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85歳を過ぎて認知症傾向のない人はいない…高齢者医療の専門医が「老いと闘うな」と訴えるワケ

プレジデントオンライン / 2022年6月3日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chinnapong

老いとはどう向き合えばいいのか。精神科医として35年近くにわたり高齢者医療の現場に携わってきた和田秀樹さんは「どれほど気をつけて努力したところで、ある程度の高齢になれば認知症になることは避けられない。老いを受け入れて、できることを大切にするほうがよりよい人生を送れる」という――。

※本稿は、和田秀樹『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■「90歳でもこんなに元気に歩いています」はうらやましいのか

いま、老いに対する人びとのスタンスが二極化していると感じます。

一方は、老いとずっと闘いつづけなければならないと考える、「アンチエイジング派」です。いつまでも若々しくありたい、老け込みたくない、寝たきりや認知症にならないようにしたいと考える人たちです。

健康食品のコマーシャルで、「90歳でもこんなに元気に歩いています」「人間、心がけしだいでいくつになっても若くいられます」と語る人たちを見て、「私もそうなりたい」と思う人も多いことでしょう。

もう一方は、その対極の反アンチエイジング、「自然に老いる派」です。50歳そこそこで早くも「自然に歳をとりたい」と、反アンチエイジングを公言する女性芸能人も見かけます。

90代の女性脚本家が認知症になって生きることをよしとせず、安楽死を望む一方で、50代の女優が早々に老化を受け入れる姿勢を見せているというのは、何やら奇妙にも思えます。

いつまでも老いと闘いつづけるべきという考えのもと、美容医療やカツラの装着にも意欲的で、アンチエイジングに余念がないグループと、「ボトックス注射でしわをとるなんて許せない」と批判したり、「ヅラ疑惑」と揶揄したりするグループに二分されている現状があります。

■遺体が語る「85歳を過ぎるとがんがない人はいない」実態

老いと闘うか、受け入れるか。私自身は、残念ながら、人間は最終的に老いを受け入れざるをえないと考えています。

そのベースにあるのは、高齢者医療の現場での経験です。私が勤めていた浴風会病院は、もともとは関東大震災で身寄りを失った高齢者の救護施設として、皇室の御下賜金などをもとに設立されました。その後、老年医学の研究のため、当時の東京帝国大学医学部からこの施設に医師が派遣され、入所者の診療を行うとともに、亡くなった人の解剖を行い、高齢者の脳や臓器について研究が進められました。

いまでもその伝統が残っており、私が勤務していた当時は、年間100例ほどの解剖が行われていました。

私はその解剖結果をずっと見てきました。その結果、わかったのは、85歳を過ぎると、脳にアルツハイマー型の神経の変性がない人、体内にがんがない人、動脈硬化が生じていない人は一人もいないということです。

■いずれにせよ人間はいつか必ずボケるし歩けなくなる

つまり、どれほど認知症にならないようにがんばったところで、あるいは生活習慣病を予防するために食生活や運動に気をつけたところで、ある程度の高齢になれば誰もが認知症になるし、生活習慣病にもなるのです。

かつては成人病と呼ばれていた脳卒中や心臓病などを、「生活習慣病」と改称することを提唱したのは、100歳を過ぎても現役医師として活躍していた日野原重明先生(享年105)ですが、その日野原先生でさえ、晩年は脳内に変化が起こっていたと考えられます。

同じくらい脳が縮んでいても、すっかりボケたようになってしまう人と、驚くほど頭がしっかりしている人がおり、症状の表れ方には個人差があります。認知症になったとしても頭を使いつづけて、なるべくしっかりした状態を保つようにしてほしいと思います。

いずれにせよ、人間はいつかボケます。いつかは歩けなくなります。それを覚悟しておく必要があります。

■安楽死を望むよりも「ボケたらしかたない」と考えるほうが健全

認知症について「ボケる」と表現するのは、侮蔑的であるとして避けるのが一般的になっていますが、私は必ずしもネガティブなニュアンスの言葉とは思っていません。むしろ、脳の老化がもたらす自然な状態を表すものと認識しているので、本稿でも使用することをここでお断りしておきます。

認知症の検査法である「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発したことでも知られる、精神科医の長谷川和夫先生は、88歳のときにみずからが認知症であることを公表しました。

日本の認知症医療の第一人者といわれる当人が認知症になったわけですが、長谷川先生本人は、新聞のインタビューで「隠すことはない、年を取ったら誰でもなるんだなと皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」とあっさり言い、「認知症の人自身が何を感じているかを伝えたい」と、講演活動を始めました。

認知症を受け入れず、「認知症になってまで生きたくない」と安楽死を望むより、「ボケたらしかたがない。ボケたなりにできることをやろう」と考えるほうが、老いに対するスタンスとして健全なのではと私は思います。

高齢者の手を握る看護師
写真=iStock.com/PIKSEL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PIKSEL

■老いと闘ったほうがいい時期は存在する

老いと闘うことと、老いを受け入れることは、二項対立ではなく「移行」だと私は思っています。

老いと闘えるあいだは、闘ったほうがいいと思います。まだ十分に闘える時期なのにそうしないと、年齢以上にずっと老け込んでしまいます。定年後に何もしない生活をしていると、60代でも歩行がよろよろしたり、すっかり老人そのものの顔つきになったりする人もいます。

70歳そこそこで寿命がきていた時代であれば、それでもかまわないと思いますが、いまや日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳を超えています。これは平均ですから、60歳より前に亡くなる人がいることを考慮し、平均余命を見るかぎり、男性でも85歳くらいまで生きる人が多数派でしょう。

60代から20年以上ものあいだ、ヨボヨボの状態で過ごすというのは、さすがにつらいのではないでしょうか。歩けなくなると行動範囲がかなり狭くなってしまうので、できるかぎり毎日、散歩を楽しむようにしたいですね。

また、認知機能があまりにも急に衰えると、本も読めなくなるし、人との会話もままならなくなるので、なるべく頭を使いつづけるようにすることです。こうして、ある時期までは老いと闘っておいたほうが、少なくとも残りの人生を楽しめると思います。

ただ、認知症になって軽い物忘れが始まった、あるいは歩行がおぼつかなくなったら、それで人生終わりかといえば、そんなことはありません。

老いを受け入れるということは、老いているなりにどう生きるかということです。老いと闘うフェーズが終われば、次は老いを受け入れるフェーズがあって、そこでジタバタしないことが、格好よく老いることだと思います。

■できなくなったことを悲観せず、できることを大切にする

歳をとると、体や脳が衰えてきます。それは確かですが、だからといって、いきなり何もできなくなるわけではありません。

たとえば、認知症になると、とたんに何もかもわからなくなると思われがちですが、初期には記憶障害が起こるものの、理解力などはそれほど低下せず、それこそ長谷川和夫先生のように講演さえできるものです。

また、認知機能は衰えても、体は丈夫で長く歩けるという人もいれば、反対に、歩行困難で車いす生活を送らざるをえないものの、頭はシャキッとしている人もいます。老化によって、すべての能力が一様に低下するわけではないのです。

ニュースキャスターの安藤優子さんのお母さんは、認知症が進み、老人ホームに入居していたそうですが、施設で「臨床美術」のセラピーを受けて、大好きだったハワイの思い出を描くようになったといいます。

終末期になれば、寝たきりでほぼ何もできない状態になりますが、それまでは、できないことは増えても、できることは残っています。重要なのは、できなくなったことを悲観するのではなく、できることを大切にして、それを活かしていくという考え方です。

パラリンピックの選手たちは、障害者という枠のなかで競争しているというイメージをもたれがちですが、彼らは多くの競技において、ほとんどの健常者よりもはるかに高い能力を見せます。つまり彼らは、できることの能力を最大限に伸ばし、できることのすごさで世界を相手に競っているわけです。

■老いや死をうまく受け入れた人は魅力的に見える

できないことがあってもいいのです。「できることはこんなにすごい」という方向に目を向けることが大事なのです。人は自分の欠点ばかりを気にして、長所を見過ごしがちです。たとえば、受験勉強では、苦手科目を克服しようとするより、得意科目を伸ばすほうが、合計の点数が上がることが多いものです。

和田秀樹『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)
和田秀樹『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)

実際、高齢になっても、できることの何かがすごければ、人から一目置かれます。たとえ寝たきりになっていても、おもしろい話ができるなら、話を聞かせてほしいと思う人が周りに集まってくるはずです。

絵や音楽、運動など、これまでやってきたことがあれば、できるかぎり続けていくことで、さらに新しい境地にいたることもあるでしょう。ピカソなど巨匠と呼ばれる画家でも、歳をとってからの作品のほうが高い評価を得ることはめずらしくありません。

老いや死は、ある程度上手に受け入れておいたほうが、他人から見ても魅力的であるばかりでなく、自分自身も平穏な気持ちを保つことができます。そして結果的に、老いによるダメージの程度がそれほど大きくならずにすむことが多いと思います。

老いを受け入れると、できないことをあきらめられるぶん、できることを慈しみ、それをもっとやってみようという意欲が湧いてきます。そして、老いの時間をより豊かに過ごせるようになると思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授
1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院・浴風会病院の精神科医師を経て、現在、国際医療福祉大学赤坂心理学科教授、川崎幸病院顧問、一橋大学・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。

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(精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授 和田 秀樹)

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