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「プーチンがいなくなれば戦争は終わる」そうした発想ではロシアの戦争は絶対に止められないワケ

プレジデントオンライン / 2022年5月25日 10時15分

ウクライナのホストメルにあるアントノフ空港で清掃作業が続くなか、航空機格納庫にいたウクライナ兵=2022年5月5日 - 写真=AA/時事通信フォト

ロシアとウクライナの戦争はどうすれば終わるのか。慶應義塾大学の前野隆司教授は「『プーチンはひどい』『ロシアは理解できない』と突き放してしまうと、問題は解決できない。問題解決のためには、相手の立場について考え、対話を重ねるしかない」という――。

※本稿は、前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■人類は理想の平和に向かって歩む、と思っていたが

1962年に生まれたわたしは、若い頃、「第二次世界大戦後に生まれて本当によかった」と思っていたことを覚えている。戦争のないバラ色の世界。1975年にはベトナム戦争が終結し、1989年にはベルリンの壁が崩壊した。

「ついに人類は理想の平和へ向かって歩んでいる」。そんな希望があった。

もちろん、その後も悲惨な紛争や内戦はいくつも起きていたが、少なくとも第三次世界大戦が起こることを想像する機運はなかった。

だが、去る2017年、民主主義国家アメリカで、民主主義を破壊するような言動を繰り返すトランプ大統領が誕生したことはショッキングだった。

多くの惨禍を経験した人類はもはや愚かではなく、少なくとも民主主義の強国において扇動的な指導者が代表に選ばれることなどあり得ないと思っていたら、いとも簡単にかつ民主的に選ばれてしまったのだ。

この暴君が選ばれる過程を見ていると、アドルフ・ヒトラーが首相に選ばれた過ちが実は現代の世界でも簡単に再現できることに対し、恐怖を感じたものだ。

■アメリカも中国もどこへ向かうのか

トランプは2020年の大統領選に敗北し、わたしもひとまず胸を撫(な)で下ろした。だが、落選後にも暴論を繰り返し、それによって支持者の議事堂襲撃という民主主義の根幹を揺るがす事態を引き起こしたのには、閉口するばかりである。

また、国内総生産世界第2位の中国が、共産主義国家なのか、専制政治なのか、独裁政治なのかは、今後も注視していく必要がある。

少なくとも現時点で、企業活動に国家が介入したり、個人の権利を制限したり、ウイグル自治区で悲惨な人権侵害を行っていたり、周辺の各国と領土紛争を引き起こしているなど、「人民が共に和する国」とは言い難い。

着々と軍備を拡張しつつある中国の国内総生産が10年以内に世界一になるという予測を見ると、新冷戦構造がどこに向かうのかは予断を許さない。

■人類はいまも愚かで、まったく進歩していなかった

そして、ロシアはウクライナに侵攻した。「プーチンはひどい」というのは簡単だが、彼個人の問題ではない。かつてスペインもイギリスもドイツも日本も行った侵略が、過去のものではないことを思い知らされたのが現代である。時計は思いのほか簡単に巻き戻された。

世界大戦は、過去ではなく、未来かもしれないのだ。

日本にも、諸国との紛争の種がある。仮に戦争にまで発展すると、多くの犠牲者が出ることになるだろう。そう、はじまりは簡単なのだ。台湾海峡、南シナ海、尖閣諸島、竹島領海周辺、あるいはそのほかの紛争地域で偶発的に衝突が起きることも十分に考えられる。

子どもの頃のわたしには想像できなかったような、戦争の危機を身近に感じられる時代がやってきたのだ。

ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、中国をはじめ専制主義が世界中で拡大し、欧米などの民主主義国でも暴動や激しいデモが頻発し、人々の心は荒(すさ)んでいる。

世界が分断されるなか、日本は“とりあえずの安心安全”のためにアメリカに追従するしか当面の選択肢はないように思える。

わたしはそんないまの世界の状態を見ていると、絶望感を抱かざるを得ない。ほんの30年前、冷戦終結時には想像もできなかった、生きているのが悲しくなるような時代――。

人類はいまも愚かだった。実はなにも進歩していなかったのだ。

■現在の世界は両極化する「ディストピア禍」

一方、現代社会はかつてないほどつながっている。

現代とは、テクノロジーの発展によってほぼすべての国と地域がグローバルにつながり、経済的にも文化的にも互いに影響を与え合う社会である。だから大戦は起きないという人もいる。

しかし、人類は本当に賢いのだろうか。

自国中心主義・自分中心主義に陥ったアメリカ大統領を支持したアメリカ人が何千万人もいたことを思い出すと、人類はそんなに賢くないと考えるほうが賢明であろう。

世界中の人たちがつながり、より良い平和な世界を求める活動や言論が、施政者も無視できない力を持ちはじめたことも事実だが、それを阻止しようとする勢力が巨大化していることもまた事実だ。

つまり、世界は両極化しつつある。

中心が希薄化したから、バラバラのカオスになりつつある。

これまで中心にあった価値観(民主主義、資本主義、成長主義、個人主義など)に綻(ほころ)びが生じたから、両極から引き裂かれそうになっているディストピア禍なのである。

■現代に必要なのは、他者を想像する力

ディストピア禍において、つながりや利他の精神を築き、より調和的な世界を目指すためには、まず「他者を想像すること」が極めて重要なアプローチとなる。

他者の立場やその苦しみ、痛み、喜びを想像し、自分たちとは異なっていてもそれを尊重すること。そんな人間本来が持つ「想像力」こそが、いま求められる力なのではないだろうか。

■「日本人や中国人のことは理解できない」

かつて、あるアメリカ人の大学教授と話していて、わたしは大きな違和感を覚えたことがあった。

彼が「日本人や中国人のことは理解できない。それは仕方ないことだ」といったのだ。わたし自身の感覚では、中国人の気持ちも(日本人の気持ちほどではないとしても)理解できるし、興味や関心を持って学んでいるから、異なる文化圏に生きるアメリカ人の気持ちもわかる。

しかし彼は、(知識人であるにもかかわらず)はっきりと「あなたたちのことはわからない」と述べたのだった。

わたしはこのとき、彼がなぜ他者を「わかろうとしない」のかが理解できず、とても不満に思ったのを覚えている。

似たような話はほかにもある。

イスラム過激派組織ISILのジハード(自爆テロ)の話をすると、多くの欧米諸国人は「わけがわからない!」「理解できない!」と吐き捨てる。

そんなあり方は、相手の立場や主張を想像することを安易に放棄し過ぎていないだろうか?

もちろん、わたしも自爆テロのような殺戮(さつりく)が「正しい行い」だとは思わないし、殺戮はなくなるべきだと考えている。だが、相手に対して冷静に敬意を表し、状況の意味を理解してから意見を述べるべきだと主張したい。

イスラム教の聖典には、「アッラーのために殉死した者は天国へ行ける」と書かれている。

キリスト教の十字軍などの迫害を受け続けた歴史を持つイスラム教徒(イスラム教原理主義者)の一部が、アッラーの教えを心から信じた結果、命を賭して戦おうと決断する論理は理解できないだろうか。

憎き異教徒に復讐(ふくしゅう)し、聖典に書かれていた通り、英雄となって天国に行きたいと思う人々のことを想像できないだろうか。

モスクで祈るイスラム教徒
写真=iStock.com/mgstudyo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mgstudyo

■対話ではなく、対立が深まっているワケ

それぞれの主張を肯定し、共感しようといっているのではない。

逆の立場でもいえることだが、相手の立場について考える想像力と理解力を持つべきだといっているのだ。

他者のことを「想像もできない」のは、あまりに相手の立場を顧みない、人と人とを分断へ導く思考ではないだろうか? そこに問題があると、わたしは思うのだ。

日本人にもこうした態度を取る人は少なくない。世の中を見渡せば、ネット上の中傷行為や学校でのいじめ、職場でのハラスメントなど、相手の人格を尊重しない言動が溢(あふ)れている。隣国との歴史問題も、対話が進まず悪化が止まらない状態である。

「あの国は理解できない」「あの国は世界の常識が通用しない」といって呆(あき)れ返る自国中心主義的な態度は、文化相対主義(※)から見ると、想像力に欠けている。

そうではなく、互いの立場を想像したうえで、「なるほど、立場が違うから意見も変わるのだ。ならばどうすれば距離を縮められるのか」と考えてみようではないか。

※諸文化をそれぞれ独自の価値体系を有する、対等な存在として捉える態度、考え方。各文化は個々の自然・社会環境への適応を通じてかたちづくられたもので、それ自身の価値を有し、互いに優劣や善悪の関係にないとする。文化の多様性を容認して異文化間の相互理解を促し、人類学の基本倫理となってきた

■「許し、信じ、対話する」以外に手段はない

そのためには、相手のことをきちんと想像し、互いに過去を「許し合う」ことがポイントになる。昨日の殺戮を許そうといっているのではない。過去の遺恨を手放すべきである。

前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)
前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)

要するに、「目には目を、歯には歯を」という「復讐の本能」を理性で抑えるべきなのである。しかも、無理やり押さえ込むのではなく、「自然に」である。「憎い相手を許すなんて難しい」という気持ちも理解できなくはない。しかし、復讐の連鎖は誰も幸せにしないではないか。

キリスト教は愛の宗教といわれている。新約聖書には「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」と記されている。簡単にいえば、「敵であっても許しなさい」と書かれているのである。キリスト教徒も、そうでない人も、その原点に戻るべきだ。

そうして相手を想像し、許したあとは「対話」することだ。相手のことを信じて、好奇心を持って対話する。

身近な例を挙げるなら、2022年現在、日韓関係は戦後最悪の状態といわれる。この問題もお互いを許すべきだ。必要なら謝るべきだ。どちらかに100パーセント非があると考えるのではなく、お互いの行き過ぎや言い過ぎを反省し合い、許し合うべきだ。

韓国のカルチャーが好きな日本人は、韓国について好奇心を持って理解できるだろうし、ねじれた歴史問題も、相手を信じて時間をかけて対話すれば解決に向かうだろう。

逆に、日本に関心を持つ韓国人が日本人と接してはじめて、自国の反日教育はやり過ぎだと気づいたという話は少なくない。

この問題は簡単ではないが、あきらめないことだ。許し、信じ、対話することからすべてははじまるのである。

カオス化する世界のなかで、多様な価値観を持つ人々がつながり合うためには、許し、信じ、対話することからはじめる以外に解決策はない。

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前野 隆司(まえの・たかし)
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授
1962年山口県生まれ。84年東京工業大学工学部機械工学科卒業、86年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社。慶應義塾大学理工学部教授、ハーバード大学客員教授等などを経て、2008年慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。11年同研究科委員長兼任。17年より慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。研究領域は、ヒューマンロボットインタラクション、認知心理学・脳科学、など。『脳はなぜ「心」を作ったのか』『錯覚する脳』(ともに、ちくま文庫)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社現代新書)など著書多数。

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(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授 前野 隆司)

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