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自分の頭で考えずに、叩かれている人をさらに叩くだけ…SNSの「クソリプ」がなくならない根本原因

プレジデントオンライン / 2022年5月31日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/P. Kijsanayothin

SNSの「炎上騒ぎ」が繰り返されるのはなぜか。評論家の宇野常寛さんは「これまでは『読む』ことの延長線上に『書く』ことがあったが、現代は逆転している。問題の本質を考えなくても、タイムラインの潮目をみるだけで安易に発信できる。もっと『読む』ことを見直すべきだろう」という――。

※本稿は、宇野常寛『水曜日は働かない』(ホーム社)の一部を再編集したものです。

■なぜいま「発信できる人」が必要なのか

今月から「発信できる人になる」をテーマにちょっとしたスクールのようなものをはじめることにした。

これは、端的に述べると「宇野がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座」だ。情報収集、本の読み方、企画づくり、文章のストーリー構成、ライティングとコピーワーク、物書きとしての生き方、他人の才能を活かす編集術……1年位かけてぜんぶ教える講座を考えている。

そもそも、自分の責任で、自分の言葉で「発信する」というのは、職業にかかわらず現代人の基礎的なスキルになっていく(もうなっている)と僕は思う。だからコメント欄やソーシャルブックマークで見栄を張るのではなく、きちんとした文章で発信するようになりたい、と考えている人は少なくないはずだ。これはそんな人のための講座だ。

そのために読むこと、調べること、書くこと、誰かに書いてもらうことを、僕が考えてきたことを「すべて」シェアする。手探りのプロジェクトだけれども、受講者と一緒に作り上げていければと思っている。

■「読む」と「書く」のパワーバランスが変化している

一般的に文章力は読書量にある程度比例する。もちろんただ数を読めばよいわけではない。たとえば本を読むことが手段ではなく目的になりすぎている人――「読書メーター」やAmazonレビューに投稿することや、ブックカフェでこれ見よがしに趣味が良いとされている本を広げることに夢中になってしまう人――は、本を読んでいる自分を好きでいることのほうが大事になって、あまり内容を理解していない/しようともしないことが多いのも半ば常識だと思う(もちろん、そうじゃない人もたくさんいる)。

しかしそれでも、絶対的な読書量がある程度ないと、文章の引き出しが少なくなってしまうことは間違いない。だから常識論として、「書く」力の基本は「読む」力だ。なので僕の講座でも、まずは「読み方」を(我流だけれど)みっちりレクチャーするつもりでいる。

そしてこうした前提の上で強く感じるのは、現代における「読む」ことと「書く」ことのパワーバランスの変化だ。今回の講座はちょっとこちらが予測できないレベルで反響が大きくて慌ててプレ開講を取り付けたものなのだけれど、端的に言えば僕はいま、読者の「書く」ことへの関心が想像以上に高まっているのを感じる。

■「読む」ことが特別なことになる逆転現象

理由は考えてみれば明白だ。僕たちの世代にとって、「読む」ことと「書く」ことでは前者が基礎で後者が応用だった。「読む」ことが当たり前の日常の行為で「書く」というのは非日常のちょっと特別な行為だった。

けれどもいまはたぶん、違う。多くの人にとっては既に(メールやSNSに)「書く」ことのほうが当たり前の日常になっていて、(本などのまとまった文章を)「読む」ことのほうがちょっと特別な非日常のことになっていると思うのだ。情報環境の変化が「読む」ことと「書く」ことのパワーバランスを大きく変えているのだ。

要するに、僕たちは「読む」ことの延長線上に「書く」ことを身につけてきた。しかし、現代の人々の多くは既にそうはならないだろう。彼ら/彼女らの多くがおそらく「書く」ことに「読む」ことより慣れている。

僕がこの講座をはじめようと考えたきっかけの一つが、SNS上でのコミュニケーションの安易さだ。たとえば「全体としてはAという傾向がある」と主張している人物に対し、(話題のもとになった記事や、前後のツイートすら確認せずに)「それにはBというケースもある(ので、私はあなたから一本取りました)」とドヤ顔でリプライを送る人はすごく多い。

■「読む」力がないと中身のある発信はできない

これは、単にその人が自分が思っているよりも安易で頭が良くない、という問題であるのと同じくらい「読む」ことに慣れていない人が「書く」ことだけ覚えてしまっていることに原因があると思うのだ。SNSのシステムに促されるままに、みんなそうしているからと安易な「発信」を繰り返していくと、どんどんバカになっていくというのが僕の持論だ。

Web2.0的なものの背景にあった、人間は単に受信するだけではなく、発信することによってより情報に対して深く、多角的に考えるようになる、という前提は根本から疑ってかかったほうが良いだろう。「読む」力のない人間が「書く」ことの快楽を覚えれば覚えるほど、脊髄反射的な発信やタイムラインの「潮目」を読んである方向に一石を投じるだけの、事実上何も考えていない発信が増えてしまう。

そこで僕が以前から提唱している「遅いインターネット計画」では、まず徹底的に「読む」訓練を読者に対して行おうと考えている。しかし、計画を進める上でそれだけでは足りないのではないか、という思いが強くなってきた。

■問題ではなくタイムラインの潮目を読む人たち

なぜならば現代の情報環境下に生きる人々は、読むことから書くことを覚えるのではなく、書くことから読むことを覚えるほうが自然だからだ。かつてのようにしっかり読ませること「から」しっかり書かせるというルートをたどることは、僕たちの生きているこの世界の「流れ」に逆らうことのように思えるのだ。

現代において多くの人はまず、日常的に、脊髄反射的に、たいした思慮も検証もなく「書いて」しまう。それをまずは、しっかり「書ける」ように訓練を積んでもらう。その過程で「書く」ためには「読む」力が必要なのだと気づいてもらう。そして「読む」訓練をしてもらい、その上でもう一度「書く」技術を伸ばしてもらう。

「読む」ことではなく「書く」ことを起点にした往復運動を設計しないと、このプロジェクトは成功しないのではないか。いまの僕はそう考えて全体のカリキュラムと当日使うレジュメを見直している。

なぜ「読む」力が必要なのか。能力は高くないけれど、なにか社会に物を申したいという気持ちだけは強い人がSNSで発言しようとするとき、彼/彼女はその問題そのものではなくタイムラインの潮目のほうを読んでしまう。そしてYESかNOか、どちらに加担すべきかだけを判断する。

実業家と本
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■SNSで誰かに石を投げるのは簡単だが…

以前僕の友人の主宰するあるアートコレクティブが東京に大きな常設展示場を開設したときに、業界のある一派は一斉にそれを攻撃した。以前より業界から村八分にされがちな集団だったので、彼らとしてはいつものように石を投げたのだろう。

そのとき僕は知り合いのあるライターが展示を見てもいないのにやんわりと(自分が表立って強い言葉で誰かを非難しているように見えないようにだけ気を使いながら)そのアートコレクティブに石を投げていたのをたまたま目にした。

その人の前後の発言や過去の言及を調べ、これは完全にタイムラインの潮目を読んで点数稼ぎをしているなと判断した僕は二度とそのライターとは仕事をしないと決めてそっとFacebookをミュートしたのだけど、ここで重要なのはこのときそのライターはタイムラインの潮目(YESかNOか)だけを読んで、対象(展示)を一目も見ていないことだ。

そう、タイムラインの潮目を読むのは簡単だ。その問題そのもの、対象そのものに触れることもなく、多角的な検証も背景の調査も必要なくYESかNOだけを判断すれば良いのだから。しかし、具体的にその対象を論じようとすると話は全く変わってくる。そこには対象を解体し、分析し、他の何かと関連付けて化学反応を起こす能力が必要となる。

■新しく問題設定することで「価値のある発信」になる

そして価値のある情報発信とは、(先程の例で言えば)目立っている彼らの存在に対しYESかNOかを述べるのではなく、たとえばその対象を「読む」ことで得られた刺激から、自分で問題を設定することだ。単にあいつらは目立っているので、叩いて/褒めてやろうと考えるのではなく、その対象の投げかけに答えることで、新しく問題を設定することだ。

宇野常寛『水曜日は働かない』(ホーム社)
宇野常寛『水曜日は働かない』(ホーム社)

たとえば彼らの掲げた「ボーダレス」というコンセプトから現代のメガシティにおける公共はいかに再設定されるべきか、とか民主主義のもたらす「世界に素手で触れられる」感覚の中毒性はSNSの時代にどう変化し得るのか、とか自分の手で新しく問いを設定することで、世界に存在する視点を増やすことだ。

「書く」ことから「読む」ことにさかのぼることの意味はここにある。単に「書く」ことだけを覚えてしまった人は、与えられた問いに答えることしかできない。しかし「読む」訓練を積むことで、僕たちは「書く」ときに問いを新しく設定し直すことができる。

既に存在している問題の、それも既に示されている選択肢(大抵の場合それは二者択一である)に答えを出すのではなく、新たな問いを生むことこそが、世界を豊かにする発信だ。僕はそう考えている。

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宇野 常寛(うの・つねひろ)
評論家、『PLANETS』編集長
1978年生まれ。著書に『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『母性のディストピア』(集英社)、石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』などがある。立教大学兼任講師。

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(評論家、『PLANETS』編集長 宇野 常寛)

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