最初の動機は「愛国」だった…ロシアのために立ち上がったプーチンが「独裁者」に成り果てたワケ
プレジデントオンライン / 2022年5月30日 17時15分
※本稿は、小泉悠『ロシア点描』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■権力の虜になるプーチン
プーチン大統領が大変な愛国者であることは疑いないでしょう。プーチンが尊敬する歴史上の人物として挙げるのは、ピョートル大帝とストルィピン(ロシア帝国時代の首相)です。どちらもロシアの近代化に尽力したリーダーであり、ここに自らを重ねることは不自然ではありません。
同時に、ピョートルもストルィピンも「上からの近代化」主義者であり、自らの考える「ロシアのためになること」に逆らうものは容赦なく弾圧しました。どうもプーチンの愛国心はこういう方向に発揮されてしまっているのではないでしょうか。
プーチンが大統領に就任したとき、ロシアはガタガタの状態でした。経済も政治も混乱し、公共部門は腐敗し、医療も治安も崩壊状態にありました。
1990年代のロシアでは警官が市民に何かと難癖をつけてカネをゆするなんていうことが日常茶飯事でしたし、病院にかかるのも大学に入るのもカネ次第というのが「常識」でした。うちの娘は2010年にモスクワで生まれたのですが、やっぱり病院の医師から賄賂を要求されて幾らか払った記憶があります。
■法律の一時停止と外出禁止令でロシアを立て直す
こうした状態にある祖国を前にして、プーチンは「戒厳司令官」として自らを規定したのだ、というのが私の考えです。非常事態において戒厳令が敷かれると、一時的に平時の法律は停止され、私有財産が接収されたり、外出禁止令が出されたりします。こういう方法でプーチンはロシアを立て直そうとしたのではないでしょうか。
実際、プーチン大統領は政権に逆らう大富豪(オリガルヒ)を粛清して経済やメディアに対する国家統制を強め、チェチェンの分離独立主義者を軍事力で鎮圧していきました。こうして、モスクワの意向がロシアの全土・全社会に反映される秩序(垂直的権力構造)を回復しようとしたのです。
さらにこの間、ロシア経済は未曾有の好景気を経験し、国民の生活も目に見えて改善しましたから、プーチンは一時期「名君」扱いでした。もともとロシア人は強いリーダーが好きですし、強権的な統治手法も、一部のリベラル派を除けば「必要悪」として許容してきました。
■腐敗度指数は180カ国中136位
問題は、戒厳令がいつまでも解除されなかったことです。プーチン政権が強権的な手法を用いるほどに、これに反発する人は増えていきますが、プーチンはその中でも目立った人たちを弾圧したり、場合によっては殺害してきました。
2021年のノーベル平和賞はリベラル紙『ノーヴァヤ・ガゼータ』の編集長が受賞しましたが、同紙の記者でプーチン批判の急先鋒だったアンナ・ポリトコフスカヤは2006年に何者かに射殺されるという壮絶な最期を遂げています。
しかも、強権による秩序の回復は政権の外側においてであって、プーチンに近い政・財界の有力者たちの間では途方もない蓄財やコネ人事が罷り通るようになっていきました。
2022年現在、ロシアの腐敗度指数は全180カ国中の136位であり、富の多くは一般庶民には回らずに一部の超富裕層に集中しているとされます。
こうした歪(いびつ)な統治のツケは、プーチンが権力を手放した瞬間に回ってくるでしょう。だから、最初は愛国的な動機で始まった「プーチンの戒厳令」は、次第にそれ自体が自己目的化し、いつまでも解除できなくなってしまったのです。要するに、プーチン大統領は自らの権力の虜になっているのではないでしょうか。
■陰謀論に彩られた「市民社会」観
権力の虜になったプーチンは、ロシアの国内に対しても独特の視線で臨んでいます。
例えばロシア政府は毎年、世界の有識者を集めた「ヴァルダイ会議」というものを開催していますが、2020年の総括セッションでプーチンはこんな発言をしています。すなわち、市民社会というものはたしかに重要だが、「市民の声」なるものはどうやって作られるのか?
それは本当に民衆の声なのか、それとも誰かに囁かれた意見なのか?
外国の「善意の声」に過ぎないのではないか? ……などです。
ここには、市民社会に対するプーチンの深い不信が見て取れます。要するに、自発的な意志を持った市民という存在には非常に懐疑的であり、むしろ「大国」による認識操作の対象だと見ているのではないかということです。
さらに最近のプーチンは「第五列」なる言葉をよく使います。1930年代のスペイン内戦のときに生まれた言葉で、国内にありながら外国のために働く裏切り者、といった意味で使われます。
プーチンにいわせれば、ロシアの民主化団体とか、リベラルなジャーナリズムとか、場合によっては環境団体さえもが外国の意向を受けて活動する「第五列」に見えているようです。プーチン政権の統治手法に対して国民が反発すると、それはみな西側が操っているからだと見るわけです。
こうした世界観に基づいて、スターリン時代の人権弾圧を調査・記録する団体「メモリアル」を解散に追い込み、反プーチン運動の指導者アレクセイ・ナヴァリヌィを逮捕し、メディアやインターネット空間に対する統制を強めてきました。
戦争が始まってからは、政権の意向に沿わない報道を続けるテレビ局「ドーシチ(雨)」やラジオ局「エホー・モスクヴィ(モスクワのこだま)」を閉鎖し、TwitterやFacebookといった西側のSNSもブロックしています。YouTubeもそろそろ危ない……という話もあります。
■国内での騒擾が西側諸国との大戦争にエスカレート?
また、ロシア軍が毎年秋に実施する大演習を見ると、まずは西側がロシア国内の「第五列」を武装蜂起させるというところから始まるシナリオが採用されている場合が多く、国内での騒擾がその背後に居る(とプーチンが考える)西側諸国との大戦争にエスカレートしていくとされています。
考えてみると、プーチンは若い頃に国家の崩壊を2度目撃しています。最初はKGBの諜報員として赴任していた東ドイツが崩壊し(1989年)、帰国後の1991年には祖国ソ連が崩壊しました。
また、プーチンは1990年代半ばにクレムリンの中堅官僚へと転じていますが、ここではメディア王グシンスキーが展開した激しいメディア・キャンペーンで当時のエリツィン大統領の再選が危うくなったところも見ています。
こうした経験が西側諸国への警戒感と結びついた結果、民衆は常に押さえつけておかないとどうなるかわからない、という恐怖に繫がっているように見えます
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東京大学先端科学技術研究センター専任講師
1982年、千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、未来工学研究所客員研究員などを経て、2022年1月より現職。ロシアの軍事・安全保障政策が専門。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー文芸賞)、『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)などがある。
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(東京大学先端科学技術研究センター専任講師 小泉 悠)
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