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小室さんには厳しいのに、娘には甘すぎるのではないか…秋篠宮さまの「肉声本」に批判が集まる根本原因

プレジデントオンライン / 2022年5月25日 17時15分

日本植物園協会の第57回大会開会式で、あいさつされる秋篠宮さま=2022年5月17日、岐阜県各務原市の内藤記念くすり博物館[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■「購入せずに書き込んだとみられるレビュー」が相次ぐ

『秋篠宮』(小学館)は秋篠宮から小室眞子さんに宛てたラストメッセージだったのではないか。

元毎日新聞記者の江森敬治氏が37回にわたって秋篠宮をインタビューした、『秋篠宮』という本が話題である。皇嗣という立場にある秋篠宮が「肉声」を公開したのは、よほどの覚悟からであったことは想像に難くない。

だが、その受け取られ方は残念ながら、秋篠宮が望んでいたであろうものにはなっていないようだ。

J-CASTニュース(5月18日付)は「話題の『秋篠宮』インタビュー本、Amazonがレビュー制限 『通常ではない投稿状況が確認された』」と報じている。

「Amazonでは低評価が目につき、中には読んでいないにもかかわらず酷評するユーザーがいるという。

18日夕に実情を確認すると、『天皇制』カテゴリーで売れ筋ランキング1位だったものの、評価は5点満点で1.6点だった。125件の総レビューのうち約8割が最低評価だった。女性自身が指摘するように、購入せずに書き込んだとみられるレビューも散見された。

こうした事態を受けてか、Amazonが対応に乗り出している。レビューの書き込みページを閲覧すると『申し訳ありませんが、この商品のレビューを受け付けることができません。通常ではない投稿状況が確認された等いくつかの理由により、この商品のレビュー投稿は制限されています』と表示された」

■「小室さんには厳しいのに、娘には甘すぎるのではないか」

今でもAmazonレビューには「民間人の借金に口を出すことや、NYにいる民間人に税金で援助することも許されているのか? そのあたりも突っ込んでほしかったと思う」「いったい誰に向けて書かれた本なのだろう? 皇室ファン? 秋篠宮ファン? 大勢の批判的な一般国民? たぶん、誰も満足させられないと思う」などという辛辣(しんらつ)なコメントが並んでいる。

女性自身(5月31日号)は、本を読んだ宮内庁関係者の話として、

「結婚問題について、小室さんへの厳しい言葉が掲載された一方、眞子さんに対しては苦言めいた言葉はいっさいないのです。

秋篠宮さまと眞子さんの関係は、いまだに冷え込んだままのようですから、親子を引き離した小室さんへの“恨み節”のようにも感じられました」

さらに、「小室さんは独断で、説明拒否や突然の留学といった行動をとったわけではなかったのです。眞子さんの指示があったはずなのに、その点には触れられていません」と、娘の夫には嫌悪感を隠さないが、娘には大甘ではないかと見る向きが多いようである。

たしかに、眞子さんは2021年10月の結婚会見で、このようにいっていた。

「圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」

深読みすれば、秋篠宮は娘が夫の非を自分が全部かぶるという健気な“覚悟”を知っていたから、哀れに思い、あえてそこには触れなかったということも考えられないではない。

だが、この本を読んだ読者の多くは、そうはとっていないようだ。

■優柔不断な弱い父親像しか見えてこない

毎日新聞で江森氏の後輩にあたる森暢平成城大学教授は、サンデー毎日(5月19日号)でこう書いている。

「江森さんの新著は非常に興味深い。だが、秋篠宮さまの両義性がそのままに記録されている。新著が、宮さまからの『国民』へのメッセージでもあるとしたら、自らの矛盾が大混乱の一因であることには自覚的であってほしかった。

皇族である前に一人の人間であるというのが江森さんの趣旨である。そうであるならば、秋篠宮さまには、親としてどんなことがあっても娘を守るという姿勢こそお示しになってほしかった」

一人の父親として、娘の結婚をどう考え、その相手に具合の悪い過去をメディアで流布されたとき、その相手を娘の婿として認めたのか認めなかったのかが、本を読む限り見えてこない。

先週も書いたように、皇室にいる立場から憲法は遵守しなくてはいけない。したがって娘の結婚に反対することはできないから、認めるというのでは、親としての責任放棄だといわれても仕方ないのではないか。

秋篠宮の肉声からは、娘の結婚問題に関する限り、優柔不断な弱い父親像しか見えてこないのである。

先の森教授は、秋篠宮が小室圭さんに対して、母親と住んでいる横浜市のマンションの警備のありようについて検討するよう伝えたというくだりは、意味が分からないと書いている。

■税金の話を漏らすことが「浪費」批判を招いたのでは

「小室さん母子の自宅を警備すると決めたのは警察である。小室さんに『検討するよう』伝えたとしても、小室さんが決定できる問題でもない。秋篠宮さまの発言は何を意味しているのだろうか」

と疑問を投げかける。秋篠宮が皇室と税金の関係に敏感であることは分かるが、

「皇族自身が、皇室と税金の関係について敏感であればあるほど、税金批判をさらに集めるという構図もある。税金との関係を秋篠宮さま周辺が、メディア関係者に漏らすことによって、税金『浪費』批判を招いたという側面はなかったろうか」

眞子さんが皇室を出るとき、1億数千万円といわれる一時金を辞退した。だが、眞子さんが毎年もらっていた皇族費が1億円は貯まっているから、当面、おカネのことを心配することはない。

小室圭さんがもし弁護士資格を取得できなくても、秋篠宮家が支援するはずだ。ニューヨークで身辺警備を頼むとしたら、一部の報道では年間8億円もかかるといわれているが、それは日本政府が税金で賄(まかな)うのではないか。

推測にしか過ぎないが、もしそうしたおカネが使われていたとしたら、国民の税金からではないかという不満や批判が、この結婚にはまとわりついている。

おカネに関していえば、書籍『秋篠宮』の中でも、大嘗祭が宮廷費(平成の代替わりに行われた際は約22億5000万円だったといわれる)が使われることに言及し、内廷費から出すべきだと秋篠宮はいっている。

皇居東御苑
写真=iStock.com/tobiasjo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tobiasjo

■説明どころか「何もしないほうがいい」と決めていた

たしかに、秋篠宮が皇位継承順位1位の皇嗣となったことを国の内外に示した「立皇嗣の礼」に要した公費は1700万円で、当初は4000万円を見込んでいた3分の1ほどだったと報じられている。新型コロナ感染拡大の影響で飲食を伴う祝宴が中止となり、経費が大幅に抑制されたからだった。

しかし、秋篠宮の家を改築するために33億円もかかったことはどう言い訳するのだろうか。言行不一致ではないかという批判がある。

小室圭側の金銭トラブルに対して、本の中で秋篠宮は、「こうなったら小室家側がきちんと説明しなくてはいけない。週刊誌で書かれている金銭トラブルは全て、小室家の話だ。秋篠宮家は、まったく関係ない。だから、きちんと国民に対して説明するように本人に話してある……。彼はこのように語った」

と書かれている。

だが、小室圭にはまったく伝わっていなかったと週刊文春(5月26日号)が報じている。なぜなら、28ページもの大部の文書を公表した際、小室圭は金銭トラブルに関して、こういう方針を出していたではないか。

「自分たちの認識をみだりに公にするのはなるべく控えるべきだと考えました」

国民に説明するどころか、「何もしないほうがいい」と決めていたのだ。

秋篠宮は、国民に疑念を持たれているなら、それを晴らすのが内親王の結婚相手として当然の責務だと考えていたのだろう。両者の間には大きな溝ができていたのではないかと指摘する。

それだけではない。秋篠宮に大きな影響を与えた出来事があったと秋篠宮関係者がいっている。

■小室夫妻は“隠し録音”の存在を強調するが…

「圭さんは金銭トラブル報道の後、秋篠宮さまと複数回にわたって会っています。その場に佳代さんが同席したこともありました。そうした席上で金銭トラブルについて説明するにあたり、X氏(佳代さんの元婚約者=筆者注)が『お金を返してもらう必要はない』と明言した“隠し録音”の存在を明かしたそうなのです」

これはX氏が、佳代さんに婚約破棄を申し入れた2012年9月13日のもので、圭さんにとっては最大の切り札であり、拠り所だった。

小室圭さんは先の文書の中でも、「私が録音をしておいた方がよいのではと考え咄嗟に録音したもの」として、音声を書き起こしたものを紹介し、元婚約者は「返してもらうつもりはなかったんだ」と繰り返し引用している。

この隠し録音を拠り所にしていたのは小室圭さんだけではなかった。

「眞子さんが、金銭トラブルが報じられてもなお圭さん側に立ち続けたのは、隠し録音の存在があったからです。眞子さんは金銭トラブルの報道直後に録音の存在を明かされており『お金を返す必要はない』と納得していたのです」(秋篠宮家関係者)

眞子さん自身、隠し録音の存在が、将来の夫が、“いわれなき批判”を浴びているという決定的な証拠になると考えていたようだ。

したがって、父親の秋篠宮も、この存在を知れば、すべてを理解してくれるはずだと期待していたのかもしれない。しかし、その期待はあっけなく裏切られた。

■秋篠宮さまが重視した“物証”は別にあった

「秋篠宮さまにとって“隠し録音”は、何の説得材料にもならなかったのです。むしろ秋篠宮さまが重視された“物証”は別にありました」(同)

それが、2018年2月26日に発売された週刊現代の記事だった。佳代さんがX氏に送ったメールを報じたものだが、この中に、「当分の生活費をお借りしても良いでしょうか」「とりあえず10万円程お願いできますか」という文言があったのだ。

「秋篠宮さまはこうした報道で“もし録音があったとしても、借金をお願いしているのは事実ではないか”という思いを強くなさったようです」(同)

週刊文春は、秋篠宮の考えをこう推測している。

「録音にある『返してもらうつもりはなかったんだ』という一言を錦の御旗として『お金を返す必要はない』という意思を固めた眞子さんと圭さん。だが、仮に法律論を戦わせてその主張が勝つことになったとしても、借金を申し出たのが事実である以上、それで国民の納得が得られるのか。“隠し録音”を振りかざすその態度は、皇族として生まれた女性と結婚するのに相応しいのか――。

秋篠宮と圭さんの“断絶”は、ここで決定的なものとなった。秋篠宮にとって問題の核心は、金銭トラブルそのものではなかった。法的な正当性の立証ではなく、皇室に連なる者として、国民の理解や納得を丁寧に得ようとする姿勢を求められていたのだ」

■国民にその真意は届かないものになってしまった

だが、そんな秋篠宮の心情を忖度(そんたく)することなく、小室圭さんは逃げるようにニューヨークへ高飛びし、フォーダム大に留学してしまうのだ。

そして断絶は、眞子さんが結婚して皇室を離れても埋まることはなかった。

「秋篠宮さまが望まれた『国民への説明』は“二十八頁文書”のような一方的な説明ではありません。きちんと会見で話をして、記者からの質疑にも答えるというものでした。しかし、その最後のチャンスだったはずの結婚会見でも、眞子さんと圭さんは質疑応答を拒否し、文書を読み上げるだけだった。“断絶”は最後まで埋まることがありませんでした」(同)

たとえ娘が惚れぬいた相手であっても、人の道に外れたことをすれば、叱責(しっせき)し、こうしなさいと説くのが父親の務めだと思うのだが、小室圭さんにはその気持ちが届いていなかっただけではなく、娘にも伝わっていなかったと思わざるを得ない。

一人の人間として、娘の結婚問題に悩み、思い惑う姿をさらし、苦しい胸の内を吐露した本を出し、この問題を含めて、国民に理解してもらいたい、納得を得たいと考えて出版を了解したのだろうが、秋篠宮が思っていたようには、国民に、その真意が届かないものになってしまったようである。

■これは眞子さんへのラストメッセージではないか

そういうことも予想されていたはずだが、秋篠宮が、このインタビュー本を出そうと“決意”したのはなぜなのだろう。

私は、この本の中に、秋篠宮と眞子さんにしか分からないメッセージが込められているのではないか、そう考えているのだ。冒頭に書いたように、娘・眞子さんへの父親からのラストメッセージとして出したと考えれば納得がいくのではないか。

風でめくれる本
写真=iStock.com/123ducu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/123ducu

インタビューの中に、小室圭さんに対する厳しい物言いは何カ所かあるが、眞子さんには批判めいたことをほとんどいっていない。それどころか、眞子さんや佳子さんへのこれまでの接し方に、

「『やっぱりね、私みたいに怒りっぽい父親だと……』静かに思いを巡らせた後、こう語った。『どうしてもね』自らに言い聞かすように声を絞り出す。『よくないですね、そこはね』」(『秋篠宮』より)と、反省と後悔をにじませるのである。

生まれ変わったらヒツジになりたいというのも、私は、眞子さんへの隠されたメッセージではないかと考えてしまう。

眞子さんと一緒に行った海外旅行で、ヒツジの群れを見たことがあったのではないか。そこで父親は、ヒツジの可愛さを彼女に話し、自分は生まれ変わったらヒツジになりたいといった。

「羊と吉祥は同一と見なされ,(中略)善行, 善良, 慈善の“善”もまた『羊』に由来する漢字である。(中略)『羊』は美のシンボルであると同時に, 富と吉祥のシンボルでもある」(鄭高咏「羊に関するイメージ一考察 中国のことばと文化」より)というような蘊蓄(うんちく)も語ったのかもしれない。

■「ヒツジになりたい」という言葉に込めた思い

ヒツジという言葉には、眞子さんへの父親が込めた“思い”があり、眞子さんにしか分からないメッセージではないのか。

「眞子よ、あの時語り合った、人間としての生き方の美しさや善とは何かを思い出せ」といいたいのではないか。

AERA(5月30日号)でコラムニストの矢部万紀子は、このくだりについて、

「幼い頃、ペットのヒツジを可愛がっていたという秋篠宮さまだとしても、余りに切ない」と書いている。

一人の人間としての切なさ、父親として娘を思う切なさ、それを秋篠宮はヒツジに託し、娘に伝えようとしたのではないか。

この本を読んだ眞子さん、小室圭さんは、秋篠宮からのメッセージをどう受け取ったのだろうか。眞子さんは、父親がいわんとしていることを理解し、何らかの返事を送ったのではないか。そう思いたいが……。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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