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メディアの注目を集められるならバッジも外す…政治を「選挙ゲーム」に変えた野党とマスコミの大罪

プレジデントオンライン / 2022年6月5日 15時15分

記者会見を終え、櫛渕万里氏(右)に議員バッジを手渡し撮影に応じる、れいわ新選組の山本太郎代表=2022年4月15日、東京・永田町の衆院議員会館 - 写真=時事通信フォト

れいわ新選組の山本太郎代表が衆院議員を辞職し、今夏の参院選への出馬を発表した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「党の戦略として衆院議員をわずか半年で辞職するのは選挙の私物化に他ならない。その様子を面白おかしく報じるマスコミの罪も重い」という――。

■選挙をゲームのようにもてあそぶ山本太郎代表

衆院議員を辞職して夏の参院選への出馬を表明していたれいわ新選組の山本太郎代表が、5月20日の記者会見で、ようやく東京選挙区(改選数6)からの出馬を表明した。4月15日の突然の辞職表明から1カ月余り。結局は何のことはない、改選数が多く、自身も出馬の経験がある東京に落ち着いた。

議席を自分の私物のように扱って平気な山本氏にもあきれているが、それ以上にため息が出るのは、この間のメディアの報道ぶりだ。全国紙を含む多くのメディアが、当選から半年足らずで貴重な議席を投げ出した山本氏を批判するのでもいさめるのでもなく「山本太郎はどこから出る?」「与野党戦々恐々」などとあおり続けた。

私たちはいい加減気づくべきではないのか。選挙を単なるゲームのようにもてあそぶ政治家を、面白がってもてはやして「時代の寵児」のようにのさばらせてきたメディアこそが、日本の政治の質を大きく下げてしまったことを。

今さらではあるが、山本氏の辞職について簡単に述べておきたい。

くら替え出馬自体は確かに、過去にも全くなかったわけではない。しかし、山本氏が昨秋の衆院選で当選してから辞職するまでの期間は、わずか半年足らず。それも国会の会期中である。辞職時点で、通常国会の会期はまだ約2カ月もあった。民意によって貴重な議席を得た山本氏が、国会で真摯(しんし)に取り組むべき課題は、内政、外交ともに山ほどあったはずだ。

■「予算委員会に席を持てない」は辞職の理由にならない

山本氏は辞職会見で「任期を全うするかしないか、ってことを最初に考えて選挙には出ませんね。当然、全うするんだろうということが前提だと思います。でも、それはその時の状況によって変わるもんだろう、ということだと思います」と述べていたが、あんまりだろう。

辞職の理由について山本氏は「(小政党のため)予算委員会に席を持てない」ことを挙げた。しかし、考えてもみてほしい。れいわが予算委員会に席を持てなかったのは、直近の選挙結果、つまり民意によるものだ。確かに現行の小選挙区制中心の選挙制度が小政党に不利なのは理解するが、それでも立法府の人間であれば、まずはその現実を一度は受け入れなければ始まらない。

れいわが予算委員会に席を持ちたいなら、まず衆院選で当選した山本氏を含む3人と参院議員2人の計5人のチームで、国会でしっかりと仕事をすべきだった。その仕事ぶりを有権者に認めてもらい、政党として信頼を勝ち得た上で、次の衆院選で「さらにれいわの議席を増やしたい」と思ってもらうべきだったのだ。それが「政治の王道」である。

■はったりを続ければ政治家は信頼を失う

だが山本氏はとにかく、こういう「王道」を嫌う。けれん味と言えば聞こえはいいが、要ははったりとごまかしだ。

「さあ、次はオレ、どこの選挙区から出ると思う?」と有権者をからかうように振る舞ったこの1カ月、もし山本氏が国会にいれば、十分な質問時間が取れなくとも、質問主意書の1本や2本書けたのではないか。昔からそうやって、多くの中小政党の議員たちが、限られた手法を駆使して懸命に国会活動をしてきた。そういう先輩たちに失礼だ。

山本氏は否定しているが、一度こんなことをやってしまえば、もし今回の参院選で当選しても、次の衆院選が近づいたらまた、参院議員のバッジを平気で捨てるのではないか、という疑いを抱かざるを得なくなる。政治家が信頼を失うとはそういうことだ。

俳優だった自分の知名度を選挙で有利に使うため、国会をないがしろにする。こんなことを簡単に認めてはいけない。山本氏は、自身が比例代表で議席を得たため、自分が辞めても繰り上げ当選によってれいわ全体の議席数は変わらないことを理由に辞職を正当化しているが、自分たちの都合で議席を好き勝手に譲り渡したりできるというのは、いささか傲慢(ごうまん)なのではないか。

こうした姿勢は「法に触れていなければ、道義的に問題のある行動をとっても構わない」かのような振る舞いを続けてきた自民党の安倍晋三元首相と、たいして変わらないのではないかとさえ思う。

■山本氏の言動から見える、他に注目を奪われたことへの鬱憤

実のところ、筆者には山本氏が、一衆院議員としての立場に「飽きた」ようにしか見えない。

俗に「れいわ旋風」と呼ばれた2019年の参院選の直後は、重度障害を持つ2人の議員の当選によって、参院に車いす用のスロープが取り付けられるなどバリアフリーが進むさまが大きく報じられた。「れいわの『躍進』によって国会が変わる」さまが可視化されたとも言えた。

障害者のための法と社会サービスの概念
写真=iStock.com/Bet_Noire
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bet_Noire

しかし、この参院選で落選した山本氏が衆院選の比例代表で当選し、2年ぶりに国政に復帰しても、もう世の中は大きな反応を示さなかった。政界の話題の中心は「『躍進』したとされた」日本維新の会。れいわは「帰ってきた山本氏が国会の風景を変えた!」という華々しい絵柄を作ることができなかった。辞職会見での「予算委に席を持てない」発言は、まさに「スポットライトが自分に当たらない」ことへの鬱憤(うっぷん)に聞こえた。

■野党の国会活動を全否定する山本氏の国会での言動

注目されないことへの焦りだったのだろうか。れいわは国会での「悪目立ち」や、対立する与野党の間でさえも共通認識が持てるようなことへの「逆張り」を、積極的に図るようになった。例えば2月22日に行われた、2022年度予算案の衆院本会議での採決において、山本氏は壇上で「これっぽっちの予算案で困っている人たちを救えるか」と不規則発言して物議をかもした。

驚いたのは3月の「ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議」に、れいわのみが反対したことだ。すでに多くの批判が出ているので繰り返さないが、筆者が特にがっかりしたのは、声明で決議について「言葉だけの『やってる感』を演出する決議」「形式だけの決議は必要ない。意味がない」などと述べたことだ。

こうなると、ウクライナ侵略に対する姿勢という問題だけではない。例えば、国会の少数派であるがゆえに政府提案の法案の成立を阻止できない野党の国会活動などは、すべて「やってる感の演出」「形だけで意味がない」ことになってしまう。政府・与党側から大量に喧伝されている「野党は批判ばかり」とほとんど同義のことを、当の野党議員が堂々と口にしたことになる。

筆者は心底気持ちが萎えてしまった。

■政治ニュースがメディアに「消費」されている

山本氏は、自らに注目が集まらず、目立つ行動が逆に大きな批判を受ける、という現在の状況に嫌気が差したのではないか。それで、せっかく手にした議席を簡単に捨てて、街頭で自らの強固な支持者だけを前にした居心地の良い言論空間に身を置いているのではないか。

囲み取材を受ける政治家
写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/microgen

山本氏のくら替え出馬は妙な余波も生んだ。NHK党の立花孝志党首は4月28日、山本氏と同姓同名の「山本太郎」氏を、参院選の比例代表で擁立すると発表した。実現はしなかったが、一時は東京選挙区でも別の「山本太郎」氏を擁立する可能性、といったことまで報じられた。

筆者が悔しいのは、こんなことばかりが政治ニュースとしてメディアに面白がられ「消費」されていることだ。このような事態をいつまで放置し続けるのだろうか。

■れいわの実績は「旋風」などではない

筆者はいまだに、れいわがここまでもてはやされた理由が分からずにいる。

あの「旋風」と呼ばれた2019年参院選。確かに、重度障害を持つ2人の議員を国会に送り込んだことには、筆者も一定の意義を認める。

しかし、あの選挙でれいわが獲得したのはわずか2議席。しかも党首は落選した。いくら街頭演説やネット上で熱い声援が寄せられていたとしても、実際の選挙結果を見れば、これを「旋風」と呼ぶ気には、とてもならないはずだ。

そもそも、昭和の55年体制の時代から比例代表が存在していた参院選では、サラリーマン新党や税金党、第二院クラブといった個性的なミニ政党が、独自の活動で異彩を放っていた。過去のミニ政党との比較でも、2議席のれいわを特別視して「旋風」と呼ぶ意味が分からない。

それでもメディアは、れいわをその政党規模に見合わぬ破格の扱いで持ち上げ続けている。今回の山本氏くら替えに関する報道でも「戦略的辞職」「巧妙な演出」「奇襲作戦」「変幻自在な山本流」という言葉が、いくつも躍っていた。

こんなことがそんなに面白いか。選挙は、政治は単なるゲームでしかないのか。

■山本氏を天狗にさせたメディアの罪

メディアがこぞってれいわを分不相応に持ち上げ続けたことが、結果として山本氏を勘違いさせ、こんな行動を取らせるに至ったのではないか。

山本氏の話だけではない。NHK党の立花氏の「ぶっこわーす」ポーズなど、その場限りの刹那的なパフォーマンスばかりを面白おかしく伝え続ける一方、国会質疑や与野党幹部の論争はテレビからみるみる姿を消している。国会や地域で地道に活動し、有権者の信頼を得て選挙で党勢を拡大するという「当たり前の政治」の大切さは、無残にも忘れられている。

それが国民の政治不信や無関心につながっていると、筆者は考えざるを得ない。

筆者もつい先日までその業界に所属していた以上、こんなところで決して偉そうなことが言える立場にはない。それでもそろそろ誰かが言わなければならない。

「まっとうな政治報道」を取り戻そう。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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