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「そちらが看るべきよ」長女と長男嫁の確執…75歳認知症の母の介護担当者を巡る家族会議の一部始終

プレジデントオンライン / 2022年6月11日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DragonImages

関西生まれで、現在関東在住の50代の女性の父親は酒乱だった。母親は幼い長女(女性)と長男を連れて実家に戻った。女性は建設会社の副社長にのぼりつめた叔父(母親のすぐ下の弟)からの援助も受け、大学を卒業。その後、結婚して関東地方に住んで2人の子供を出産。40代になった頃、女手ひとりで育ててくれた75歳の母親が認知症に。その介護を誰が担うべきか、実家の近くに住む弟夫婦ともめにもめた――。
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

■両親の別居

関東在住の市原麻美さん(仮名・50代)は、生まれも育ちも関西だ。市原さんが物心ついたときには、父親は酒を飲むたびに暴れ、気に入らないことがあると母親に暴力を振るい、市原さんも2歳下の弟も厳しく折檻(せっかん)されるため、いつも父親にびくびくしていた。

母親は何度も子供たちを連れて実家に帰ったが、そのたびに父親は迎えに来て謝るため、結局母親は家に戻った。

ところが、小学校1年の3月の夜、市原さんは、寝ているところを母親に起こされる。母親は市原さんと弟を連れて、何度目かの家出を決行。終車間際の電車とバスを乗り継ぎ、母親の実家に着いたときは、0時を回っていた。

数日後、父親がいつものように迎えに来ると、母親は、父親に会わないように奥の部屋に隠れていた市原さんに訊ねた。

「お父さんが来てるけど、会いたい?」

市原さんは体を固くして、必死で首を横に振った。

「麻美ー、パパだよー。一緒に行こう」と呼ぶ声が聞こえたが、ちょうど市原さんの様子を見に来た祖母にしがみついた。祖母は父親のところへ行くと、「麻美は顔色が悪なってる。あんたには会いたくないって」と伝える。

しばらくして玄関扉が閉まる音が聞こえた途端、市原さんは心から安堵(あんど)した。

「まだ6歳の私は、無理やり連れて行かれたらと思うと、とても怖かったのを今でも覚えています」

母親は離婚の意思を伝えたが、父親は頑として受け入れない。経済的に自立していない母親は、子供たちの親権を諦めなければならない可能性があったため、離婚ではなく別居という形を取った。

■父親代わりの叔父

母親が実家に戻ったとき、祖父は要介護5の寝たきり状態で、祖母は市原さんたちの世話までする余裕はない。母親は7人きょうだいの上から2番目。1番下の妹は母親よりひと回りも年下で、実家から仕事に行っていた。子供嫌いな叔母は、市原さんと弟が騒ぐと、あからさまに嫌な顔をする。市原さんたちは肩身の狭い思いをして過ごし、2年の月日が流れた。

当時39歳の母親は、資格も職歴もない。数カ月ほど求職活動をして、ようやく事務員の職を得た。そしてある日、市原さんは母親に、6畳一間の古いアパートに連れて行かれた。

「こんな汚いアパートだけど、ここで3人で住もうと思うの」

母親は申し訳なさそうに言ったが、「お母さんと一緒にいられたら、それだけで嬉しいよ。お部屋が一つなら、ずっとそばにいられるよね?」と市原さんが言うと、母親は娘を抱きしめて泣いた。

築年数の古いアパートの一室
写真=iStock.com/Actogram
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Actogram

母親が、「アパートを借りて住もうと思う」と話すと、祖母は、「娘が近所で貧乏暮らしをするなんて、世間体が悪い」と眉をひそめた。

すると、それを知った叔父が、「俺が姉ちゃんに新しい家を買ってやる!」と言い出した。

母親のきょうだいのうち、一番上の姉とすぐ下の妹・弟が、結婚後も実家の近所に住んでいたのだが、母親のすぐ下の弟=市原さんの叔父は、高卒で建設会社に就職すると、まじめな働きぶりが買われ、若くして副社長に抜擢。そのため経済的に豊かだったようだ。叔父は結婚後、子供に恵まれなかったせいもあり、父親のいない市原さんや弟をわが子のようにかわいがってくれていた。

当時36歳の叔父は、自分の家を購入したばかり。母親は恐縮しながらも、一度言い出したら聞かない弟の性格を知っていたため、最終的には申し出を受け入れた。

「叔父の奥さんも、よくぞ許してくれたと思います。本当に感謝です。叔父は私たち家族に新しい家とともに、周りに気を使わずに暮らせる安心感と、普通の生活を提供してくれました」

家は、母親の実家と叔父の家のちょうど中間あたりに購入。市原さんは叔父を信頼して、困ったことがあれば何でも相談し、叔父は市原さんと弟を大学まで行かせてくれた。

■出会いと結婚

市原さんは大学の卒業旅行で、友達とオーストラリアへ行った。現地でたまたま中学生時代の友人に再会し、その友人が所属しているダイビングスクールに顔を出したところ、1つ年上の日本人男性と知り合う。それが現在の夫だ。

同じく卒業旅行で来ていた夫は関東在住だという。大学生バックパッカー同士、その後も行く先々で偶然会い、その度にお互いの友達たちと楽しく過ごした。

シドニーのオペラハウス
写真=iStock.com/simonbradfield
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/simonbradfield

帰国後、旅先で撮った写真を送るため、連絡先を交換していた市原さんたちは、文通を開始。やがて交際に発展し、3年後の1993年に、26歳と27歳で結婚した。

ところが結婚直前、夫の両親に問題が起こった。義父が株で大損して借金を作り、家を抵当に入れていたため、義実家を手放さなくてはならない危機に陥ったのだ。

一時は結婚を白紙に戻そうかという話まで出たが、市原さんはどうしても夫と結婚したかったため、自分の実家からの経済的援助を受け、結婚式を決行。

当時60歳の義父は、数回転職歴のある中堅商社マン。53歳の義母は、高卒後4〜5年銀行勤めをした後に結婚し、その後はずっと専業主婦。物腰は柔らかく、“いいとこの奥様”といった印象だが、几帳面で頑固なところがある。

「結婚する前、義母が私に、『自分のことは自分でね』と、言ったことが今も頭から離れません。その割には、私の母や叔父が結婚費用をほぼ全額出したことに謝罪もお礼もない。一人っ子の長男の結婚なのに、まるでひとごとのよう。ずっと義母を理解できず、悩みました」

もちろん、夫は市原さんの母親や叔父に謝罪やお礼を伝え、母親や叔父は、「お金がある方が出せばいい」と言っていた。しかし、その後もずっと母親は、「お金のことはいいとして、どうして向こうの親は一言もお礼を言ってこないのかしら? 嫁に出す側のこちらが主導権を持ってしまって、気分を害したのかしら?」と気にしていた。

「“片親コンプレックス”を持っていた母は、私のために必死でした。だから私の義父母に対して、『母子家庭だから蔑まれているのか』と考えていたようです。あの時、義父母から一言でもお礼と謝罪の言葉があれば、どれほど母は救われたでしょう。私も若く、母の気持ちに気が付けず、能天気でした」

大学卒業後、高校教員をしていた市原さんは、結婚を機に関東へ。関東で高校の非常勤講師をしていたが、1996年に29歳の時に長女の出産するタイミングで離職。2000年には次女を出産。

「お金より、気持ちの面でいまだに許せていません」という市原さんは、腹に一物を抱えつつも、義両親と適度な距離感を保って付き合った。

■旅行での兆し

2012年夏。市原さん45歳、夫46歳、長女16歳、次女12歳の頃、市原さんの母親75歳、義父79歳、義母72歳の合計7人で東北旅行を計画する。

結婚して関東に来て以来、関西に住む母親と会うのはお盆と正月などの年に2回ほど。だが、30歳で結婚して家を出た弟が、実家から遠くない場所で暮らしており、子供たちを連れてちょくちょく実家を訪れているようだったため、安心していた。

母親は、事務の仕事を65歳まで勤め上げると、近所の友達とソフトテニスを始めた。市原さんが時々電話すると、「元気よ〜。変わらないよ〜」と明るく言っていたため、楽しく暮らしているのだと思っていた。

ところが、旅行で久しぶりに会った母親の変化に、市原さんは驚きを隠せなかった。ひどく痩せて、目がうつろなのだ。

母親は、「新幹線の乗り方が分からなくてね、人に尋ねて、やっと来られたの。迷って大変だった」と弱々しく言う。旅行中、市原さんが「お母さん、すごい建物だねー、きれいなお庭やねー」などと話しかけても、「あぁ……そうね……」と言って微かに笑うだけ。話しかければ普通に返すが、反応も表情も乏しくなっていた。

新幹線の車窓をホームから
写真=iStock.com/Mirko Kuzmanovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mirko Kuzmanovic

以前電話で、「家で震災のニュースを見ていたら、気付いたら夕方になっていた。何時から座っていたのか覚えがない」と話していたが、そのとき市原さんは、「お母さんも年をとったな〜」くらいにしか思わなかった。だが、旅行で一緒に過ごすうち、老いではない違和感を持つ。それは夫や娘たちも感じていた。

旅行から戻ると、市原さんは母親と一緒に関西へ向かい、72歳になる叔父に会うことに。

市原さんが、母親が認知症かもしれないことを伝えると、「なんでそんなになるまで気がつかなかったんや! そりゃ大変だ!」と驚いた。

叔父から責められるのを恐れた市原さんは、「そんなのわからへんよ、ついこの間まで普通やったんよ……」と口ごもる。

叔父はすぐに物忘れ外来のある病院を予約。当時営業事務の仕事をしていた市原さんは、「家族を放っておけない。仕事も何日も休めない」と言って母親は叔父に任せて、自分の家に帰った。

母親はアルツハイマー型認知症。要介護2だと判明。ここ数年はテニスもやめて、ほとんど家から出ず、誰とも話さない日が続いていたようだ。

「母が認知症だとわかり、とてもショックでした。でもそれよりも、これからの自分の生活を案じました……」

叔父は、「こっちに戻ってお母さんと同居してあげなさい」と言ったが、「長男が母を見るものだ」と考えていた市原さんは、「私は長男の家に嫁に行った身。家族も仕事もあるから戻って母を見ることはできない。近くに弟夫婦がいるじゃない」と断った。

■弟夫婦とのバトル

実家での同居は断ったものの、市原さんは、「もう母親を一人にしてはおけない」と思い、悩んだ。

数年前、母親が市原さんの家に遊びに来たときに、「こっちで一緒に暮らさない?」と言ったことがある。すると母親は、「もう歳だし、こんな遠いところには来たくない。ひーくん(市原さんの弟)と住むかもしれないねえ」と答えた。

「弟から『一緒に住まないか?』と言ってもらえるのを待っているようでした。『長男といつかは同居を』と願うのは母の年代の人には普通でしょう? 寂しそうな顔を見ていたら、同居を申し出ない弟を責めたい気持ちになりました」

2012年10月、市原さんは夫とともに、弟夫婦と4人で話し合いの場を持った。

「お母さん、認知症になっちゃったんだけど、どうしようか。あのまま一人で置いておけないよね」

市原さんが話し始めると、すかさず弟が言った。

「ぶっちゃけうちも見るの無理だわ。こいつ(弟の妻)だって仕事あるし。子供3人だってまだ小さいしさ」

いつもは口数の少ない弟の妻も、続いて言った。

「すぐに施設を探しましょう。特養は待ちがあるから、すぐに入れるところに入ってもらうのが良いと思います」

まだ施設のことを考えていなかった市原さんは、「少しでも自分が見てやろうという気持ちはないの?」と、面食らう。

「あんた長男でしょ? お母さんはあんたと住みたいって言ってたんよ。家も近いんだし、見るのが当然だと思うよ」

と市原さんが言うと、弟の妻が、

「私はお義姉さんが見るのかと思っていました。お義母さんはお義姉さんと一緒に住みたいと言っていたんです。母親が娘と住みたいと思うのは当然ですよね?」

と声を大にして、大喧嘩に。

会議で活発な議論
写真=iStock.com/FangXiaNuo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FangXiaNuo

この日以降、市原さんと弟との交流も連絡も途絶えた。

悩んだ市原さんが後日、「関東に母親を呼び寄せて介護する」と言うと叔父は、「知らない土地で生活させると認知症が進む」と反対。弟が介護するか、市原さんが関西に来て介護するべきだと言うが、市原さんの娘たちはまだ16歳と12歳。家族を残して関西に来ることはできない。

逃げ腰なのは弟も同じようで、見かねた叔父が、「俺が面倒を見る。見たくない者が介護をやっても、姉ちゃんにかわいそうな思いをさせるだけだ!」と言って介護を引き受けた。

市原さんは胸の痛みを感じつつも、「自分の生活は守られた」と安堵した(以下、後編へ続く)。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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