ソ連時代から現状認識は不変…プーチンが「ロシアは常に包囲されている」という妄想に取り憑かれた根本原因
プレジデントオンライン / 2022年6月8日 10時15分
※本稿は、倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■ロシアから世界はどう見えているか
筆者は1983年から1年間、英国スコットランドのエジンバラ大学に在籍して、当時ソ連の軍事問題の大家といわれたジョーン・エリクソン教授の下でソ連軍研究に携わった。当時のエリクソン教授が筆者に教え諭してくれたことの一つに、「ソ連を理解するためには世界からソ連がどう見えるかではなく、ソ連から見て世界がどう見えるかを考えなければならない」というものがあった。
80年代のソ連軍は最大500万人以上との見積もりもある実に巨大な存在であり、アフガニスタン侵攻を始めその「拡張主義」がしばしば話題になっていた。しかしソ連から見れば拡張主義はむしろNATOを始めとする西側諸国であって、自身の軍事力は完全に防衛的ということになり、ソ連自身はこれを確信していた(=交渉を有利に運ぶための戦術的発言ではない)に違いない。ソ連やロシアの主観的認識という意味において、当時も今も、これは正しいと筆者は思っている。
今回の軍事行動に至る判断の大本には、ロシアにおいて歴史的に形成された被害者意識と背中合わせの強固な防衛意識があり、それがロシアをして攻撃的な行動をとらせる上での心理的なハードルを低くさせていると思われる。
■2月の演説でプーチンが語ったこと
2022年2月21日、プーチン大統領はドンバスの2つの「人民共和国」の国家承認を決定したあと、オンラインで演説を行ない、その中で今回の軍事侵攻の理由を詳細に述べたのだが、そこで興味深いエピソードを一つ紹介している。それは2000年6月、退任前のクリントン米国大統領がロシアを訪問し、大統領になって間もないプーチンと会談したときのこと。プーチン大統領のほうから、ロシアのNATO加盟について米国はどう思うかと問うたという。
プーチン大統領は演説で、これに対するクリントンの反応はかなり抑制されたものであったとした上で、米国の真の答えはその後に米国がロシアに対してとってきた諸々の措置が物語っている、と述べている。
クリントン大統領とのやりとりの真偽は確かめようがないが、重要なことは、このようなエピソードを紹介することでプーチン大統領としては、いかに自分が「米国に裏切られてきた」かを説明したかったのだろうと思われることである。
■アメリカに「裏切られた」という強い思い
プーチン大統領は2001年9月11日、ニューヨークのワールド・トレード・センターがテロリストの攻撃を受けたとき、真っ先に米国に対し協力を申し出たという自負がある。ところがその後に米国がとった行動は、ロシアがその裏庭と考える中央アジアに基地を建設し、ABM条約から一方的に脱退し(2002年)、ジョージアのバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)などを「主導」し、さらに一貫してNATOを拡大し、「ロシアを包囲するため」のグローバルなミサイル防衛システムを構築してきたことであり、ロシアは完全に「裏切られた」とプーチン大統領は考えている。
このような主張には交渉を有利に進めるための政治的思惑も含まれており字義通りに解することはできないが、この「米国に裏切られた」とするプーチン大統領の強い思いが、KGB要員としてさまざまな秘密工作活動に携わってきた経験とあいまって、うかうかしているとロシアは米国、NATOに支配されてしまう、ロシアは自らを守るため軍事力を一層強化し、自国の安全を確保するための戦略環境を構築していかなければならない、との意識を強く抱かせることとなったと思われる。
■たとえ指導者が交代しても変わらない認識
問題は、ソ連時代に「パラノイア」とも言われた過剰なまでの防衛意識、常に自分たちは外部から攻撃を受けるリスクに晒されていて、軍事力を強化しなければこちらがやられてしまう、という被害者意識は、一定程度現実の歴史に裏打ちされている面もあり、仮に今後、プーチン大統領以外の指導者が出てきたとしても、この認識が大きく変わるとは考えにくいということである。
![ロシア国旗とモスクワ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/6/1200wm/img_d6e7ab101f24f6b9b655141df3d040ef369648.jpg)
そしてウクライナのロシアにとっての位置づけについても、おそらくロシア指導部のほとんどの者が多かれ少なかれプーチン大統領のような認識をもっていることは想像に難くない。
以上の認識は長年にわたって形成され、個々の判断をするに当たって非常に強固な基礎となっていたが、これだけでは「なぜ今」軍事行動を起こすのかは説明できない。これは結局のところプーチン大統領にしか分からないことであるが、あえて筆者の推測を言えば、このような長年の被害者意識の基礎の上に、
①2021年始め頃から活発化してきたゼレンスキー大統領による「反ロシア」的行動を抑えなければならないとの思い
②ウクライナのアイデンティティの完全否定、及びそこからくる「ウクライナは少し脅せばすぐ降伏する」というプーチン大統領固有のウクライナ観
③そしておそらくは20年以上にわたりロシアを率いてきてほぼ独裁体制を築いたことからくる驕り
があったものと思われる。
■「ウクライナは西側のコントロール下にある」と信じている
これまでの一連の言動を見て、プーチン大統領は気が狂ったのではないかと言う論者がいる。そうかもしれないし、「何をしでかすか分からない指導者」を演じているのかもしれない。ただいずれの場合であっても、おそらくプーチン大統領自身は西側の脅威やウクライナに対する自身の評価を心から信じている。
さらに、ウクライナが米国を始めとする西側諸国の完全なコントロール下にあり、マイダン革命を始めこれまでの「反ロシア的行動」は西側の工作に操られた結果であると心底信じていると筆者は思う。その場限りの思いつきや交渉などを有利に進めるための方便ではない。
■いきなりの「全土制圧作戦」はやはりプーチンの意向か
米国側の発言等の中に、今回の軍事行動を起こすに当たり保安庁(FSB)や軍部からプーチン大統領に対して正確な情報が上がっていなかった可能性があるとの指摘がある。側近がプーチン大統領に聞き心地の良い情報だけを上げるようになってしまったということである。
![倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1200wm/img_9788191c42b05686e45b063f962c3035317605.jpg)
そうかもしれないが、他方もう一つの見方がある。それは軍や情報機関が、ウクライナ全土をいきなり制圧するのではなく、ドンバスの拡張を中心とする作戦案を提示したのに対しプーチン大統領はこれを認めず、一気呵成(かせい)にやらなければ駄目だとして今回の緒戦の作戦構想に無理矢理持っていったという見方である。
筆者はこの後者の見方に強く惹かれる。というのは、今回の緒戦で3月中旬過ぎまでにはすでにキーウ攻略は困難ということが明らかになっていたが、当初の作戦が功を奏しなかった場合に同じ目的(キーウの攻略)を達成するための代替措置が準備されていたようには思えないからである。
■自分こそ誰よりも妥当な判断ができるという確信
国防省、参謀本部がプーチン大統領に作戦案を提示していたとすれば必ず、プーチン大統領から「当初の作戦が成功しなかった場合にはどうするのか」との下問があったときの答えを用意するはずと考えるが、キーウからベラルーシ方面に逃げるように退却した部隊の動きを見ていると、そのような代替措置が用意されていたとは思えないのである。
プーチン大統領は誰よりも長く政権内におり、誰よりも多くの情報をもっていて、誰よりも妥当な判断ができると彼自身は確信していると筆者は思う。そうだとすれば、ここにこそ問題の根源があるのではないか。
■バイデンの「米軍を派遣しない」発言は不用意だったか
なお今回の軍事侵攻に先立って、バイデン大統領はウクライナに部隊を派遣しない旨を明言し、かつその理由の一つとして、「軍事大国」ロシアと直接対決することは「第三次世界大戦」になりかねないなどと説明していた。このようなバイデン大統領の言動が、プーチン大統領に軍事行動をとらせる引き金になったという見方がある。
確かに戦略的曖昧さは重要であり、事前段階におけるバイデン大統領のこのような発言は軍事行動の心理的なハードルを下げさせる効果があったかもしれない。しかしながら、それはあくまでバイデン大統領の発言が今回の軍事行動の開始を決断させる一つの要因になったということであって、バイデン大統領の発言がなければ軍事行動もなかったということではない。
軍事行動の責任はあくまでロシアにあるのであって、バイデン大統領の発言を批判するにしても、この本質を見失ってはならないと思う。
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元外交官、前ウクライナ大使
京都大学法学部卒業後、1981年、外務省入省。外務省欧州局中東欧課長、外務省国際情報統括官組織参事官、在大韓民国公使、在ロシア特命全権公使、在パキスタン大使を経て、2019年1月~2021年10月までウクライナ大使を務め、同月帰国。
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(元外交官、前ウクライナ大使 倉井 高志)
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