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「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由

プレジデントオンライン / 2022年6月4日 11時15分

大友秀逸さん(写真=インベカヲリ★)

プロフィール欄に「秋葉原事件加藤智大の元同僚で友人です」と書かれたTwitterのアカウントがある。アカウントの所有者である大友秀逸さんは、仙台市の警備会社で加藤智大死刑囚と一緒に働いた経験がある。「実名・顔出し」で情報発信をしており、このため何度もメディアの取材を受けてきた。なぜそんなリスクを引き受けているのか。無差別殺傷事件を取材している写真家・ノンフィクションライターのインベカヲリ★さんが聞いた――。(第1回)

※本稿は、インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■「『人を殺したい』という内容のメールが来るんです」

こんなツイッターアカウントがある。

「秋葉原事件加藤智大の元同僚で友人です。どなたでもご意見や質問などございましたら自由に書き込んでください」

「秋葉原無差別殺傷事件」が起きたのは、2008年6月8日。当時25歳だった加藤智大は、秋葉原の交差点に2トントラックで突っ込み、さらに持っていたダガーナイフで通行人を切りつけ、7人を殺害し10人に重軽傷を負わせた。2015年に死刑判決を受け、現在は東京拘置所に収容されている。

ツイッターのアカウント所有者は、その加藤の元同僚であり友人の大友秀逸氏。これまで実名、顔出しでたびたびメディアに出演してきた人物だ。無差別殺傷犯の「友人」などと公言すれば、世間の風当たりは強いだろう。実際テレビに出たことで、13年間住んだアパートからは追い出され、勤めていた会社では左遷された。そのうえ当の加藤からも「事件を語ることで金儲けしている」と勘違いされ不信感を持たれているらしい。

あまり知られていないことだが、一般人がメディアで取材を受けても謝礼が出ることは少ない。損得勘定をしていたら、とてもできることではないだろう。そんな苦汁を味わいながらも、大友氏は事件に関する発信を続けている。すると自然に、殺人願望を抱えた人々が集まってくるのだそうだ。

「年に何件かレベルですけど、『人を殺したい』『事件を起こそうと思っています』という内容のメールが来るんです。たまたま今もやりとりしてる人がいて、入所している施設の職員を殺したいと思っているって言うんですよ。びっくりしたのは、そのメールが来た翌々日、函館で施設職員が襲われるっていう事件があったこと。地域も違うし、やりとりも続いたから、逮捕された人とは違うなと思って安心したけど。一定数そういう人はいるんです。

あとは過去に無差別殺傷を起こそうと思ったとか、母親を殺そうと思ったとかね。だから実際に事件は起こしてないけど、潜在的に殺人願望を持つ人はたぶんめちゃくちゃいるはずなんですよね」

■ほとんどは「止めてほしい」ではなく「話を聞いてほしい」

大友氏は彼らに対して、特別に呼びかけているわけではない。だが、メールがくればやりとりし、ときには電話で話し、相手が望めば直接会って話を聞く。とはいえ、殺人を考えるほど追い詰められている人間を相手にするのは、生易しいことではない。

パソコンのキーボードを打つ女性の手
写真=iStock.com/Liudmila Chernetska
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Liudmila Chernetska

なかには依存体質な人もいて、メールの返信を求められるあまり15時間ほどやりとりが終わらなかったり、大友氏の仕事中にたびたび電話をかけてきて「せっかく必死で相談しているのになんで聞いてくれないんですか」と責められることもあるという。期待通りの返事をしなければ「裏切られた」と受け取られ、音信不通になってしまうことも少なくない。彼らの口からは「死にたい」「殺したい」などの言葉が頻繁に発せられる。内容のほとんどは「止めてほしい」ではなく「話を聞いてほしい」なのだという。

「一歩間違うと刺されるよって言われたこともあります。まあ、もし刺されても自分の判断が間違っていたというだけであって、しょうがないけれど」

大友氏は身長178センチと長身で、恰幅(かっぷく)もいい。子どもの頃は、相撲部屋の親方からスカウトされたこともあるという。しかしだからといって、刺される可能性を「しょうがない」とはなかなか言えないだろう。いったい何が、大友氏をその行為に向かわせているのか。

■第一印象は「真面目でやる気のある青年」

「そういったアプローチをしていくことが、事件の芽を摘める可能性になると思うから。死刑制度の肯定論や廃止論も、犯行に及んじゃうからそういった話になるのであって、極論そういった事件が起こらなければ、議論にはならないじゃないですか。だから実行する前の段階であるなら、積極的にかかわりたい。他人に言えない話だから自分で抱え込んじゃうけど、それを『この人だったら聞いてくれるんじゃないか』って連絡をくれるのはありがたいことだから」

そう思わせるほどに、友人の起こした無差別殺傷事件は、大友氏の人生を大きく揺るがす出来事だったのだろう。

2人の出会いは、2003年に遡る。大友氏が仙台の警備会社で働き始めたとき、約1カ月後に入ってきたのが6歳年下で当時20歳の加藤だった。そのときは、とても真面目でやる気のある青年という印象を持ったと大友氏は語る。

「一番最初に彼と会ったのが、仙台の花火大会の仕事。何十万人という人が出てくる大きいイベントなんですけど、僕は地区隊長みたいな感じで。彼は新人だから『じゃ、そこに立って誘導してください』って説明したら、『逆にこっちよりこっちに立ったほうが、どっちに対しても声をかけやすいから良くないですか?』って提案してくるんです。普通、新人はそんなこと言ってこないんですよ。みんな、『はいはい』って聞き流してやってるだけだから」

■警備会社でたちまち責任者になり権力を握る

若い警備員のほとんどは、金のないバンドマンや、学費を稼ぎたい浪人生など、ほかに本業を持つ者たちだ。そのうえ当時は、会社の経営が傾いており、仙台の中でもとりわけ低賃金で募集を出していた。当然、誰もが時給の良いところから面接に行くため、必然的にやる気のない人間ばかりが集まっていたという。

「うちは、言うなれば髭ボウボウで、ワンカップ片手に競馬新聞をポケットに挿したおじさんが、いきなり酔っぱらって入ってきて『おい、明日から仕事あるか?』って来るような会社。常識で考えると駄目じゃないですか」

面接で確認することは、たった3つ。直近の犯罪歴がないか、自己破産をしていないか、日本人であるか、これをクリアすれば即採用だった。もちろん真面目に働く人もいるが、どうしても不真面目な人間は混ざってくる。現場を任せたのに森の中で寝ていた、というようなエピソードも日常的にあったという。

そのような環境下で、やる気のあった加藤はたちまち責任者のポジションに就いた。とはいっても名ばかりの管理職で、1カ月、150時間残業しても手当は一律5000円。それでも固定給は毎月確実に出たため、安定した収入にはなった。仙台市は年度末にかけて公共工事が増え、忙しくなる。

道路の工事現場で交通誘導する人
写真=iStock.com/shirosuna-m
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shirosuna-m

加藤は、在籍する警備員がどこの現場に入るかを決定する「配置係」という中間管理職に就き、一人で150人から200人の人間を束ねていた。配置係は、一人の人間を月25日間働かせようと思ったら、25回配置しなければならない。しかし「あいつは嫌いだから」という理由で、5回しか配置しなかった場合、日給計算なので、当人には月5日分の給料しか入らなくなってしまう。

このようなシステムの中で加藤はいわば権力者となり、「干してやる」ということができてしまう立場だったという。事実そのようなエピソードがあったと、大友氏は語る。

■「どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージ」

「ある警備員から『全然仕事がもらえない』って相談されたから、加藤くんに『どうした? ちゃんと配置してんのか?』って聞いたら、机の裏側にその人の名前の書いてあるマグネットが落ちていたんですよ。本人は『あぁ、落っこちてた。これじゃ配置できねえや、ハハハ』と高笑いしてるから、『お前ふざけんな、この野郎! 何だと思ってるんだ』って怒鳴りつけた。まあ、あとで『すみませんでした』って詫びてきましたけどね」

加藤が事件を起こした2008年は、労働者派遣法の規制緩和により派遣社員が急増していた時期だ。会社都合でいきなり契約を解除される「派遣切り」が問題となり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの用語も生み出されていた。そのため、派遣労働の企業を渡り歩いていた加藤の事件に対し、格差社会が生み出した貧困労働者による犯罪として論じるメディアも多々あった。しかし、大友氏の印象はそれと違うようだ。

「僕の知ってる加藤くんは、どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージのほうが大きいです。完全に見下している人に対して、そういう傾向が強かった」

■カッとなって電話機を叩きつけて壊したことも

とはいえ、中間管理職も相当振り回されていたらしい。たとえば、ある警備員は夜勤開始の30分前に電話をかけてきて、こう言ったという。

「今、パチンコで15万円勝ったから、しばらく仕事休ませろ」

それを聞いた加藤は、電話越しに激高した。

「ふざけんな! じゃあ今から誰あてがえば良いんだよ」
「いやあ、俺は行かないよ。だって15万勝ったから働く必要ないじゃん」

こうなると加藤は、自分が代わりに現場へ行って穴埋めしなくてはならない。仕方がないので、翌日以降の仕事もすべて配置から外した。すると、次の日また電話がかかってきた。「すみません。今日、一気に20万円負けちゃったんで、悪いけどまた明日から仕事、入れてくれませんか」

そうしたことが頻繁に起こるので、加藤はカッとなって物を投げたり、電話機を叩きつけて壊したこともあったという。

感情的になって携帯電話の画面を見ている人物のシルエット
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

「だから、干してやりたくなる気持ちもわからなくもないし、ガシャーンって電話を叩きつけてブチギレたくなる気持ちもわからなくもないけど、そこはやっぱり理性が働いて、壊すまではいかないじゃないですか。でも、それをやっちゃうんですよ」

■社内には加藤よりキレやすい人間がいた

一方で、そんな自分に不甲斐なさを感じ、倉庫で一人シクシク泣いている加藤の姿も大友氏は見ている。キレる一方ではなく、内省もしていたのだ。

「俺が叱ったことに関しては反発するでもなく、自分なりに噛み砕いて配置を改める。ポジティブに、自分を改善していきたいという思いがある人なんです。もしも最初に入った会社がそこじゃなくて、ちゃんとやる気を認めてくれる会社だったら、それなりの地位についていたんじゃないかなという思いは結構あるんです」

大友氏からすれば、ほかの社員と比べて加藤にはまだ見込みがあったのだろう。むしろ社内には、もっとキレやすい人間もいて、当時はそちらのほうを警戒していたという。いったいどんな会社なんだと思ってしまうが、驚くのは早かった。なんとこの会社には、加藤の前にも無差別殺傷事件を引き起こした人間がいたというのだ。

■加藤以外にも無差別殺傷犯が在籍していた

「僕と加藤くんが入るずっと前に働いていた人が、仙台市のアーケード街をトラックで暴走して何人か殺傷する事件を起こしているんです。結構全国的なニュースになりましたけど、そっちは精神疾患に認定されて、その後に報道規制されたんですよ」

2005年、歩行者7人を死傷させた「仙台アーケード街トラック暴走事件」だ。まさかその犯人までもが、同じ警備会社の元従業員だったとは驚きである。「事件が起きたのは、加藤くんが辞めたあとでしたけど、僕が話してるから、もしかしたら犯行の方法を選ぶときに、無意識に影響してしまったのかもしれない」

大友氏はこのエピソードから、犯行の方法を模倣する心理について語っている。しかし私には、一つの会社で2人も無差別殺傷犯が出てくることのほうが不可解でしょうがない。いくら辞めたあととはいえ、そんなことがあるだろうか。私が困惑していると、大友氏はさらに恐ろしい話を続けた。

「俺がいた2年間だけでもしょっちゅう事件はあったからね。ある日、寮で警備員のおじいさんが突然亡くなって、警察が調べに来たけど事件性はないってことになったんです。けれど彼の携帯電話と、財布の中のお金がなくなっていた。しばらくして夜勤警備の現場で、亡くなった方の携帯電話の落とし物が届いたんです。

その日の現場で寮生活をしていたのは、ある若い兄ちゃん一人しかいなかった。それで、その子に『悪いけど、明日朝イチで来てくれる?』って言ったら行方をくらましちゃった。だから、もしかするとその子が殺したのかもしれない。遺族に事情を説明したら、『世間体もあるから放っておいてくれ』みたいなね。実際にそういう話が日常的にポンポンあるから、もう感覚が麻痺して、事件が日常になっちゃう会社だったんですよ」

■「俺は、可能性はある人だなあと思っていましたね」

金銭目的で簡単に人を殺してしまう、しかも死んでも遺族が騒がない相手を選ぶとは、ある意味で加藤より悪質だ。こうした環境に身を置くことで「困ったときは殺人」という選択肢が、加藤の無意識に刷り込まれたのだろうか。

「言い方悪いけど、やっぱり事件にかかわってしまう人が集まりやすい環境だったと思いますよ」

私は、「朱に交われば赤くなる」の恐ろしさを改めて実感した。

一方で、大友氏はこんなことも語る。

「事件が起きるとよく『あの人がそんなことをするなんて信じられません』なんてコメントがあるけど、俺はまあ、可能性はある人だなあとは思っていましたね」

大友氏がそう思うに至った、象徴的な出来事があるという。ある日、大友氏と加藤、そしてもう一人70代と思しき耳の遠い高齢の警備員の3人チームが、国道のライン引きを警備する仕事に配置された。白やオレンジのセンターラインなどを引く専用車が時速6キロほどで線を引いて走り、警備員はその後ろをマラソン大会さながらに追いかける。ラインが乾く前に車が通ってしまうと、その車のタイヤに塗料がつき、地面のあちこちが汚れてしまう。それを防ぐための警備である。

そもそも体力勝負で、高齢者に任せるような仕事ではないが、そんな現場にも平気で配置してしまうのが、ブラック企業たる所以(ゆえん)だった。車の出入りがあるコンビニの駐車場前に差しかかったとき、高齢の警備員は瞬時の対応ができず、足元もおぼつかないため、自らラインを踏んでしまった。

さらに彼は、塗料の付いたその足で地面を歩きまわった。咄嗟に大友氏は「動くな!」と叫んだが、耳が遠いので聞こえない。慌てた高齢の警備員は、「え? え?」とさらに歩きまわる。まるでコントかのように注意すればするほど、地面に足跡がベタベタと付いていく。

■“最初の殺人事件”になっていたかもしれない出来事

「こんなにグチャグチャにされたら、直すのに4倍も5倍もかかるぞ」と作業員は怒り心頭に発していたが、高齢の警備員は耳が遠いので、言われていることがわからない。「これを、3、4回繰り返したら加藤くんがブチギレた」

インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)
インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)

なんと加藤はいきなり高齢の警備員の胸倉をつかむと、柔道の足払いの要領で全体重をかけ、彼を頭からアスファルトに叩きつけたという。

「瞬間でいっちゃったから、もう止めようがないんです。ヤバい音がして、あっ、完全に首と頭やったなって」

あまりの出来事に一同絶句し、時が止まったかのように場が静まった。その中で、加藤は一人クルリと振り返ると、満面の笑みを浮かべて、「大友さん! ちゃんと注意してやりましたから!」と言ったという。

「本当に映画で見る猟奇殺人犯のような笑みっていうか、不気味な笑顔。『ちゃんとやったからこれで大丈夫です』みたいな。みんなができないことを俺がやってやったという感じで」

怒りが抑えられないのも問題だが、さらに加藤は、その暴力を「みんなのために」「良いこと」だとまったく疑うことなくやったのだ。この認知のゆがみは相当なものだろう。幸い、高齢の警備員は合気道4段だったらしく、咄嗟に受け身をとったらしい。ヘルメットを被っていたこともあり、怪我はなかった。が、もしかすると加藤にとってこれが最初の殺人事件になっていたかもしれない。

■それでも「友人」であることには変わらない

「そういうのを知ってるから、ちょっと危険な兆しのある人なのかなっていうのは嫌でも見える」

まともな人間なら近づきたくないだろう。しかしそんな危険な姿を見ても、なお大友氏は加藤の「友人」なのだ。

「うん。俺に対して何かおかしな態度とかあれば距離を取ったかもしれないけど、僕に対してはちゃんと普通に接するし、間違いを注意したら本人なりに反省して改善して頑張ってやっているっていう姿は見えたから。自分としてはまずいとわかっているけど、どうしようもないみたいな部分もあるし。なんかもがいてるのかなぁ、ぐらいだった」

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インベ カヲリ★ 写真家・ノンフィクションライター
1980年、東京都生まれ。写真家。短大卒業後、独学で写真を始める。編集プロダクション、映像制作会社勤務等を経て2006年よりフリーとして活動。13年に出版の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』で第39回木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年第43回伊奈信夫賞を受賞、19年日本写真協会賞新人賞を受賞。写真集に『理想の猫じゃない』、『ふあふあの隙間①②③』がある。ノンフィクションライターとしても活動しており、「新潮45」に事件ルポなどを寄稿してきた。著書に『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』、『私の顔は誰も知らない』など。

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(写真家・ノンフィクションライター インベ カヲリ★)

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