すべてが恵まれているはずなのに、なぜか閉塞感がある…僕がトヨタ自動車の人事部を3年で辞めたワケ
プレジデントオンライン / 2022年6月23日 11時15分
※本稿は、髙木一史『拝啓 人事部長殿』(サイボウズ式ブックス)の序章「ぼくはなぜ、トヨタの人事を3年で辞めたのか」を再編集したものです。
■入社早々、全く志望していない人事部に配属
2016年4月、ぼくは総合職約700名の新卒社員の1人として、第一志望だったトヨタ自動車株式会社に入社しました。泥臭く、「現地現物」でものづくりを支える、そんなかっこいい先輩たちに憧れていました。
配属の第一志望は調達部でした。就職活動でお世話になった先輩のほとんどが調達部で、サプライヤー(仕入れ先)と一緒に原価低減に取り組んでWin-Winの関係を築いてゆく、そんな社会人にぼくもなりたいと思いました。
第二志望、第三志望も、どちらも工場の生産に関わる部署にしました。とにかく現場の近くでものづくりを学びたい、という気持ちがあったからです。
全体の集合研修を終え、工場実習前の研修最終日、待ちに待った配属発表がありました。大ホールに同期があつめられ、1人ずつ名前と配属が読みあげられていきます。
「髙木一史 人事部」
自分の耳を疑いました。毎年10人程度が新卒から人事部に配属されていることは耳にしていましたが、まったく志望していなかった自分が配属されるとは思ってもみませんでした。
就職活動でお世話になっていた先輩たちからは、「腐らずに仕事を続けていればかならず異動の機会はある。まずは目の前の仕事をがんばろう」と励まされました。
■配属初日、落ち込むぼくの心に刺さった部長の一言
たしかに、ぼくの会社人生は始まったばかりでした。同じく人事部になった同期も気が合いそうでしたし、「スタートとしては上々だ」何度もそう自分に言い聞かせました。
配属初日、当時の人事部長からこんな言葉をもらいました。
「採用、配置・異動、賃金、評価、時間管理、研修教育……。こうした人事労務管理のしくみはすべて、トヨタという会社が理想を実現し、また社員がいきいきと幸せに働いていくうえで必要不可欠なものです。『花よりも花を咲かせる土になれ』この言葉を胸に一生懸命、会社の理想実現と社員の幸せのために頑張ってください」
社員が元気に、幸せに働くサポートをする。
とてもすてきな仕事だと思いました。まだ調達部で働くことをあきらめきれない自分もいましたが、人の幸せをサポートできるというのはとても誇らしい仕事だと思いました。
■「希望部署への異動はない」暗に宣言された気もしたが
人事部での最初の仕事は、給与計算や福利厚生制度の企画・運用を委託している子会社に出向して、税務や社会保険、資産形成に関する制度を運用・改善することでした。
配属後、同じくトヨタから出向している上司に言われました。「まずはここで4年、しっかりと人事パーソンとしての基礎を固めよう」
長期的な視点で育成体制が組まれていることに安心する一方、「調達へ異動する可能性はない」暗にそう宣言されたようで、少しだけ悲しい気持ちになりました。
業務が始まると、先輩たちからいろいろなことを教えてもらい、仕事の進め方や知識も徐々に身につき、成長している実感も持てるようになりました。社員からの直接の電話に応え、感謝の言葉をもらうことは素直にうれしくもありました。いつの間にか、ぼくは人事の役割を楽しむようになっていました。
次第に、大きめのプロジェクトにもアサインされるようになりました。もっと労務の知識をつけたいと思い、社会保険労務士の勉強も始めました。
■「自分の人生も決められない」突然の異動に無力感
少しずつやりがいを感じてきた2年目の12月、突然、当時の上司に呼び出されました。
「来月から本社の労政室に異動してもらうから」
いま持っている仕事も、やっと形になりはじめたところでした。「まずはここで4年、しっかりと人事パーソンとしての基礎を固めよう」という方針は、いつ変わったのだろう。そんな疑問を持ちながらも、仲の良かった先輩たちに相談すると「まあ、サラリーマンなんて、そんなもんだよ」と言われました。
もちろん、日本の大企業で正社員として雇用された時点で、会社都合の人事異動があることは頭では理解していました。この配置転換もぼくのためを思ってのことなのかもしれません。それでも、希望もしていない部署への異動にはある種の無力感がありました。自分の人生を自分で決められない一抹の寂しさを感じました。
■7万人のコミュニケーションをサポートする仕事
異動後の新天地は、社内のコミュニケーションを通じて、トヨタに約7万人いる従業員に一体感を持ってもらったり、会社トップの思いを伝えていくための制度・施策を考えたりする部署でした。
具体的には、社内イベントや有志団体の運営サポート、コミュニケーションに関わる人事制度の企画・改善など、業務内容は多岐に渡りました。
業務の特性上、役員や管理職、工場で働く技能職から研究開発などを担う技術職まで、トヨタのほぼすべての年代・役割の方と話す機会があり、あらゆる職場の問題意識を聞くことができました。
なにより、ものづくりの現場で働く人たちから直接、どんな困りごとがあるのかヒアリングして制度の企画にフィードバックすることは、もともとやりたかった現場のサポートに近いところもありました。
いつしかぼくは、希望していた調達部ではなく人事のなかでやりたいことを叶えよう、そう思いはじめていました。
■はたらく、に個性はいらない?
入社3年目になると徐々に余裕が出てきたこともあり、ぼくは自分の働く環境に目が向くようになっていました。
最初に疑問を持ったのは「場所」と「時間」の柔軟性についてです。
新型コロナウイルスの影響もなかった当時、ぼくには在宅勤務が許されていませんでした。全社的に見ても、制度を使えるのは一部の人にかぎられていました。
基本的にパソコンしか使わない事務系の仕事でもかならず愛知県豊田市の本社で勤務しなければならず、東京や地元で働きたいががまんしている、という同僚や先輩はたくさんいました。
働く時間についてはフレックスタイム制が導入されており比較的柔軟でしたが、同期・先輩たちを見ると、みんな一律でしっかりと残業している(もちろん法定の範囲内ではありますが)ことに違和感を覚えました。
■「変わらないのは理由がある」問題意識は胸にしまった
人によっては早く家に帰って勉強したいだろうし、プライベートな時間を大切にしたいという人もいます。給与が減っても週4日や3日の勤務でいい、という人だっていると思います。当時、すでに時短勤務制度はありましたが、対象となる理由が育児に限定されていました。
働く場所と時間、いちばん基本的な労働条件なのに選択肢が少ないのはなぜだろう。働く人が持つ多様な個性を重視することは、会社に必要ないのだろうか。
上司や先輩に聞いてみると、「コミュニケーションがとりづらくなるとか、安全配慮の観点とか、評価とか、リソースとか、いろいろ理由があるんだよ。おまえももっと知識や経験をつけていけば、いずれわかるよ」と言われました。
たしかに、なにもわかっていないのに愚痴を言うだけの若手にはなりたくありませんでした。「問題意識は一旦、胸にしまって、目の前の仕事を誠実にこなそう」そう心に誓って、働き続けました。
■「会社に全て捧げる」「上司は絶対」組織風土への違和感
しかし、それから1つひとつ任された仕事に取り組んでいくなかで、今度は社内の「コミュニケーション」や「風土」とも呼べるものに対して、もやもやを感じるようになっていきました。
ぼくは全社のコミュニケーション施策を担当していたこともあり、日頃から、本当にさまざまな部署の人たちと話をする機会がありました。
もちろん日本一巨大な会社ですから、部署ごとに、あるいは、そこを束ねる上司によって職場の雰囲気は違ってきます。
しかし、会社にすべてを捧げることがよしとされ、会社や上司の命令には絶対に逆らえない、という空気感は、おおむねどの職場にも共通しているように思いました。そして、それが仕方のないものとして、どちらかといえばデフォルトな考え方として据えられているように感じました。
すべての力を会社のために注ぐ、というのもすばらしいことですが、それ以外の距離感が許されない、選択できる余地が少ない、ということを息苦しく感じている、あるいはそのことによって職場の輪に入りにくそうにしている人が、特に若手層には多くいるように見受けられました。
■「重要な情報がおりてこない」雰囲気で済まない問題点
また、単純に雰囲気としてやりにくいことはもちろん、それにくわえて重要な情報を知る機会が失われている、というのが大きな要素としてあるように思いました。
役職ごとに知ることができる情報が厳しく統制されている、それを知るには上の人の承認が必要、話が順番に降りてくるのを待たなければならない。重要な会議体での議事録や制度の背景が載っている決裁書を見ることができず、手戻りが発生することもありました。
例を挙げればキリがありませんが、このような雰囲気のなかで、ぼくたちの手元にある情報はいつもかぎられていました。そして、欲しい情報を得るために最も効果的な方法は、部の飲み会や社内のイベントに出る、あるいは残業して、長く会社に残っている先輩たちと直接話すことでした。
それでは、時短で帰る人や飲み会が苦手な人、あるいはオフィスに出社しない人たちとの間に情報格差が生まれることになります。結果、重要な情報を知っている一部の人だけで物事が進んでいく、ということが起きます。
■社内飲み会に積極的に参加することにした理由
時間的にもフルコミットで働き、出社するのが前提のぼくでさえ、その情報を先に知っていたらこんな資料つくらなかったのに、ということがあったくらいなので、そうではない人からすれば、さらに疎外感は強かったかもしれません。
働く時間や場所の選択肢を増やす、さらにはコミュニケーションの仕方を変えることで、もっともっと社員が幸せに働ける環境をつくりたい。
そうした思いは日に日に増していくばかりでした。しかし、それができるようになるには組織のなかで信頼され、またその変革を実行できるだけのスキルが必要になってきます。
ぼくはどんどん目の前の仕事に没頭するようになりました。情報を得るために社内の飲み会やイベントにはできるだけ参加し、たまの休みも労働法やビジネススキルの勉強に費やしました。
■「そうじゃない!」心で叫びながら、駅伝の練習をした
そんな矢先のことでした。
ある尊敬する先輩がメンタル不調で休職されました。ものすごく仕事ができる、精神的にもタフだと思っていた先輩でした。
ふと、ぼくは自分の働き方を振り返りました。
ぼくはいま、元気に働けているだろうか、と。
かなり根を詰めていたせいか、「顔色が悪い」と言われることも増えていました。飲みすぎで睡眠時間も減ったからか、食欲も以前より減退していました。少し疲れていることを先輩たちに伝えると、「社内駅伝大会もあるし、一緒に明日から会社の周りを走るか!」と言われました(「そうじゃないんです! 先輩!」と心のなかで叫びながら、結局走りました)。
しんどいなと思ったとき、気軽に自分の精神状態について相談できたり、心身のアラートが出ていないかセルフチェックできたりすればいいのですが、会社の「健康」施策といえば、つまづいて転んだ事例の展開など、工場勤務を前提としたものや、残業制限といった一律の規制がほとんどです(もちろん、それも大事なことは承知しています)。
役割や個性によって健康に必要な情報・支援はさまざまなはずなのに、どうして一律の規制ばかりなのだろう。ふと、そんな疑問も頭をよぎりました。
■閉塞感①1人の人間として重視されている感覚の薄さ
採用、配置・異動、時間、場所、コミュニケーション、健康管理……。ぼくは薄々気がついていました。こうした会社のしくみにおいて、個性が重視されていないことが、じわじわとぼくの「1人の人間として重視されている感覚」を奪っている、ということに。
同期、また他社にいる大学時代の同級生と話しても、みんな似たような働きづらさを抱えていて、すでに辞めている人もいました。「これは決してトヨタだけの問題ではなく、日本の会社のしくみが引き起こす問題ではないのか」いつからか、そんな考えが頭をよぎるようになりました。
それでは、こうした会社のしくみはだれが改善するのか。
それはまさに、いまぼくが所属している人事部であるはずでした。ぼくはふと、人事部に配属された日にもらった言葉を思い出しました。
「人事の仕事は、社員が幸せに、いきいきと働ける環境をつくることだ」
■「むしろ社員を不幸にしているのでは」疑念が広がった
人事の仕事は、社員が幸せに働ける環境をつくること。しかし、少なくともぼくの周りには、いきいきと働けていない人たちがいました。
ぼくは、この矛盾をどう受け止めればよかったのでしょうか。
「社員が幸せに働けるように、ぼくたち人事が一生懸命につくってきたはずの会社のしくみが、むしろ社員を不幸にしているのではないか」
そんな疑念が、ぼくの頭のなかに広がっていきました。
もやもやが最高潮に達したころ、四半期に一度の評価面談がありました。
上司からのフィードバックは、「現場の声を聴いてよくがんばっている、これからも『現地現物』でがんばってくれ」というものでした。
せっかくの機会だと思い、未熟な知識と経験をかきあつめ、ぼくは思いきって理想を話してみました。「もっと1人ひとりの個性を大事にする、主体性をもって働ける会社に変えていけないか」すると、当時の上司はこう言いました。
「いつか髙木が偉くなれば、そういうのもできるようになるから」
「はい、これからもがんばります」
それだけ返事をして、ぼくは静かに部屋を出ました。
■閉塞感②1人ではなにも変えられない、という無力感
当時の上司を悪く言うつもりはまったくありません。事実、そうなのです。それだけの変革を進めるには肩書きが必要です。
売上も、従業員数も、日本一の企業であるトヨタを変える、ということの影響力は計り知れません。それは、日本の働き方を変える、ということともはや同義かもしれません。想いだけではなにもできません。つべこべ言わずに偉くなることが大事なのはわかっていました。
しかし、ぼくは知っていました。年功要素の強い評価制度の下では、偉くなるまでにあと10年、いや20年はかかることを。
ぼくは知っていました。10年、20年後、偉くなった先に待つのは、中間管理職としてさらに上の上司とメンバーの間を取り持ち、本当に自分が挑戦したいと思っていたことをぐっとがまんして働く姿であることを。
ぼくは知っていました。会社の人事制度にメスを入れようとすれば、それだけの専門性が必要になります。制度全体のコンセプトづくりはもちろん、労働組合との協議や不利益変更が発生する場合の移行措置、人事システム刷新も含むオペレーション業務の設計……。
勉強することは山のようにありました。しかし、ジョブローテーションでどこに異動させられるかわからず、社内政治も多分に絡んでくる環境では、それらを学び、人事のプロフェッショナルとして生きていくことはとてもむずかしい。
そもそも何十年も待っていたら、この変化の激しい時代において事業環境も、組織内部の環境だって大きく変わっているかもしれません。想いを胸に20年待って、それをその時代に実行しようとすれば、20年ずれた感覚で変革を実行することになってしまいます。
変えられない、という現実を変えるすべをぼくは持っていませんでした。
■「もう耐えられない」同期の半分以上が辞めていった
3年目も後半に差しかかってきて、ふと周りを見渡すと10人いたはずの人事同期は、すでに半分以上が辞めていました。
「閉塞感に耐えられなくなった」
そう言って辞めていく同期たちに、ぼくはなにも言えませんでした。それでも、ぼくはあきらめたくありませんでした。なぜなら、トヨタという会社の目指す理想や大切にしていることに共感していたからです。
モビリティ(移動)を通じて社会に価値を、幸せを提供していくこと。そのために、「現地現物」で物事の原因を見極め、改善を続けていくこと。ぼくの好きなトヨタと1人ひとりの個性を重視することは、決して矛盾しないはずでした。
うだうだ言っても、自分が力をつけるしかない。そう思って、ぼくはがむしゃらに、ほかの会社の人事制度や労働関連の法律を学びました。また、大組織の変革を考えるなら統計や財務の知識もつけたいと思い、勉強を始めました。
ふと、なにかを自分が学びたいと思ったとき、トヨタの考え方もわかっている人からナレッジを共有してもらえるしくみがあったなら……。そんなことも考えましたが、社内の研修は、偉くなるために必要な階層別研修がほとんどでした。
■このもやもやは、慣れてしまえばじきに消えるのか…
ちょうどこのころ、ぼくは工場で働く約4万人を対象とするコミュニケーション制度の改善にアサインされました。
ぼくは夢中になって制度の改善に取り組みました。アンケートにくわえて11工場を回り、現場をよく知る部門人事の方や実際に生産ラインで働く250人以上の社員にヒアリングして、困りごとをなくすための改善策をいくつか起案しました。
ぼくは充実していました。現場の人から「ありがとう」と言われると、本当にうれしい気持ちになりました。
もう、ぼくや同期、ほかの会社の同級生たちが感じている閉塞感なんてどうでもいい。そんなのは、きっとほかのだれかが改善してくれる。このもやもやも慣れてしまえばじきに感じなくなるし、流された方がきっと楽だろう。
しかし、そう自分に言い聞かせている間にも、同期や先輩は1人またひとりと辞めていきます。
「自分の人生を生きている感じがしない」
「自分1人ではなにも変えられない」
みんな最初は、トヨタのなかでやりたいことや希望を持っていた人たちばかりでした。なかには、将来的に副業も考えているから、という人もいました。ほかにも話を聞いてみると、先輩のなかには、実はすでに本業以外にやりたいことを見つけている、という人もいました。
「みんな、会社のなかでは本当の自分を隠している」
そう思うと、やり切れない気持ちになりました。どうして一社終身雇用を前提とした契約の形しかないのだろう。副業、業務委託、あるいは雇用でも週3正社員など、もっと多様な契約の形があれば、こんな苦しみを味わわなくてすむのではないか。
■「社員7万人の大企業」一律平等でないことは悪なのか
もちろん例外として、イレギュラーな働き方が許容されるケースはありました。しかし、それを会社全体のしくみとして選択できるようにする、となると途端にハードルが高くなりました。選択できる人とできない人の間で不公平感が生まれる、一律平等が崩れてしまう、という理由から進まない施策を目にしたのも、1回や2回ではありませんでした。
トヨタは7万人のチームです。当然、役割に応じて事情も違えば困りごとも違います。
いいクルマをつくるために、多様な人たちが活躍できる組織になることは、そんなに悪いことなのでしょうか。十把一絡げではなく、1人ひとりの個性に合わせたしくみが選べるようになれば。気づけばまた、どうすればトヨタで多様な人がいきいきと働けるのか考えはじめていました。
しかし、ぼくの目の前には、とてつもなく大きな壁が立ちはだかっていました。
時間や場所の自由は利かず、コミュニケーションは一方通行で限定的。健康管理の支援は期待できず、突然、想像もしていなかった部署に異動させられてしまうかもしれません。数多ある一律の研修を潜りぬけてうん十年と年齢を重ねてもなお、気づけば専門性はなく、そのころには評価の軸が変わっている可能性だってあります。
■「出戻りNG」それでも会社を去ることにしたワケ
「いまの時代、すべてを会社に捧げるのがリスクだ」と言っても、副業や個人の事情に合わせた多様な契約が認められていない会社では、もはやしがみつくしか道はありません。
ぼくは本当にいまの思いを持ち続けたまま、いつかトヨタの会社のしくみを改善することはできるのだろうか。あまりの壁の巨大さにひどい無力感を覚えました。
「退職」
いつしか、ぼくの頭のなかにもそんな言葉が浮かんでいました。
冗談で口にすることはあっても、本気で選択肢に入ることはなかった言葉です。なんだかんだ言ってもトヨタが好きでしたし、なんとかして、社員が閉塞感を感じない組織に改善したいと思っていました。
そもそも、退職するにもかなりの勇気が必要です。当時、基本的に出戻りはNGで、一度辞めてしまえば、もう内部からその変革をサポートすることはできません。
正直、その理屈もよくわかっていませんでした。むしろ、「外の世界を見て新しい知見を持ち帰り、かつトヨタの内部事情もわかっている人こそが、社長の言う『100年に一度の大変革期』を支える人材になり得るんじゃないか」そんなことも考えましたが、もう、それを言うだけの気力も残っていませんでした。
■それでもぼくは、閉塞感のない会社をつくりたい
起業を呼びかけてくれる仲間もいましたが、ピンと来ませんでした。
大企業が変革するにあたって、日本社会の構造そのものがネックになっている部分があるかもしれないと感じていたので、法律に影響を及ぼせる仕事も考えました。政治家? 国家公務員試験を受けなおして官僚になる? これもしっくりきませんでした。
ぼくがやりたいことは、会社の閉塞感をなくすことです。
イチから自分でそのための組織をつくることも考えましたが、すでに同じ理想を持った組織があるのであればそこに参加するのがいちばん早いと思い、転職活動を始めました。
そんななかで、ぼくはサイボウズというITの会社に出会いました。
多様な個性を重視することを企業理念の1つに掲げ、自社で開発するソフトウェアを駆使しながら「100人100通りの働き方」に挑戦している、とインターネットの記事や本に書いてありました。
本当にそんなことが可能なのでしょうか。
最初は正直、疑いの気持ちしかありませんでした。しかし、やらない後悔より、やる後悔です。思いきって応募してみると、ありがたいことにご縁がありました。
もしかするとこの会社なら、閉塞感を破るヒントを発見できるかもしれない。トヨタが創業した約90年前にはなかったテクノロジーを使って、1人ひとりの個性を重視できる会社のしくみをつくることができるかもしれない。そんな希望を胸に、ぼくは転職を決めました。
転職の決意を上司に報告すると、「心から応援しているよ」と言ってくれました。「ただし、かならずこれまでお世話になった人に挨拶すること。そして、あのとき辞めたのは正解だったと言える人生にしてほしい」とも。
いまでもよく連絡をとりますが、この人が最後の上司で本当によかったと思います。
■辞めるぼくに、先輩たちがくれた3つの問い
辞めることが決まったあと、人事部全体でオープンになる前に、ぼくはお世話になった先輩たちに自分の感じている問題意識をぶつけにいきました。
いま若手を中心に感じている閉塞感とは、「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」であり、また、その状態を「1人ではなにも変えられないという無力感」だということ。それを変えないかぎり社員が幸せに働ける会社はつくれない、ということ。だから、もっと1人ひとりの従業員が「1人の人間として重視されている」と感じられるしくみに変えていかないとダメだ、ということ。
先輩たちは、ぼくのつたない説明を真剣に、否定することなく聞いてくれました。そして、「自分たちも社員が生き生きと幸せに働ける会社をつくっていきたいと思っている」と仰ってくれました。
そこで同時に先輩たちは、ぼくにいくつかの問いを投げかけてくれました。それぞれバラバラにもらった問いかけでしたが、共通している部分をまとめてみると、それらは次の3つの質問に集約されました。
・「なぜ会社の平等は重んじられてきたと思うか?」
・「なぜ会社の成長が続いてきたのか知っているか?」
・「なぜ会社の変革はむずかしいのか理解できているか?」
どれも、返答に窮するものでした。
恥ずかしながら、当時のぼくには人事の先輩たちの質問に答えられるだけの知識もなければ経験もありませんでした。さらには、そんな回りくどい質問をするくらいなら早く答えを教えてくれればいいのに、とさえ思っていました。
ぼくは、先輩たちにこう言いました。
「転職したあとも、どうすれば日本の会社で働く人たちが閉塞感を感じないですむのか、1人の人間として重視されている感覚を持って幸せに働けるのか考え続けます。そして、いつか答えが出たら、会社の外からそれをみなさんに届けます」
先輩たちはうれしそうに微笑みながら、「楽しみにしているよ」と言ってくれました。
■嫌いになって辞めるなら、もっと話はかんたんだった
部内でぼくの退職がオープンになったあとも、人事部のみなさんはこれまでどおり、いや、それ以上に温かく接してくれました。
現場でお世話になった工長さん・組長さんたちに挨拶にいくと、「馬鹿野郎!」と羽交い締めにされながらも、「つらかったらいつでも戻ってこい。うちの組で面倒見てやる」と言ってくださりました。
本当に、涙が出るくらいうれしかったことを覚えています。
12月の出社最終日前日。その日は100人近くがあつまる人事部の大忘年会でした。そして、幹事はぼくでした。もう退職することが決まっていたので、できるだけ裏方に徹する予定でした。しかし、最後の異動者挨拶の段になって突然、上司が「髙木、壇上に上がれ」と呼び出してくれました。
人事部全員の前で、上司からはなむけの言葉をもらいました。最後の最後まで、本当に温かくてすてきな会社だと思いました。
だからこそ、つらかったのです。
嫌いになって辞めるのなら話はかんたんです。むしろ、合わない組織なら辞めた方が両者にとって幸せです。しかし、そうではありません。
ぼくはいまでもトヨタの掲げる理想や大切にしていることに共感しています。また、当時一緒に働いていた、そしていまもトヨタで働かれている人たちのことを尊敬もしています。しかし、日本の大企業の閉塞感を変えるためには、一度トヨタの外に出る必要がある。少なくとも、当時のぼくはそんなふうに考えたのです。
■転職してから3年間で僕が見たすべてを詰め込んだ
――これが、ぼくがトヨタの人事部を辞めるまでのすべてです。
ぼくはいま、先輩たちとの約束を、この手紙をあなたに送ることで果たしたいと思っています。いまの人事部でいちばん偉いあなたに、ぼくの報告を聞いてもらうことによって。
この手紙には、転職してからの3年間で、ぼくが見てきたすべてを詰め込みました。
・サイボウズに転職して、人事の仕事に取り組むなかで気づいたこと
・日本企業のしくみができた歴史を学び直して思い知った、ぼくの主張の浅はかさ
・サイボウズも含め13社の人事担当者に話を聞いて見つけた、新しい会社のしくみ
・それを実現するために必要だと思うこと
あなたにこの手紙を届けることが、閉塞感、つまり「1人の人間として重視されているという感覚の薄さ」と「1人ではなにも変えられないという無力感」を打ち壊すためのファーストステップだと思っています。そして、あのとき答えることができなかった先輩たちからの質問にも、自分なりにしっかりと回答したつもりです。
ずいぶんと長い手紙となってしまいましたが、この手紙を読み終えたとき、あなたが思わずぼくと議論したくなるような、あるいは、この手紙を片手に現・人事部のメンバーと会社のこれからを話したくなるような、そんな内容になっていればこれ以上の喜びはありません。
大変おそれいりますが、どうか最後まで読んでいただけると幸いです。(『拝啓 人事部長殿』1章につづく)
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サイボウズ人事
東京大学教育学部出身。2016年トヨタ自動車株式会社に新卒入社。人事部にて労務(国内給与)、全社コミュニケーション促進施策の企画・運用を経験後、2019年サイボウズ株式会社に入社。人事本部で主に人事制度、研修の企画・運用を担当。そこで得た知見をチームワーク総研で発信している。
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(サイボウズ人事 髙木 一史)
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