女医は東京へ…「地域でたった一人"365日働く"男性産科医」赤ちゃんも医師も不幸になる地方の惨状
プレジデントオンライン / 2022年5月10日 11時15分
■新生児死亡…主治医の責任は重いが、背景にあるのは
「ご遺族に対しまして取り返しのつかないことを引き起こしてしまいました。心よりお詫びを申し上げます」
石川県輪島市の市立輪島病院は5月6日、市長や病院長が記者会見でこう陳謝した。取り返しのつかないこととは、2021年6月、同病院の産婦人科医が不適切な診療を続けたことで、生まれたばかりの赤ちゃんが死亡したことだ(母親は健康を回復)。
記者会見によると「市立輪島病院に入院した妊娠35週の妊婦が、胎盤早期剝離という病気であることに気づかず主治医が有給休暇を取得し、休暇を切り上げて病院に戻った後も不適切な薬剤を投与し、『帝王切開を行わない』など間違った診療行為を続けた」とされ「赤ちゃんは仮死状態で生まれ、別の病院に搬送されましたが死亡」とのことである。
病院長によれば、市議会で市長が事故の経緯を説明し、遺族と5825万円余りの賠償金を支払うことで合意したという。
この会見で市は事故の背景のひとつに産科医不足を挙げた。奥能登2市2町の産科医は同病院の件の主治医1人だけだった。確かに、病院ホームページを確認するとこの男性医師1人のみで、非常勤医師の応援も見当たらない。2020年の分娩数は119件、3日に1度のペースで分娩があったことになる。
中日新聞によれば、「主治医は2005年夏から16年8カ月勤務。時間外労働は毎月10時間ほどだったが、急患や患者の出産に備え、休日も待機要員として病院の近くにいる必要があった。院長は会見で『医師に負担がかかっているのは事実。1~4月も夜の帝王切開による緊急手術が3件あり、ストレスがかかっている状態だ」と説明したという。
今回の主治医の対応は、後から考えれば不手際が多かった。ただ、その一方で、主治医が病院に“拘束”され、心から休むことのできない労働環境だったとも推測できる。
また、赤ちゃんの母親は「東京からの里帰り出産」と報じられている。地方の脆弱(ぜいじゃく)な医療体制を知らず、都市部の手厚い診療体制を期待していたが応えてもらえず、不満や齟齬(そご)をきたしていたのかもしれない。
■「妊婦に適切な処置せず、新生児死亡」と言われても
医療の現実として、「赤ちゃんの死亡」はゼロにすることは難しい。2020年の厚労省集計では、分娩数約84万に対して704人の新生児死亡が報告されている。2018年のWHO報告では、日本の新生児死亡率(0.09%)と極めて少なく、世界第2位かつG7トップであり、世界平均(1.86%)の20分の1以下である。
しかし、昭和時代には比較的身近だった「赤ちゃんの死」が、平成・令和時代には少子化と相まってほとんど見聞きしなくなってきた。そのためか、今回のような事件が発生すると社会は大きなショックを受け、「帝王切開すれば助かったはず」「医療事故だ」「赤ちゃんを返せ、できないなら賠償しろ」といった騒ぎになりやすい。
記者会見で市長は「標準的な医療が提供されていれば、母子ともに健康に退院できたはず」と述べた。これに対して医師である筆者は「去年の正月に貯金をドルに換えておけば、今頃25%は儲かったはず」発言のような違和感を抱かざるをえない。「常位胎盤早期剝離の場合、帝王切開でも助からないリスクはある」「事故が起きてからなら何とでも言える」と。
市長の主張はとてもそのまま受け入れられないが、他方で現場の苦境もよく理解できる。
現在、産科施設の中には、「わずかでも胎盤剝離の兆候があれば緊急帝王切開」という方針も増えているが、それはそれで患者側から「自然なお産を希望していたのに手術を強要された」「手術で儲けたくてすぐ帝王切開される」などの風評が立ち、SNSなどで拡散されるリスクも高いからだ。
■2006年産科医逮捕を経て今なお残る「一人医長」システム
日本の産科医療裁判といえば、2006年の福島県立大野病院事件がよく知られている。帝王切開中に癒着した胎盤の剥離に手間取り、大量出血の末に妊婦が亡くなった。執刀した産科医は逮捕・起訴されたが、約2年間の裁判を経て無罪に至った。
事件の背景にあるのが、輪島病院同様の「一人医長」というシステムである。お産は365日昼夜を問わずいつ発生するかわからないので心身を完全に休めることができない。一人の医師のみで分娩対応することは「一人でコンビニ店番」するようなもので、非常に過酷である。
この福島県での事件報道と同時に、「産科の時間外労働の多さ」「僻地病院の過酷さ」は全国に知れわたり、医学生の産婦人科志望者は激減し、小規模病院ではお産の取り扱いを終了する施設が相次いだ。そして、地方病院は辞めた産科医の後任を確保することは非常に難しい。6年前までは奥能登2市2町には産科医が3人いたが、退職が相次ぎ、輪島病院の男性産科医が最後の1人だったようである。
■「産婦人科は女医が良い」が当直・救急・地方勤務に課題
「産婦人科は女医のほうがいい」とはしばしば耳にする意見である。実際、産婦人科の女医率は上昇している。現状、「50歳以下」では女性が多数派であり、新人の7~8割が女医である(日本産婦人科学会員データより)。
しかしながら、女医は自らの妊娠出産を契機に、非常勤に転じる割合が高い。時間外労働の負担は数少ない男性医師に集中しがちで、2015年には男性産科医の過労死自殺ニュースもあった。近年では、出産後の女医も勤務を続けられるように「シフト制」などの勤務を導入する施設が増えているが、27人の産婦人科医が所属する日本赤十字医療センター(東京都渋谷区)など都市部に限られ、奥能登で同様のシステムを導入することは不可能である。
今どきの若手医師はワークライフバランス重視派が増えており、特に女医はその傾向が著しい。その一部には、「都市部のオシャレなクリニックで、平日の昼間限定で、生理痛や予防接種など軽症者のみに対応」もしくは「分娩当直・救急・重症・地方勤務などのハードな仕事はいたしません」といったタイプの女医も年々増加している。彼女たちは、俗に「ゆるふわ女医」と呼ばれる。
■2025年から女医急増は待ったなし
2019年4月、働き方改革関連法が始まり「時間外労働上限年720時間」「違反すると刑事罰の可能性」などの厳しい措置が施行されるようになった。
医師に関しては「5年間の猶予」が認められたが、2024年度までもう2年を切っている。2018年、東京医大の女性減点入試発覚を契機に、大規模な男性優先入試が減り、医学生女性率が上昇している。2025年からの女医率が上昇するのは確定事項である。
地方病院の産科医確保はさらなる冬の時代が続くだろう。
2019年、兵庫医科大学ささやま医療センター(兵庫県丹波篠山市)が「産科医2人では安全な分娩が不可能」として分娩休止の方針を表明した。お産を扱うということは産科医が少なくとも1人が常時病院に待機する必要がある。産科医2人で等分しても、1人当たり年間労働時間が4380時間以上となり、年2300時間以上の時間外労働が必須となる。そのための苦渋の決断だった。
ところが地元では反対意見が多く、説明会では「医師2人ではなぜ分娩ができないのか」「臨時的にでも助けてくれる医師を探すことはできないのか」などの質問が相次ぎ、市長は「(話し合いより)業務に専念して」と、議論はかみ合わなかった。結局、その後も応援医師は確保できず、2020年3月をもって分娩は終了している。
今回の輪島病院の新生児死亡の報道は、こういう動きを加速させるだろう。
■やはり「病院集約化」しかない
やせ細る一方の地方産科病院への最適な対応策は、集約化しかない。というのが筆者を含む医療の現場を知る者の総意だろう。特に人口100万人以下の過疎県では、地方の小規模産科を「一人医長」のような、過酷な労働環境を強いる“非人道的システム”で維持するのはもうやめるべきだろう。もし、募集したところで「一人医長」案件に応募する若手産科医など皆無であることは目に見えている。
むしろ県庁所在地に大規模産科施設を開設し、医師やスタッフを集約化するしかない。島根県松江市には隠岐諸島の妊婦が妊娠9カ月から滞在できる宿泊施設があるが、同様の安価な母子寮を併設して妊婦に提供すべきだろう。陣痛の救急車使用も解禁するか、あるいは行き先を病院に限定したタクシーチケットを妊婦に配布する。
医師を無理やり僻地に派遣しようとするから、東京に逃げてしまうのだ。むしろ県庁所在地に集めて、シフト制で子持ち女医でも持続可能な無理のない勤務体制を構築することこそが、過疎県が産科医師を確保する唯一の政策となるだろう。
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フリーランス麻酔科医、医学博士
地方の非医師家庭に生まれ、国立大学を卒業。米国留学、医大講師を経て、2007年より「特定の職場を持たないフリーランス医師」に転身。本業の傍ら、12年から「ドクターX~外科医・大門未知子~」など医療ドラマの制作協力や執筆活動も行う。近著に「フリーランス女医が教える「名医」と「迷医」の見分け方」(宝島社)、「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」(光文社新書)
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(フリーランス麻酔科医、医学博士 筒井 冨美)
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