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テクノロジーに弱い文系がビジョンを描き、理系は下働きをする…日本が世界に取り残される根本原因

プレジデントオンライン / 2022年6月11日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ngampol Thongsai

なぜ日本には理系のリーダーが少ないのか。長年、アメリカの教育現場に身を置いてきた千葉工業大学変革センター所長の伊藤穰一さんは「日本は技術者の社会的立ち位置が確立されていない。その背景には、日本の教育が学生を文系と理系に分けてきたことがある」という――。

※本稿は、伊藤穰一『テクノロジーが予測する未来』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■有能な技術者が能力を発揮しきれていない

長年、アメリカの教育現場に身を置いてきた目から日本を見たときに、残念だなと思うことがあります。

それは有能な技術者が育っていないことというよりも、技術者の社会的立ち位置が確立されていないために、有能なはずの技術者が能力を発揮しきれていないこと、といったほうが正確かもしれません。

日本の教育では、ずっと学生を文系と理系とに分けてきました。そして文系は総合職、理系は専門技術職というように進む道が枝分かれするうちに、「文系人材が立てたプランに従って理系人材が働く」という上下関係の構図ともいえるものができてしまったように思えます。

文系と理系に分ける教育は、メーカーという技術者集団がモノをつくり、それを文系の集団である総合商社がどんどん海外に売る、という戦後の高度経済成長期の頃はうまく機能していたのでしょう。

しかし大量生産・大量消費の時代が過ぎ去り、さらにはweb3によって、あらゆる面で分散化(非中央集権化)がこれから進もうとしているいま、教育の仕組み自体に見直しが迫られています。それ次第で、日本の国力は大きく変わってくるといってもいいくらいです。

■テクノロジーに明るくない人たちが国家ビジョンを描いている

小手先の教育改革ではなく、社会のアーキテクチャー(構造)を変えるくらいの変革が必要です。

昔は木材だけで建物をつくっていたところに、コンクリートやガラスのような新しい素材が現れました。しかし、外側の見栄えだけで建築を考えていたら、これらの性質を理解しないまま素材だけを変えて、違う見栄えであっても同じ構造の建物をつくっていたでしょう。

建築の構造というものを理解し、そこに「コンクリートはこんな素材」「ガラスはこんな素材」という知識が合わさって初めて、「いままでにはなかった、こんな構造の建物ができる」という発想が生まれる。こうして建築が構造から変わり、街の設計や機能も変わっていく。これこそ、アーキテクチャーが変わるということです。

いまの日本を見ていると、素材のことをまったく理解していない人たちが、建物の見栄えだけで「これからの建築物はどうあるべきか」と議論しているように見えます。

テクノロジーに明るくない人たちが国家のビジョンを描き、ゴールを設定している。このテクノロジー全盛時代に、です。これではビジョンもゴールも的外れになるのは不思議ではありません。

■エンジニアが法律や経済を学べる環境をつくる

こうした不合理を正す一端を担えたらと、現在、僕が取り組んでいるのが千葉工業大学変革センターでの仕事です。

2019年まで所長を務めていたMITメディアラボは建築学部内の研究所なのですが、そこでもっとも重視していたのは、アート、サイエンス、デザイン、エンジニアを掛け合わせて考えることです。ハーバード大学法学部の学生たちと一緒になって、技術と法律の両面から人工知能の未来を考えるなど、いくつも刺激的な試みをしました。

マサチューセッツ工科大学(MIT)
写真=iStock.com/diegograndi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/diegograndi

千葉工業大学でも同じ発想で、エンジニアたちが法律や経済、美学なども合わせて学べる環境整備を進めているところです。いずれは千葉工業大学から、企業や国家でリーダーシップを発揮する人材が多く輩出されるようになれば、と願っています。

■なぜホンダやソニーは日本を代表する企業になったか

本田技研工業創業者、本田宗一郎さんの有名な写真があります。バイクがまさに目の前を走っているときに、本田さんが地面に手をつけている。これは、エンジン音の異常を、創業者みずから全身で感じ取っている光景です。技術に明るく、現場任せにしないリーダーの姿です。

ソニーが戦後日本を牽引(けんいん)する革新的企業になったのも、創業者自身が技術者だったことと無関係ではありません。やはり技術をちゃんと理解している人たちが、リーダーシップをとることが重要です。

これからの時代は特にそうだと思うのですが、いまは国も企業も、何でもタスク化して解決に注力する「ソリューショニズム」に陥ってしまっている。そうではない真の創造性には「そもそも、なぜ?」という問いが不可欠です。

その点、web3で新しいことにチャレンジしている若い人たちは、「そもそも、なぜいまこういう状況なんだっけ?」と自問し、新しい技術を用いてコンセプトを立てているように見えます。技術に対する深い理解があるから、「そもそも論」からはじめて、新しい価値を生み出すことができるわけです。

■アメリカでは「社員の半数が技術者」は当たり前

そこで大学教育を通じて、僕がぜひとも実現していきたいのは、技術者の価値と可能性の解放です。

先にも述べたように、どうも日本の理系人材は、文系人材につき従うという「下請け的な立場」に甘んじてきたように見える。これは技術者のほうにも、「文系の人たちが創造したものを職人的にかたちにしていく」という状況に慣れてしまったところがあるからだと思います。

伊藤穰一『テクノロジーが予測する未来』(SB新書)
伊藤穰一『テクノロジーが予測する未来』(SB新書)

技術をわかっている人が美学をもって創造すると、おもしろいものができます。「創造する文系、かたちにする理系」という構造を壊し、技術者がもっと価値を認められて、幅広い分野で能力を発揮できる社会になれば、日本の国力は確実に上がっていく。

証券会社なども、日本企業だと、技術的なことはIT企業にアウトソーシングするケースが大半ですが、アメリカの企業では、社員の半数を技術者が占めるというのが当たり前になっています。役員クラスの人がエンジニアという企業も少なくありません。

こういうところは、今後、日本も取り入れていくべきだと思います。そのためにも、やはり、まず技術者の解放からはじめなくてはいけない。

■文系の人たちにもテクノロジーと仲よくなってほしい

一方、文化・社会学側からのアプローチでテクノロジーをとらえていくことも必要です。

いわゆる文系の人たちにも、よくわからないままテクノロジーを使うのではなく、ブロックチェーンの仕組みを学んだり、DAOやNFTの可能性を考えてみたりなど、文系の知見を使って、もっとテクノロジーと仲よくなってもらいたいと思っています。

テクノロジーと芸術表現を掛け合わせる、メディア・アーティストと呼ばれる人たちもいます。ストリートアートの人たちにも、テクノロジー好きの人が多いようです。そういう人たちのいろんな刺激的な活動ともあいまって、今後、日本で文系と理系の真の融合が進んでいくことを期待しています。

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伊藤 穰一(いとう・じょういち)
デジタルガレージ取締役
デジタルガレージ取締役・共同創業者・チーフアーキテクト、千葉工業大学変革センター所長。デジタルアーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、起業家、作家、学者として主に社会とテクノロジーの変革に取り組む。民主主義とガバナンス、気候変動、学問と科学のシステムの再設計などさまざまな課題解決に向けて活動中。2011年から2019年までは、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの所長を務め、2015年のデジタル通貨イニシアチブ(DCI)の設立を主導。また、非営利団体クリエイティブコモンズの取締役会長兼最高経営責任者も務めた。ニューヨーク・タイムズ社、ソニー株式会社、Mozilla財団、OSI(The Open Source Initiative)、ICANN(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)、電子プライバシー情報センター(EPIC)などの取締役を歴任。2016年から2019年までは、金融庁参与を務める。

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(デジタルガレージ取締役 伊藤 穰一)

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