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ひたむきで勤勉だからこそ没落した…「置かれている前提を疑わない」という日本人の悲しくて恐ろしい習性

プレジデントオンライン / 2022年7月11日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ponsulak

日本人はひたむきで勤勉だ。しかし、それは利点とは限らない。多くの日本企業を支援してきた柴田昌治さんは「今の日本においては『置かれている前提を疑わない』という姿勢が社会規範になっている。こうした思考停止に陥っていると、新たな価値は生み出せない」という――。

※本稿は、柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■考えているようで、実は考えられていない人は多い

令和の今、日本企業の現場では、「思考停止」に陥っていることが問題だと言われ始めています。しかし実は、思考停止と言っても何も考えていないわけではありません。

その意味するところを正確にお伝えするには、ここで言う思考とはそもそも何を意味するのか、をはっきりさせておく必要があります。

思考力というのは、本当の意味での「考える力」のことであり、思考を要する「問い」に対して向き合っていくことができる力、とも言えます。

そういう意味では、思考を必要としない、言い換えれば、思考が停止したままでも答えを得ることが可能な問いもあるのです。たとえば、単に持っている知識の中から選ぶ、もしくはネットで検索して選び出すだけで答えを得ることが可能な問いです。

「○○という国の首都はどこですか」という問いに答えるには、思い出すか、検索をすればいいわけです。そこであれこれ思考をめぐらす必要は、普通ありません。ですから、このような場合にやっていることはすべて、ここで言う「思考停止」状態でもできることなのです。

■降ってきた仕事を「どうやるか」だけ考えていないか

そのような思考停止は、我々が日常的に仕事をしているとき、ごく自然に起こっています。定型的に単にさばくことで済ますことができる仕事の場合、思考力は特に必要とされていないので、思考停止状態であることは問題にもならないわけです。

では、思考停止がどのような状況で繰り返されているのか、具体的に見てみたいと思います。

たとえば、上司から「アンケート調査をやる」という話が下りてきたとします。この場合、「やる」の中身、つまり「何のために、どういう目的で、誰を対象に」といった前提がはっきり決まっているならば、あとは「どうやればいいのか」を考えればいいわけです。

しかし、「やる、やらない」も含めて、アンケート調査の意味や効果、影響などを考えるなら、「そもそも何のためにやるのか」「やることで見えてくるものは何か」「アンケートの結果はどのように使えばいいのか」などと考えることが多くなります。状況次第では、「やること自体に意味があるのか」という前提を問い直すことも含めて考える必要があるということです。

■ひたむきで勤勉な人ほど「思考停止」に陥りやすい

ところが多くの場合、そのような可能性を考えることなく、会社(上司)からの「アンケート調査をやる」という指示を「定型的にさばけば済む仕事」と捉え、自動的に「どうやるか」に入ってしまうのが、ひたむきな勤勉さを持った日本人です。そのような目的や意味を考えずに、たださばこうとする態度・姿勢のことを、私は「思考停止」と言っているのです。

本来であれば、新しく仕事を始めるときには、「この仕事は定型的にさばいてもよい仕事なのか」、それとも「目的やそれがもたらす意味などをしっかりと考えることを必要とする仕事なのか」という判断がまず必要なのです。

しかし、ほとんどの場合、そうした判断はスルーされ、“さばく仕事”としてすべて処理されていくのが現状です。

多くの日本人は、何事をするときでも無意識のうちに置いている何らかの規範、たとえば「前例はこうだった」といった前提を置いてものごとを処理しがちです。

今回のケースのように上司から「アンケート調査をやりなさい」という指示があったとき、「アンケートをする」ということが無意識のうちに「問い返してはならない前提」となりがちで、多くの場合、それを前提条件として定型業務をさばくという行動はスタートするのです。

■前提の“枠”の範囲で処理するのは効率的だが…

「定型業務であるべきか、そうでないのか」を考え、定型業務であるという判断をした後にそうするなら、思考停止ではないのですが、考えることも判断もまったくしていないところに問題が潜んでいる、ということです。

本当に意味のあるアンケート調査をしようと思うならば、まず、「そもそも何のためにこの調査をするのか」「会社や調査対象になっている人たちにとってどういう意味があるのか」などといった、アンケートをすることの意味を最初に考える必要が本来はあるはずです。

にもかかわらず、目的などのテーマは前提にかかわってくる話なので、とりあえず簡単にまとめておいて、後は「どういう日程で、誰を対象に、どのような質問項目で」といったことをさばき始めるのが一般的です。

「何のためにやるのか」といった青臭い議論を深く掘り下げるのは「時間の無駄」だ、と身体が覚えてしまっているのです。

私が思考停止と言っているのは、業種にもよるのですが、日本の多くの企業で行なわれているように、無自覚に“前提なるもの(枠)”を置いて、その前提の下に「どうやるか」からさばき始め、枠の範囲でものごとを処理しようという、ある意味では効率的で便利な思考姿勢のことなのです。

■「前提を疑わない」思考が社会規範になっている

“枠”の範囲でものごとを処理する思考姿勢は、定型業務をさばくには適した仕事の仕方です。しかし、何か新しい価値をつくっていこうとしているときには、それでは上手くいきません。

「どうやるのか」から始める、というか、「どうやるのか」でさばこうとしていては、新たな価値は生み出せないのです。

まず大切なのは、定型業務をさばこうとしているのか、新しい価値をつくろうとしているのかを自覚的に判断する姿勢です。

こうした姿勢をまったく持たず、ただ単に定型業務をさばくことが仕事のすべてだと考えている状態を、今の時代では「思考停止」と呼ばざるをえないのです。

そのような思考停止というまわりに重大な影響を与える状態が、なぜこんなに当たり前のように起こってしまっているのか。しかも、あらためてそう言われてみないとほぼ誰も意識していないのが悲しくて恐ろしい現実です。

拙著『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)で見てきたように、そもそも「置かれている前提を疑わない」という日本の歴史に由来する思考姿勢は、今の日本においては社会規範ともなっています。

オフィスの廊下を歩く社員
写真=iStock.com/visualspace
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/visualspace

■無自覚の思考停止が日本を覆いつくしている

さらに言えば、社会規範になってしまっているところに、思考停止という我々の命運を左右するようなことがこんなにも当たり前に起こっている原因があるのです。つまり、こうした一連の構造をほぼ誰も意識していない、ということが、無自覚の思考停止が日本を覆いつくしている、という問題の深刻さを表しているのです。

柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)
柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)

ただし、前提(枠)を置いて、その枠内でものごとを処理すること自体が間違っているわけではありません。前述の通り、これは定型業務をさばいたりするときには非常に効率的なやり方だからです。

問題なのは、“枠”を置くことが当たり前になっていて、“枠”の意味を問い直す姿勢を持っていないことです。つまり、“枠”を外して考えなければならない場合と、“枠”で処理したほうがいい場合の区別ができていない状態です。

実のところ、私たちが無意識のうちに前提にしてしまっている“枠”はたくさんあります。場合によりますが、自分の立場や役職、上司の意向や先輩が言ったこと、さまざまな取り決め、前例などが“枠”になってしまうからです。

■本気で改善したいなら「できる、できない」は考えない

加えて非常に重要な意味を持つのが、目の前の現実を“枠”にしてしまう思考姿勢です。目の前の現実を“枠”にしてしまい、“枠”の範囲で現状から出発して「どうやるか」ばかりを考えていく姿勢を持ってしまうことにも大きな問題があるのです。この姿勢が問題なのは、このように現実からの積み上げ方式で考えていくと、どうしても、創造していくのに不可欠な“飛躍”というものが生まれにくいので、到達しやすい目標ばかりを持つことになってしまうからです。

というのも、現実を起点に考えると、「できるか、できないか」の話になりやすく、難しそうな話は、すぐに「無理」となってしまうのです。

そんなこともあって、本気で改善活動をやろうとしている現場では、改善テーマを決めるとき、「できるか、できないか」は考えないようにしているのが当たり前なのです。

「困難かどうか」は別にして、やり遂げることに意味があるテーマを見つけ出すことに意義がある、ということを意味しています。

■「現実を把握する」と「現実起点で考える」を混同してはならない

難しいテーマをやり遂げようとしたとき、妨げている制約がたくさん見えてきます。その洗い出した制約を一つずつ見極めるのです。

「なぜ制約になっているのか」「マイナスをプラスにする逆転の発想はできないか」などといった、制約を克服する方策を多方面から考え抜くことで、飛躍を現実のものにしていこう、といった思考姿勢が必要です。

「現実は正確に把握する」ということ自体は絶対に必要なことです。しかしながら、そのことと「現実を“枠”にしてしまわない」――つまり、「現実起点でものごとを考えない」――ということを混同してしまってはならないのです。

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柴田 昌治(しばた・まさはる)
スコラ・コンサルト創業者
30年にわたる日本企業の風土・体質改革の現場経験の中から、タテマエ優先の調整文化がもたらす社員の思考と行動の縛りを緩和し、変化・成長する人の創造性によって組織を進化させる方法論〈プロセスデザイン〉を結実させてきた。近著に『日本的「勤勉」のワナ まじめに働いてもなぜ報われないのか』(朝日新書)がある。

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(スコラ・コンサルト創業者 柴田 昌治)

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