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実際に成功するとは限らないが…ムー編集長が「自己啓発本はオカルトだからこそ価値がある」と説くワケ

プレジデントオンライン / 2022年6月4日 12時15分

写真提供=学研プラス

超常現象や怪奇現象などを扱う雑誌・月刊『ムー』。「オカルト雑誌」と呼ばれることもあるが、三上丈晴編集長はそれを否定しない。三上編集長は「自己啓発をうたうビジネス書は、どれもがムー的で、オカルト本に近い。実際に成功するかどうかはわからないが、人生に行き詰まったら、読む価値はある」という――。(第2回)

※本稿は、三上丈晴『オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術』(学研プラス)の一部を再編集したものです。

■自己啓発本の基本にあること

サラリーマンはもちろんだが、起業を目指す方は書店の自己啓発コーナーに行ったことがあるのではないだろうか。仕事術と称した本を中心に、いかにすばらしい人生を送るかといったテーマの書籍が数多く置かれている。本書も、ひょっとしたら、そこに並んでいるかもしれない。

基本的に自己肯定やポジティブシンキング、さらには引き寄せの法則などとうたった書籍もある。成功哲学という位置づけだが、なかにはスピリチュアル本も少なくない。もともとナポレオン・ヒルやデール・カーネギー、そしてなんといってもジョセフ・マーフィーらの人生訓が元祖といっても過言ではない。

どの本も、理論的にはアドラー心理学が基本にあり、大切なのは目的であって過去ではない、と説くことが多い。成功をリアルにイメージして、マイナス要素を払拭(ふっしょく)する。瞑想(めいそう)して宇宙と一体化し、神が自分を愛していることを実感せよ。日常的に理想的な状態を観想することによって、だれもが成功者となる。力んで努力しても、必ずしもむくわれない。むしろリラックスして成功をイメージしながら眠るほうがいいという。

地球での瞑想
写真=iStock.com/Henrik5000
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Henrik5000

■「マーフィーの成功哲学」の根底にあるオカルト

典型的なのは「マーフィーの成功哲学」である。ビジネスパーソンなら、一度は目にしたことがあるのではないだろうか。マーフィーといっても、テーブルから落ちたトーストがバターを塗った面が下になる確率は敷いている絨毯の価値に比例すると説いたエドワード・マーフィーではない。

日本では「マーフィーの法則」として知られるが、これは、ある意味、マーフィーの成功哲学のパロディだ。とはいえ、両者の根底にあるのは人智を超えた宇宙の法則であり、かなりスピリチュアルだ。

提唱者のジョセフ・マーフィーはキリスト教の牧師である。ディヴァイン・サイエンス教会といって、一種の新興宗教の指導者だ。キリスト教と合理主義を心理学をもって統合したニューソートという思想が中心にある。潜在意識に働きかけることで、成功を手にすることができると説き、潜在意識が『聖書』でいう神、もしくは神が創造したものであると位置づける。

あやしいオカルト本と見られることを避けるためか、日本語では本文に出てくるスピリチュアル的な表現をうまく心理学の用語で置き換える傾向がある。初期の翻訳本では、ストレートにサイキックや心霊主義といった訳語があり、実際のところ、こちらのほうが内容的に正しい。何しろ、易の活用を積極的に勧めているぐらいだ。

先述したアドラー心理学をベースにした本などと紹介されることもあるが、潜在意識や集合無意識を肯定している点で、むしろユング心理学に近い。

カール・グスタフ・ユングはオカルトにも造詣が深く、易経を研究していたことはすでに述べた。もっとも、サイキックを強調している点からすれば、心理学は心理学でも、超心理学だといえるかもしれない。超心理学とは超能力を研究する学問である。

■自己啓発本はどれもがムー的である

当然ながら、マーフィーの成功哲学は昔から知っている。中学生のころには、すでに何冊か読んでいた。読んでいると、なんというか、安心する。成功した姿をイメージするだけでいいのだから、セルフマインドコントロールには、もってこいだ。受験参考書でいう合格体験記を読んでいるようなもので、その気になってしまう。

ある意味、思い込むことが重要だ。学生時代には、テストの成績がよくなる、部活動の試合で優勝する、恋愛が成就するといったことなど、何かにつけてマーフィーの成功哲学を実践したものだ。

おかげで志望した大学に入ることができ、卒業して学研に入社、しまいには月刊『ムー』の編集に携わることになったのだから、効果があったのだろう。今でも、何かあったら、マーフィー本を開いている。月刊『ムー』の企画にも役立っていることは、いうまでもない。

今日、ビジネス書にはたくさんの自己啓発本が並んでいるが、どれもがムー的である。

すべてがオカルト本だとはいわないが、スピリチュアル本であることは確かだ。読むことでポジティブになれる。実践して、実際に成功するかどうかはわからないが、人生に行き詰まったら、読む価値はある。少なくとも、精神安定剤にはなるだろう。

■「落穂拾い」に描かれた3人は、いったい何者か

世界的に有名な絵画に「落穂拾い」がある。19世紀のフランスの画家ジャン゠フランソワ・ミレーによって描かれた風景画である。刈り取られた麦畑に3人の人物が描かれている。彼女らは腰をかがめて、地盤の落穂を拾っている。穏やかな日差しを受けて、平和な日常を写実的に描いている。

「落穂拾い」
ジャン゠フランソワ・ミレー作「落穂拾い」(画像=Web Gallery of Art/ジャン゠フランソワ・ミレー/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

さて、ここで問題です。「落穂拾い」に描かれた3人は、いったい何者でしょうか。彼女らは架空の存在ではなく、実在した人物だ。少なくとも、この風景が描かれたシャイイの農村に住んでいた人物がモデルになっていると考えられている。

おそらく日本人の多くは農家の方だと答えるだろう。この麦畑の持ち主で、刈り取ったときに落ちた穂も、大切に拾っている。食べ物を粗末にしてはいけない。ひと粒の米には七人の神様が宿っていると教えられてきた日本人なら、そう思うだろう。農家の方なら、なおさらだ。

しかし、これ、根本的に間違っている。描かれた3人は、この畑の持ち主でもなければ使用人でもなく、ましてや地主でもない。畑のオーナーからすれば、まったくの他人である。赤の他人が自分の畑に勝手に入って、落穂を拾っているのである。おそらく貧しい農家か、そもそも農民ではない可能性もある。いわば生活に困窮している人々が裕福な農家の畑に入って農作物を持ち去っている。悪いいい方をすれば麦泥棒なのだ。

■「麦泥棒」の背景にある旧約聖書の教え

なぜミレーは麦泥棒を題材にして絵を描いたのだろうか。実は、これには深いわけがある。畑のオーナーは、なぜ、そもそも麦泥棒を追い払わなかったのか。なぜ、そのまま落穂を拾うことを許したのか。ここなのだ。

理由は『聖書』にある。『旧約聖書』の「レビ記」にはイスラエル人に対する戒めとして、収穫の際に落ちた穂は拾ってはならないと定められているのだ。なぜなら、落穂は寄留者、つまりは流浪の民や社会的な弱者のためのものだから。かつてはイスラエル人も寄留者だった。そのことを忘れてはならないというわけである。

畑のオーナーは、これを知っていた。ユダヤ教徒、もしくはクリスチャンだったのであろう。『聖書』の教えを守っていた。だからこそ、落穂を拾わずに、そのままにした。あえて残された落穂を拾う人々を描くことによって、ミレーは畑のオーナーはもちろん、この農村に住んでいる人々の敬虔(けいけん)な信仰を表現したのである。

とはいえ、これは『聖書』を知らなければ、まったく理解できない。ほとんどの日本人が抱くように、拾っているのは畑の持ち主だと勘違いしてしまう。描いた人間はもちろん、描かれた時代や国、民族を知らなければ、絵画を理解したことにならない。

とくに欧米はもとより、中東など、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の世界では、すべての根本は『旧約聖書』である。これに『タルムード』でユダヤ教、『新約聖書』でキリスト教、さらには『コーラン』でイスラム教なのだ。

■『聖書』自体が企画の源泉

世界史を理解するために『聖書』は必須である。『旧約聖書』と『新約聖書』は、絶対に読んでおかなければならない。ムー的なことでいえば、オカルトの基本は『聖書』にあるといっても過言ではない。

西洋魔術の根本カバラはユダヤ教神秘主義であり、グノーシス主義はキリスト教の異端である。ノストラダムス自身、ユダヤ人にしてカトリック信者であった。ノストラダムスの大予言や終末預言、さらには世界支配の陰謀論などは、みな『聖書』の知識を前提として書かれているのである。

しかるに、月刊『ムー』の記事を企画するにあたって『聖書』は基本中の基本。そもそも『聖書』自体が企画の源泉だといってもいいぐらいだ。

逆に、もしムー的なことに興味があるのなら、魔術や予言、陰謀論をきっかけに『聖書』を読んでみることをおすすめしたい。いきなり分厚い『聖書』を読むのに抵抗があるならば、粗筋が書かれた入門書から始めるのもいい。『聖書』の漫画もある。最近ではネットで多くの動画がアップされているから、それを見てもいいだろう。今まで見えなかったことが見えてくるだろう。

世界を理解することはもちろん、回りまわって、最終的には日本の謎を解く鍵にもなる。日本人とユダヤ人が同じ祖先をもつきょうだいであることも、実は『聖書』を読むことでわかってくるはずだ。『旧約聖書』のモーセ五書、いわゆる『トーラー』の内容を知れば、いかに日本の神道と古代ユダヤ人の習慣が似ているか、驚くに違いない。

■あるテレビ番組に「絶対にやった方がいい」と伝えたこと

最近、オカルト番組が少なくなったという話を聞く。コンプライアンス・コードが厳しくなり、一方的な主張を展開する番組が作りづらくなっているという。オカルトも、賛否両論を前面に出す必要があるのだとか。もっとも、ムー的なテーマの番組という意味では、さほど少なくなったという印象がないのも事実である。

そんなムー的なテレビ番組のひとつに「T」があった。超常現象などをテーマに、科学的な調査および分析を行う。民間の調査機関という設定は、もちろん架空であるが、調査そのものはリアルな番組であった。

実は、この企画がもちあがったとき、関係者が『ムー』編集部に相談に来たことがあった。超常現象を扱う番組では、こうしたケースは珍しくない。完全にフィクションであるが、ドラマ『トリック』のスタッフが来られたこともある。

新しい「T」なる番組を制作するにあたって、もっとも重要なのはネタである。月刊『ムー』の記事を参考にしたいので、ご協力を仰ぎたいという内容であったが、そのとき、ひとつアドバイスしたことがある。

記事は筆者や研究家のものなので、それらの出典などを明記すればいいが、もっと大切なことがある。超常現象を調査したとしても、これで完全に解明できたと結論づけてはならない。けっして決めつけてはならない。決めつければ、必ず反感を買う。

とくに超常現象に興味をもっている視聴者は月刊『ムー』の読者のように一家言をもっている。自説と異なる結果を最終結論だと断定されれば、おもしろくないのだ。

■「真相がわかり次第、追って報告する」

調査の結果を出すのはいい。番組として結論を出してもいいが、それが100パーセント正しいというスタンスはとるな。どこかに1パーセント、他の可能性を認める余裕をもて。これで、すべてが解明できたわけではない。引き続き、調査を続行する。そう、最後にひと言あれば、一家言をもっている視聴者の留飲は下がる。と同時に、続編を期待することになるのだ、と。

幸いにして、進言は受け入れられたようで、実際の番組では「真相がわかり次第、追って報告する」というナレーションでしめくくる形で放映された。結果、視聴率も好調で、続編が作られた。

■月刊『ムー』は、可能性を紹介する雑誌である

大切なのはスタンスである。答えはひとつだけとは限らない。2次方程式の解がふたつあるように、別の答えがあるかもしれない。謎に対するアプローチが違えば、得られる結論も異なる可能性がある。

三上丈晴『オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術』(学研プラス)
三上丈晴『オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術』(学研プラス)

UFOの正体は何か。早稲田大学の大槻義彦名誉教授がいうように、UFOは火の玉、プラズマなのかもしれない。プラズマによって説明が可能な事件や現象はあるだろう。が、だからといって、すべてのUFOがプラズマで解明できるわけではない。逆にプラズマによって異星人の宇宙船が飛行している可能性だってある。

月刊『ムー』は、その可能性を紹介する雑誌である。UFOに乗っている知的生命体に関して、先月号では金星人だといい、今月号では地底人、そして来月号では未来人のタイムマシンだという特集を組む。一見すると、節操がないようだが、不可思議な謎に対するスタンスとしては正しい。諸説を紹介するのが媒体としての使命なのだから。

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三上 丈晴(みかみ・たけはる)
『ムー』編集長
1968年生まれ、青森県弘前市出身。筑波大学自然学類卒業。1991年、学習研究社(学研)入社。『歴史群像』編集部に配属されたのち、入社半年目から『ムー』編集部。2005年に5代目編集長就任。2021年6月24日より、福島市の「国際未確認飛行物体研究所」所長に就任。CS放送エンタメ~テレ『超ムーの世界R』などメディア出演多数。

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(『ムー』編集長 三上 丈晴)

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