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レジ係だった女性が34歳で首相に…人口550万人の小国フィンランドを象徴する「人こそ資源」という考え方

プレジデントオンライン / 2022年6月3日 9時15分

イタリアのマリオ・ドラギ首相とフィンランドのサンナ・マリン首相は、イタリアのローマにあるキージ宮殿での会談の後、共同記者会見を行った=2022年5月18日 - 写真=AA/時事通信フォト

北欧フィンランドのサンナ・マリン首相は36歳の女性だ。マリン首相は自身のキャリアについて「レジ係でも首相になれるフィンランドを誇りに思う」と公言している。ライターの堀内都喜子さんは「彼女はまさに『フィンランド・ドリーム』を体現している」という――。(第1回)

※本稿は、堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■幼い頃に両親が離婚、同性カップルに育てられた

2019年12月、「フィンランドで34歳の女性首相誕生」というニュースが世界を駆け巡った。新しい首相の名はサンナ・マリン。当時、世界最年少の首相で、女性。彼女の人となりを報じるべく、数百件ものインタビューリクエストが殺到した。

彼女の政治家としての経歴を語る前に、まずはその生い立ちを簡単に紹介したい。1985年に首都ヘルシンキで生まれ、幼い頃に父親のアルコール問題で両親が離婚。その後父親との交流はほとんどなく、母は同性のパートナーと一緒になり、地方都市タンペレ近郊の公営賃貸住宅に3人で移った。

マリンはいわゆる「レインボーファミリー」(子どもがいる同性カップル)の出身だ。母親は幼い頃、養護施設で育った経験を持っており、高等教育を受けたことはなく、様々な仕事を転々としていた。失業していた時期もあり、決して経済的に豊かな家庭ではなかったという。親戚も様々な問題を抱えている人が多かった。マリンは家族の中で初めての高校卒業資格保有者になった。

■裕福な政治家一族出身という日本のイメージとは真逆

ここまでの情報で既に驚いている人も多いと思う。日本で首相というと、親も政治家だったり、経済的に豊かな家庭で育ったり、というイメージで語られがちだが、それとは真逆といっていい。フィンランドでは教育は大学院まで無料で、児童手当や単親家庭への支援、低所得者向けの様々な手当があるため、経済的な事情で進学の道が閉ざされることはない。子育てについても支援は手厚い。

小中学生の頃には政治家は遠い存在で、マリンは自分が政治に関わりたいとも思っていなかったという。決して勉強が好きなわけでもなかったようだが、高校生になると勉学に励むようになった。だが、高校卒業後すぐ大学に進んだわけではない。自分のやりたいことが具体的には見えていなかったので、店のレジ係として働いたり、時には失業手当を受けて生活したりしていた。

そんな中、「失業中の若者には、わずかでも給料のもらえる仕事が一時的に必要で、それがあれば社会を信じることができる」と考えるようになり、行政学を学ぶことを決意して、地元のタンペレ大学に進学する。

ちなみに、フィンランドで大学に入るには、高校卒業試験の結果に加え、各志望大学の試験がカギとなる。学部によっては非常に競争が激しいが、試験のために塾に通うことはない。大学試験は高校時に学んだことではなく、これから学ぶ専門分野の基礎を問うものが多く、課題図書などもある。通常は自習で乗り切り、浪人して大学のオープンカレッジなどで関連科目を学ぶことはあっても、高額なお金を払って塾に通う文化はない。

大学院までは、先述の通り授業料は無料だし、学生には国から支給される生活費や家賃の手当、さらには国の学生ローンもあるので、どんな家庭であっても進学することができる。しかし彼女はローンには頼りたくないと、大学生活の合間にアルバイトをして生活した。それは、ローンが返せなかったらどうしようという不安が強かったためで、経済的に余裕のある家庭の出身だったらローンに対する恐怖心は違っていただろうと後に語っている。

■若者の失業や気候変動問題に関心を持ち政治の道へ

大学に入学した頃に、サンナ・マリンは政治への不満を抱き始める。アルバイトをしながら気づいた若者の失業問題の他にも、気候変動などの急を要する課題に政治家が十分に向き合っていないと感じたためだ。そこで、「自分自身が政治に関わり、世の中を良くしたい」と考えるようになり、社会民主党の青少年部に所属することにした。

社会民主党を選んだ理由は、自身の経験などから「生まれや背景に関係なく、誰もが社会で成功できること」が重要だと考えていたからで、そうした信条や価値観に最も近い左派政党だったためだ。

フィンランドでは市民教育が盛んで、社会は一人ひとりがつくるものだと多くの人が主体的に考えている。各政党には青少年部があり、若者が10代の頃から政党に関わるのは珍しくない。マリンも20歳頃から社会民主党青少年部の中で積極的に活動に参加し、大学や地域の学生議会、学生アパートの自治会などであらゆる役職に携わって、徐々に存在感を示していった。

ちなみに大学での勉強は政治活動をしながら行っていたため、卒業するまでに10年以上かかり、国会議員になった後の2017年に修士号を取得している。フィンランドでは自分が何を勉強したいか、将来は何をしたいのかをゆっくり考えながら進学する人も多いので、入学する年齢もバラバラなら、卒業までにかかる年数もそれぞれだ。

大学生と社会人のはっきりした境目はなく、学生の間に仕事を始めてしまう人もいるし、ある程度仕事をしてから学生に戻る人も多い。

■23歳で市議選に初出馬し、4年後に初当選

青少年部に所属したマリンは、2008年に23歳で地元タンペレの市議会議員に出馬するも、落選。しかしその後、メキメキと頭角を現していく。2010年には25歳で党青少年部の副代表となり、2012年にタンペレ市の市議会議員選挙に再挑戦して当選。その翌年には、すぐに市議会議長に就任した。

議長は通常第二党から出すのが慣例で、この時、市議会で第二党だった社会民主党の議員たちは、全会一致で彼女を議長に推した。マリンは路面電車の新設など難しい議題でさっそく手腕を発揮し、どんな難局でも話し合いを前進させてまとめ上げる、非常に頑固で厳しい議長として知名度も評判も上げていった。

この時期に、話し合いが何時間もの膠着(こうちゃく)状態に陥っても粘り強く対応し、多数決を取る際に「まだ話し合いが足りない」と叫んで粘ろうとする議員に向かって、断固とした態度で応じる姿が注目を集め、メディアやSNSでも拡散されていた。実は当時、私もタンペレ在住の友人から「市議会の議長がすごいから、見てみて!」と動画を見せられたことがある。

風になびくフィンランドの国旗
写真=iStock.com/Ramberg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ramberg

■首相となった今でも市議会議員を兼任

地方議会の議長をつとめながら、マリンは2014年には党の第二副党首に就任し、2015年には国会議員に初当選した。フィンランドでは地方議員と国会議員を掛け持ちすることが可能で、多くの国会議員が大臣職に就いた後でも地方議員を続けている。マリンも、首相となった現在でもタンペレ市議会の議員を兼任している。

さらに2017年には、党の第一副党首に就任。2019年春の国政選挙では急病で倒れた党首に代わって選挙戦を率いて、社会民主党は約20年ぶりに第一党となった。その後に誕生した政権では、運輸通信大臣に就任。

フィンランドでは連立政権を担う党が大臣職を分け合うため、党内で地位や評価が高ければ、議員1期目、2期目でも大臣に就任することがある。そして同年12月、首相をつとめていた同党の党首アンティ・リンネの辞任に伴い、第一副党首のマリンが首相候補選で勝利し、首相となった。

■「レジ係でも首相になれるフィンランドを誇りに思う」

サンナ・マリンは政治家として着実にキャリアを築きながら、プライベートでもライフイベントを重ねている。国会議員になった後の2018年1月には長年のパートナーとの間に娘が生まれ、半年間の産休と育休を取得。パートナーも彼女が育休を終えた時に、入れ替わる形で半年間の育休を取得している。その後、首相になり新型コロナウイルスの第1波が落ち着いた2020年8月1日、2人は正式に結婚した。

事実婚が多いフィンランドでは、結婚のタイミングも人それぞれだ。親の結婚の有無は子どもの権利に影響しないため、長年連れ添って子どもがいても、結婚していないというカップルは珍しくない。それぞれが仕事を持ち、子育て支援制度や互いの両親の協力を受けながら、平等に、そして一緒に子育てをしていきたいという、現代のフィンランドらしいマリン首相夫婦の考えは、様々なインタビューや実際の行動からも伝わってくる。

とはいえ、首相の仕事は激務である。彼女が首相に立候補する際、夫は「僕とお義母さんたちとで支えていくから心配しなくていいよ」と全面的に協力することを伝えたそうだ。

マリン首相は母乳を与える様子などをSNSに投稿する一方で、率直にメッセージも発信している。例えば、首相就任直後、エストニアのある大臣が彼女のことを「レジ係」と呼び、中傷したとの報道があった。すると彼女はツイッターに「フィンランドを誇りに思う。貧しい家庭の子でも十分な教育を受けられ、店のレジ係でも首相になれるのだから」と投稿した。

店のレジ係の女性
写真=iStock.com/DragonImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DragonImages

■「社会の強さは最も脆弱な人たちの幸福によって測られる」

年齢や性別に関する質問に対しては、彼女の答えは「年齢や性別を意識することはあまりない」と一貫している。2020年の世界経済フォーラムのダヴォス会議で同様の質問があった時も、マリン首相は「私たちは普通の政府です。女子更衣室で雑談しているのではありません」と返した。

そして2020年の新年の国民に向けての挨拶では、「社会の強さは、最も豊かな人たちが持つ富の多さではなく、最も脆弱(ぜいじゃく)な立場の人たちの幸福によって測られます。誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければなりません」と締めくくっている。

■最年少女性首相の誕生はフィンランド国内では驚かれなかった

サンナ・マリン首相の行動や発言に海外メディアの注目が集まる一方で、就任時、フィンランド国内の受け止め方は冷静だった。もともと彼女は党内での存在感も大きく、前首相が辞任したことで彼女が新たな首相となるのは自然の成り行きだと思われていた。

それに、34歳という年齢はフィンランドの首相でも最年少だったが、30代の首相はこれまでにもいたし、同年代の閣僚も多い。女性首相もこれで史上3人目だ。2000〜2012年には2期にわたって女性が大統領をつとめていたこともある。

国会議員の約半数は女性で、閣僚も女性の方が多い。だから国内では、首相の年齢や性別よりも、連立政権を率いる5党のリーダーたちが首相を含め、全員女性となったことの方が目をひいた。しかも5人のうち4人が30代前半だった。

フィンランドでは2000年、初の女性大統領タルヤ・ハロネンが誕生した。女性議員もますます増え、女性が党首に就く例もあったが、長い歴史を持つ大規模政党のトップに比較的若い女性が就くようになったのはこの十数年の傾向だ。

とはいえ、こうした状況に全く批判がなかったわけではない。知人の70代の男性は、周囲の男性を中心に「女の子たちにいったい何ができるんだろう」と冷ややかな目で見ている人もいると言っていたし、野党支持者の中には痛烈に批判する声もあった。

■マリン政権への評価は決して性別や年齢に紐づいていない

就任後まもなく新型コロナウイルス感染症という大きな難題に見舞われたものの、他の欧州各国に比べれば感染者数が少ないこともあり、マリン政権の支持率は高く評価も高かった。ただ、政権発足から時間が経つにつれて、様々な批判の声も上がっている。だが、それらは決して性別や年齢に紐づいたものではない。おおかたの国民は、冷静に彼女の政治家としての実力を厳しく見ている。

このように若い女性が首相になったサクセスストーリーを語ると、特別な才覚を持った人の話だと思われるかもしれないが、彼女の歩みは決して珍しいものではない。

例えば、緑の党の党首で現政権の閣僚でもあるマリア・オヒサロは、マリンと同じく幼少期に苦労した人物だ。1歳の誕生日は母親と共に保護シェルターで迎え、その後も経済的には常に困窮状態にあった。しかし、貧困に関する研究で博士号を取得し、政界でも活躍している。他に難民から国会議員になったケースもある。

そうした活躍を可能としているのは、まず家庭環境や経済的事情、性別、年齢に関係なくトップレベルの教育を受けることができる社会システムだ。そして政党でも、手腕を示せば、地盤や看板、お金がなくとも政治家になることができる仕組みが整っている。

■政治の世界以外でも年功序列は重視されず、年齢も性別も関係ない

マリンが市議会議員や国会議員になるにあたっても、彼女の生い立ちは全く影響しなかった。幼少期の話やレインボーファミリー出身だということがオープンに知られるようになったのは、議員に当選してからだ。

加えて、フィンランドでは年功序列はそれほど重視されていない。むしろ、フットワークが軽く、柔軟で新しいことに敏感な若い人たちに仕事をどんどん任せて、年長者はそれを支える側に立つ文化がある。

出自や年齢、性別に関係なく機会の平等が見られるのは、政治の世界だけの話ではない。

日本でも人気のテキスタイルのブランド、マリメッコは2015年に勤続10年の34歳女性ティーナ・アラフフタ・カスコを社長に選んだ。通信インフラの開発などを行うノキアの前会長リスト・シラスマは42歳で取締役になり、46歳で会長に就任した。近年のスタートアップ企業や大成功したゲーム会社、IT企業のCEOや役員、経済界のインフルエンサーたちも、たいてい20代から40代で、女性も多い。

フィンランド、ヘルシンキのマリメッコストア
写真=iStock.com/karis48
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/karis48

私が以前つとめていた、体質的には古いと言われる産業機械のエンジニアリングメーカーでさえも、副社長に30代がいたり、エンジニア出身ではない女性が要職に就いていたりする。

大学に目を移せば、10代後半から20代前半だけでなく様々な年齢や背景の人たちが学んでいて、何度目かの学位を目指している人たち、失業などで学び直しをしている人もいる。転職も多く、40代、50代になってから全く違うフィールドに挑戦する人もたくさん目にしてきた。

■小国だからこその「人こそが資源」という考え方

フィンランドにいると、自然に年齢や性別の「フレーム」がなくなるのを感じる。それはどうしてなのかとフィンランド人に問えば、決まって「フィンランドは小さい国だから」と始まり、こう続く。「豊かな天然資源があるわけでもなく、人口も550万人に過ぎない。だからこそ、一人ひとりが国の大切な資源であり、その資源に投資し、それぞれが能力を伸ばして発揮できる社会にする必要があるからね」。

堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)
堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)

手厚い子育て支援制度や様々な福祉制度、博士課程まで無償で全ての人に高い質の教育を保障している教育制度、失敗しても生活を維持でき、何度もやり直せる社会、肩書きや年齢、性別、家庭環境、経済的な背景とは関係なく資質や能力をフラットに評価する文化。これらはまさに、「人こそが資源」という考え方につながっている。

以前、フィンランド人の友人が「アメリカン・ドリームという言葉があるけど、本当はフィンランド・ドリームの方がすごいと思うんだよね」と言っていた。年齢も性別も家庭環境も関係なく、自分がしたいことを実現でき、それが評価される社会がそこにある。マリン首相はまさに、それを体現している1人だと言えるだろう。

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堀内 都喜子(ほりうち・ときこ)
ライター
長野県生まれ。フィンランド・ユヴァスキュラ大学大学院で修士号を取得。フィンランド系企業を経て、現在はフィンランド大使館で広報の仕事に携わる。著書に『フィンランド 豊かさのメソッド』(集英社新書)など。

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(ライター 堀内 都喜子)

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