晒してきたのもあの清宗のためなのだ」(『平家物語』)と語ったという。

息子思いの善良な父ではないか。確かに宗盛は、傑出した指導者でなかったかもしれない。しかし、絶対権力者だった清盛亡き後に衰退した平家の勢力を、一時でも回復させたのは彼である。その事は、評価して良いのではなかろうか。

また、性格もそれほど悪い人のようには思われない。宗盛は「愚将」と評されて久しいが、名誉回復がなされても良いのではないか。

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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。

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(作家 濱田 浩一郎)

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