認知症になるのは自己責任なのか…上野千鶴子が「認知症予防という言葉は大嫌い」と訴えるワケ
プレジデントオンライン / 2022年6月15日 15時15分
※本稿は、上野千鶴子『最後の講義 完全版 これからの時代を生きるあなたへ』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
■エイジングとは、誰もが中途障害者になる過程
これからの日本は、人口減少社会です。誰もが無力で依存的な存在として生まれ、やがて再び無力で依存的な存在として死へと向かいます。
わたしは、エイジングとは、誰もが中途障害者になる過程だと思っています。その中途障害のなかには、カラダの不自由だけじゃなくて、アタマの不自由、ココロの不自由、こういう障害の全部または一部の集合があります。誰もが弱者になって、みんな一緒に下り坂を支え合って下りていかなきゃいけない社会に、わたしたちは生きています。
女のやってきたケアとは、どういう実践だったのでしょうか?
ケアとは、ケアするひととケアされるひととのあいだが圧倒的に非対称な関係のもとに行われる相互行為です。ケアする側とケアされる側が入れ替わることは、ほぼ期待できません。この圧倒的に非対称な関係のもとで、権力の濫用(らんよう)を抑制し続けてきたプロセスがケアです。
権力の濫用を、英語でabuseといいます。「ab(アブ)-use(ユーズ)」とは、権力のアブノーマルな使用のことですね。
ハラスメントの定義は、権力の濫用です。権力の伴わない組織はありません。権力というのは、ポストに与えられた業務遂行のための権能(※1)のことです。その権力を、当の職務遂行以外の場面で濫用したときに、ハラスメントになります。たとえば、性的な場面で濫用すればセクハラになりますし、部下に「弁当買ってこい」とパシリをさせたら、パワハラになります。おもしろいのは、abuseの日本語訳に、もうひとつ、虐待というのがあることです。
※1 権能:ある事柄について権利を主張し、行使できる能力。職権、権限。
■女が「人生最大の権力者」になるとき
この権力の濫用は、上司が部下に、あるいは教師が学生に、男性が女性にばかり行うとはかぎりません。女も親になったときに、人生で最大の権力者になります。
親は、無力な子どもに対して、生殺与奪の権を握ります。泣きやまない子どもが悪魔のように思えて、いっそひと思いにこの子をベランダから……って思わなかったお母さんは、いないんじゃないでしょうか。実際に床に赤ん坊を投げ落として殺してしまったお母さんがいましたね。女のひとは子どもが育ち上がったら、「よくぞまあ、この子を殺さずにすんだものよ」と、しみじみ感慨を持つんじゃないかと思うぐらいです。
ケアとは、権力の濫用を抑制し続けてきた長期にわたるプロセスだと考えることはできないでしょうか。権力の濫用は、やっているひとにとっては快感でしょう。センス・オブ・パワー(※2)を味わうのは、気持ちがいいものです。その誘惑に抗し続ける、長きにわたる経験がケアです。
もしケアというものが非暴力を学ぶ実践だとしたら、非暴力は学ぶことができるといえます。反対に暴力もまた、学習されます。10代の男の子たちが陰惨な暴力事件を起こすのも、生まれてからのプロセスで暴力を学んできたからでしょう。DNAやホルモンで暴力を振るうわけではありません。暴力も非暴力も学べるとしたら、男にも非暴力を学んでほしい。そのために、男をケアという経験に招き入れるのが、女の役目じゃないかと思います。
※2 センス・オブ・パワー:権力意識。
■東大入学式の祝辞でもっとも伝えたかったこと
東京大学入学式での上野の祝辞がバズりました。その祝辞のなかで一番よく引用されたのがこの文章です。
これを聞いたひとは、「ははーん、これってノブレス・オブリージュ(※3)のことだね」と、短絡的に理解する傾向があります。
ちょっと待って。わたしはこの文章の直後にもう1行つけ加えました。
ここまでまとめて引用してくれるひとがめったにいません。
なぜこういったかといえば、強者はずっと強者のままでいられないからです。強者もかつては弱者だったし、いずれは再び弱者になります。
だとしたら、わたしたちがほしい社会はどんな社会でしょうか。
弱者になったときに「助けて」といえる社会、「助けて」といったときに、助けてもらえる社会です。
※3 ノブレス・オブリージュ:フランス語でノブレスは「貴族」、オブリージュは「義務を負わせる」。「社会的地位を有するものは、それに応じて果たさなければならない社会的責任と義務がある」という、欧米社会における道徳観。
■フェミニズムは弱者が尊重されることを求める思想
祝辞のなかでは、こうもいいました。
これには、「へえー、そんなフェミニズムの定義は初めて聞いた」という反応がたくさんありました。とくに男性は、自分たちの間尺に合わせてフェミニズムを理解しがちです。
「男女平等って、キミたち、ボクらみたいになりたいんだね、じゃあ、女を捨ててかかってこい」って。
こういう「男女平等」の理解にもとづいて成立したのが、男女雇用機会均等法(※4)です。この法律ができた当時、英語のスピーチで「この法律はテーラーメイドである」と卓抜な表現を与えた研究者がいます。大沢真理さん(※5)です。テーラーメイドとは「紳士服仕立て」という意味です。自分の体に合わない紳士服を、無理やり身につけることができた女だけが職場で生き延びられる、というのが均等法でした。
別に女は男みたいになりたいわけじゃありません。「男のようになる」ということは、強者、支配者、抑圧者、差別者になることです。女はそんなことをちっとも望んでいません。男も、過去には弱者だったし、いずれは弱者になります。フェミニズムは弱者が強者になりたいという思想ではありません。弱者になっても安心できる社会をつくることが、わたしたちの目的です。
※4 男女雇用機会均等法:正式名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」。1986年に施行され、数度、改正されている。募集・採用、配置・昇進等の雇用・管理等における性別を理由とする差別の禁止や婚姻、妊娠・出産等を理由とする不利益取り扱いの禁止等が定められている。
※5 大沢真理(おおさわ・まり):1953年~。経済学者。東京大学名誉教授。専門は社会政策の比較ジェンダー分析。著書に、過労死や福祉の貧困など大企業中心の社会がつくりだすゆがみと痛みをジェンダーの視点からとらえ直した先駆的著作である『企業中心社会を超えて 現代日本を〈ジェンダー〉で読む』ほか。
■誰もが安心して弱者になれる社会にしたい
わたしたちがこれから求める社会とは、安心して弱者になれる社会、要介護になっても安心して過ごせる社会です。
最近、フレイル(※6)期間をできるだけ短くしようと、ピンピンコロリ体操などをやっているひとたちもいるようですが、「自分だけぬけがけして、要介護にならないでおこう」と努力する代わりに、安心して要介護者になれる社会をつくるために努力したほうがましです。
わたしは、認知症予防という言葉が、大嫌いです。認知症は今のところ、原因も予防法も治療法もわからない病気です。病気というより、加齢に伴う避けられない現象といったほうがよいかもしれません。もし認知症が予防できるとしたら、認知症になったひとに、「あなたが予防しなかったからでしょ」っていうのでしょうか? 認知症になったのは、自己責任だというのでしょうか?
好きで認知症になるひとなんかいません。そのひとたちに、「自己責任でしょ」って、「予防しなかったあなたが悪い」と。これが「自助努力」を求める社会だとしたら、こんなイヤな社会はありません。
わたしたちがつくりたいのは、認知症になっても安心できる社会、そして、障害者になったからといって、殺されない社会です。津久井やまゆり園のあの事件を思い出してください。
※6 フレイル:加齢により身体的機能や認知機能などが衰えた状態。健康な状態から日常生活にサポートが必要な要介護に移行する中間を意味する。
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社会学者
1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了、社会学博士。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。
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(社会学者 上野 千鶴子)
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