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ナイキの始まりは日本だった…創業者が「日本製ランニングシューズの輸入」から商売を始めたワケ

プレジデントオンライン / 2022年6月3日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thank you for your assistant

世界有数のスポーツ用品メーカー「ナイキ」の始まりは、日本製のランニングシューズを米国で販売することだった。ナイキ創業者のフィル・ナイトさんは「当時、ランニングシューズはドイツ製が良いとされていた。しかし私は、かつてのカメラがそうであったように、日本製でも通用するのではないかと考えた」という。アメリカの人気番組『ザ・ルーベンシュタイン・ショー』をまとめた書籍『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)から紹介しよう――。

■時価総額1000億ドルの大企業はいかにして生まれたのか

【デイヴィッド・ルーベンシュタイン(以下「ルーベンシュタイン」)】ナイキの創業時には、シューズのデザインなどまったくの素人で、マネジメントのノウハウもなければ資金もありませんでした。ところが現在では企業の時価総額はおよそ1000億ドル、収益は約400億ドル、従業員数は7万4000人にのぼります。60年代前半にナイキを起ち上げたころ、これほどの成長は予想されましたか?

【フィル・ナイト(以下「ナイト」)】ときどきそういう質問を受けると、いつも『計画通り』と適当に答えますが、あなたの番組ですから、きちんと答えないといけませんね。ええ、誰ひとり予想もしなかったような、素晴らしい経験でした。

私たちが営業を始めた当時は、アメリカ国内でのブランド物スポーツシューズの売り上げはおよそ20億ドル。昨年は90億ドルでした。現在の我々のマーケットシェアは、開業当時の4.5倍(450パーセント)です。

時流も優位に働きましたね。まずランニングブームが起こり、それがジョギングブームへと続き、さらにフィットネスブームに火がつきましたが、我々は常にその恩恵を受けることができました。

■製品は最も重要なマーケティングツール

【ルーベンシュタイン】恩恵を受けたとおっしゃいますが、それは会社がテクノロジーとマーケティングのどちらに優れていたからだとお思いですか? つまり素晴らしい製品を開発していたからでしょうか、それとも卓越したマーケティング能力を備えていたからでしょうか? あるいはその両方があったから?

【ナイト】我々はマーケティング会社であり、製品は最も重要なマーケティングツールです。

【ルーベンシュタイン】あえて言うなら、ご自身にはどんなスキルがあったと思われますか? それは知性でしょうか、旺盛な意欲でしょうか、それとも強いリーダーシップでしょうか?

【ナイト】全部ですね――いや、それは冗談。ひとつあるとすれば、人を見る目でしょうか。(テーブルの上にあった、彼の回顧録である『SHOE DOG』を指して)私がその本で伝えたかったことのひとつは、草創期に苦労をともにした職場のチームメイトたちが、いかに尊敬できる大切な同僚であり仲間であったかということです。彼らは本当に素晴らしかった。

■大学時代「心の底から靴を愛する」ランナーだった

【ルーベンシュタイン】正直に告白しますが、この本を読むまで『シュードッグ』とは何なのか知りませんでした。みなさんに説明していただけますか?

【ナイト】10文字前後で答えるなら、シュードッグとは、『心の底から靴を愛する人』という意味、つまり私のことです。私はランナーでした。コースに何かの障害物があるわけではありませんが、すべてはシューズが頼りなんです。私はそれを嫌というほど思い知らされたので、それ以来、シューズのことが頭から離れませんでした。

【ルーベンシュタイン】高校時代はスポーツをされていましたね。トラック競技でした。有名選手でしたか、それともごく普通の選手でしたか?

【ナイト】平均よりは上でしたが、スーパースターとまではいきませんでしたね。

【ルーベンシュタイン】でも、オレゴン大学で特別奨学金をもらうほどだったとか?

【ナイト】いえ、もらっていませんよ。チームの選抜テストを受けて入りました。

【ルーベンシュタイン】あなたのベストタイムは――記憶によれば――1マイル4分10秒でしたね。

【ナイト】4分13秒です。でもほぼ正解ですね、素晴らしい。

【ルーベンシュタイン】4分13秒でしたか。では、3秒負けておきましょう。

【ナイト】そりゃ結構。今度から4分10秒ということにしますよ。

【ルーベンシュタイン】今日はあなたにふたつのうちのどちらかを選択してもらおうと思います。さて、ナイキを起ち上げるのと3.56マイル走るのとでは、どちらが良いですか?

【ナイト】3.56マイル走とナイキの起ち上げ? ……まぁナイキでしょうね。それにしても、答えるのに少し間があきましたね。

■発想はスタンフォード・ビジネススクール時代に生まれた

【ルーベンシュタイン】あなたは1年間のアメリカ陸軍勤務を経たあと、さらに数年間、陸軍予備役に就かれます。その後、スタンフォード・ビジネススクールに進まれるわけですが、スタンフォードを選んだのには、何か理由があったのでしょうか?

【ナイト】そうですね、昔から変わらず良い学校ですし、入学が許可されたので。

【ルーベンシュタイン】なるほど、許可された。確か、起業家コースもありましたね。

【ナイト】担当教授も生き生きとしていて、大いに触発されました。学期末にレポートを書かされ、それで成績が決まるんです。学生は一時的に、サンフランシスコのベイエリアにある中小企業に所属するか、もしくは何らかの事業を起ち上げるよう求められます。教授は我々に、『そこで君たちが知り得たことを書くように』と指示しました。

クラスメートのほとんどは、電子工学関連のプロジェクトについて書いていましたが、私にはそういう知識はありません。でもそのとき、シューズ作りに関心を持っていた陸上競技のコーチを思い出したのです。私は彼の試作品を履く、いわば実験用のモルモットだったので、シューズができるまでのプロセスは詳しく知っていました。

■ランニングシューズは「ドイツ製」でなくてももいい

【ナイト】その当時、ランニングシューズはドイツ製が良いとされ、世界中のマーケットを独占していましたが、私にはそれがどうしても理解できなかった。そこで私は考えました――日本製でも通用するのではないか、かつて日本がドイツ製のカメラを凌駕していったように、日本製のランニングシューズもドイツ製に対抗できるのではないかと。これが論文の大前提でした。私は必死に論文に取り組み、教授はそれを気に入ってくれました。

【ルーベンシュタイン】評価はAでしたか?

【ナイト】ええ、Aでした。

【ルーベンシュタイン】そして卒業されたわけですね。それだけ素晴らしい論文をまとめたにもかかわらず、どのシューズ会社も雇ってはくれません。しかもシリコンバレーのベンチャーキャピタルに縁もなく、ベイエリアで職を得ることはできませんでした。地元に帰ったあなたは、会計士になりますね。仕事は楽しかったですか?

【ナイト】気がついたら15年も会計士をやっていました。自分が何をすべきか、たくさんの人の意見を聞きましたよ。スタンフォードではファイナンスも学んでいたので、それを聞くとみな口を揃えてこう言いました。『天職なんてものはありゃしない。まず公認会計士の資格を取るべきだ。これはなかなか役に立つし、最低限の収入は保証してくれるよ』と。それで私はその忠告に従ったのです。

日本メーカーの靴を輸入するところから始まった

【ルーベンシュタイン】しかしその前に、あなたはひとりで世界中を旅して回りました。

【ナイト】最初はふたりで旅していたんですが、そいつがハワイで女の子につかまったんです。私はそんなこともなかったので、あとはひとりで旅を続けました。

【ルーベンシュタイン】日本に滞在しているあいだ、靴の製造業者を視察しに立ち寄ったりはしなかったのですか?

六本木ヒルズからの東京の景色
写真=iStock.com/segawa7
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/segawa7

【ナイト】それは例の論文を書いたときに、頭に浮かんだ計画の一部でした。――つまり日本の靴のメーカーを訪ねて、アメリカに輸入する手はずを整えようと思っていたのです。実際に訪問したのは1社でしたが、彼らは非常に乗り気で、そこからビジネスがスタートしました。

【ルーベンシュタイン】そして帰国されると、彼らは約束通りショーズを送り始めます。受け取る会社は、ブルーリボンでした。この名前はどこから着想を得たのでしょう?

【ナイト】彼らに訊かれたんですよ、『会社の名前は?』ってね。何か名前を考えなきゃいけなかったんです。

【ルーベンシュタイン】それでとりあえずブルーリボンと。日本からシューズが送られてくるようになると、今度はあなたがそれを売らなければなりません。確か緑色のクライスラー・ヴァリアントを持っていらっしゃったはずです。シューズをトランクに入れ、あちこちの陸上競技会を回り、セールスに励まれたわけですね。

【ナイト】その通りです。

【ルーベンシュタイン】そのころはまだ、世界規模の企業を作ろうという思いはありませんでしたか?

【ナイト】会社もスタートしたばかりで、大きくしようとは思っていましたが、今のようになるだろうとまでは思っていませんでした。

■有名なロゴマークは35ドルで学生が考えた

【ルーベンシュタイン】ある時点まで来れば、輸入元の日本企業も競合相手になってきます。そこであなたは新たにナイキという名を会社につけ、会社の成長を図っていくことになるわけです。会社のロゴマークが必要となり、誰かがスウッシュを思いつきます。あなたはその対価として35ドルを支払ったそうですね?

【ナイト】ポートランド州立大学でグラフィックデザインを専攻していた学生が考案したものです。彼女はお金が必要だったので、私たちはこう言いました。『デザインが出来上がるまで、1時間に対して2ドル支払うよ』。結局、完成まで17時間半かかりました。

【ルーベンシュタイン】ほう、35ドルですか。考えられないような値段ですね。

【ナイト】お互いにハッピーエンドでした。

【ルーベンシュタイン】株式をいくらか分けてあげましたか?

【ナイト】株式を公開したときには、500株渡しましたよ。まだひと株も売っていないと聞いています。今では100万ドル以上になっているはずです。

■製造委託先を変えて、自分たちで製造するように

【ルーベンシュタイン】それは良かった。日本のタイガー社と袂を分かったあとで、ご自分の会社の経営に専念されるようになったわけですね。あなたはご自分でシューズのデザインをされたのですか、それともどんな形のシューズになるのか確認する側だったのでしょうか?

【ナイト】それを聞いて、ジョン・F・ケネディの逸話を思い出しましたよ。どうやってヒーローになったのか聞かれたとき、彼はこう答えたと言います。『簡単だよ、あいつらが私の船を沈めてくれたからさ(だから仲間を助けてヒーローになれたんだ)』と。

タイガー社は我々に、『合意書になんて書いてあろうが、そちらが会社の簿価の51パーセントを売却するか、それとも我々が他に販売会社を設定し直すか、そのどちらかだ』という新たな提案を突きつけてきたのです。だからこそ私たちは、これを機に製造委託先を変えるべきだという結論に至りました。私たちは急いでいました。最初のシューズは東京のオフィスで、週末いっぱいかけて作り上げましたよ。

■「アディダス」「プーマ」が、参入を止めなかったワケ

【ルーベンシュタイン】良いシューズを履けば、速く走れるものですか? あるいはそれほどの違いはないのでしょうか?

【ナイト】シューズは重要な要素です。1マイル競争では軽ければ軽いほど良く、シューズはタイムに影響します。あくまでひとつの譬えですが、ドレスシューズを履いて1マイル競争に臨んでも、スパイクを履いたときより速く走れることはまずありません。

昔の話ですが、オレゴン大学で走っていたころは、まだキャンバス地のトレーニングシューズが主流で、6マイルも走れば、戻ってくるころには足は血だらけでした。これは問題でしたね。

【ルーベンシュタイン】ナイキがスタートしたとき、ランニングシューズのシェアはドイツ勢が、つまりアディダスとプーマが占めていたわけですが、彼らはあなたがたの参入を快く迎えてくれましたか? それともビジネスから閉め出そうとしたのでしょうか?

【ナイト】それほど気にしていないようでしたね。気づいたときにはもう遅かったのでしょう。言ってみれば我々の方が忍び寄っていったというところでしょうか。

■スター選手に履いてもらうためにやったこと

【ルーベンシュタイン】オレゴン大学には、伝説的なトラック競技のスター選手、スティーブ・プリフォンテーンがいました。あなたは彼と親しい関係を築いていきましたね。どうやってナイキのシューズを履いてもらったのでしょう?

(写真=Larry Sharkey/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
スティーブ・プリフォンテーン選手(写真=Larry Sharkey/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

【ナイト】使ってもらえるように努力して、努力して、そしてまた努力しました。プリフォンテーンはそれまでアディダスしか履きませんでしたからね。彼はオレゴン州のユージーンにいました。私たちはそのユージーンに小さなオフィスを構え、そのオフィスを運営していた男が彼と信頼関係を築き、なんとかナイキに乗り換えさせたんです。我々にとって、彼はナイキを履いた最初の優れたランナーでした。

【ルーベンシュタイン】あなたは他にも選手を探していきます。それはどれくらい大変な仕事でしたか? シューズを履いてもらうためにお金を払わなければならなかったのか、それともナイキが気に入って、自然とそうなったのでしょうか?

【ナイト】みんな気に入って、履いてくれました。

【ルーベンシュタイン】本当ですか?

【ナイト】いや、嘘です。製品が気に入ればそれを身に着けてくれますが、彼らは我々だけでなく、どんなメーカーに対しても推薦料を求めてきます。これは当然です。プリ(スティーブ・プリフォンテーンのこと)以外ですぐに思い出すのは、1996年のアトランタオリンピックのマイケル・ジョンソンでしょう。彼は金色のスパイクを履いてくれたので、かなり話題になりました。

■ゴルフ用品、スポーツウェア、カジュアルウェアへ

【ルーベンシュタイン】タイガー・ウッズもいましたね。彼がまだそれほど有名ではなかったころから契約を結んでいました。彼を説得するのは難しかったですか?

【ナイト】タイガー・ウッズね――彼は最初からすごかった。確か15歳から20歳までの6年間でしたか、全米ジュニア・アマチュア選手権を3連覇、そのあとで全米アマチュア選手権も3連覇しています。ときどきポートランドでプレーしていて、いつも父親と一緒にランチに招待していましたよ。契約するまで、そんなことをだいたい3年ほど続けていました。

【ルーベンシュタイン】契約後は、ナイキのシューズを独占的に履いていましたね。

このころからゴルフ用具の製作を手掛け始めましたが、今はそのビジネスから撤退されました。これはシューズに専念しようという意味でしょうか?

【ナイト】答えは簡単。この20年、ゴルフ用品やボールの販売は赤字続きだったからです。来年もこの方針に変わりはありません。

■着ている服がタキシードでも、他の靴は履かない

【ルーベンシュタイン】しばらくはカジュアルウェアも扱われていましたね。エアロビクスに力を注ぎ、そしてカジュアルウェアへ移行されたように、スポーツシューズをカジュアルシューズに仕立てようとされています。うまくいきましたか?

デイヴィッドM.ルーベンシュタイン『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)
デイヴィッドM.ルーベンシュタイン『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)

【ナイト】ええ、スポーツウェアとカジュアルシューズ、カジュアルウェアは、依然として我々のビジネスの大きな部分を占めています。

【ルーベンシュタイン】つまり、対象はスポーツ選手だけではないということですね。現在では自分で好きな色や形を選べるカスタムシューズに取り組まれていますし、しばらく前からは、カジュアルに履きこなしたり着こなしたりしようとする人たちを念頭に置いてこられました。スーツに合わせてスポーツシューズを履くというのもお好きですよね(このとき私はスーツを着て、ナイキのシューズを履いていた)。

【ナイト】とても似合っていますよ。

【ルーベンシュタイン】ナイキ以外のシューズは履かれますか?

【ナイト】履きません。

【ルーベンシュタイン】タキシードなどのフォーマルウェアでも、やはりナイキを履かれますか?

【ナイト】黒のナイキを履きますよ。

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フィル・ナイト ナイキ創業者
1938年生まれ。オレゴン州ポートランド出身。オレゴン大学卒業。1年間のアメリカ陸軍勤務を経て、スタンフォード大学大学院に進学。MBA(経営学修士号)取得。1962年に「ブルーリボン・スポーツ」社の代表として、日本のシューズ・メーカーであるオニツカとのビジネスをスタート。その後、独自のブランド「ナイキ」を立ち上げ、1964年から2004年までCEO、2016年まで会長を歴任した。

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デイヴィッドM.ルーベンシュタイン カーライル・グループ共同創設者兼共同会長
民間投資会社「カーライル・グループ」共同創設者兼共同会長。ジョン・F・ケネディ舞台芸術センターおよび外交問題評議会理事会議長、ハーバード・コーポレーション・フェロー、スミソニアン協会の評議員、ワシントンD.C.経済クラブ会長など、非営利活動分野で多岐に渡り活躍。ブルーミングTVとPBSが放映する『ザ・デイヴィッド・ルーベンシュタイン・ショー――ピア・トゥ・ピア カンバセーション』のホスト役。著書に、『American Story: Conversation with Master Historians』(サイモン&シュスター)、『世界を変えた31人の人生講義』(文響社)などがある。

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(ナイキ創業者 フィル・ナイト、カーライル・グループ共同創設者兼共同会長 デイヴィッドM.ルーベンシュタイン)

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