「トイレは公園でしろ」「マンション売却代金返せ」老親の衝撃発言に翻弄される50代女性にできた"500円玉ハゲ"
プレジデントオンライン / 2022年6月11日 11時30分
■叔母たちとの亀裂
認知症になった75歳の母親のために、叔父は献身的に介護してくれた。72歳になるまで全く料理をしなかったにもかかわらず、卵焼きや野菜炒めなどを作って実家の母親に届け、食べさせてくれる。叔父の妻も協力的で、しばしば料理を差し入れてくれた。
市原麻美さん(仮名・現在50代)は、心から感謝していた。
叔父は、母親が食べたものや飲んだもの、服薬状況を記録するほか、電気やガス、水道メーターをチェックして、入浴したかどうかも確認。さすがに叔父や叔母では母親を入浴させられず、母親も拒否するため、2週間に一度、市原さんが来て入浴させた。
週に何度か、叔父は事細かに母親の状態を伝えてくれた。市原さんはその度に、叔父に対する感謝と申し訳ない気持ちなった。
当時45歳だった市原さんは、平日は仕事(営業事務)をし、夫の助けを受けながら家事と育児(16歳、12歳の子供)をこなし、2週に1度関西へ行く遠距離介護生活を開始。金曜夕方、仕事から帰宅すると、娘たちと食事をした後、深夜バスに乗車。朝5時ごろ大阪梅田に着き、すぐ実家へ。家の中を片付け、買い出しに行き、母親と一緒に食事をしたり散歩したりして過ごす。日曜日の夕方になると、「ぷらっとこだま」で約4時間かけて関東に帰り、また月曜日には仕事だ。市原さんはこの頃、体重が7〜8キロ減った。
■「あんた叔父さんの奴隷? 見損なったわ」
ところが、こんなに無理をして遠距離介護をしても、母親はもう、市原さんが自分の娘だということがわからなくなっていた。
「なかなかハードな生活でしたが、帰宅すると夫が夕飯を作ってくれて、娘たちは勉強や部活など、自分たちの生活を淡々とこなしてくれていて、わが家が落ち着いていたことが、一番ありがたいことでした」
介護を始めて1年ほど経つと、叔父は体力的に厳しくなってきたらしく、妹(市原さんの叔母)たちに、「時々来て、姉ちゃんの話し相手になってやってくれ」と助けを求めた。叔母たちは時々は来てくれるようになったが、叔母たちにも家族や生活があるため、頻繁には来られない。だんだん叔父は、「薄情だ」といら立ち、叔母たちと険悪に。叔父は叔母たちからの連絡を一切無視するようになってしまう。
そんなある日、一番下の叔母から市原さんに電話がかかってきた。子供の頃、実家で同居していたあの叔母だ。叔母は、「あんたたち(市原さんと市原さんより2つ下の弟)がちゃんと介護しないから、私たちが絶縁状態になるのよ! 女一人で育ててくれたお母さんに恩返ししなさいよ、この親不孝者!」と一気にまくしたてる。
市原さんは、弟が介護を拒否したこと、母親を関東に呼び寄せようとしたが、叔父に反対されたことなどを話した。すると叔母は、「あんたたちができないなら、施設に入れなさいよ!」と一喝。
「でも叔父さんが施設はダメだって。みんなで少しずつ分担して、まだまだ自宅で見ようって言うんよ……」と市原さんはしどろもどろ。
「なんで言いなりなの? あんた叔父さんの奴隷? 見損なったわ。もういい!」
数年ぶりの電話は怒涛(どとう)のごとく終了した。
「叔母の言うことはもっともだと思いましたが、叔父の意見は私には絶対でした。私が『施設に入れよう』と言うことで、どんなに叔父をがっかりさせるのか。『叔父に見限られるかもしれない』と考えると、とても言い出せませんでした……」
■遠距離介護の限界
2014年1月、市原さんが実家でトイレに行こうとすると、母親が市原さんの腕をつかみ、「近所の公園にある公衆トイレに行け」と言う。市原さんが実家のトイレに入ると、ドンドンとドアを叩き、ガチャガチャとドアノブを回す。
その翌朝も、市原さんがトイレを使うと、母親が仁王立ちで言う。「トイレ使ったら詰まるねん。公園に行き」。
「詰まってないよ。大丈夫やから、お母さんも家でトイレしぃや」と市原さんが言っても、母親は暗い顔をして公園へ向かう。市原さんは後を追った。
寒い朝、母親はパジャマ一枚に裸足でつっかけ姿。公園のきれいとは言えないトイレから出てくると、なぜか手にはトイレットペーパーが。母親は帰宅すると、それをタンスに入れた。
不審に思った市原さんは、母親が見ていない隙にタンスを開ける。中にはおびただしい数のトイレットペーパーやポケットティッシュなどが詰め込まれており、中には茶色い汚れがカピカピに乾いたものまである。
市原さんはぞっとした。見ると他のタンスや押入れにもペーパー類が詰め込まれていた。市原さんはひどく落ちこみ、「こんな家にはいられない。ずっと一緒にいたら、こっちまでおかしくなる」と気持ちが悪くなった。
それからだった。母親は1人で天井に向かって笑ったり、壁に向かって怒ったり。そしていつしか、叔父に「帰れ!」「財布泥棒!」などと敵対するようになっていく。
それでも叔父は、「認知症は否定してはいけないんや」と言い、「そうかそうか」と笑っていた。また別の日、隣家に住む旧友から、市原さんの母親が、「朝晩関係なく家のインターホンを鳴らしに来るため困っている」と苦情が入る。「認知症のお母さんを放っておくなんてかわいそう。迷惑やし、何とかしてよ!」。苦情は叔父にも伝えたが、逆ギレされて話にならなかったようだ。
「叔父に逆らえず、認知症の母を施設に入れないことで、私は弟と弟の家族、叔母たち、そしてご近所の人たちなど、たくさんの縁を失いました。自分で決めたんだから仕方がありません。私が施設に入れたいなどと言ったら、きっと叔父は激怒する。叔父に今、母の介護をやめられたら困る。今さら、私が母の面倒なんて見られない。叔父から施設に入れようと言い出すまでは何とか今のまま……。私はひたすら自己保身に走っていました」
市原さんは後日、菓子折りを持って近所を回った。
やがて2016年12月、77歳になった母親の徘徊(はいかい)が始まる。最初は歩いて15分程度の商店街。次は3〜4時間かかるところまで行き、警察に保護される。3回目の徘徊の時は、市原さんが実家に来ている時だった。
母親は「トイレに行ってくる」と言って公園へ行き、10分経っても戻らない。おかしいと思った市原さんは、あたりを探し回った。叔父に電話をすると、叔父は警察に連絡。昼過ぎに出ていった母親は、夜8時過ぎに見つかった。警察から連絡があり、市原さんが迎えに行くと、真冬に母親はコートも着ず、足元は裸足につっかけ。それを見た市原さんは、帰ったら叔父に、「私が母を引き取る」と言おうと思った。
帰宅すると叔父は、自分の家で母親を介護すると提案。しかし市原さんは、「私、仕事を辞めて、お母さんの面倒を見るよ。関東に連れて帰るわ」と言った。
すると叔父は、何かを考えつつも、「お前が決めたんなら……分かった」とうなずいた。関東に戻るとすぐに上司に退職を申し出、市原さんは残務整理に入る。
しかし数日後、叔父から、「今日、介護付き有料老人ホームを申し込んできた。もうお母さん、お前の家に行っても、そんなに長くはおられへん。仕方ないよ」と電話があった。
2015年9月。78歳になっていた母親は有料老人ホームに入居。2017年4月に要介護5になり、特養に移った。
■義父母の離婚騒動
一方、2018年2月。85歳の義父が、「(自分たちが住む)マンションを売って、息子の家の近くへ引っ越そう」と言い出したが、78歳の義母はそこを離れたくないと反対。もともと夫婦仲が良いとは言えない義両親は、次第に大喧嘩に発展。
義父が息子(市原さんの夫)に相談すると、最初、夫は「過去に株で大損したり、勝手に生命保険を解約したりした父なので、大金(マンション売却金)を持たせると良いことがない」と反対したが、しばらくすると、「高齢の両親を近くに住まわせるのは悪い話ではない」と思ったという。
そこで夫は、「マンションの売却代金の管理は自分に任せること」を条件に了承。義母を説得して条件を文書化し、義両親と夫は捺印。2018年4月。市原さんの家の近くのマンションを夫名義で借り、引っ越してきた。
ところが数日後、マンションの売却代金を息子に管理されることに不満を感じていた義父は、夫に代金を返却するよう要求。夫は代金を両親の老後資金のつもりで預かっていたのだが、義父は義母のことなど眼中になく、全額を自分に返せと言う。しかも義父は、約30年前に株で大損したにもかかわらず、ネットで株取引に夢中。もちろん夫は返却に応じない。
そんな中、義母は、売却代金の件でイライラした様子の夫(義父)との生活に心労がつのり、市原さんたちの家に頻繁に逃げてくるようになった。すると夫が、「おふくろ、しばらくうちに避難させよう」とぽつり。義母も、「麻美さんだけが頼りなのよ」と頭を下げる。
市原さんに拒否できるはずもなく、結婚費用の件(義父母が費用負担を自分の母親などにすべて依存したにもかかわらず、感謝の言葉も言わないこと)で腹一物を抱えたまま、適度な距離をとっていた義母との同居が始まった。
■わからなくなってしまう前に
義母は専業主婦のかがみのような人だった。掃除も洗濯も丁寧で、料理はおいしかった。しかし同居してから料理をしてもらったところ、残念なことに、腕が落ちていた。市原さんたちは、年齢のせいだと思った。
ある日、家から3分ほどの郵便局に行くおつかいを義母に頼んだところ、「行けない」という。どんなに説明しても、地図を書いても拒否。さらに、同じ話を何度もしたり、話がかみ合わなかったりする。その違和感は夫も抱いていたようで、夫はすぐさま義母を物忘れ外来へ連れて行った。
結果はアルツハイマー型認知症。要介護1。ケアマネジャーと相談し、デイサービスの利用を開始した。
デイサービスに通い始め、生活のリズムが整い始めると、義母は同居生活にすっかりなじんでいた。「もう今さら義父のところへ戻すことはできない」そう思った市原さんは、「前向きに考えよう」と腹をくくり、義母ができることはなるべく任せようと計画。
そのことが功を奏し、義母の認知症の進行を遅らせるだけでなく、料理の腕も、だんだん昔のレベルに戻っていった。若い頃は神経質で頑固なところがあった義母だが、認知症のせいで多少大雑把になり、市原さんは「同居が認知症になってからで良かった」「私は仕事もあるし、義母が家事を頑張ってくれて助かる」と思った。
しかし体は正直だ。同居して8カ月ほど経ったある晩、市原さんが風呂上がりに髪を乾かしていると、頭に500円玉大のハゲができていることに気が付いた。
「義母はまじめで優しく、細かいことに気がつく。『こんなにいい人なのに、なぜ、私はこの人を嫌うんだろうか』と、私は申し訳ない気持ちになりました」
同じ頃、同居を続けるにあたり、夫が義母の預金を確認したところ、約30年前に亡くなった義母の父親の遺産が残っていたことを知る。
市原さんは、「こんな大金を持っていたのに、どうして一人息子の結婚のために出してやらずに、うちの母と叔父に全部出させたの?」という気持ちが大きくなり、翌日、思い切って義母に訊ねた。
すると義母は首を傾げてぽつりぽつりと言う。
「どうだったかしら……? あの頃、夫が株で大損して、父の遺産のおかげで家は失わずに済んだのだけど……あのお金、夫はまだ返してくれていないのよね……。私、あのとき何も用意してあげてない?」
「いえ、何も」と市原さん。
「私、そんなだった? 忘れちゃったわ。でも、たぶん、お金、使いたくなかったのよね。とっておきたかったのよ」
瞬間、市原さんは合点がいった。
義母は、自分の1人息子(市原さんの夫)が新居を買っても、新しい家具や家電をそろえても、その費用をどうやって捻出したのかあえて訊ねなかった。訊ねて負担しなければならなくなることを恐れた。知らぬ存ぜぬを貫いたことで、息子夫婦の結婚費用などを出してくれた市原さんの母親や叔父に対する罪悪感も少なく済んだ。専業主婦だった義母は、金遣いの荒い義父から自分の身を守るので精いっぱいだったのだ。
市原さんは、長年気になっていたことが聞けてスッキリしつつも、すでに自分のことさえわからない状態の実母に(義父母が結婚費用を自分の母親と叔父にすべて負担させたにもかかわらず、謝罪も感謝もなかった理由を)伝えることができないことを悔やんだ。
■義父母の裁判
別居状態となった義両親は、義父が夫に「マンションの売却代金を全額寄越せ」としつこく言ってきていたため、市原さん夫婦は2019年1月に離婚調停を起こし、半分義母のものとすることを認めさせようとした。
だが義父は、「専業主婦だったあいつの貢献度は、せいぜい認めても3分の1程度だ」と言って半分渡すことを拒否。調停は難航し、離婚は認められなかった。
ところが2019年11月、義父が「マンションの売却代金全額の返却」を求めて弁護士を立て、息子である夫を訴えた。さすがに「そこまでするか?」と呆気にとられた市原さん夫婦だったが、訴えられてしまっては受けて立つより他はない。こちらも弁護士を依頼し、弁護士の提案で義母を原告として義父との離婚裁判を起こす。
すると義父側の弁護士が、要求額を減らし「マンションの売却代金を半分ずつ分ける」ことで、和解を持ちかけてきた。市原さん夫婦は考えた末、これに応じ、裁判は幕を閉じた。
しかし、それでも義父は諦めなかった。離婚裁判では離婚に応じないだけでなく、義母分のマンションの売却代金にも執着し、返せ返せと言ってくる。
埒が明かないと思った市原さんは、義父の家に義母を連れて行き、「お義母さんは認知症になっていて、この先お金が必要なんです。(売却代金の)半分、(裁判で和解した通り)お母さんにあげてください」と直談判すると、ようやく半分義母に渡すことと別居を認め、離婚裁判も終了。
2021年8月。義母の認知症が進んできたこともあり、先を見据えて介護施設の見学を始めた市原さん夫婦と義母。良いグループホームが見つかり、一応申し込みだけしておいたところ、11月に「部屋に空きが出ました」という連絡が入る。
まだ自分のことは自分でできていた義母を施設に入れて良いものか、市原さんは迷った。だが夫は、その頃やりたいことを見つけて仕事を辞めた市原さんが、家で義母といる時間が長くなることを心配。入居を決断した。
■母親との別れ
市原さんの長女は、2018年3月に大学を卒業。4月から関西の会社に就職し、一人暮らしを始めた。次女は、祖父母の騒動(マンション売却代金分割など)のおかげで法律の重要性を実感。弁護士を志し、同年4月に法学部に入学。自宅から通学している。
「娘たちには、義父母や私の母のことを包み隠さず何でも話しました。娘たちは私を理解し、一緒に考えてくれました。家族の現状を知っておくことや、母親の立場を理解することは、娘たちにとっても良いことだ思いました。家族が支え合うことが大事なのだと認識してくれたことと思います」
市原さんは、認知症になった母親や、お金のトラブルが続いた義両親のことがありながらも、常に外に出て働いてきた。それでも一番大切にしてきたのは、娘たちのこと。「日々を安心して過ごせるように心がけてきた」という。
2022年5月19日。叔父から「母危篤」の連絡があった。
市原さんが駆けつけると、母親はまだ意識があり、市原さんは特養に泊まった。その間、断絶していた弟家族や叔母たちが別れのあいさつに訪れ、10年以上にわたるわだかまりを解くことができた。眠る母親の前では皆、素直に謝罪や感謝を口にすることができたのだ。
「私は自分の生活を守るのに必死で、母の介護を叔父に押し付け、弟のせいにして、逃げてしまいました。もっと弟夫婦や叔父、叔母たちと腹を割って話し合えば良かった。自分のことばかりで、周囲の人のことまで考える余裕がありませんでした」
一方、義父はその後も、義母の毎月の介護費用や医療費などを細かく報告しろと言ってきたが、市原さん家族は「いい加減にして」と呆れ、突っぱねた。そんな義父も、もう89歳。先日は血小板減少症になり、長期入院をしていた。
「私は大した介護はしていませんが、介護は終わりのない戦いだと思います。ネガティブな気持ちが出てしまうときは休んでほしい。離れて良いんです。離れて冷静になって考えても難しいことがあったら、家族やケアマネさんに相談したらいい。自分がハッピーでないと、人に優しくなんてできませんし、コミュニケーションが大事だと身をもって実感しています」
介護は「備え」と「関係者のコミュニケーション」が重要だ。何か起こってからでは冷静に対処できず、思い残しが出やすい。また、コミュニケーションが十分でないと、誤解や軋轢が生じやすい。市原さんのケースも、「備え」と「関係者のコミュニケーション」が十分であれば、避けられた後悔や誤解、軋轢は少なくない。
5月26日、市原さんの母親は、85歳で死去。最期に娘と息子、弟や妹たちの復縁を見届けられ、安心してこの世を去ったことだろう。(※市原さんは"まみん"という名前で、
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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