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朝、台所でお漏らしした妻は夜までそこに素っ裸で転がっていた…「異常なし」と言い張る病院のお粗末対応

プレジデントオンライン / 2022年5月14日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fotodrobik

ギャンブル癖のある妻と離婚を決断した男性。だが、妻は体調不良になり、地元の総合病院で診てもらうと診断は更年期障害。症状が悪化したため、何度も検査を受けたが「異常なし」。その後、お漏らししたり、立てなくなったりしても「異常なし」。どう考えてもおかしいと判断した男性が大学病院へ妻を連れていくと――(後編/全2回)。
【前編のあらすじ】関東在住の庄司照章さん(仮名・50代)は、33歳のときに、2歳年下の女性と結婚。2年後には長男、さらに2年後に長女に恵まれ、穏やかに暮らしていた。ところが長女が2歳になった年、妻のギャンブルによる借金が発覚。庄司さんは話し合いや止めさせる努力を重ねてきたが、妻は数カ月〜5年ごとに借金を繰り返す。そのため庄司さんは、家族会議を開き、離婚を決意。しかし妻は、原因不明の体調不良を訴え、更年期障害と診断されるが、更年期障害とは思えない状態にまで、どんどん悪化していった。

■妻の異変

現在50代の公務員・庄司照章さん(仮名)は、49歳のときに家族会議をしたうえで離婚を決意したが、その後も特に変わった様子のない2歳下の妻に対して内心憤っていた。

庄司さんは日中の仕事に加え、妻が体調不良でますますやらなくなったため、家事まで一人でこなさねばならない。

一方妻は、しんどい様子ながらも仕事(スーパーのレジ担当)を続け、自分で病院を探しては、時々診察を受けていたようだ。胃がムカムカすると言って胃カメラを飲んだこともあったようだが、特に異常はなかった。

2018年3月。当時47歳だった妻は、更年期障害と診断された。庄司さんは年齢的にもそうなのだろうと思い、特に心配はしていなかった。

「この時にもっと妻の体を気にしてあげれば良かったです。原因不明の不調が続き、きっと不安だったろうと思います。当時の僕は、妻がどこの病院に通っていたのかも知ろうとせず、『ただの更年期障害だろ』と決めつけて、『借金があるんだから、しんどくてもちょっとくらい頑張れよ』くらいの気持ちしか持てませんでした」

7月。猛暑日が続く中、妻は横になっている時間が長くなり、時々仕事に遅刻するようになっていた。仕事が終わった後は、自宅の駐車場に止めた車の中で、朝まで寝ていたこともあった。

夏休みに入ると、子どもたちが小さい頃から習っている空手の大会に出場するため、家族で京都へ向かった。いつもは誰よりも大声で応援していた妻だったが、このときはただベンチに座り、ぼんやり試合を見ていた。

そんな8月初旬、庄司さんは妻が働くスーパーのチーフに呼ばれた。チーフの話によると、妻は最近、ほぼ毎回2〜3時間遅刻して来て、仕事が終わった後もすぐに帰らず、休憩室で休んでいるとのこと。「連絡なしで遅刻されるのは困ります。体調も悪そうだし、どこか大きな病院で診てもらってはどうですか」という。

庄司さんは謝罪し、妻にはしばらく仕事を休ませること、復帰後は勤務時間を短くしてもらうことを相談。チーフは承諾してくれた。

そして、地元の大きな総合病院の総合内科を受診。

妻は、血液検査と脳のMRIを受けると、医師からは、「特に異常なし」「更年期と夏バテのようなので様子を見るように」と言われ、8月末に再受診となる。

「この総合内科の医師からは、ずっと『異常なし』と言われ続けました。今、この病院の総合内科はなくなっています。もしかしたら評判が悪かったのかもしれません」

妻は勤務時間を短くして、仕事に復帰した。

■義母とのバトルと父親の脳梗塞

2018年の夏は、北海道に住む義母から庄司さん宛に何度か電話がかかってきた。当時はまだ妻は電話ができたため、義母は娘から離婚のことを聞いたようだ。

義母は庄司さんが電話に出るなり、「あなたが家のお金を管理しているのだから、娘が借金に手を出すのも、最近体調が悪いのも、全部あなたのせいよ! 離婚するなら慰謝料をがっぽりもらうから!」と怒鳴りつけた。

娘の体調が悪いことも知っているらしく、「ちゃんと病院に連れて行け!」と大声を出す。庄司さんは「大きな病院にも連れて行って、異常ないと言われています」と言い返した。

庄司さんは、事あるごとに妻が義母に自分の悪口を吹き込んでいると思い、妻に対してもいら立っていた。

9月。関西に住む庄司さんの母親から、「お父さんが脳梗塞で倒れて入院した」という連絡が入る。

人の頭の形の黒板にSTROKE(脳卒中)の文字
写真=iStock.com/designer491
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/designer491

実家から車で30分の距離に弟一家が住んでおり、この時も弟が入院の手続きなどをしてくれていた。少し前には、母親が右肩の手術をしたばかり。庄司さんは、母親の手伝いや父親の見舞いのために、1週間ほど実家に帰ることにした。

庄司さんは家を空けることを迷ったが、「子どもたちももう高校生と中学生。大丈夫だろう」と思った。

ところが、庄司さんが実家に帰った日の夜、娘がLINEで、「ママがおもらしした」と伝えてきた。トイレに行こうとしたが間に合わなかったようだ。娘の話では、妻はおもらしした場所に横になったまま、自分で片付けもせず、おもらししたことも気にしていない様子だったという。

その2日後は、「ママが夜、自転車で仕事に行こうとして転んで、救急車で運ばれた」と息子から連絡が入る。妻は、出勤しようとして転び、しばらく立ち上がれなかったらしく、近所の人が救急車を呼んでくれたようだ。庄司さんは、すぐに帰るべきか迷ったが、息子から、「ママはケガもなくケロッとしていて、これからママとタクシーで家に帰る」と連絡が来る。

「借金で僕の足を引っ張るだけでなく、自分の親の病気のために実家に帰ったときさえ邪魔をしてくるんだと思うと、妻に対して怒りがこみ上げてしかたがありませんでした」

■立てない

実家から戻ると、妻は入れ違いで「仕事に行く」という。庄司さんは車で送って行き、ついでに買い物をし、妻のレジに並ぶ。すると、妻は値引きをし忘れ、それを指摘すると別の商品を値引きしてしまい、モタモタ。

庄司さんは仕事終わりの妻を迎えに行くと、「しばらく仕事休みな」と言った。モタモタする様子から、「もしかして頭に異常があるのか? 若年性認知症かも?」と思ったのだ。

総合病院の再診の日、主治医はALS(筋萎縮性側索硬化症)を疑い、妻の腱反射を調べたが、異常なし。また1カ月様子を見ることに。

その頃妻は、家で頻繁におもらしするようになっていた。布団の上で横になっているが、体がだるくてなかなか立ち上がれないらしく、ぎりぎりになってトイレに行こうとするも間に合わず、途中で漏らしてしまう。

当時の妻は、体重80キロ以上。庄司さんや子どもたちは、なかなか立ち上がれないのは太り過ぎのせいだと思っていた。

ある朝、庄司さんが出勤しようと支度をしていると、妻が台所でおしっこを漏らした。時間がなかった庄司さんは、「自分で片付けられる?」と聞くと、妻が「できる」と答えるので、そのまま出勤。

夜、庄司さんが帰宅すると、妻は台所で、素っ裸で転がっていた。妻は、パジャマ代わりに着ていたTシャツを脱ぎ、おしっこを拭いたようだ。

キッチンシンク
写真=iStock.com/Toru Kimura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toru Kimura

「今思えば明らかに異常ですが、この期に及んでもまだ僕は医師の『異常なし』という言葉を信じていました。家族が今、原因不明の大変な病気になっているという発想がなかったのだと思います。妻はまだ受け答えは普通で、頑張れば自分で立って歩ける状態だったので、僕も子どもたちも、『漏らす前にトイレに行けよ』と思っていました」

庄司さんは妻に介護用パンツを提案。妻は抵抗せず、受け入れた。

■地面に横たわる80キロ以上の妻

しかし妻はだんだん、自分で立って歩くことも難しくなり、通院の際は、病院の車いすを借りて移動する。

次の通院の日、庄司さんは主治医に、だんだん立てなくなっていること、もしかしたら立ち方がわからなくなってきているのかもしれないということを話した。

しかし医師は、「脳のMRIも異常がない。だから立てるはず」と返す。何度訴えても話が通じないため、ついに庄司さんは諦めてしまった。

10月。庄司さんは妻を、精神科へ連れて行った。

認知症の検査を受けると、結果は30点中17点。20点以下が認知症の可能性が高いため、「認知症の疑い」となる。しかし医師からは具体的な話はなく、庄司さんも行動を起こさなかった。

10月後半、主治医は髄膜炎を疑い、血液検査をした。

当時、庄司さん一家は、エレベーターのない社宅の5階に住んでいた。そのため庄司さんは、通院などの外出時、いつも妻に肩を貸し、地道に階段を上らせていた。

しかしこの頃の妻は、予想以上に足の力が弱まっており、車から降ろす際、肩から滑り落ち、地面に仰向けに転がってしまう。庄司さんは途方に暮れた。地面に横たわる80キロ以上の人を、たった一人で立ち上がらせることは至難の業だ。

アパートの外階段
※写真はイメージです(写真=iStock.com/y-studio)

庄司さんが奮闘していると、近所に住む中年女性が、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。庄司さんは、「大丈夫です!」と引きつった笑顔で返事し、なんとか1階と2階の間の踊り場まで運んだが、そこでギブアップ。するとまた、「大丈夫? 職場に電話する?」と中年女性がたずねる。職場は社宅のすぐそばだ。庄司さんが申し訳なさそうにうなずくと、中年女性は「救急車も呼んだから」と言う。

数分後、救急車と職場の同僚が到着。救急隊員は担架を使い、妻を5階まで運んでくれた。

救急隊員は妻を布団に寝かせた後、意識状態を確認。帰り際、「こんなことでと思わず、困ったらいつでも呼んでください」と言ってもらえた庄司さんは、救われた気持ちだった。

来てくれた同僚たちにもお礼を言い、中年女性にもお礼をせねばと思ったが、どこの誰だかわからない。ダメ元で妻に聞いてみると、「1階の佐藤さん」とあっさり。この頃は、まだ頭はしっかりしていたようだ。庄司さんは後日、娘と一緒にお礼に行った。

■総合病院から大学病院へ

髄膜炎かどうかの結果が出る日。庄司さんは、登校前の息子に手伝ってもらい、妻を病院に連れて行った。しかし主治医は、「髄膜炎ではありませんでした。また12月に来てください」と定型句を投げかける。

庄司さんは、自分の耳を疑った。8月からずっと「異常なし」と言われ続け、妻の症状はどんどん悪化。もう素人目に見ても、「異常なし」なわけがないと思っていた。

「立てなくなって、オムツまでしているのに! 何とかしてください!」と庄司さんが言うと、医師はようやく、「では、大学病院を紹介しますか?」と言った。

庄司さんは、「紹介できるなら早く紹介しろよ」と思いつつ、「お願いします」と返答。

11月。紹介状を手に、車で2時間ほどの大学付属病院の神経内科を受診。脳のレントゲンや血液検査を終えると医師は、「ベッドが空き次第、すぐに入院してください」と言う。庄司さんは「やっぱり!」と思うとともに、とりあえずようやく何らかの病気であることが分かり、安堵を覚えた。

■脳生検手術と免疫治療

11月末。妻が大学病院に入院。

入院すると妻は興奮し、体を左右に動かす不随意運動をするように。しかし、1週間ほどで首を動かす程度に落ち着いた。

大学病院の主治医は、妻が「脳炎」であるか、「腫瘍」であるかを調べたいという。脳炎なら、自己免疫で炎症を起こしていて、腫瘍なら、悪性リンパ腫の疑いがあるとのこと。妻のMRIを見ると、脳の中心に近い部分と、脊髄の中(首、背中の部分)の広範囲が炎症を起こし、白く写っていた。炎症は徐々に広がっており、ステロイドで抑えられるものの、病気が腫瘍だった場合、一時的には小さくなるが腫瘍は残るため、ゆくゆくは命を奪うことになる。そのため、リスクはあるが、脳生検手術(手術で脳の一部を取り出して検査する)を受けた結果、「腫瘍ではない」と判明。

2019年1月。「脳炎」としてステロイド治療を行うことになり、わずかだが効果が出てきたため、病名は「自己免疫性脳炎の疑い」となる。しかし、治療の効果は芳しくない。主治医は再び腫瘍を疑い始め、「遺伝が原因の場合は、治せないかもしれない」とも言った。

病院のベッドから吊り下げられた尿袋
写真=iStock.com/gece33
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gece33

その頃、妻は話すことも、食物を飲み込むこともできなくなり、経鼻経管栄養を施された。また、主治医から延命治療についての話があり、庄司さんは、「回復の見込みがあればしてほしいが、ないならそのあたりまでにしてください」と答えた。

この頃、庄司さんは、「次来たときは、妻が目を開けないのではないか?」と不安だったという。庄司さんや子どもたちは、これまでにないほどに、妻に懸命に話しかけた。

その数週間後、妻の認知機能に改善が見られる。主治医の話では、口に食べ物を入れてみると、飲み込む様子があるという。

2019年3月。主治医は、血液の免疫の成分を培養して点滴で入れる「免疫グロブリン」という治療を始めたいと庄司さんに持ちかけた。本来、保険適用外の治療だが、保険が適用されるとのこと。しかし、もしその治療で後遺症などが出ても、それは保証されないとの説明を受けた。庄司さんは、できることはやってもらいたいと思い、その治療に同意した。

■両親との同居

2019年4月末、妻は療養型病院に転院。ここで3カ月ほど入院する間に、自宅介護の準備をする。

まず庄司さんは、引っ越しを考えた。今のままエレベーターのない社宅の5階では、到底介護できそうにないからだ。さらに、平日の昼間は庄司さんも子どもたちも家にいないため、妻を一人にさせてしまうことも課題だった。

そんなとき、関西に住む母親から電話があった。「マンションを引き払って、お父さんとそっちに行こうと思うけど、どう?」と言う。庄司さんが妻を自宅介護しようとしていることを知っての提案だった。

「妻の介護を母にやってもらうつもりはありませんでしたが、昼間、母が家にいてくれたら、妻が1人になることなく自宅介護できます。渡りに船でした」

2018年に脳梗塞になった父親は、その後リハビリにより、自宅で生活できるまでに回復。だが最近は認知症が進行し、直近の出来事を忘れてしまうよう。まだ自分のことは自分ででき、徘徊(はいかい)などはないものの、醤油を飲むことや、転倒することもあり目を離せない。庄司さんと同居するということは、長年払い続けたローンがやっと終わったマンションを手放し、住み慣れた土地を離れることになるが、母親はそれを厭わないほど、一人で介護をするのが不安になってきていたのだ。

庄司さんの子どもたちは、もちろん大賛成。しかし弟に連絡をすると、「母さん1人で2人の面倒を見るのは大変すぎる」と大反対。

どうやら弟は、庄司さんが妻の介護まで母親に丸投げするために、両親を呼び寄せると思っているようだった。庄司さんは、「母さんには平日の昼間、妻に何かあった時に連絡してもらったり、ヘルパーさんが来た時にちょっと応対してもらったりするだけだ」と何度も説明。だが弟は、「そうは言っても、結局母さんがやることになる」「どうしても同居するなら、父を施設に入れろ」と言うが、父親が承知するわけがない。

母親自身に決定を委ねると、あっさり同居が決まった。

■生きていてくれるだけでありがたい

妻は一時期胃ろうにしていたが、2019年8月にはミキサー食を食べられるようになり、最近は歯ぐきでつぶせるくらいのものが食べられるまでに回復。

「離婚まで考えましたが、そんなことを気にしていられないほど、とにかく必死でやってきました。朝は息子の弁当作り、昼間は仕事、夜は子どもたちの空手や習い事の送迎や食事の支度。学校や塾の面談も1人で対応していました。2018年末には妻の借金を完済しましたが、妻の医療費も増え、経済的にも楽ではありませんでした。妻が立てなくなってからは、妻をダンボールの上に乗せて、板の間を滑らせて運んでいました。ふと我に返ると、自分は何をやっているんだろうと思ったこともありました」

妻は2019年6月、50歳のときに身体障害者として認定された。庄司さんは今年3月、55歳で定年退職し、長男は大学2年、長女は高校3年生になった。

「介護のことは家族全員で共有するようにしていますが、中でも娘は良い相談相手になってくれています。私は妻の介護を始めて、最初は大変だとは思いましたが、作業としては慣れました。妻の場合、もう家族のこともよくわからなくなっているので、感謝されることはありません。でも、毎回食事のときに『おいしい?』と聞くと、うなずいてくれるだけでうれしく思います」

2021年12月に大学病院を再診した妻は、髄液からGFAP(グリア細胞繊維性酸性タンパク質)と呼ばれる物質の抗体を調べると、「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」(※)という病気であることがわかった。ステロイドによる治療が中心で特別な治療があるわけではなかったが、庄司さんは「病名が確定できただけでも進歩」と思った。

※2016年、米国の医療チームが、抗GFAP抗体が陽性となる新たな中枢神経系炎症疾患を、「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」と提唱。

現在、庄司さんが妻を自宅介護し始めて約2年半になるが、ほぼすべてを庄司さん1人で担っている。家事も、70代後半の母親だけにやらせることなく、庄司さんと分担している。和解した義母は、「娘のために苦労をかけて申し訳ない」と言ってくれている。

「私自身は、妻がこの病気になってからよりも、妻の借金がひどいときのほうが、精神的に追い詰められていました。借金をやめるやめないは妻次第ですが、介護は自分が頑張れば済むことだからかなと思います」

主治医によれば、この先妻は残念ながら、「少しずつ悪くなっていく」とのこと。だが庄司さんは、「生きていてくれるだけでありがたい」と話す。

とはいえ、今は庄司さんが健康だから良いが、庄司さんや同居している両親に万が一のことがあった場合に備えておかないと、子どもたちにしわ寄せが行く。

介護は、後手後手になると疲労感が増す。介護者が感じる幸せややりがいと、つらさや苦しさのバランスが取れている間は良いが、崩れたときに向けて、いかに備えておくかが重要だ。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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