「緊急事態宣言は必要なかった」ウイルス学者が語る日本に最適な感染症対策ができなかった本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年5月14日 13時15分
※本稿は、宮沢孝幸『ウイルス学者の責任』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■ウイルス学者が提唱する「目玉焼きモデル」
私は、ウイルス学の知見に基づいて正しい政策決定をしてもらうために、「目玉焼きモデル」というものをつくりました。
今回のウイルスの感染状況を見ていますと、感染しやすい場所で感染し、感染しにくい場所ではあまり感染しないことがわかってきました。感染する行為で感染しますが、感染する行為をしなければ、ほとんど感染は起こっていません。当たり前といえば、当たり前です。感染しやすい場所というのは、ライブハウスやカラオケ、一部の飲食店、職場の休憩室などです。
特に、密接な接客を伴うような店、大声を出すような店で感染が広がっていました。1人が何人にうつすかという実効再生産数は、日本全体を平均すると1.7くらいでしたが、繁華街ではもっと高いと見られていました。2~3、あるいはそれ以上になっていたかもしれません。1人の感染者が平均2~3人に感染させるということです。実際にクラスターを出したホストクラブでは、感染率は60%にも上っていました。一時点でのPCRの結果ですから、店舗内のほとんどの人が感染していたのかもしれません。そうなると、実効再生産数は恐ろしく高いことになります。
それに対して、一般の生活を送っている人たちは、感染しても多くの人にうつすことはありませんでした。ホストクラブなどの特殊な飲食店での接客のように、多数の人と密接に、同時に大声で話をするわけではないのです。何も感染対策をしていない場合では同居している家族や職場や大声を出す部活動の仲間や友人にうつしてしまうことはあるかもしれませんが、その他の多くの人にうつすことはほとんどないはずです。平均すれば、一般生活をしている人は、実効再生産数は、1以下だったのだと思います。
■政府の採用モデルと「目玉焼きモデル」の決定的な違い
政府が採用したモデルは、実効再生産数を一律に考えるものでした。国全体を平均した実効再生産数が1を大きく超えていたとすると、それが1未満に下がるまでは、国民全員に一律に自粛を求める対策です。
これに対して「目玉焼きモデル」は、実効再生産数を一律に考えないことが最大の特徴です。繁華街など実効再生産数が高い場所、実効再生産数が1くらいまでの場所、巣ごもりなど実効再生産数がゼロに近い場所などに分けて、ターゲットに合った対策をとっていくものです。
「目玉焼きモデル」の真ん中の黄身の部分は、繁華街など実効再生産数が高く、その周囲の白身の部分は実効再生産数が低いところです。真ん中へ行くほど実効再生産数が高くなり、外側へ行くほど実効再生産数が低くなり、一番外側ではほぼゼロになります。実効再生産数が高い繁華街の一部の店や高齢者施設などでは、重点的な対策が必要ですが、実効再生産数がそれほど高くない一般生活圏に入っている人には、できるだけ通常の生活を続けてもらえるようにしたいと思いました。
ただし、一般の人も一定程度は警戒しなければいけませんので、目玉焼きの少し外側に行ってもらう。それが「100分の1作戦」の実践です。
政府・自治体の緊急事態宣言による対策は、全国民を目玉焼きの一番外側の「巣ごもり」にさせるような対策でした。これでは、社会経済生活が破綻してしまいます。ターゲットを絞った対策をするためのイメージが「目玉焼きモデル」です。
全国どの地域でも、繁華街などの感染拡大箇所で重点的に対処し、一般の人にはある程度の自粛をお願いすれば、感染を抑えられることが示唆されていました。緊急事態宣言によって、全員一律の強い自粛要請を行なう必要はなかったのです。
感染症モデルによる「人と人の接触機会」の削減は、数字に基づく計算であって、ウイルス学を無視したものでした。「人と人の接触機会」を減らすことは、あらゆる手を尽くした後の最後の最後の手段です。何をやってもうまくいかないから、最終的に「人と人の接触機会」を減らすというのであれば理解できますが、最初から「人と人の接触機会」を減らすのは、間違っています。
■誤った政策をもたらす「欧米追従主義」
感染症には、地域的な特性を持つものがあります。例えば、ヘルペスのEBウイルスは、日本人にはあまりひどい症状を起こしませんが、アフリカの人たちが感染するとバーキットリンパ腫になる可能性があります。新型コロナウイルスの場合も、欧米では猛威を振るいましたが、アジア諸国では欧米ほどの状況にはなりませんでした。
ところが、日本は、欧米の対策をそのまま取り入れようとしました。背景にあるのは欧米追従主義です。日本の研究者や医師には、「欧米と同じようにやればいい」という考え方が根付いてしまっています。政策決定に関わる人たちも事なかれ主義で、責任をとりたがりません。日本独自の対策をして失敗すれば責任をとらされますので、「アメリカはこうやっている」「イギリスはこうやっている」ということを根拠にして、同じ対策をとろうとします。
その姿勢が色濃く出たのが初期の緊急事態宣言だったと思います。感染率はイギリスの26分の1、死亡率はイギリスの131分の1でしたが、イギリスと同じような対策をとろうとしました。イギリスの場合は、ロックダウンをしなければ感染者数は急激に下がらなかったのですが、イギリスでロックダウンをして下がってきたくらいの自然減(自然に感染が収まる)状態であった日本が、緊急事態宣言を出しました。前述したように、日本は、ある程度の自粛を求めるだけで、減少トレンドに入っていましたが、その点は考慮されませんでした。
■独自の研究は評価されない日本
そして、学問自体が欧米追従主義に陥っていることが日本の問題点だといえます。明治以降のキャッチアップ政策によって欧米に追いつくことはできましたが、その後は日本が欧米を引っ張って、新しいものをつくっていかなければなりませんでした。それをせずにずっと欧米のまねに留まっています。
特に、医学やウイルス学に関しては、ずっとその状態が続いています。日本独自の研究は、国内で高く評価されません。評価基準はすべて欧米基準で、論文が『ネイチャー』、『サイエンス』に出ることが素晴らしいという感覚が染みついています。確かに欧米基準にはよい点もありますが、欧米基準はあくまでも欧米の価値観が反映されたものです。
私の友人で、ウナギの新しいウイルスを発見した研究者がいます。ウナギが病気になって困っている人たちがいたため、ウナギを捕まえて調べたところ、未知のウイルスを発見したのです。ウイルスのデータベース上にもない、近縁種もいない、まったく新しいウイルスでした。
日本人の私から見れば、『ネイチャー』クラスの発見です。ところが、欧米ではウナギという生物にピンとこないようです。「ウナギのウイルス? なんだそれ?」という感じで、高く評価されなかったと聞きました。最終的にこの論文はウイルス学の専門誌に出ました。日本人にとっては、ウナギは重要な水産資源であり、高級品ですから、ウナギの病気を研究することは価値のあることです。しかし、欧米の人には、価値が低いと見られて、『ネイチャー』、『サイエンス』に載ることはありませんでした。
日本とは価値観が違うのに、日本の研究者たちは欧米の価値観で編集されている『ネイチャー』や『サイエンス』に論文が載ることが素晴らしいことだと信じ込んでいます。
■今のままでは、日本に最適の感染症対策はできない理由
世の中に新しい流れをつくっていくには、欧米の価値観に縛られるよりも、むしろ、欧米人が考えないことを研究したほうがいいと私は思っています。昔のガラパゴス携帯電話のようなものですが、研究というのは、そういうものです。
けれども、学術界においては、「欧米でやっていること以外はダメだ」という風潮が染みついてしまっています。日本の特徴といえるのかもしれませんが、欧米で出ている論文のデータを素直に信じる傾向があります。新型コロナウイルスに関しても、「欧米では、多くの若者が感染して、若者に後遺症が出ている」という情報を持ってきて、日本での若者の感染率や後遺症のデータについてはほとんど考慮しない状態でした。
日本の若者が感染して重症化した例は少なく、結果的に、後遺症になった人の割合も欧米ほど多くありません。それにもかかわらず、「若い人も後遺症が出る。若い人もワクチンを打たなければいけない」と言ってワクチン接種を若者にも促進しました。
論文には嘘は普通にころがっています。『ネイチャー』や『サイエンス』クラスのトップジャーナルであればあるほど、誇張や嘘が多い印象です。それらの論文ばかりを根拠にしているのは、間違いです。医学界がその姿勢を改めない限り、日本に最適の感染症対策はできないと思います。
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京都大学医生物学研究所准教授
1964年生まれ。東京大学農学部畜産獣医学科にて獣医師免許を取得後、同大学院で動物由来ウイルスを研究。東大初の飛び級で博士号を取得。大阪大学微生物病研究所エマージング感染症研究センター助手、帯広畜産大学畜産学部獣医学科助教授などを経て現職。
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(京都大学医生物学研究所准教授 宮沢 孝幸)
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