利益より出世…大企業病に陥ったキリンで大ヒット「一番搾り」を生んだ39歳天才マーケターの突破力
プレジデントオンライン / 2022年5月25日 12時15分
※本稿は、永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■スーパードライという核弾頭
キリン「一番搾り」の開発が始まったのは、89年1月だった。
開発を担当したのは、新商品開発を専門とするマーケティング部の第6チーム。そのリーダーに当時39歳だった前田仁が就いた。
73年にキリンに入社した前田は、営業などを経て、新商品開発を担当するマーケティング部へ異動し、一風変わったビール「ハートランド」などを手がけた。
当時、ビール業界では、87年3月に発売された「スーパードライ」が群を抜く大ヒット。アサヒの快進撃の最中だった。
「スーパードライ」の勢いを何としても止めなければならない。
そのための新商品として、「一番搾り」の開発がスタートする。
前田はまず、社内の優秀な人材を、部門の垣根を越えて集めることから仕事を始めた。入社5年目で名古屋工場醸造課に直近まで勤務していた舟渡知彦(84年入社)ほか、その後キリンの中核を担う人材が集結する。
「一番搾り」の広告は電通が担当したが、その電通側の人選すら、前田がやったという。
プロジェクトに参画した電通は、すぐ次のような提言を行った。
「アサヒはスーパードライという核弾頭で戦っている。一方、キリンには小さな武器しかない。キリンにも核弾頭が必要だ」
「核弾頭」とはいかにも大げさだが、こうした単語のチョイスが当時のビール商戦の激しさを物語っている。
ちなみに「スーパードライ」でアサヒが使ったのは博報堂である。こうしたところにもキリンとアサヒのライバル意識が垣間見える。
■一言多いリーダー
「舟渡、出かけるぞ」
前田はよくそう言って、オフィスを抜け出していたという。
「オフィスにこもっていても、いいアイデアは出ない。それよりも、いろんな情報を集めることが大切だ。情報は待っていてもやってこない。こちらから出かけて集めるんだ。プロデュース力と発信力のある人には、良質な情報が集まっている。そういう人を探して会いに行くようにしろ」
移動のタクシーや地下鉄の中で、前田は一回り若い舟渡にそうアドバイスしていたという。
舟渡は滋賀県大津市生まれで、京都大学農学部農芸化学科を卒業後、キリンに入社している。前田のチームに来る前はずっと工場で作業服を着て働いていた。測定器のメーターを睨みながら、発酵の状態を日夜管理するのが仕事だった。
だが、いまはスーツを着て、東京でマーケティングの仕事をしている。これで戸惑わないほうがおかしい。
舟渡から見ると、前田はスーツの着こなしもスマートで、カッコいい上司だった。ビアホール・ハートランドの店長として人前に立った経験からか、前田は見られることに慣れているようだった。
相手が大物でも、前田は自然体で接していた。もちろん最低限の敬語は使うが、過剰にへりくだることはなく、ニヤニヤしながら軽妙な返事をしていたという。技術系の舟渡はこうした前田の振る舞いに最初は驚いた。
もっとも、前田がずけずけものを言うのはいつものことだった。キリンの社内でも前田は怖いもの知らずで、ストレートな物言いをしていた。役員クラスを相手にしても、前田は一切忖度しなかった。
舟渡が一番驚いたのは、むしろそうした社内での振る舞いのほうだった。前田はチーム内の会議で「あんな考えのオッサンがいるから、キリンはダメなんだ」と、会社幹部を名指しで批判し、平然としていたという。
舟渡はそんな前田を頼もしく思う一方、「前田さんの振る舞いが面白くない人もいるに違いない」と心配になったという。
前田は舟渡にこう言っていたという。
「自分はマーケティングの素人だからと、遠慮することはない。技術者目線で気づいたことは必ず伝えるように」
前田はメンバーの専門性や個性、人間性を大切にする上司だった。
「一言居士(いちげんこじ)」の前田の後ろ盾になったのは、マーケティング部長を務めていたのは桑原通徳だった。前田が信念を貫けたのも、桑原のおかげという面があった。
しかし、ビアホール・ハートランドの桑原は常務取締役となって大阪支社長に就任、マーケティング部を離れてしまう。桑原が大阪に行った以上、前田も少し自重したほうがよかった。だが、前田は、従前と同じストレートな言動を貫いていた。
■前代未聞の社内コンペ
「スーパードライに対抗する大型定番商品は、いまのキリンに必要不可欠である。よって、企画部でもマッキンゼーとともに大型商品を開発する」
突然、企画部からこのような提案がなされた。
もちろん新商品開発はマーケティング部の仕事である。企画部の仕事は、組織・業務改革、会社全体の予算管理、そして戦略立案など。その企画部が、本来は黒衣(くろこ)のはずの外部コンサル会社マッキンゼーを巻き込み、具体的な商品開発を始めるという。キリン社内に波紋が広がった
「80年代のキリンは、外部のコンサルが大好きでした。本社のスリム化、販売組織の変更、成果型の人事評価システム導入など、社内改革にコンサル会社を使っていました。中でも特に食い込んでいたのがマッキンゼーでした」
キリンOBの元幹部はこのように証言する。
そうした社内事情が影響したのか、企画部の前代未聞の提案は、通ってしまう。
前田のマーケティング部第6チームと、企画部およびマッキンゼー混成チーム、両者を競争させ、どちらか一方を採用するということになったのだ。
ちなみに、企画部とマッキンゼー混成チームの名称は、DBS(デベロップメント・ビア・ストラテジー)。ビール商品戦略の一環として、大型新商品を開発するというつもりだったようだ。
■「ラスプーチン」あらわる
当時、キリンの商品開発は迷走が続いていた。
88年に発売したドライビールは思うように売れなくなっていた。
89年2月から4月にかけて4つの新商品を立て続けに発売し、これを「フルライン戦略」と銘打って商戦に臨んだが、いずれも不発だった。
相次ぐ新商品の失敗により、この年(89年)のキリンは22年ぶりにシェア50%を割り、48.8%で着地。凋落ぶりを印象づける結果となる。
さて、「DBSチーム」を動かしていたのは、企画部のある最高幹部だった。人呼んで、「キリンのラスプーチン」。
キリン社内では「切れ者」「策士」と評される人物だが、「米欧への出張に料金の高いコンコルドを使う」
「他人の手柄を平気で横取りする」
「『天皇』と称された本山(英世)社長に取り入って、虎の威を借りている」
など、悪評も多い人物だった。
その「キリンのラスプーチン」は、ウイスキー関連の子会社キリン・シーグラム(現在はキリンディスティラリー)への出向から、本社に戻ったばかりだった。
それにしても「ラスプーチン」とは相当な言われようだ。よほど反感を買っていたものと思われる。
■巨大組織に巣くう魑魅魍魎たち
ただ、悪評を立てられる幹部は、この人物だけではなかった。そこに当時のキリンが抱えていた「闇」がある。
キリン社内では見えない劣化が進んでいた。まるで古い家をシロアリが食い荒らすかのようだった。
「当時のキリン本社には、腹黒い幹部がたくさんいた。まさに魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)の巣窟だった。
全盛期しか知らない彼らは、業績の下降局面では役に立たなかった。むしろ保身と権力闘争に明け暮れ、会社の業績に悪影響を及ぼしていた」
「資産家のドラ息子が、財産を食い潰すのを見ているようだった。不思議なことに、そういうドラ息子のほうが出世していた。会社のために一生懸命働く、孝行息子タイプの人材ほど遠ざけられていた」
当時を知る関係者は、こぞってそう証言する。
社内が腐敗していても、業績が安定している間は、問題が露呈しにくい。ただ、その状況を決定的に変えてしまったのが、「スーパードライ」の登場だった。
アサヒの猛追を受け、キリンの屋台骨が揺らぎ始める。こうなると魑魅魍魎たちも黙ってはいられなくなった。ただ彼らにとって会社の利益は二の次。自分の出世と利益の確保こそ、彼らの興味のすべてだった。
彼らには「スーパードライ」のヒットが、むしろ好機にうつる。自分たちのプレゼンスを高めるチャンスだと考えたのである。
企画部とマッキンゼーによるDSBチームは、そうした動きの一例だった。
「アサヒは、そのうち止まる。いずれキリンのシェアももとに戻るだろう。それまでの間に、いかに自分の立場を築けるかが勝負だ」
危機に鈍感な彼らはそう考え、醜い社内政治へと向かっていったのだろう。しかし、キリンのシェアが再び50%を超えることはなかった。
当時のキリン社長はワンマンタイプの本山英世。ワンマン経営者ほど、身の周りに茶坊主を置きたがる傾向がある。本山もまた、学歴は超一流だが、実績のない幹部ばかりを、身辺に置くようになっていた。
その結果、キリンは実力主義から遠ざかり、「君側(くんそく)の奸(かん)」がはびこる組織となっていった。
前田仁は、そうしたキリンの現状を深く憂いていた。
背後に「キリンのラスプーチン」がいることを知った前田は、当然面白くなかった。ただ、周囲には気にするそぶりを見せなかったという。
前田はもともと感情を表に出さない男だった。といっても決して無愛想なわけではない。むしろニヤニヤしながら話しかけてくる気さくなタイプだ。
■ミーティングは帝国ホテルのスイートルーム
前田のチームには、大きな期待がかかっていた。その分、予算も潤沢に使えたようだ。
「前田さんは帝国ホテルが好きで、ミーティングには帝国ホテルのスイートルームを時々使っていました」
当時を知る関係者はそう証言する。
そのミーティングに集まるのは、キリン社員だけではない。のちに「巨匠」となるアートディレクターの宮田識やデザイナーの佐藤昭夫はじめ、電通のクリエーターやCMプランナー、フリーのアートディレクターなど、常時10人以上参加していたという。
ミーティングで前田は、面白い発言が出るたび、大きめのポストイットにメモして、スイートルームの壁に無造作に貼っていった。
「ミーティングでは広範なジャンルにわたって、さまざまなアイデアが出ます。それを整理して方向性を絞り込んでいくのですが、前田さんはこの作業が上手でした」
舟渡はそうしみじみと語る。
「大型定番商品の開発テーマは、『生ビールの純度・ピュアな美味しさ』でいきます。つまり、ピュアな美味しさに、徹底してこだわるということです」
壁一面のポストイットを見渡すと、前田はメンバーにそう宣言する。
■「“一番搾り”という言葉は刺さります」
「おい舟渡、醸造工程で、純度を上げられるところを全部挙げてくれ」
前田は、名古屋工場の醸造技術者だった舟渡知彦にそう命じた。
ビール造りの工程で、開発テーマ「生ビールの純度・ピュアな美味しさ」に関係しそうな部分をピックアップしろ、ということだった。
外部のメンバーにもわかりやすいように、舟渡は自分なりに工夫して資料を作っていった。
ビールは「仕込み」「発酵」「貯蔵(熟成)」「ろ過」という4つの工程を経て造られる。
「仕込み」ではまず麦芽(大麦を発芽させたあと、乾燥させ根を切除したもの)及び米などの副原料を粉砕し、お湯に浸す。すると、麦芽の中の酵素の働きで、麦芽と副原料のデンプンが糖に変わり、やがてお粥状の甘い糖化液(もろみ)が得られる。
もろみはろ過機に移されてろ過されるが、この時に流れ出たものを「一番搾り麦汁(第一麦汁)」と呼ぶ。一番搾り麦汁を搾ったあと、もろみに再度お湯を加え、ろ過したものを「二番搾り麦汁(第二麦汁)」と呼ぶ。通常2つの麦汁は一緒に釜で煮沸され、ホップが加えられて、仕込み工程は終わる。
キリンでは通常、一番搾り麦汁7、二番搾り麦汁3の割合で仕込みを行っていた。
ミーティングで、ビール造りの工程について舟渡が説明していると、社外メンバーの一人が次のように発言した。
「一番搾りという言葉は刺さります。一番搾り麦汁だけを使えば、ピュアな味わいになる気がします」
ただ、工場で醸造技術者をしていた舟渡にとっては、受け入れがたい提案だった。
■醸造技術者が“一番搾り”に反対したワケ
「確かに一番搾り麦汁は渋みが少なく、上品ですっきりしています。しかし、一番搾り麦汁だけでビールを造るのは無理です。二番搾り麦汁を加えない分、収量が減ってしまい、間違いなく赤字になります」
舟渡はいつになく早口だった。醸造技術者として、ビール造りを知らない社外メンバーの発言をなんとか否定しようと、ムキになっていたのかもしれない。ただ、一方では「ひょっとしたら」という思いも、舟渡の中にあった。
ビールが苦手という人は、苦みをその理由に挙げることが多い。
ビールが苦くなる原因はホップを使うからだが、麦汁のろ過も一因だ。麦汁をろ過するろ過材には、麦芽の穀皮が使われる。穀皮には渋みや苦みのもととなるタンニンが多く含まれ、これがビールを苦くしてしまう。
一度しかろ過しない一番搾り麦汁だけでビールを造れば、渋みや苦みを減らすことができるだろう。
「一番搾りからはピュアなイメージを受けます」
重ねて発言する社外メンバーに、舟渡は技術的な反論を試みる。
「醸造技術者として申し上げますと、ビールの純度を決定づけるのは、二番搾り麦汁を入れるかどうかではありません。収量を下げて一番搾り麦汁にこだわるより、むしろ最終製品に近いろ過工程の濁度(だくど)管理を工夫したほうが、純度を上げられると考えます」
しかし、舟渡の反論を聞いても、彼は譲らなかった。
■一番搾りは実は“プレミアムビール”だった
一番搾り麦汁だけを使うという発想は、「オリジナリティ」の点で優れていた。過去に前例はなく、ライバル社に類似品を出されにくいことも長所だった。利益を得にくい、難しい商売になるからだ。
そういう贅沢な作りのビールを、「スーパードライ」や「ラガー」と同じ価格で販売すれば、「経済性」の点でも有望そうだった。
おそらく前田もそう評価したのだろう。数日後、前田はニヤニヤしながら舟渡にこう言った。
「君には悪いが、新商品は一番搾り麦汁でいくことにする」
ただ前田も収量の問題については懸念していたようだ。この時点では、サッポロ「ヱビス」と同じく、価格の高いプレミアムビールとしての商品化も視野に入れていた。価格を上げれば、原価の上昇をある程度吸収できる。
だがプレミアムビールでは、「スーパードライ」に対抗するヒット商品となるのは難しい。
前田はその点を懸念し、プレミアムビールのプランと、通常価格で提供するプランの両方を進めていくことにした。商品名はとりあえず「キリン・ジャパン」とした。
「スーパードライのような、カタカナ使いのベタなネーミングで、センスがない」と、舟渡は感じていたという。が、なぜか前田はこの「キリン・ジャパン」という名称を気に入っていたという。
こうして、「一番搾り」という前例のないコンセプトが決められた。しかし、前田をリーダーとする開発チームには、さらなる難関が待ち受けていた。
(後編に続く)
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ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。
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(ジャーナリスト 永井 隆)
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