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64歳の女性は座ったまま夜を過ごしていた…座りづらく、仕切りのあるベンチが増える「排除の理屈」

プレジデントオンライン / 2022年6月22日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Elizabeth Hren

2020年、渋谷区のバス停でホームレスの64歳の女性が殺害された。現場をフィールドワークした東北大学大学院の五十嵐太郎教授は「女性はバス停で夜を過ごしていたが、仕切りのあるベンチのため寝そべることはできず、座ったままだったようだ。ホームレスの滞在を防ぐ『排除ベンチ』は、問題の本質を隠すだけではないか」という――。

※本稿は、五十嵐太郎『誰のための排除アート?』(岩波ブックレット)の一部を再編集したものです。

■女性ホームレス殺害事件で注目されたベンチ

2020年11月16日、ホームレスの64歳の女性が頭を殴られて、死亡した事件をきっかけに、注目されたものがある。

もちろん、被害者がスーパーの試食販売員などで食いつないでいたが、対面の仕事が激減した影響をもろに受けたという背景から、コロナ禍における貧困や、女性ホームレスの存在が改めて浮きぼりになった。が、もうひとつメディアがとりあげたのが、事件が発生した、彼女の居場所である渋谷区のバス停のベンチが、仕切り付きのタイプだったことである。

すなわち、路上生活者が寝そべれないようにデザインされた、いじわるなベンチだ。いや、いじわるという呼び方はやさしすぎる。これはホームレスの排除を目的にしたストリート・ファニチャーだ。そこで「排除ベンチ」と呼ぶことにしよう。

ともあれ、ここで彼女は座ったまま、夜を過ごしていたらしい。この事件は反響を呼び、テレビや週刊誌で詳しく報道されている。とくにNHKの番組は、被害者の若いときからの歩みを丹念に調べており、その内容は「追跡 記者のノートから ひとり、都会のバス停で――彼女の死が問いかけるもの」(2021年4月30日)でも記された。

■清掃活動を行う加害者にとっては「邪魔者」だった

また加害者の46歳の男性が、中学生のときに不登校になり、引きこもりだったこと、定職はなくときどき家業を手伝っていたことも伝えられた。本人は地域のボランティアで清掃活動を行っており、邪魔なホームレスにはお金をあげるからバス停からどいて欲しいと頼んだが、応じてもらえず、腹が立ち、石を入れた袋で殴って、痛い思いをさせればいなくなると考えたという。

実は1982~83年の横浜浮浪者襲撃事件でも、少年たちは街の清掃と言いながら殺傷した。なお、バス停での加害者は、初公判を迎える直前に飛び降り自殺をしている。これで思い出すのが、不況のロンドンで登場したパンクと違い、なぜか日本のバブル絶頂期に活躍したザ・ブルーハーツの歌詞だった。彼らの代表作「TRAIN-TRAIN」に、弱いものたちがさらに弱いものをたたく、という印象的な一節がある。

すでに二人の背景をめぐる報道は数多くなされた。しかし、ホームレスを排除するベンチのデザインについては、男性の記者が腰掛けたところ、「表面がツルツル滑り、深く座ると足が地面に届かなかった」という記述はあるものの、それ以上深く掘り下げられていない(渡辺豪「(時代を読む)社会 『迷惑な存在』、社会が記号化 女性ホームレス死亡事件で露呈した『歪み』」「朝日新聞」2020年12月4日)。

さらに、なぜ彼女がそこを居場所として選んだのか? 筆者の知る限り、都市環境を観察したうえでの考察はない。そこで現場を訪れた後、まわりをじっくりと歩く、フィールドワークを2022年2月と3月に試みた。

■ただでさえ小さいのに、間には仕切りが付いている

事件が起きたのは、甲州街道沿いの幡ヶ谷原町のバス停である。ただし、西に向かう1番のりばはスタンドのみで、当然そこではない。道路の反対側にある2番のりばが、ベンチと一体化したバス停で、ひっそりと花が添えてあった(画像1)。

【画像1】事件現場となった幡ヶ谷原町のバス停。小さなベンチが一体となっている
筆者撮影
【画像1】事件現場となった幡ヶ谷原町のバス停。小さなベンチが一体となっている - 筆者撮影

これは実は規格品であり、バスに乗って現地に向かう途中にも、同じタイプのバス停をいくつか見かけた。現物を見て驚いたのが、想像以上にベンチが小さいことである。奥行きはわずか20センチ程度、長さは90センチ以下だ。成人の肩幅は40センチ以上あり、寝返りを考慮すると、最低+30センチがベッドには必要だと言われている。これでは仕切りがなかったとしても、うまく寝ることができない。子どもでも難しいだろう。4歳児で平均身長は100センチを超えるからだ。

とすれば、別に仕切りがなくても、寝そべる行為を妨害できるのに、念を押したのか、あるいはホームレスには伝わる拒否のメッセージとして、わざわざ仕切りを付加したのかもしれない。過剰な排除ベンチである。かといって、この小さいベンチは座るにしても、浅く腰をかけることができる程度だ。快適な座面の奥行きとしては、40センチ以上は欲しい。

■普通の利用者にとっても座りにくいデザイン

鉄骨のフレームで構成されたバス停のデザインをよく見ると、このベンチは横幅を倍以上の長さに伸ばすこともできる。ただ、その背後に広告のポスターを入れるフレームがあり、人が座っても、広告を邪魔しないところまでしかベンチがないのだ。このバス停は屋根付きで、十分な屋根の広さから考えると、もっとベンチの奥行きは増やせるはずだが、それを選択していない。つまり、普通の利用者にとっても座りにくくデザインされている。

被害者になった女性は、ほかに居場所を見つけることができなかったのか。

疑問に思い、地図で調べて、一番近くの幡ヶ谷第一公園に行くと、2つの排除ベンチがあった(画像2)。

【画像2】現場に一番近い幡ヶ谷第一公園にある排除ベンチ(手前左と奥)
筆者撮影
【画像2】現場に一番近い幡ヶ谷第一公園にある排除ベンチのひとつ - 筆者撮影

幡ヶ谷第三公園の入り口にも、仕切り付きのベンチが2つ存在する。いずれも明らかに不自然な造形なので、第一公園と同様、当初は普通のベンチだったものに後から足した仕切りだ。また第三公園の内部にはなんとベンチがひとつもない。代わりに背もたれやアーム(ひじかけ)がない、スツール・タイプを相互に離しながら、3つ並べて置いている。したがって、無理に寝ることはできなくはないが、相当身体に負担がかかり、休まることはないだろう。

■遊具もベンチもない不自然に空っぽの公園

ここでは座面が正方形と円形の2種類を確認したが、いずれも平らで硬く、座り心地も悪い。かつては普通のベンチが存在したが、スツール・タイプに置き換えたのではないかと思われる。ただ、ここのトイレは使っていたかもしれない。公園に隣接するバス停はそもそも座る場所がなかった。しかし、公園に行く途中にあったバス停には、おそらく手作りの木製ベンチが置かれている。背もたれやアームはないが、仕切りはないので、一応、寝そべることは可能だ。

もうひとつ現場からすぐ歩いて行けるところとしては、甲州街道の南側のエリアに初台の近くまで緑道のように続く、細長い公園がある。ときどき横断する道路によって切断されているが、「渋谷区立 幡ヶ谷駅前公園」や「渋谷区立 西原一丁目公園」などの看板が掲げられていた。

しかし、ここにもいわゆるベンチがない。ときどき前述した円形のスツール・タイプが点々と並ぶだけだ(画像3、六角形パターンもあり)。また途中で広くなる場所もあるのだが、遊具やベンチがなく、不自然に空っぽの公園だった(住宅が隣接するため、クレームによってベンチなどを撤去したのかもしれない)。

【画像3】円形のスツール・タイプのベンチ
筆者撮影
【画像3】円形のスツール・タイプのベンチ - 筆者撮影

■雨露を防げるバス停の小さなベンチを居場所にした

だいぶ歩いて、ようやくベンチを発見したが、後付けの仕切りが入っている。そして遊具が集中し、子どもで賑わう場所の横にホームレスと思われる人物が座っていた。車止めの低い円柱と同じものが、スツール・タイプのように使われているケースも認められた。

すなわち、バス停の周辺にまったく居場所がないわけではなかった。が、ホームレスの視点から観察すると、決してやさしくはない環境である。では、なぜバス停を選んだのか。おそらく、雨露をしのぐことができる屋根も付いていたことが、理由のひとつだろう。また公園は照明が少なく、夜は暗くなってしまう。一方で交通量が多い甲州街道沿いの大通りは、街灯が存在し、女性にとって安心な場所だったのかもしれない。実際、バスの運行が終わる夜になると、居場所として使っていたようだ。

■排除される側の視点で見る街の景色

屋根の存在に注目すると、高架の首都高が目の前を走っている。その下は一部、駐輪場になっているが、空きスペースは大きな屋根付きの居場所になるだろう。ただ、以前、近くの高架下にホームレスがマットレスなどを持ち込み、住み着いたことで、トラブルが起き、一部封鎖されたらしい(谷川一球「渋谷ホームレス殺人事件。46歳容疑者の地元での評判」「日刊SPA!」2020年12月4日)。

なるほど、現場付近でも高架下に入れないようフェンスが張りめぐらされた箇所があった。また前述した細長い公園の途中に、実はデザインされた新しい公衆トイレがあり、室内も清潔でかなり広い。が、トイレを占拠することまでは考えなかったのだろう。

ちなみに、幡ヶ谷原町は、笹塚駅からひとつ目のバス停である。駅に直結するバス停は、さすがに乗降客が多い。しかし、その隣のバス停は利用者が少ないことから、あまり迷惑をかけない居場所として選んだのだろうか。

このように書いていくと、幡ヶ谷のエリアがひどい街のように思われるかもしれない。だが、これは決してめずらしい風景ではないはずだ。あなたが住む街も、いつもと視点を変えて、周辺の環境を観察して欲しい。排除される側の想像力を共有したとき、日常の風景は大きく違って見えるはずだ。

■ホームレスを「見えないもの」にする排除アート

世間の注目を集めた事件が起きたことによって、排除ベンチ、あるいは排除アートが増えているというニュースが散見された。後者はベンチの形状ではない立体物であり、路上もしくは公共空間において特定の機能をもたない、アート作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。筆者は「排除アート」と呼ぶことは適切ではないと考えるが、すでに排除アートという名称で広く使われているので、とりあえず、この名前を使って論を進めたい。

排除アートがホームレスをターゲットにしていることは、しばしば指摘される。例えば、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの大西連理事長は、排除アートは「ホームレスの人が居づらい環境や空気を醸すツールになっています」という(「朝日新聞」2020年12月14日)。

このコメントを掲載した記事は、こう指摘している。ホームレスが減ったように見えるが、「『排除アート』の普及によって街中で野宿しにくい環境がつくられたことも一因だと大西さんは見る。『野宿者を街で見かける機会は減りましたが、困窮者が不可視化されたと捉えるべきでしょう』」。

■「一斉清掃」で追い出されたホームレスたち

ただし、こうした現象は最近始まったわけではない。20年近く前、すでに筆者は『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004年)を上梓した際、都市のフィールドワークを通じて、排除アートというべき物体の登場を確認した。

五十嵐太郎『誰のための排除アート?』(岩波ブックレット)
五十嵐太郎『誰のための排除アート?』(岩波ブックレット)

有名な作品(?)としては、新宿西口の地下道でホームレスを排除し、動く歩道を整備した後、1996年に設置された先端を斜めにカットした円筒形のオブジェ群や、渋谷マークシティ(2000年)の東館と西館のあいだのガード下(井の頭線の改札前)において小さな突起物が散りばめられた台状のオブジェなどが挙げられるだろう。

半径45センチ、高さ40センチほどの「オブジェ」と呼ばれる572個の円筒形の物体は、市民派と言われ、すでに着工していた世界都市博を中止した青島幸男都知事の時代に出現した。

なお、ホームレスの追い出しは、「環境整備」や「一斉清掃」という名目で行われた。しかし、「路上廃材撤去作業」の一環だったから、無人のダンボールハウスの撤去は強制排除ではないという東京都の主張に対し、1997年の東京地裁の判決では、「簡易な工作物で現に起居の用に使われていた。廃材ということは出来ない。……警察官によって排除、連行され一時的に無人になっていたのにすぎない」から、正当な法手続きなしでの執行には落ち度があることが言い渡された(新宿連絡会編『新宿ダンボール村 闘いの記録』現代企画室、1997年)。

■路上の使用をめぐるホームレスと自治体の争い

もうひとつの渋谷の「ウェーヴの広場」は、ホームレスを追い出すために、床を波形にしたところ(おそらく、これが名称の由来か)、その上に何枚もダンボールを敷き、居場所をつくったらしい。その結果、ダンボールを突き破る突起物が付加されるのだが、これらも引き抜かれてしまう。最終的には補強し、抜けないようにして、まわりもチェーンで囲まれた(画像4)。

【画像4】まわりがチェーンで囲まれた渋谷の「ウェーヴの広場」
筆者撮影
【画像4】まわりがチェーンで囲まれた渋谷の「ウェーヴの広場」 - 筆者撮影

つまり、「広場」という名前をもちながら、人の滞在を拒絶しているのだが、排除アートの投入によって、路上の使用をめぐる争いが行われていたのである。また銀座の地下通路では、すでに2000年代から柱と柱のあいだに干支にちなんだ動物の彫刻が並んでいたが、大きなプランター、柵とチェーンを併用していた。かわいらしい外観からは想像しづらいかもしれないが、おそらく人の滞在を許さないために、設置されたものだろう。

公園では、ウサギ、クマ、キリンなどの動物のキャラクターを立体化したオブジェをベンチのど真ん中に付加したケースがある。これも一見、無邪気な造形ゆえに、排除という目的を想起すると、かえってグロテスクに感じられるだろう。

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五十嵐 太郎(いがらし・たろう)
東北大学大学院工学研究科教授
1967年パリ生まれ。1992年、東京大学工学系大学院建築学専攻修士課程修了。博士(工学)。専門は建築史・建築批評。第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2008)の日本館展示コミッショナー。あいちトリエンナーレ2013の芸術監督。主な著書に『過防備都市』(中公新書ラクレ)、『美しい都市・醜い都市』(中公新書ラクレ)、『誰のための排除アート?』(岩波ブックレット)など。

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(東北大学大学院工学研究科教授 五十嵐 太郎)

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