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だからクリミアでは勝てても、キーウでは負けた…対ウクライナでロシア軍が抱える3つの構造的な問題

プレジデントオンライン / 2022年6月7日 13時15分

キーウ近郊のブゾワ村で、撃破され放棄されたロシア軍の戦車(2022年4月10日) - 写真=AFP/時事通信フォト

2014年のクリミア侵攻に成功したロシア軍は、なぜ2022年のウクライナ全土への侵攻では苦戦しているのか。前ウクライナ大使の倉井高志さんは「プーチン大統領はウクライナ全土の掌握に向けて見切り発車したため、ロシア軍は3つの構造的な問題を抱えることになった」という――。(第1回)

※本稿は、倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■ドンバス地域をめぐる大きな戦略転換

2022年2月、プーチン大統領は国境付近の部隊を使って、突如ベラルーシ、ウクライナ北東部、東部、南部の4方向から攻め込み、首都キーウを攻略して政権をすげ替え、ウクライナ全土の制圧を目指すと解される軍事侵攻を開始した。

これはロシアの対ウクライナ戦略との関係で見れば、「ウクライナを支配下におく」という目的を短期間で一気呵成(かせい)に実現しようとするものであり、また直接的にはロシアにとってのドンバスの位置づけと戦略を大きく変更するものであった。

2014年のロシアによるクリミア「併合」とドンバスへの軍事介入以来、ロシアにとってのドンバスの位置づけ並びに戦略は次のようであったと見られる。

(1) ドンバスの武装勢力を支援し、また実質的に指揮統制して、低強度紛争を長期にわたって維持する。ただしロシア軍が前面に出ることはしない。
(2) ドンバス紛争の長期化によりウクライナのNATO加盟を阻止すると同時に、ドンバスをロシア軍の新型兵器の実験場並びに兵員の訓練場として利用する。
(3) 他方、ウクライナ政府にはドンバスの2つの「人民共和国」を含む連邦制を認めさせ、これら「人民共和国」に外交・安全保障政策における拒否権をもたせて、ロシアに都合の悪い方針がとられることを阻止する。
(4) 2つの「人民共和国」に対する国家承認はせず、あくまでウクライナ領内として位置づけ、経済的な負担にはウクライナを関与させる。

■成功の確証がないまま見切り発車

ロシアが2月21日に2つの「人民共和国」を国家承認する手続きを踏んだことは、以上の戦略の延長線上では捉えられない。つまりプーチン大統領としてはこの段階で、時間をかけて少しずつウクライナに政治的圧力をかけ、さらにドンバスを通じてウクライナの行動を実質的に制約しようとするのではなく、むしろウクライナ全土を一気に支配下におく戦略に転換したのである。

ロシアの兵士
写真=iStock.com/DIMUSE
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DIMUSE

またロシアは同日、2つの「人民共和国」との間に友好協力相互援助条約を締結した。この協定は両「人民共和国」をウクライナによる迫害から守るという名目で侵攻を開始する上で必要な法的擬制であり、国家承認は両「人民共和国」を条約締結主体とするために必要な法的基礎であった。

問題は、ウクライナを自国の支配下におくという戦略目標を達成する手段として、ロシアは時間をかけて徐々に攻めていくのではなく、ウクライナ全土の制圧によって一気に実現するやり方を、しかし確実に成功するという確証が得られないまま、あるいはそのやり方が功を奏しなかった場合の代替手段を確実に用意することなく突っ走ったと思われるところにある。

■ロシア軍が抱えることになった3つの構造的な問題

このことによりロシア軍は主として3つの構造的な問題を抱えることになった。

第一は軍の編成からくる問題。2021年12月3日付の『ワシントン・ポスト』に掲載された、米国情報当局から入手したとする衛星写真を付した資料の中に、ウクライナ国境付近に集結したロシア軍の大半を占める「大隊戦術群」という単位の部隊名が言及されている。これが侵攻当時ウクライナ国境付近に125個配備されていたとする部隊であるが、これはもともと日本の1.6倍もあるウクライナのような大国を制圧するような軍事目的のために作られたものではない。

2008年8月、南オセチアを巡ってロシアとジョージアの間で行なわれた戦争は「5日間戦争」と呼ばれ非常に短期間でロシア軍の勝利に終わったのだが、ロシア軍にとってその戦い方は決して満足できるものではなかった。

冷戦時のソ連軍は1万数千人規模の兵力を有する師団編成が中心であったが、冷戦の終結並びにソ連邦の崩壊により、人員や装備の不足等もあって、このような大規模の師団を維持することは困難となり、またそもそも冷戦時に対NATO戦で想定したような大規模な戦闘はもはや生起する可能性は低く、新たな諸条件を前提とする編成への変更が模索されていた。

ところが実際には思うように改編が進まずにいたところ、対ジョージア戦を機にようやく当時のセルジュコフ国防相の下で本格的な改編が行なわれることになった。そのような経緯でできあがったのが、この大隊戦術群である。

これはおおよそ800〜900人程度を一つの単位とし、小規模ながら打撃力に優れ、比較的小さい範囲の戦場において限定的な軍事目的を達成することに適したものとして編成された。ロシアはこの大隊戦術群をもってドンバス、シリアなどで成果を上げている。

■広範囲での戦闘には向かない部隊編成

ところがこの部隊は、ウクライナ全土を制圧するような広範囲な戦闘には向いていない。これを無理矢理投入しようとするとさまざまな問題が生じるが、なかでも補給の問題が大きい。何らかの工夫をしなければ100キロメートル、200キロメートルと進軍する中で必ず「息切れ」してくることになる。

今回の軍事侵攻でも北部戦線のロシア軍は3月中旬頃には武器・弾薬、食料等の補給に苦しみ、またこれを熟知するウクライナ軍は燃料運搬車両など補給部隊を次々と攻撃していった。

加えて、そもそもウクライナの全土制圧を考えるのであれば、少なくとも25万人はいるウクライナ兵に対して3倍の兵力が必要であり、当時ウクライナ国境付近のロシア軍は最大で19万人程度と見積もられていたので、全く足りないことになる。

■なぜ将官が次々と前線で戦死したのか

第二はロシア軍の指揮統制の問題。ロシア軍においては3月上旬から4月末に至るまでに未確認分を含め将官だけで合計8人が殺害されたと見られる。

これらから分かることは2つ。1つは通常、前線に出向くことのない将官が戦闘の渦中に前線に姿を現していたと思われることで、これは通常あり得ないことである。前線の兵員がよほど混乱していたか、あるいは通信が機能せず自ら前線に出向いていって指揮をとる必要が生じた可能性もあるが、より確からしいのは、将官の位置を正確に把握できる情報をウクライナ軍が得ていた可能性である。

そしてもう1つは、それぞれの将官の指揮する部隊の所属を見れば、今回の軍事作戦には少なくとも東部軍管区、西部軍管区、南部軍管区の3軍管区が参加し、さらに編成上はそれぞれの軍管区に所属するが黒海艦隊、バルト艦隊、カスピ海小艦隊、及び場合によっては太平洋艦隊からも参加している可能性がある。このような複数軍管区、艦隊の参加する大規模な戦闘の全体を指揮統制する戦域司令官が見当たらない。

ソ連邦時代には合計16の軍管区があり、さらに複数軍管区にまたがる広域戦闘の場合を想定して軍管区を越える戦域司令部が置かれ、戦域司令官も存在した。

今、ロシア軍は5つの軍管区を擁しているが(うち北洋艦隊は昨年、軍管区として昇格したもので、地上軍を中心とする軍管区は4つになる)、複数の軍管区を統合的に指揮統制する戦域司令部は予め設けられていないと見られており、今回の軍事侵攻のために特別に司令部を設置したという情報もない。

そうであれば、ベラルーシ、ウクライナ北東部、ドンバス、クリミアの4方向から少なくとも3つの軍管区の参加する戦闘の全体を統制する司令部が存在せず、各方面の戦闘はそれぞれ独立して行なわれて、全体の統合運用ができていなかったことになる。

■なんのために戦うのか理解できないロシア兵

第三に、そしておそらくもっとも深刻なものとして、ロシア軍の兵員のモラール(士気)の問題。戦争は攻めるほうも攻められるほうも、いずれも命をかけて戦っている。そうであれば命をかけても惜しくないという理由、大義名分が絶対に必要である。

ところがロシア軍にはこれが決定的に欠如している。戦闘開始時点でロシア側が挙げた侵攻目的(「非ナチ化」など)はいずれも荒唐無稽で信じるに足りず、最前線で戦うロシア軍兵士は何のために戦うのか、理解できないまま命をかけた戦闘を行なわなければならない。

これに対してウクライナ軍は祖国のため、愛する妻子のため、家族のために戦うという理由が極めて明確である。この士気の違いは戦場において大きな意味をもつ。戦闘のあらゆるレベルでロシア軍に不利に働くであろう。

■3月末以降戦い方を変えたロシア

しかしさすがにロシア軍も、このままではまともに戦えないことを強く認識し、3月末以降、戦い方を変化させた。

倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)
倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)

3月25日、ロシア軍は「第一段階の主要課題は達成した」として、「主力を主たる目的であるドンバスの解放」に集中させると発表、首都キーウ周辺は部隊を一旦ベラルーシまで退却させ、その後、部隊を東・南部での戦闘に投入、加えて全般的な兵員の補充を含め東・南部での戦闘に集中する態勢をとり始めた。

これは上述の第一の問題、すなわちそれまでに見られた大隊戦術群の問題を克服しようとするもので、軍事的には合理的な行動と言える。

また、第二の指揮統制の問題についても4月9日、南部軍管区司令官であったドゥヴォルニコフ大将を対ウクライナ戦全体の戦域司令官として任命し、統合的な指揮統制を可能とする体制をとった。これも軍事的には合理的な行動である。

以上の戦い方の変化により、4月初め頃の段階でロシアとしては当面とにかくドンバスを拡張してクリミアと連結し、ロシア本土とクリミアを陸路でつなげ、さらに占領できるところまで占領したところで、例えば「ノヴォロシアの復興を達成」などとして5月9日の戦勝記念日における目玉にしようとしていた可能性がある(ノヴォロシアとは、ドンバスから南部の黒海沿岸地域を指す帝政ロシア時代の呼称)。

ただその後明らかになったように、5月9日までにこれを達成することはできなかった。

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倉井 高志(くらい・たかし)
元外交官、前ウクライナ大使
京都大学法学部卒業後、1981年、外務省入省。外務省欧州局中東欧課長、外務省国際情報統括官組織参事官、在大韓民国公使、在ロシア特命全権公使、在パキスタン大使を経て、2019年1月~2021年10月までウクライナ大使を務め、同月帰国。

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(元外交官、前ウクライナ大使 倉井 高志)

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