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高齢者と女性と子供だけ…過去最悪のペースで増えるウクライナ難民をハンガリーが受け入れている理由

プレジデントオンライン / 2022年5月17日 11時15分

ブダペスト郊外の駅に到着したウクライナ難民たち。このあと、バスで市内の一時収容施設や知人宅などに移動する。 - 撮影=増田ユリヤ

今年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻によって、これまで600万人以上が難民として国外に脱出している。これは第2次世界大戦以降で最悪のペースだという。ウクライナの難民問題はこれからどうなるのか。ハンガリーでウクライナ難民に直接取材した増田ユリヤさんに、池上彰さんが聞く――。(連載第1回)

■お金も取らずに、自宅に泊めてあげる人も

【増田】3月下旬からハンガリーへ取材に行って、ウクライナから避難してきた人たちに会ってお話を聞きました。私が取材に行った時点で、ハンガリーはおよそ39万人のウクライナ人を受け入れていました。現在は57万人を超えています。

私が取材に行ったときは、国境に2カ所のゲートがあって、マイクロバスや大型のワゴン車が一度に10人から15人を乗せて往復していました。減ってきたとはいえ、1日200人ほどが入国するそうです。

ポーランドへ逃れるウクライナ人には定住を考える人たちが一定数いますが、ハンガリーに来る人たちの多くにとって、ここは通過点です。ドイツやイタリアを目指す人もいれば、中にはクロアチアに行くつもりだと言っていた家族もいました。ポーランドに入国を希望する人たちが殺到して手続きに時間がかかると聞き、比較的入りやすいハンガリーを目指してきたと言う人もいました。

といっても、ウクライナ難民の支援は、ハンガリー政府が積極的に行っているわけではなく、基本的に民間の人道的な活動です。ウクライナから列車で避難してくる人たちの終着駅は、最初は首都の中心地にあるブダペスト西駅でした。ところが、理由はさだかではありませんが、政府が突然、郊外の駅に終点を変えてしまったので、そこからバスで中心地に移動することになりました。

ブダペストの市民の中には、隣国ウクライナ出身の人たちもいて、見ず知らずのウクライナ人でも、行き先が決まるまでの間、お金も取らずに、自分の家に泊めてあげている人もいました。母国の危機にいてもたってもいられない、できることなら何でもお手伝いしたい、と言っていましたね。

■ツインベッドにシャワールームとトイレ、温かい食事にお茶

【増田】ドナウ川の近くには、企業の保養所がたくさんあって、難民の一時収容施設にと貸し出してくれていました。ツインベッドにシャワールームやトイレも備えたホテルのようなつくりで、清潔感もあり、ゆっくり休める環境です。

滞在中は、運営に当たっているNGOのスタッフが、それぞれの人たちの相談に乗ってくれたり、移動する車の手配をしてくれたりしてくれます。食堂では、温かい食事もふるまわれますし、好きな時間にお茶を飲むこともできます。多くの難民は、1~2日間程度ここに滞在して、疲れ切った身体を休め、また次の目的地を目指して移動していくそうです。

難民の人たちに、むやみにカメラは向けないつもりだったのですが、中には顔を出してインタビューに答えたいという人もいました。国境近くの救護施設で出会った女性は、小さな男の子を連れてキーウの近くから来たと言っていました。「これはテレビゲームではない。現実に私たちがこれほど大変な思いをしていることを、世界中にわかってほしい」というお話でした。彼女は、小さい子どもと自分しか逃げて来られなかったんです。「健康に問題はないけれども、国外に親戚がいるわけではないし、行き先の当てが全然ない。これからどうしていいかわからない」と途方に暮れていました。

クロアチアを目指していると話してくれた家族は、障がいのある小学生の男の子を連れていました。クロアチアには、障がいのある子を受け入れてくれる施設があるという情報をネットで見たので、知人も誰もいないけれど、クロアチアを目指して行くということでした。

■シリア難民のときとは違う…周辺国が親身に受け入れる理由

【池上】シリアやアフリカから100万人を超える人たちがヨーロッパへ押し寄せた2015年と比べて、それほど混乱が見られません。

【増田】難民問題を長く取材してきましたが、ウクライナからの難民はポーランドだけですでに330万人。2015年のドイツが受け入れた難民の数はおよそ100万人ですから、欧州難民危機をはるかに上回る人数です。しかし今回違いを感じたのは、隣の国に住んでいて、同じような文化や生活習慣で似たような言葉を使う人たちが自分の国に入ってくるのは、あのときとは違うんだなということです。

宗教も同じキリスト教だから受け入れやすい。隣国で暮らす親戚を頼るウクライナ人も、結構います。オーストリア=ハンガリー帝国時代(1867〜1918年)は、ウクライナ西部はハンガリーの一部だったので、ウクライナにはハンガリー系住民が住んでいますし、ロシア軍の侵攻前からポーランドには100万人以上のウクライナ人が住んでいました。

それにゼレンスキー大統領は、18歳から60歳の男性の出国を禁止しています。つまり難民の多くは、お年寄りと女性と子どもなんですよね。

もうひとつ感じたのは、以前に取材したシリアからの難民とは違って、ウクライナへ帰りたいと訴える人が多かったことです。ロシア軍が撤退してもキーウへ帰るのはまだ早いと言われても、「危ないとわかっているけど帰りたい」という声をたくさん聞きました。

マリウポリから逃げてきた母子。ドナウ川沿の保養所に一時滞在し、次にどこへ移動すべきか、スタッフと相談をしていた。
撮影=増田ユリヤ
マリウポリから逃げてきた母子。ドナウ川沿の保養所に一時滞在し、次にどこへ移動すべきか、スタッフと相談をしていた。 - 撮影=増田ユリヤ

■難民が「定住して働いて生活する」となると出てくる問題

【増田】ただし、ウクライナとロシアの戦闘が膠着(こうちゃく)し、停戦が見通せないなか、長期にわたり帰国できない可能性もあります。定住して働いて生活するとなれば、別の問題になります。難民を受け入れる条件は、国ごとに違います。ウクライナがEU(欧州連合)の加盟国ではないことも、影響してきます。

パスポートを持っていない人も多いようで、マリウポリの近くから来たと言う母子は、「春にエジプトへ旅行に行こうと思って生まれて初めてパスポートを申請したのに、発給が間に合わなかった。初めて国外へ出るのがこんな形になるなんて、思ってもみなかった」と話してくれました。ウクライナはそれほど豊かな国ではありませんから、海外旅行は一般的ではないのかもしれません。

イギリスがEUから離脱する際、ポーランドからたくさんの人が出稼ぎに来て仕事を奪われるというのが、理由のひとつでした。そのポーランドへ出稼ぎに行くのがウクライナ人ですから、いかに経済格差が大きいかわかります。

【池上】周辺国への避難が長期化すれば、食料の問題もでてきます。今はポーランド、ハンガリー、ルーマニア、モルドバなど、決して豊かとは言えない国々の人々が、善意で難民を支援していますが、長引けば世界食糧計画(WFP)による食料援助が必要になります。

WFPは、ウクライナ侵攻を経て毎月の運営コストは7100万ドル(日本円で約89億円)増加すると予想し、深刻な食糧不足に陥っているナイジェリア、南スーダンやイエメンへの食料の配給を削減しています(「国連WFP」HPより)。なんともやりきれません。

■「野党が勝てばロシアと戦争になるぞ」

【池上】ハンガリーでは、4月3日に総選挙が行われましたが、現地の様子はどうでしたか。

【増田】ハンガリーは、EUとNATO(北大西洋条約機構)に加盟している国の中で異端児です。オルバン・ヴィクトル首相は強権でロシアのウラジーミル・プーチン大統領と親しく、政策は親ロシア的です。EUがロシア産の石油の輸入を年末までに禁止することを決めましたが、ロシア産エネルギーに対する依存度の高いハンガリーは反対していました。

ウクライナへの軍事侵攻に関しては、双方から距離を置いています。ロシアを非難しつつウクライナへの支援は行わず、欧州諸国の兵器を自国経由でウクライナへ運ぶことも拒否しています。

事前の選挙予測だと、6党の野党が連合して与党と拮抗(きっこう)しているという情報だったので、総選挙の結果でオルバン政権がどう変わるのか気になって取材に行きました。選挙スローガンは、与党が「平和か戦争か」。野党は「東か西か」という対立軸でした。オルバン政権の主張は「野党が勝てばロシアと戦争になる」。野党側は「自分たちはローマ帝国が東西に分裂したとき以来、歴史的に西側のメンバーだ」という主張でした。

結果は、与党の「フィデス・ハンガリー市民連盟」が2議席伸ばして135議席。全199議席の3分の2を占めました。野党連合は8議席を失って56議席にとどまり、政権交代は実現しませんでした。戦争に関わらない姿勢が評価されて、オルバン政権が信任を得た形です。

■「ロシアと戦争になる」と言われるとよみがえる66年前の記憶

【増田】ハンガリーはウクライナと違ってNATOに加盟しているので、もしロシアが攻撃してきた場合、NATO加盟国は防衛する義務があります。そう簡単にはロシアは攻めてこないでしょう。でも、ウクライナを応援したらロシアと戦争になるよと言われたら、1956年のハンガリー動乱の記憶を思い起こしてしまう人が現在もいるのです。

1956年のハンガリー動乱で、ソ連は大量の戦車と装甲車を首都ブダペストへ送り込んで民主化運動を制圧しました。ワルシャワ条約機構(東ヨーロッパ諸国がNATOに対抗して作った軍事同盟)からの脱退と中立を表明したナジ・イムレ首相をはじめ、数千人が殺されたんです。今回の取材でも「私はもう二度と、戦車が入ってくるのは見たくない」と語る高齢の女性の話も聞きました。

1956年10月、ハンガリー・ブダペストで道路のバリケードを撤去しようとするソ連戦車。
1956年10月、ハンガリー・ブダペストで道路のバリケードを撤去しようとするソ連戦車。(写真=CIA/パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

「あのとき、どこの国も何もしてくれなかった」と怒る女性もいました。「アメリカだって、私たちに何をしてくれたの? 今回ウクライナに対しては、みんなが支援している。そこが大きく違うわ」と。逆に、あんな経験をした自分たちだからこそ、ウクライナを助けなければと考える人もいます。街角でインタビューをした、元高校のロシア語教師は、ウクライナ語の辞書を抱えて駅へ行って、通訳のボランティアをしたと言っていました。

■ハンガリー語が話せるルーマニア人…複雑に入り組む民族

【増田】今回の取材でお世話になったのは、トランシルヴァニア出身の男性カメラマンです。ドラキュラの故郷として有名なルーマニア北西部にある地方ですが、現在のルーマニアの一部はハンガリー領だった時代があるので、ハンガリー語のできる人たちがいるんですよね。彼とその家族は、ハンガリー語を話せたので、チャウシェスク政権(1965〜1989年までルーマニア共産党政権のトップに君臨した独裁者)を嫌って、家族でブダペストに移り住んだと言っていました。

ヨーロッパではさまざまな民族が複雑に入り組んで暮らしていて、今回の戦争もロシア対ウクライナという単純な構図ではないことがわかります。ロシアが侵攻したドンバス地方は石炭や鉄鋼石の産地で、働くためにロシアから移住してきた人たちがたくさんいます。彼らの多くは、ウクライナに対する郷愁も、ロシアに対する郷愁もないといいます。

勢力図の変化や歴史的な経緯で国境が変わるという現実は、島国の日本に住む私たちには理解しがたいものです。しかし、それに対して抵抗感をもつ人がいることは推察しなければいけません。今回の取材では、近現代史の教科書で勉強してきた事実が、現実として一つひとつ理解できる感触がありました。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。

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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。

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(ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=石井謙一郎)

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