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これからは「FIRE」より「BOYA」だ…貯金がなくても、あくせく働く毎日をすぐにやめられる「5つの要件」

プレジデントオンライン / 2022年6月14日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/adrian825

経済的自立と早期リタイアを目指す「FIRE」という生き方に注目が集まっている。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「『FIRE』は実現のハードルが高く、単なる世捨て人になる恐れがある。私は自身の経験からも『BOYA』をすすめたい。『BOYA』なら、まとまった貯金がなくても、考え方を変えるだけで始められる」という――。

■「FIRE」という言葉に感じる違和感

ここ数年「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という言葉がしきりと取沙汰されている。経済的自立(たとえば1億円を貯める)を果たして若いうちにリタイアし、以降は貯めた資金を元手に投資をおこなって、運用益で生活費をまかなう……という生き方だ。

話題にされた当初は「仕事にも居住地にも縛られない自由な生き方ができる」「不労所得を得られるなら、もう働かなくていい。最高だ」などと憧れをもって捉えられていたものの、最近では「その後の人生、暇では?」や「正直、1億円じゃ足りないだろう」「そもそも1億円を貯めるのが難しい」といった否定的な声も上がるようになっている。

私は以前から、この「FIRE」という言葉のニュアンスにどこか馴染めなかった。まず、言葉としてカッコよすぎるというか、スカしているような気恥ずかしさがある。また「1億円ほど貯めましょう」「それを元手に資産運用しましょう」とあっさり説明されるが、本当に実現しようとするとなかなかハードルが高く、誰にでも真似できるような営みではないだろう。加えて「単なる世捨て人」「綱渡り人生になるのでは」といったネガティブなイメージも拭いきれない。

■「FIRE」は難しくても「BOYA」なら実現できるのでは

先日、寿司屋で当連載の担当・U氏と次回原稿のテーマを考えていた際、話の流れでFIREの話題になり、上に述べたようなことを確認しあった。そして出てきたのが「BOYA(ボヤ)」という言葉だ。

「BOYA」はあくまで造語。寿司をつまみながら即興で思い付いた言葉である。私が「FIREは難易度が高いですよ。もう少し軽めに、目線を下げて……FIRE(大火事)ではなく、BOYA(小火)くらいの人生を目指すほうがよいのでは?」と冗談を言ったところ、U氏は「それ、身の丈感があっていいですね! では『BOYA』でそれっぽい並びの英語を考えてみましょうよ(笑)」とノッてくれた。

私も面白くなって10秒ほど考え、ノートにササッと書き付けたのが「Burned Out Yet Attempting」というフレーズだった。われながら、こじつけにもほどがある。だが、思い付きのわりには意味的に外していないようにも感じた。日本語に訳すなら「燃え尽きたが、いまだ挑戦中」といったところか。

もう少し詳しく意図を説明するなら「仕事に対して『もう十分頑張った』『やり切った』感覚を抱けるようになったので、もはやガツガツと働く気はない」「でも、仕事をまったくしないのも暇だし、日常に張り合いがない。そもそも仕事をしないと社会との接点が持てない。また、多少の贅沢も気兼ねなくしたいし、自分が望む交友関係も継続したい。だから、それらを維持できる程度には働く」ということだ。

■「休日は年末に1日だけ」という生活に疲れた

私は2020年8月31日、47歳になったばかりのころに「セミリタイア」を宣言した。

1997年から2001年まで会社員として働き、以後はフリーのライター・編集者として仕事をしてきた。2006年からはネットニュース編集業にも参入したため、業務は激増。なにしろニュースサイトは毎日更新しなくてはならないため、年間の休日は年末に1日だけという“IT小作農”生活を何年も続けた。

ノートパソコンの前で頭を抱える男性
写真=iStock.com/Fajar Kholikul Amri
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Fajar Kholikul Amri

そして四十路を迎えた2013年、はたと思った。「こんなに多忙な日々を65歳まで続けるのは、体力的にも精神的にも無理だ」と。さらに「おそらく50歳を超えたら、編集センスも若者にかなわなくなるだろう」といった自身の劣化も肌感覚で予見した。ならば「衰えた」「年をとって使いづらくなった」などと言われてクビを切られる前に、自ら土俵をおりて、勝ち逃げしよう──そう考えるようになった。

ちょうどそのころ、東京五輪の開催も正式決定したので「会期中はネットニュース編集者として大会を盛り上げるべく全力を注ごう。それを最後に、現場の第一線から退こう」と決意。「東京五輪が閉幕する2020年8月まで走りきる」と覚悟が決まると、仕事もそれほど苦痛ではなくなり、ゴールを迎える日が来るのを楽しみにするようになっていった。

結果的には、新型コロナ騒動の影響で東京五輪の開催が1年ズレてしまったわけだが、2020年8月というゴールを先送りする気にはなれなかった。無事にそれなりの金額を貯めることもできたので、有言実行でセミリタイアをし、編集業からは手を引いた(もちろん「やってほしい」と請われればまだ十分こなせるから、今後も「編集者」という肩書は外さないが)。

■セミリタイア後、業務量は以前の3割に激減

2020年11月には、東京から佐賀県唐津市に拠点を移した。現在、月に25本ほど連載の執筆を抱えるほか、イレギュラーでいただける執筆や講演の依頼などもこなしながら、月に1回は上京して「ABEMA Prime」というネット配信の報道番組にも出演している。

年収は以前と比べて大幅に減ったものの、貯金はいまでも増え続けているから、そこそこ稼げているのだろう。編集担当・U氏は「中川さん、セミリタイアしたと言っているけど、バリバリ現役じゃないですか」と苦笑していたが、私からすれば業務量はネットニュース編集に携わっていたころの30%ほどになったわけだから、十分セミリタイアである。

いま、私は特に節約をするわけでもなく、過去と同レベルの生活を送っている。ただし、飲み会の機会は減った。東京で暮らしていた頃は同業の若者たちと連日のように飲んでいたため、私がカネを多く支払ってもいたし、3次会まで飲み明かすこともザラだった。だから、下手をすれば一晩で3万円以上使うこともあった。一方、唐津では基本的に割り勘文化なのと、まったく異なる業種の人々と付き合うため「先輩・後輩」的な関係性はなく、奢ることは滅多にない。

■「もう仕事はやり切った」と腹落ちできるなら

「FIRE」はなかなか難しいが、「BOYA」であれば多くの人が実践できるのではないだろうか。その際、必要な要素はいくつかあると思うが、もっとも大切なのは「もう仕事はやり切った」と腹落ちできるかどうかだ。まだ「やり切った」という感覚が抱けていないのであれば、働き方を激変させないほうがいいだろう。心の底から納得できていないと、あとで悔やむ可能性があるからだ。

近年は大企業で40代の早期退職を促す流れもあるが、進んで応募する人の多くは、とりあえずその会社では「やり切った」感覚を抱いたに違いない。そして割り増しされた退職金(恵まれていれば5000万円なんて例も)を手に、FIRE的な人生を送る人もいれば、起業を目指す人もいる。もちろん、他の企業に転職をする人もいるだろう。

私がおすすめしたいのは、可能であれば古巣の会社や親しかった取引先と業務委託契約を結ぶなどして仕事を受注し、10万円でも20万円でもいいから慣れ親しんだ業務を継続して、収入を得ることだ。私の場合は完全にソレである。

昨今、ウェブメディアも競争が激しくなったため、サイトの統廃合や閉鎖、更新頻度の低下などが起きている。そうした動きの影響で、私も連載がいくつか終了した。

しかし、これまで築き上げてきた関係性や業務実績があると、担当者が異動や転職した先でも新たな仕事を依頼してきてくれるものだ。長らく付き合ってきた相手であれば、ストレスを感じることなく仕事に臨める。

また、完全に仕事を手放さなければ、業務にかかわる腕や嗅覚もなかなか錆び付かないので、新たな取引先を獲得できる可能性も高まる。私の場合は、佐賀新聞や西日本新聞といった媒体と、新しい仕事を始めることができた。

■ネットニュース編集者として「やりたいこと」はやり切った

私がネットニュースという新しい業態のメディアに携わるようになったのは、まさに黎明(れいめい)期だった。いわゆる「型」が存在していない状況で、何事も暗中模索するしかなかった。そこで試行錯誤を重ねながら記事を量産し、いかに収益化するか、ということを常に考えてきた。

現在「コタツ記事」とも呼ばれる著名人のSNSやブログをネタ元にして記事を書くやり方も、2006年には完成させていた。2010年からは、小学館の雑誌記事をネット向けに再編集する、というプロジェクトにも参画。これこそ、私が立ち上げ時からかかわり、後に出版社系有力サイトへと成長することになる「NEWSポストセブン」である。

キチンと取材をした雑誌コンテンツはコタツ記事よりも質が高く、多くのネットユーザーに読まれるであろうことは、それまでのネットニュース編集経験を通じて確信していた。一方で、雑誌記事は即時性、速報性の面でネットに劣るため、緊急事態や社会的に反響のある旬の話題についてはネットオリジナルの記事を制作するなど、ネットユーザーのニーズに幅広く応えられるような体制を整えた。

雑誌を含めた自社刊行物をウェブに転載する形式は、いまではほぼすべての大手出版社が普通におこなっていることながら、当時は「そんなことをすれば、紙の雑誌や書籍が売れなくなる」という懸念を各社が持っていた。また、紙媒体の編集者や記者のなかには「俺たちが丹精込めてつくった記事を、レベルの低いウェブ媒体の連中がかすめ取っていく」などと、不信感や敵対心を隠さない人間も少なくなかった。

だが、小学館が「NEWSポストセブン」で先行したことにより、他の出版社も次々とネットニュース媒体を立ち上げ、ネットでのコンテンツ展開に本格的に取り組むようになった。こうした経験を通じて、私は「もうネットニュース・ウェブメディアでやりたいことはやり切った」という達成感を噛みしめると同時に、燃え尽き症候群的な感覚も抱くようになっていったのである。

■「BOYA」実現の要件は「FIRE」より圧倒的に緩い

「BOYA」を目指すために必要な要件は、

①ある程度の貯金
②その後も仕事をくれる人々との関係維持
③それまでの職業人生で得た達成感
④多額の給料・ギャラよりも心の安定と休息、そして娯楽を重視する姿勢
⑤趣味の仲間や地域コミュニティーとの良好な関係

と、私は考える。

「FIRE」を実現するには「投資のタネ銭となる1億円を貯める」「運用益を上げる」といった「現実(リタイア後の生活を維持するためのシビアな条件)」が必要になる。一方、「BOYA」の場合、基本的には「それまでの職業人生で十分達成感を得られた」「もはや仕事人生に悔いなし」といった「精神論」だけでも実現できるのである。並行して、仕事と完全には縁を切らず、ある程度は社会とのかかわりも持ち続けて、生活のセーフティーネットを維持すればよいのだ。これならばプレッシャーは少ない。

ちなみに、資産運用を土台にした「FIRE」の文脈では、年利4%程度の利回りを前提にして収益構造を解説する例が多い。1億円の原資があれば、それを元手に年間で400万円ほどの運用益が得られる、という寸法だ。ただ私の場合、投資はしていない。完全に塩漬けになってしまった株やら国債やらを保有してはいるが、基本、これらの投資収益に生活費を依存しているわけではない。

■遠く離れた場所への転居も「BOYA」の実現に有効

それまで生活してきた場所から、あえて遠くに転居してしまうというのも「BOYA」の実現に有効な手段である。

知り合いが多い場所や、仕事仲間が多数いる場所に住み続けると、どんなに「BOYA」をしたくなったとしても、周囲の人々が放っておかず、結局以前と変わらない仕事ぶりになってしまう可能性があるのだ。「おっ、悠々自適の生活をしているんだったら、ちょっと仕事を手伝ってよ♪」なんて請われたりすると、「自分にもまだまだニーズはあるんだな」と嬉しくなって引き受けてしまい、気が付けば仕事に忙殺される日々に逆戻り……。これでは、単に転職をしただけのような状態になりかねない。

その点、物理的に距離が離れると、関係性もある程度はリセットされるので、思い付きで急に仕事を振られたりすることがほぼなくなる。仕事を振ってくれるにしても、こちらの現状や距離を考慮して、できるだけ負担にならないような形で打診してくれるケースが多い。

虹ノ松原
写真=iStock.com/kokoroyuki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokoroyuki

■本当に親しい相手との関係は、生活が変わっても継続される

生活スタイルや居住地が変わることで、人間関係にも変化が生じることに淋しさをおぼえる人もいるかもしれない。ただ、実際にはそれほど心配する必要もないだろう。たとえ以前のように頻繁に会うことはできなくなったとしても、それまでお互いに信頼感やよしみを抱いてきた相手であれば、根っこの部分の繋がりは変わらないものだ。そんな相手であれば、ときどき移住先を訪ねてもらったり、自分がもともと暮らしていた場所に出かけたりすることで、いくらでも旧交は温められる。

それどころか、むしろ会う頻度が高まる相手もいる。以前は「会おうと思えばいつでも会えるからな」と明確な約束をせず、「今度飲もうねー!」などと口にするばかりで、気が付けば3年も酒席を共にしていない……なんてケースも少なくなかった。

そんな相手のなかには、私が唐津に拠点を移してから「来月、出張で福岡に行くので、ついでに唐津にも足を伸ばそうと思っているのだけど、よかったら飲まない?」「次の上京はいつですか? 軽く食事にでも行きませんか?」と具体的な約束を交わすようになった人も存在する。

■生き方を変えても、仕事は手放さない

私が考える「BOYA」という生き方の核になっているのは、「もう馬車馬のごとき働き方からは卒業しよう」「これからはゆっくり、ストレスなく仕事がしたい」という強い思いだ。妙味は「自分のやりたいように、マイペースで仕事を継続する」と、労働を一概に手放さない点にある。

2020年9月1日から始めたこの働き方は、1年9カ月ほど経過した現在に至るまで、常に快適であり続けた。ここから先も、細々と仕事を獲得しながら生きていけるのではないか。そうして地に足の付いた日常を送りながら、やがて穏やかに死ねるのではないか……そんな晴れがましさにも似た感情を日々深めている。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・近年「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という生き方が話題にされるようになったが、実現するのはなかなか難しい。

・おすすめしたい生き方は「BOYA(Burned Out Yet Attempting)」だ。あくまで造語だが、その心は「それまでの仕事で達成感を得て、どこか燃え尽きた感覚を抱いてはいるが、まだなにかに挑戦する姿勢は捨てていない」というものである。

・端的には「ストレスフルな職業生活から卒業し、これからはマイペースに、無理なく仕事を継続していこう」ということだ。「FIRE」のように「いかに早い段階で労働から開放されるか」というアプローチではなく、「ある程度実績を積み重ねた後、やりたい仕事だけを、やりたいように続ける自由を得よう」というアプローチである。

・「FIRE」に比べて、「BOYA」はハードルが低い。働き方、生き方を見直したい人は一考してみてはいかがだろうか。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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