指をくわえて見るしかない…ウクライナ侵攻と同時にロシアが北方領土で進める、忌々しい「高級リゾート計画」
プレジデントオンライン / 2022年5月25日 11時15分
■近いのに「果てしなく遠い北方領土」の今
最近、「北方領土」が話題に上がることが多くなっている。
ひとつは、ロシアのウクライナ侵攻によって、北方領土交渉やビザなし交流事業が断絶状態に陥っていること。もうひとつは、国後島では4月下旬に北海道・知床沖で遭難した観光船の乗員・乗客とみられる遺体が流れ着き、ロシア側との引き渡しが当局間で調整中とのニュースだ。
近くて、果てしなく遠い北方領土。かの地はいま、どのような状態なのか。筆者は3度、ビザなし交流事業に参加している。現状を、写真を交えて報告したい。
北方領土は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の、主に4つの島々からなる。最も近い距離にあるのは歯舞群島のひとつ貝殻島だ。根室半島の納沙布岬から、わずかに3700メートルの距離である。
国後島は知床半島と根室半島との間の根室海峡に食い込むように位置している。天気の良い日には、両半島から、国後島の山々を見渡すことができる。手を伸ばせば届きそうな距離にある島々だが、その間には見えない高い壁がそそり立っている。
私は2012年以降に3度、ビザなし交流の枠組みを使って北方領土に足を運んでいる。訪れたのは択捉島、国後島、そして色丹島である。歯舞群島は国境警備隊のみが駐留しており、元島民の墓参を除き、取材目的での入域はできない。
ビザなし交流事業とは日ソ両国政府が1991年に合意し、旅券・査証なしで相互訪問できる民間交流の枠組みである。領土問題が解決するまでの間、日本と北方領土に住むロシア人がさまざまな交流を通じて、相互理解を深め、領土問題解決の基盤をつくることを目的としている。この枠組みを使って、元島民らの故郷訪問、墓参が実施されてきた。
現地ロシア人との民間交流は、常に友好的な雰囲気のなか、実施されてきた。仮に一部の島の返還が実現した場合、今度はそこに住むロシア人が故郷を奪われることになる。憎悪の連鎖を生むことのないように、墓参事業などを通じて定期的に民間交流しているのだ。
■「KAZU1」の乗員乗客か、国後島で見つかった遺体
同時に、島に住むロシア人も定期的に日本に訪れる。日本の一部の高校などでは、北方領土に住むロシア人高校生を受け入れている。ビザなし交流が始まってかれこれ30年以上が経過するが、政治的な隔たりがある一方で民間同士の信頼感は深まってきた。
しかし、2020年以降はコロナ禍によってビザなし交流は中止になっていた。そこにウクライナ戦争が勃発。日本側の経済制裁に対して、ロシア側が日本を敵視し始めた。ロシア政府は日ロで進めてきた平和条約交渉の中断を表明。日本政府も4月26日、交流事業の当面の見送りを発表した。
ロシア当局は今後、北方領土に島民が訪問する際は、ビザ取得が必要となることを示唆している。ビザを取得して北方領土に入ることは、ロシアに主権があることを認めることになり、日本の立場としては容認できない。事実上、元島民の故郷訪問や墓参はできなくなってしまったのだ。元島民の平均年齢は86歳を超えており、その方々の心境を思うと残念でならない。
今年4月には知床観光船「KAZU1」が難破。乗員乗客は海に投げ出された後、一部は国後島西岸にたどり着いたとみられる。海岸で女性と男性の2人の遺体がみつかった。
国後島での捜索は困難を極めるであろう。なぜなら、国後島は沖縄本島の1.2倍もの広大な面積がある一方で、島全体の人口はわずか8500人ほどと、人口密度が低いからだ。そのほとんどの住民が、東海岸の古釜布(ふるかまっぷ)という港町に住んでいる。
国後島の西海岸線だけでも250キロメートルほどの距離はある。西海岸は断崖絶壁が多く、舗装道路も延びてない。国後島を含めた北方領土は野生動物の楽園である一方で、ヒグマも多く生息する。
さまざまな観点から、行方不明者を捜索するのは困難を極めそうだ。海上保安庁はロシア側との調整で、一部国後島海域での捜索を開始しているが、いずれにしても、ロシア当局の捜索協力が不可欠だ。
古釜布市街地や空港を結ぶ道路では、この5年ほどで舗装道路が整備されつつある。しかし、西海岸はほぼ原野状態だ。古釜布には大型船が寄港できる港、その南西部には旧日本軍が建設し2011年に改修したメンデレーエフ空港がある。この港や空港を拠点にして、サハリンからの定期便が就航。近年は、北方領土間でコミュニティヘリを飛ばすなど、アクセスが飛躍的に改善してきた。
■観光開発…絶景露天風呂、海洋クルーズ、サーフィン
さて、その北方領土だが今回のウクライナに侵攻する以前までの情報では、エコツーリズムの人気とともに観光需要が拡大しているという。地元ネットメディア、サハリンインフォによれば、今夏の北方領土ツアーはほぼ予約完売状態だという。
これはコロナ禍で海外旅行が制約を受けるなか、ロシア人にとっては“国内”の北方領土(ロシア側の呼び方は「クリル諸島」)への関心が高まっているからだ。
北方領土では、これまでホテルらしいホテルは存在せず、観光客の受け入れには限界があった。しかし、プレハブ型モジュールホテルや高級リゾートホテルの建設が進められ、海洋クルーズなどのエコツアーも企画されている。僻地観光に関心のある一部の欧米人やアジア人からの観光も年々、増え始めている。2021年、択捉島だけでおよそ1万3000人の観光客が訪れた。
例えば、択捉島は温泉が人気だ。大きな活火山があり、複数の温泉リゾート施設が、地元財閥ギドロストロイ社によって手掛けられた。入浴料は地元民が500ルーブル、島外者は1500ルーブル(1ルーブルは日本円で約2円)で利用することができる。中心地からはシャトルバスが出ている。
私も2度ほど温泉を利用したが、褐色が特徴で植物有機物を多く含むモール温泉で、良質であることがわかった。オホーツク海が見渡せる絶景の露天風呂や足湯もあり、この地が世界的に認知されていけば、さらに多くの観光客が流入していくと感じた。
北方領土への観光需要の高まりをとらえ、択捉島では複合型リゾート施設が建設中だ。ホテル、温泉施設のほかにスキー場、キャンプ場などを備え、地元サハリン州と投資会社は200億ルーブル(約400億円)の資金を投じている。2025年の完成を目指している。
ロシア富裕層オリガルヒの中には、モーターボートの係留所を備えた別荘を保有しており、島々を自由に行き来しているとの情報もある。
国後島ではサーフィンを観光の起爆剤にする動きもみられる。国後島の東岸は安定的に波が高く、世界的なプロサーファーも訪れているという。ロシアのサーフィン・ナショナルチームの監督を現地に招聘(しょうへい)し、ジュニアや指導者の育成の場としている。サーフィンを題材にした映画も、もっか現地で撮影中。映画が公開されれば、ますますロシア国内外からの観光客は増えそうだ。
本来は日本領であるはず。なのに、日本人は北方領土に自由に行き来することができず、日本人以外の外国人は観光できるという、いびつな状態にあるのだ。
観光整備とともに、通信インフラも急速に整備されてきている。これまで劣悪だったネット環境だが、この2年ほどで高速通信網が整備。私が最後に訪れた2015年時点では、光ファイバー回線が敷設されていなかった。だが、2016年から10カ年計画で始まった国家プロジェクト「クリル諸島社会経済発展計画」で多額の予算がつき、本土とのデジタル格差の解消が掲げられた。国後島では、来年までに新たにモバイル通信基地15〜20カ所が設置される計画だ。
余談だが、ネットを通じた犯罪も北方領土では深刻な問題になっている。ひとつはネットでの麻薬の取り引きである。しばしば、北方領土では麻薬取引や所持・使用によって検挙者が出ている。
ビザなし交流の中断によって、北方領土の情報や開発の最新状況を把握することが難しくなっている。ウクライナ戦争前は、幾分かは抑制的であった北方領土の開発も、実効支配を強めるためにさらに加速する可能性は十分ある。ロシアだけではなく、中国資本が北方領土に入って、開発やビジネスを進める可能性もある。ウクライナ戦争をきっかけに、北方領土は完全に幻影となってしまいそうだ。
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浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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