大前研一「ウクライナを過小評価していたプーチン大統領は、側近から暗殺される恐れがある」
プレジデントオンライン / 2022年6月15日 8時15分
※本稿は、大前研一『大前研一 世界の潮流2022-23スペシャル』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■プーチン氏の誤算①「ウクライナ軍の強さ」
前回、ロシアのプーチン大統領が今回のウクライナ武力侵攻に踏み切った背景を、「ロシア脳」を使って様々な角度から説明してきた。ここからは、今後の展開についての予想である。
侵攻当初、プーチン氏の頭の中には、「極めて短期間でゼレンスキー大統領の首を取り、全土を制圧してロシアに都合のいい傀儡政権を樹立する」というシナリオが描かれていたはずだ。だが、実際は、そうは問屋が卸さなかった。
プーチン氏が読み間違えたのは、まずウクライナ軍の想像以上の強さである。兵士の士気がロシア軍よりも明らかに高いうえに、彼らはロシア軍に対抗できるだけの攻撃能力を持つ武器を保持していた。
そのひとつが、トルコ製のドローン「バイラクタルTB2」である。2020年のナゴルノ・カラバフ紛争でアゼルバイジャンとトルコ側が、それまで負け続けていたアルメニアとロシアに勝利したときの勝因が、トルコのバイラクタルTB2だった。
ウクライナはこのことから、ロシア軍は軍事ドローンに弱いことを見抜き、トルコからこれを80機ほど購入して準備していたのである。そのバイラクタルTB2の攻撃によって、ロシア軍は序盤で戦車を含む車両32台を失うことになった。首都キーウに向かう車列の途中を攻撃され、ロシア軍は前にも後ろにも身動きがとれなくなってしまったのである。
さらにウクライナ軍には、アメリカが提供する対空ミサイル「スティンガー」と、対戦車ミサイル「ジャベリン」もある。また、イギリスとスウェーデンが共同開発した対戦車ロケット兵器「NLAW」も西側諸国から供給されているのだ。
■プーチン氏の誤算②「ゼレンスキー大統領の人気」
プーチン氏の誤算はまだある。それは、いつも同じTシャツ姿で髭も剃らぬまま連日カメラの前に立ち、悲壮な表情で「私はキーウから逃げない。生きて話ができるのはこれが最後かもしれない」などと、心に刺さる演説を繰り返すゼレンスキー氏の人気が一気に上がったことだ。
ロシアの軍事侵攻からわずか1週間で、ゼレンスキー氏の国民支持率は30%から90%へ急上昇し、あっという間にウクライナ国民の希望の星となってしまった。それどころか、今や世界中が彼を英雄として賞賛している。
ロシアは軍事侵攻と同時に、ゼレンスキー氏暗殺部隊をウクライナ国内に派遣しているはずだ。しかし、ゼレンスキー氏が暗殺されれば、「アメリカよ、今こそ武器をとって参戦せよ」という声が湧き起こるだろう。そうなったら、世界各国がロシアに対しスクラムを組んで牙をむくことになる。プーチン氏もそれはわかっているので、そう簡単にゼレンスキー氏の首は取れない。
アメリカの政治学者イアン・ブレマー氏は「プーチン氏は単純なミスで全世界を敵に回した」と今回の軍事侵攻を評しているが、まったくもってそのとおりだ。
■停戦協議が進まなければシリアのような惨状が起きる
ウクライナ情勢は停戦協議において一定の合意が得られないのであれば、“シリア化”する可能性がかなり高い。
シリアでは「アラブの春」の流れを受けて2011年にアサド政権派の国軍と反体制派との武力衝突が起こり、ロシアはアサド大統領から要請されて軍隊を派遣した。
シリア内戦はロシアの軍事介入によって国軍が勝利したが、その代わりロシアによってシリア国内はめちゃくちゃに破壊されてしまった。アレッポの破壊はウクライナにおけるマリウポリの惨状と同じで、恐らく再建には50年くらいはかかるだろう。
軍人も民間人も関係なく無差別攻撃をして相手の戦意を喪失させるというのが、伝統的なロシアのやり方なのである。実際、今回のウクライナ侵攻でも、プーチン氏は最初のころは「ロシア軍の攻撃目標は軍事施設だけ。民間人に危害は加えない」と言っていたのに、マリウポリでは、民間施設の産婦人科病院や民間人が避難している劇場も躊躇なく攻撃している。首都キーウ郊外では大量の民間人虐殺の疑いも出てきた。
一方、ウクライナのほうは、そのようなロシアの無差別攻撃を受けても「死ぬまで抵抗する」と、戦意喪失どころか、今のところ白旗を掲げる気配はない。
また、ロシアから命を狙われているゼレンスキー氏のところには、NATOから「ポーランドにウクライナ臨時政府をつくったらどうか」という提案もなされているようだが、ゼレンスキー氏は絶対に受け入れないはずだ。なぜなら、自分がウクライナを離れた途端、ロシアがキーウを占拠して、そこに傀儡政権をつくることが目に見えているからである。
■長期化すればするほど政権の足元が揺らぐ
むしろ長期化すると困るのは、ロシア側だ。まず戦力がもたない。すでにロシア軍はウクライナ国境付近に終結させた部隊のほぼすべてをウクライナ国内に投入したものの、いまだにキーウやハリコフなどの都市部を占拠できないでいる。そこで、外国人部隊を追加投入しようとシリアで傭兵を募集しているくらい、ギリギリの状態なのだ。
それから、西側諸国の経済制裁によって、ロシア国内の経済状況はかなり厳しくなってきている。国際決済システムであるSWIFTからの締め出し、200社を超える西側企業の撤退や縮小、ビザやマスターなどのカード決済業務停止などで、市民生活はすでにかなり混乱しているようだ。報道によれば、小麦、砂糖、塩などを買い急ぐ動きが目立ち、一部のスーパーは1人が買える量を制限し始めているということだ。
ロシアは穀物の自給率が高く、すぐに食糧不足に陥る可能性は低いものの、パニックに乗じて転売で利益を得ようとする人が増えてくることも考えられるので、それを見越してみな自衛に走っている。
また、「インフレが加速する前にいち早くルーブルをモノに替えておきたい」という消費者心理も働いているのだろう。それにともなってアメリカの格付け会社ムーディーズは3月6日、ロシア国債の格付けを2段階引き下げて、非常に投機的にあたるCにすると発表した。ニューヨークとロンドンに本拠を置く格付け会社フィッチ・レーティングスも8日、ロシア国債の格付けを投機的水準のBからデフォルト寸前のCに引き下げている。
ロシア政府は自国民に向けて厳しい情報統制を敷いているため、国営テレビしか見ないような人たちはまだ「プーチン大統領はウクライナでロシア人をいじめているゼレンスキー大統領に正義の鉄槌を下している」と信じているが、さすがに生活が追い詰められてくると、プーチン氏に対する支持も揺らぎかねない。
■有力者が次々とプーチン氏と距離を置いている
また、プーチン氏を巨額の富で支えているとされるオリガルヒ(新興財閥)のひとりであるロマン・アブラモヴィッチ氏は、自身がオーナーを務めるサッカーのイングランド・プレミアリーグ「チェルシー」の経営権を売却し、手にした純益をすべて戦争の被害者に寄付することを表明した。
また、やはりオリガルヒの一員で、1992年にアメリカに亡命したアレックス・コナニキン氏はメディアの取材に対し、「プーチン氏のウクライナ侵攻は戦争犯罪」と断言し、さらに「生死を問わずプーチン大統領を捕まえた人に100万ドルの懸賞金を支払う」とSNSで呼びかけている。
このように、ロシアでプーチンに近かった人たちも、徐々に距離を置き始めている。
こうなると、追い詰められたプーチン氏は、戦争を早く終結させるために、禁断の手を使うかもしれない。さすがに核兵器を用いることはないだろうが、ジュネーブ条約で禁止されている生物・化学兵器を使用することは十分に考えられる。ロシアはシリアでもこれらの兵器を使っており、ウクライナで同じことをしても不思議ではないのだ。戦争が長引けば長引くほど、その恐れは高まってくると言える。
■侵攻時に描いたシナリオは崩壊した
さて、2月24日に始まったロシアのウクライナに対する軍事侵攻は、いつどのようなかたちで終結するのだろうか。戦争では何が起こるかわからないので、私も断言することはできない。
そこで、ここではいくつかの可能性を検証してみることにする。
まず、ウクライナ軍を降伏させてゼレンスキー氏を排除し、その後に親ロシアの傀儡政権を樹立して非武装、非軍事化を行い、既存の原子炉はIAEA(国際原子力機関)のような国際機関に監視させる、さらにドネツクとルガンスクだけでなく、クリミアの独立も達成するという、侵攻当初にプーチン氏が想定していたであろう結末はなくなった。
これまでの戦い方を見ていると、ウクライナ軍の士気は高く、たとえ首都キーウをロシア軍に蹂躙されても、そう簡単に「参りました」とは言わないと思われる。また、今や英雄となったゼレンスキー氏を殺害でもしようものなら、そのときは世界中がロシアの敵に回るので、それもできない。
ちなみに、ロシアがキーウまで進軍した本当の狙いは、クリミア住人の年金の財源ではないかと私はにらんでいる。というのも、2014年に向こうから頼まれてクリミアを併合したのはいいが、ウクライナはクリミア住民の年金基金を渡さなかったため、ロシアがクリミア住民約270万人分の年金を負担しなければならなくなってしまったからだ。
自国の年金事情も決して楽ではないロシアに、そんな余裕があるはずがない。そこで、この機に乗じてキーウを攻略し、ウクライナの「米びつ」を奪おうとしたのだ。
だが、もちろんそれも今となっては“絵に描いた餅”だ。
■講和成立のカギを握るトルコとイスラエル
そうなると、ロシアはどこかのタイミングで、ウクライナと講和条約を結ぶよりほかないということになる。もともとゼレンスキー氏はトップ同士の話し合いによる決着を望んでおり、現時点ではそれをプーチン氏が拒否している状態だが、結局、出ていかざるを得なくなるだろう。
そこでキーマンとなりそうなのが、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領やイスラエルのナフタリ・ベネット首相だ。
実は、イスラエルはロシアにとって、非常に大切な国である。
1948年のイスラエル建国の際にはアメリカやヨーロッパからユダヤ人が移ってきたが、実はいちばん多くのユダヤ人を送り込んだのが、旧ソ連であったのだ。だから、イスラエルでは選挙のたびに、候補者がロシアを訪れて政府高官と握手し、「私はロシアの信用も得ています」とアピールするのが慣例となっているのである。
だから、プーチン氏は今回ウクライナに軍を進めた後、対面で会談する最初の外国首脳に、フランスのエマニュエル・マクロン大統領やドイツのショルツ首相ではなく、あえてイスラエルのベネット首相を選んだのだ。
■「側近によるプーチン暗殺」もあり得る
そして、その会談の後、ベネット首相はウクライナのゼレンスキー大統領と電話で会談している。ゼレンスキー氏も同じユダヤ系ということもあって、この二人も元々関係がいいのである。
私は、プーチン氏とベネット氏の会談は、プーチン氏に停戦を促すよう、ゼレンスキー氏が水面下でベネット氏にお願いして実現したのではないかと見ている。そして、ベネット氏の仲介案であれば、ゼレンスキー氏はこれを呑むのではないだろうか。
もうひとつは、プーチン氏が失脚することで、戦争が終結するパターンである。
もしかするとプーチン氏には、冷戦時代に長期独裁政権で権力を私物化した後、1989年の東欧革命で夫人とともに処刑されたルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領と同じような最期が用意されているかもしれない。
ただ、プーチン氏の場合は、裁判で裁かれて死刑というより、側近による暗殺だろう。
プーチン失脚後、誰がロシアの次の大統領になるのかはわからない。若者は9年間の刑期に服しているアレクセイ・ナワリヌイ氏を支持するかもしれないが、意外にゲンナジー・ジュガーノフ氏(ロシア連邦共産党党首)のような旧ソ連共産党出身者のほうがまだクリーンであるということで年寄りの支持を集める可能性がある。
■ウクライナ目線だけでは問題の本質にたどりつけない
ロシアとウクライナの紛争はまだ終わりが見えていない。
ウクライナの惨状を目にすると、私も胸が痛む。だが、「ウクライナは善で、ロシアは悪」というステレオタイプの考え方で本当にいいのだろうか。
ゼレンスキー氏はタレント出身だけあって、メディアの使い方が上手い。そういう意味では、戦時のリーダーに向いていると言える。だが、彼の主張から見えてくるのは、ウクライナ側から見た風景だけだ。
また、日本のメディアは明らかに欧米視点なので、それだけを見たり読んだりしていてもやはり事態の一面しかわからない。
ゼレンスキー氏はこう言っているが、では、プーチン氏はどうなのか。西側諸国から見えるこの景色は、ロシア側にはどう映っているのか。そういう多面的な見方をしなければ、ものごとの本質にはたどりつけないし、またそもそもここに至った経緯も理解できないのである。
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ビジネス・ブレークスルー大学学長
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号取得、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号取得。日立製作所へ入社(原子力開発部技師)後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し日本支社長などを経て、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長を務める。近著に『日本の論点 2022〜23』(プレジデント社)など著書多数。
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(ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前 研一)
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