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高校生の「肩を壊す連投」に感動するグロテスクさ…過密日程の甲子園大会はいますぐ廃止するべきだ

プレジデントオンライン / 2022年6月13日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miflippo

4月に完全試合を達成した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手は、高校時代から注目されていたが、監督が連投を回避したことなどから、春・夏の甲子園大会には出場していない。神戸親和女子大学の平尾剛教授は「過密日程で連投を強いる甲子園大会は、高校生にとって負担が大きすぎる。プロスポーツではないのだから、あり方を見直すべきだ」という――。

■記録ずくめの完全試合を達成した佐々木朗希投手

今年度のプロ野球が開幕してまもなくの2022年4月10日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が完全試合を達成した。完全試合とは、相手チームの打者を一人も出塁させずに勝利することである。安打も四死球も許さず9イニングで27個のアウトをきっちり27人から奪うという離れ業だ。

過去をさかのぼれば槙原寛己氏(元巨人)以来28年ぶり、史上16人目の快挙を、若干20歳の佐々木投手はやってのけたわけである。しかも13者連続三振(日本新記録)、そして1試合19奪三振(日本記録タイ)という記録までついたド派手なパフォーマンスであった。

■絶対的エースながら疲労を考慮し県大会決勝で登板を回避

「佐々木朗希」と聞いて思い出すのは3年前である。

当時、高校3年生だった佐々木選手は大船渡高校のエースだった。160km/時を越えるストレートを武器にするチームの大黒柱でありながら、第101回全国高等学校野球選手権大会(以下、甲子園)への出場をかけた岩手県大会決勝戦はグラウンドに立たなかった。監督の国保陽平氏は、決勝戦に至るまでの連投による疲労を考慮し、「故障を防ぐため」という理由で佐々木選手を出場させなかったのだ。

試合は2–12の大差で花巻東高校に敗退。同校史上初となる「甲子園出場への夢」はかなわずに終わった。

この佐々木選手の起用をめぐってはさまざまな論議を呼んだ。

元プロ野球選手の桑田真澄氏、太田幸司氏、大越基氏が賛意を示したのに対し、他校の野球部監督やプロ球団のスカウト陣からは否定的な意見が飛び交った。テレビのワイドショーもこぞって取り上げ、野球界を超えて社会全体を巻き込んだ論争になったのは記憶に新しい。

■「目先の甲子園」ではなく「佐々木投手の将来」を見越した采配

決勝戦の翌日、大船渡高校には佐々木選手を登板させなかったことへの苦情が殺到した。その数は2日間で200件を超えたという。なかには学校に乗り込むという脅迫めいた内容が含まれており、事態を重くみた学校側は警察に通報し、パトカーが出動する騒動にまでなった。また、敗れた決勝戦後にインタビューを受ける国保監督に向けて観客席からは野次が飛んだ。佐々木選手の起用をめぐる社会の過熱ぶりはすさまじかった。

あれからわずか3年後に、佐々木選手は完全試合を達成した。当時、激烈な批判に晒された国保監督をはじめ、同校野球部員とその保護者および大船渡高校の関係者は、さぞかし溜飲を下げたことだろう。いや、おそらく安堵感に満ち満ちているに違いない。

世間の逆風にめげることなく自らの責任をまっとうした国保監督の慧眼と、彼の決断を尊重して受け入れた関係者の勇気に、あらためて敬意を表したい。それと同時に、一時の感情に流されて苦情を申し立てた人たちには、自らの近視眼的な思考をしっかり省みていただきたい。

佐々木選手の将来を見越し、誹謗中傷にも屈しなかった国保監督はスポーツ指導者の鑑であると私は思う。

■「春夏の風物詩」に向けられる疑問

佐々木選手は甲子園を経ずにプロ野球選手となり、20歳という若さで大記録を達成した。地方予選を勝ち抜いた高校が鎬を削る全国大会を、佐々木選手は経験していない。甲子園の土を踏まずともプロ選手として大成する道筋を、国保監督と佐々木選手は身をもって示してくれたわけである。これを契機として、ここからは若年層にとっての全国大会についてあらためて考えてみたい。

いうまでもなく甲子園は春夏の風物詩として親しまれている。一所懸命に白球を追う高校生たちのひたむきな表情には、つい目を奪われる。勝てばよろこび、負ければ悔しがる。惜しげもなく感情を表出させる、裏表のないその爽やかさは観る者の心をつかんでやまない。おらが町を代表して戦う彼らに、郷愁がともなう共感を寄せて応援する人も多い。

春の選抜大会は今年で94回目、夏の大会は104回目を迎える、いわば伝統行事として社会に定着した甲子園だが、近年になってその開催にはいくつかの疑義が呈されている。

■アスリートファーストの観点からすれば「異常な大会」

まず、過密日程による選手への負担だ。今年の夏の甲子園は8月6日から8月22日までの17日間が予定されており、この日程だとベスト16に残ったチームはそこから5〜6日間で最大4試合を戦うことになる。

地方予選にしても、都道府県によって参加校にばらつきはあるもののその日程は過密である。たとえば佐々木選手が高校生だった2019年度の岩手県大会では66チームが参加し、決勝に進んだ大船渡高校は10日間で6試合を戦った。

これに加え、夏の大会では炎天下による開催が懸念されている。グラウンド上の体感温度は40度を軽く超えるという。日常生活を送るうえでも熱中症の危険がともなう真夏の日中にスポーツをするのは、明らかに常軌を逸している。

高校球児の健康を優先するなら、可及的速やかに過密日程と炎天下での開催は見直すべきである。これにはおそらく異論はないはずだ。高校時代の佐々木選手だって、もし試合間隔が緩やかであれば決勝戦で登板できたかもしれない。国保監督が苦渋の決断を迫られることもなかっただろうし、もしそうなら誹謗中傷に晒されることもなかっただろう。アスリートファーストの視点で考えれば、甲子園は控えめにいっても異常である。

■手塩にかけて育てた「優良コンテンツ」を手放したくないマスコミ

少し考えれば誰もがその異常性に思いが及ぶこうした大会が、なぜ今日まで続けられてきたのか。それは大会を主催する側と観る側の「もたれ合い」である。

日本高等学校野球連盟(以下、高野連)とともに、春の選抜大会は毎日新聞社、夏の大会は朝日新聞社が主催している。両メディアにとって甲子園は紙面をにぎわす重要なコンテンツである。発行部数にも直結する優良コンテンツの甲子園を、老若男女を問わず日本中が注目する大会へと長きにわたって育ててきた両メディアが手放すはずがない。

また、高校球児が躍動する甲子園を毎年楽しみに待つファンは、日常生活を彩るエンターテインメントとしてこよなく愛している。暑さにめげず、苦難を乗り越えようとひたむきにプレーする姿に目を奪われ、そうして彼らが奮闘するさまをつづった記事を読んで心を震わせる。

2019年8月22日の甲子園球場
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

つまり両者の欲望は一致する。だから現行の方式はできるだけ変えたくない。「苦難を乗り越えようとひたむきに頑張る高校球児の健気さ」、この出来合いの物語に主催者とファンが寄りかかっている。他でもない当事者である高校球児を置き去りにして。

そして直接関わりを持たない私たちもまた、おかしいと気づきながらなにも主張しないのであれば、主催者とファンのもたれ合いに加担していると言わざるを得ない。

こうして過剰に意味づけされた甲子園が「あこがれの舞台」として独り歩きし、勉学や恋愛など、すべきことやプライベートを犠牲にしてまでも打ち込む価値があるのだと、高校球児に刷り込んでいる。ここに、そろそろ終止符を打つべきである。

■「ミスマッチ」を避けるためのリーグ戦という方法

では現実的にどのような変革が為されるべきであろうか。

過密日程の緩和と炎天下での開催の回避に加えて、私は、トーナメント戦の廃止を提案したい。トーナメント戦だと、決勝まで勝ち残ったチームは最もたくさん試合を行えるが初戦で敗退すれば1試合しか行えない。いわば、多数のスポーツ推薦入学者が所属する強豪校が結果として優遇される仕組みである。優勝を決める、つまり勝ち負けを際立たせるには実にわかりやすい仕組みだが、その反面、各チームの試合数には偏りが生まれる。

屋外で野球の練習
写真=iStock.com/Tomwang112
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tomwang112

2020年から球数制限とタイブレーク制を導入するなど、球児の負担を軽減するために高野連も改革を試みてはいる。これらはおおむね歓迎すべきであるとしても、抜本的な解決策とはいえない。

試合時間の短縮が見込まれるタイブレーク制はよしとしても、球数制限は複数の投手を育てる必要性から有望選手をはじめ多くの部員を抱える強豪校には有利に働く。部員数が少なく限られた人数で戦わざるを得ない高校は不利になり、不公平が生じる。リーグ戦で各チームの試合数を限定して登板間隔に余裕を作り、試合数の偏りをなくせば多くの高校が恩恵をあずかる大会になるはずだ。

高校ラグビーの全国大会である「花園」もまた同じである。毎年ベスト8には限られた高校が名を連ね、それ以外は早々に敗退し、なかにはありえないような大差で敗れて失意のもとに大会を去るチームもある。実力差が大き過ぎるチーム同士の試合を「ミスマッチ」というが、これは敗者にこのうえない無力感を植えつけ、勝者にさえもカンの狂いと慢心をもたらす。

つまりミスマッチは両チームともに不毛であり、できる限り行わないのが望ましい。それには競技力によってリーグ分けし、それぞれで優勝を決めるリーグ戦を行えばいい。

■教育目的のスポーツでは無理に「一番」を決める必要はない

スポーツは試合をするから楽しい。なにより試合経験は選手を成長させる。負けまいとして懸命になる舞台において、重圧を押し退けるために心が鍛えられ、適度な緊張感が肉体の限界を押し広げる。チームスポーツならチームメイトと積極的にコミュニケーションをとるなかでソーシャルスキルも身につく。教育を目的とする若年層のスポーツでは、「一番」を決めることよりも子供たちに多くの試合経験を提供することが望ましい。

社会ではいや応なく「少子化」が進む。子供の母数は減る一方である。この社会的背景において、一部の子供だけが陽の目を見るような運営を試みるスポーツは遅かれ早かれ衰退するだろう。そうではなく、誰ひとり取り残さず全体の底上げを図る仕組み作りに舵を切らなければならない。その一案として、ふるい落としのトーナメント戦ではなく、出場校には最低限の試合数を保証するリーグ戦への切り替えがある。

甲子園も花園も、プレーをするのは心身ともに発達途上の高校生である。成熟した大人が職業として行うプロスポーツではないのだ。興行性に重きを置くのではなく、あくまでも教育の一環である原点に立ち返って、これからのあり方を模索する必要がある。エンターテインメントとして消費するのではなく、若者の健康と教育を重んじる仕組みへの大転換が、いま、求められている。

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平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和女子大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。

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(神戸親和女子大教授 平尾 剛)

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