「助成金を渡すだけではだれも田舎に住まない」北海道東川町が27年間人口を増やし続けるワケ
プレジデントオンライン / 2022年6月6日 10時15分
■27年間で20%以上人口が増えた北海道東川町
全国の自治体で人口が減少している中で、独自の施策で人口を増やしてきた自治体がある。その代表ともいえるのが北海道にある東川町だ。
北海道の中央部、旭川市の隣にある小さな町である。主な産業は農業や家具の製作。豪奢なリゾートホテルどころか、鉄道や国道、上水道すらない。
1950年の人口1万754人をピークに、他の地方の自治体と同じく、人口減少の一途をたどっていた。だが、1994年から人口の増加が始まり、2020年までの27年間で19.4%の人口増となっているのだ。
その理由は、手厚い子育て支援ではない。「写真文化による町づくりや生活づくり、そして人づくり」という、すぐには理解できない施策だった。全国的に極めて珍しい取り組みを取材した。
■写真で町おこしという唐突な提案
東川町が大きく変化したのは約40年前のことだ。
当時、すでに地域の活性化が社会の課題となりつつあった。各自治体は、平松守彦大分県知事(当時)氏が提唱した「一村一品運動」のように、メロンや米などといったその土地のモノで地域を変えようという施策を行っていた。
東川町も、当初はそのつもりで、84年の夏から秋ごろに、当時イベント開催等を通じて面識のあった企画会社に相談をしていた。
「町内にある旭岳温泉、天人峡(てんにんきょう)温泉で観光客が減少しつつあったので、その温泉地をイベントなどで盛り上げられないかという相談をしました。ところが企画会社から実際に提案されたのは、単発のイベントではなく、町全体の魅力を高めるために写真という『文化』に基盤を置いた、継続的な町おこし策でした」(東川町写真の町課の竹田慶介課長)。
レンズ付きフィルムカメラ「写ルンです」が発売され、それがきっかけとなって写真が身近になっていったのが翌1986年。その頃のカメラは高額な品で、今のように誰もが写真を撮る時代ではなかったことを考えると、写真で町おこしを提案された東川町の驚きは想像できよう。
■写真の町を宣言して「写真の町」がスタート
東川町は国内最大の山岳公園である大雪山国立公園区域内にあり、北海道最高峰の旭岳など美しい景観に恵まれている。それを財産と考え、「写真映りのよい町」というのなら「写真の町」は分からないでもない。
当時の中川音治町長は熟慮を重ねた。議会や観光協会、商工会など関係団体とも協議を重ねた上で提案を受け入れ、1985年6月1日に「写真の町」を宣言した。
同年から東川町国際写真フェスティバル(以下フォトフェスタ)を開催し、写真の町東川賞を創設した。特筆すべきは翌年に「写真の町に関する条例」を制定したことだ。
これは町長が変わっても施策が変わらないようにという措置だ。
議会の同意を得て条例を制定した以上、「写真の町」を廃止したり、取り下げたりする際には制定時同様、議会と町民同意が必要であることを明記した条例だ。
大きな決意でスタートした写真の町だが、最初からうまくいったわけではない。
当時、北海道のさまざまな町ではリゾート開発など目に見える投資が行われていた。それに比べると文化への投資は目に見えない。
写真の町東川賞では海外作家賞、国内作家賞などの4部門(現在は5部門)に毎年町の一般会計予算から賞金を出しており、その予算の使い方に疑問を抱く町民もいたはずだ。
■人口が増加に転じた2つの理由
しかし、フォトフェスタを続け、国内外の著名写真家を取り上げ続けることで東川町は町としてのアイデンティティーを確立していく。
その結果1994年に生まれたのが、全国の高校写真部・サークルを対象とした「全国高等学校写真選手権大会」(愛称:写真甲子園)だ。
1994年にスタートしたこの大会は、東川町の名を全国的に知らしめた。各メディアが取り上げたことにより、町の魅力を知った移住者が僅(わず)かながら生まれ始めた。
さらに、家具メーカーの「北の住まい設計社」が1985年に工房を町内に構えたことも大きい。
同社の製品は自然に優しい天然の素材を使用しており、質にこだわるライフスタイルを求める人たちから人気があった。
町内の山奥にある廃校を改装して作られた工房に引かれるように、家具や木工作品などを作るクラフト作家たちが移住を始めのだ。
1993年の東川町の人口は7063人。そこから、人数は平均すると年に数十人ほどだが、緩やかに人口は増えていく。
■景観にこだわった住宅街がさらに人を呼ぶ
人口増加の理由は、それだけではもちろんない。写真にこだわったことで生まれた景観も大きなポイントになっている。「写真映りの良い町」を考えると、いい加減な町づくりはできなくなる。
写真の町の拠点となる東川町文化ギャラリー、図書館機能を備えた複合交流施設せんとぴゅあII、東川小学校・地域交流センターその他、どこを訪れても美意識が行き届いており、それは小さな看板にまで及んでいる。
そのセンスに共感する人たちが移住してくると考えると、町は年々美しくなり、それがまた移住者、来街者を呼ぶ。
「東川町には町の魅力に共感された方が多く移住されており、移住者を呼び寄せるためにはいかに共感していただけるかが重要と考えています」(税務定住課の吉原敬晴課長)
■町がこだわった住宅地は美しいの一言
東川町では2002年に美しい東川の風景を守り育てる条例を制定。2005年には景観行政団体に指定されている。
その年に景観にこだわって宅地分譲された住宅地、グリーンヴィレッジを見学させていただいた。
南北の住戸の間に15mもの緑道を挟んで作られたぜいたくな住宅地は美しいの一言だ。
町が定めた住宅設計ルール(「東川風住宅設計指針」)には細かい定めがある。
屋根は三角にする、壁は淡い色にして、壁面には木材をある程度以上使うことなどを守れば、カーポート、物置など住戸の前に作る建物に助成が出る仕組みだ。これにより、住宅の外観は統一が図られている。
周囲がきれいだと、わが家もきれいにしないとという意識が働くためか、どの家も本当に絵になる。ここに住みたいと思う人が多いのは当然だろう。
■町民の半分以上が移住者
先に、1994年から2020年までの27年間で、7063人→8437人(※令和2年12月31日現在 東川町HPより)と19.4%の増加となったと述べたが、いったい、どんな人たちが移住してきたのか。
「2年前に調べたところ、東川町に住み始めて20年以内の人を移住者として考えると、全人口の54%が移住者という結果が出ました。写真甲子園に参加した人がこの町を好きになってくれ、地域おこし協力隊や職員として東川町に戻ってきてくれる動きもあります」(吉原課長)
移住者は隣接する旭川からが3割程度。次いで札幌などの道内からが3割程度で残りは東京や大阪などといった道外の都市からという。
テレワーク可能なWeb関係、デザイン関係などの自営業、パン屋、カフェなどの経営者もいれば、東川町内で仕事を探して再就職する人もいるなど職業はさまざま。年代、家族構成としてはここ数年、30~40代の子育て世代が全体の7割を占めているそうだ。
旭川市の中心部から13キロ、車で20分強と近いことから旭川市内に勤める人が多いのでは、と思うかもしれないが、2015年の国勢調査で見ると東川町は昼間人口のほうが多い。
つまり外に働きに出ている人よりも、東川町に働きに来ている人のほうが多いのだ。
町内には大企業はないものの、飲食店や各種の工房などたくさんの勤め先があるためだろう。ちなみに町内には約60店の飲食店があり、ここ十数年で2.5倍ほど増えている。
■移住に対してではなく、定住に助成金を出す
町は移住者が町のコンセプトに共感してくれることが大事だと考えている。
「東川町の場合は移住したことに対して助成をするのではなく、東川住宅設計指針に沿った住宅を建てることや、地下水で暮らす町らしく、水や景観にこだわったカフェやモノづくりショップ等の起業に対して助成しています。
町の進むべき方向に合致することに対しての助成を行っているわけです。移住したからプレゼントというだけでは、定着率も悪いでしょうし、逆に東川町の魅力を下げてしまう結果になりかねません」(吉原課長)
移住支援制度そのもので人を呼ぶのではなく、ここに長く住みたいと思ってもらえる町を作ることで、他の自治体と差別化しているのである。
興味深いのは、移住者に対する住民の反応だ。
2007年から写真甲子園の参加者は滞在初日に東川町の家庭にホームステイすることになっている。さらに大会期間中は、運営に町内外のボランティア、高校生、子どもたちなど幅広い年代の人たちがさまざまな形が関わる。
それによってオープンマインドな、「よそ者」を受け入れる文化が根付いたと吉原課長は話す。
■自分たちで考える職員が生み出した施策も町の魅力に
移住希望者にとっては空港まで迎えに来てくれるなど親身になって移住支援をしてくれる町の職員もこの町の魅力のひとつだ。
おそらく直接的にも人口増に寄与しているのではないかと私は思うのだが、それも写真の町を貫き通してきたことで町が得たものである。
というのは、人口が底を打ち、写真甲子園も軌道に乗り出した2005年に写真の町を提案し、共に運営してきた企画会社が倒産。以降は町の職員がすべてを自分たちで企画、運営してきており、その経験が職員を変えてきたのである。
お金がないならアイデアで勝負、前例がないならパイオニアになろうと考え、それが移住支援だけでなく、他自治体にない数多くの施策につながっているのだろう。
例えば、これから子どもを持とうという家族なら、2006年に始まった赤ちゃんに地元で作られた手作り、木製の椅子を贈る「君の椅子」という制度に感動するのではないか。
子どものうちから本物に触れてほしいと、よくあるオフィス家具ではなく、手作りの椅子、テーブルやソファが置かれた公共施設を見たら「ここで子育てしたい」と思うかもしれない。ファミリーの中には子育て環境や教育環境で東川町を選んだという人たちも少なくない。
お得感ではなく、移住する人の心に響くような施設、施策がたくさんあり、そうしたものが複合的に人口増につながっている。
やりがいを感じながら働く職員を見て、東川町で働きたいという人も増えているという。職員の働き方でさえ人口増につながっているのである。
■隈研吾事務所がオフィスを構えるワケ
さらに写真を通じて得た各界へのネットワークも東川町の財産になり、町に魅力を付加している。
写真甲子園やフォトフェスタでは、普通に行政職員として働いていたら会わない人に会い、協業する。つながりは写真を通じて、写真家やアーティストはもちろん建築家、企業などへと広がっていく。
そのひとつの例が建築家・隈研吾氏との縁だ。
2021年、東川町が家具・クラフトの振興を目的に4月14日を椅子の日と制定した際、隈氏とコラボして椅子の製作や、コンペを開催した。
最近では、東川町役場近くで建設が行われているシェアオフィス「KAGUの家」の設計を担当している。ここには隈研吾建築都市設計事務所がサテライトオフィスを設けるという。
2023年には町内のキトウシ森林公園内に隈氏外観デザインの保養施設もオープンする予定で、町の中心部にデザインミュージアムの構想もある。
写真甲子園に協賛、協力、サポートする30余りの企業、大学などとの縁も大きな財産だろう。2019年からは東川オフィシャルパートナー制度を創設、企業との連携強化を図ってもいる。
■「映え」の裏にある文化へのこだわり
「写真映え」という言葉のはるか以前から、写真を通じて映える町を作ろうとしてきた東川町。
映えることを単に見た目だけのものと思う人もいるだろうが、東川町がこだわってきたのは見た目の背後にある、文化という見えないものだ。それが町の複合的な魅力を生み、人口増につながっているのである。
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住まいと街の解説者
子供のころからの間取り図好きが高じて住まいに関わる。雑誌、書籍、ネット記事などに30年近く携わっている。著書に『解決!空き家問題』『東京格差』(共にちくま新書)など。
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(住まいと街の解説者 中川 寛子)
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