それは人類全体を殺すことになる…仏教に「悪と戦う」「正義の味方になる」という考え方が存在しない理由
プレジデントオンライン / 2022年6月17日 17時15分
※本稿は、アルボムッレ・スマナサーラ『怒らないこと』(大和書房)の一部を再編集したものです。
■怒りとは拒絶のエネルギー
我々が、何かを見たり聞いたり、味わったり嗅いだり、それから考えたりしたものに対して生まれる「嫌だ」という拒絶の感情が怒りです。「これは食べたくない」とか「あの人とはしゃべりたくない」とか「あっちへは行きたくない」とか思うエネルギーを「怒り」というのです。
拒絶のエネルギーが強烈になってくると、ひどいことになります。
「あの人とはしゃべりたくない」とか「つき合いたくない」と思うくらいであれば、まだわずかなエネルギーですが、「見たくもない」とか「いてほしくもない」とまで思うようになると、それはすごく強烈な力を持つようになるのです。
それがどんどんエスカレートしてしまうと、「あの人は今、自分の目の前にはいないが、この日本のどこかに元気でいることが我慢できない」となって、どうにかしてその人を殺そうとまで思ってしまうのです。
人間の怒りというものは、そこまでエスカレートしてしまうのです。自然も社会もなんでも破壊することだってできてしまうのですよ。
しかし、「怒り」というのは、その人の心の中から生まれてくる感情ですから、ひとつだけは言えます。
「自分を直すことができれば、怒りから逃れることができる」
そう、やっぱり自分しだいなのです。
■怒るのはしょうがないことなのか
こういうふうにお話しすると、「自然に生まれてくるのが感情なのだから、いいのではないか」と言う人もいるでしょう。
花を見たら「きれいだ」と思う。ゴキブリを見たら「嫌だ」と思う。さばいてある豚の肉を見たら「ああ、おいしそう」と思うけれど、蛇を殺してぶつ切りにしているのを見たら「ああ、気持ち悪い」と思う。「そんなの当たり前だ」と思う人も多いはずです。
日本ではよく豚肉を食べますが、同じアジアである中国や韓国にくらべると、頭や足を食べることは少ないですね。焼いた丸ごとの豚の頭がテーブルに出てきたり、豚の足がそのままの形で料理してあったりしたら、どうでしょうか。べつにはっきりした理由があるわけではないのですが、あまりいい気持ちにはならないし、何か食べる気にはならないでしょう?
でも、だからといって「そう思うのは自然なことだ。怒るのも愛情が生まれるのも、人間なんだから仕方がないじゃないか」と、自分の感情を無条件で肯定してしまうと、どうなるでしょうか?
「そのままでいいんじゃないか。本能だから、怒るのも仕方がない。人間なら怒るのは当たり前だ」と思うまで半歩もありません。それでほとんどの人は自分のこともあきらめて、「私はすぐ怒りますよ。それは人間の本能だから、仕方がないんです」と開き直っているのです。
たしかにそれはそれで人間の考え方のひとつです。「怒りは人間の本能的な感情だから、自分が怒るのも悪くない」と決めてしまえば、何も努力しなくていいのだから、ややこしいことはありませんね。
■怒っている人は「喜び」を感じられない
でも、問題があるのです。もしある人が、いつも怒っている性格だとしたら、その人は一生何を感じることになりますか?
「怒り」が生まれると「喜び」を失います。ですから、その人はずっと不幸を感じることになるのです。せっかく人間に生まれたのに、わずかな喜びもまったく感じない、文句だらけの不幸な人生なのです。
それは、ちょっとかわいそうではないですか? 「それはあなたの性格だから仕方がない。そのままでいいのですよ」と突き放してもいいのですが、やっぱりかわいそうでしょう?
人間には、仕事をする喜びや子供を育てる喜び、元気で頑張る喜び、みんなと仲良くする喜びなどの「生きる喜び」というものがいくらでもあります。それに今の世の中には、おいしいご飯を食べたり、どこかに旅行に行ったり、きれいな服を着ておしゃれをしたりする喜びや楽しみもあります。いつも怒っている人には、そんな喜びがすべて関係ないものになってしまうのです。
たとえば、文句だらけの人と一緒に旅行や食事にでも行ってみてください。その人はきっと、こちらまで苛立つほど文句ばかり言って、何ひとつも喜びを感じないはずです。まわりから何ひとつも喜びを感じようとしないから、普通は楽しいはずのことをしていても、やっぱり不幸なのです。そして、一緒に行く人まで楽しくなくなってしまうでしょう? だから、そういう人はまわりの人にとっては、このうえない迷惑です。「怒るのは本能だ」と放っておくわけにはいかないのです。
喉が渇いているときには一滴の水でもありがたいものです。
人間が感じる幸福も、それと同じです。
生きるというのは、このからだを支えているのですから、それだけでたいへんです。その苦しい人生の中で、我々には一滴の水のようなちょっとした喜びがあります。仕事をしているときは、苦しくても「仕事をしているんだ」というちょっとした充実感や幸福感、うまくいったときの達成感があります。子供を育てることもたいへんですが、そこには「すごくかわいい!」「私の子供なんだ」という愛情、成長を見る喜びがあります。
だからこそ、頑張れるのでしょう? そんな喜びも捨ててしまったら、人間は人間らしく生きていられなくなるのです。
■怒りを放っておくのは非常に危険
「怒りは本能なんだから、仕方がないんだ」と現状に甘えるのはたいへん危険な道です。それは「まあいいんじゃないか」と努力しないで、怠けることなのです。
そういう状態を、仏教用語で「放逸(ほういつ)」といいます。
「怒りは感情だから、本能だから仕方がない」と怠けて放っておくと、どうなるでしょう?
それは明々白々です。今の世の中がまさにそんな状態なので、調べるまでもありません。現代の人類社会では、みんなが怠けて、いろいろなことを放置しているのです。
今、我々の命は危険にさらされています。食べているものが安全か、吸っている空気が汚染されていないか、飲んでいる水は本当に飲んでいいものなのか、自信がありますか? わからないでしょう。
今は、陽の光に当たることさえ怖い時代なのです。そう考えると、この先も生きていられるかと不安で仕方がありません。
破壊的な行動をする人もたくさんいますから、いつどこで戦争が始まるかわかりません。今この瞬間も、人間はどんどん恐ろしい大量破壊兵器を研究開発しています。地球の財産の大半は、人を殺す武器の開発に使われているのですよ。
そういうものをちょっとでも使ったら、人類は終わりです。使おうとしなくても人間がつくる機械ですから、完璧に安全ということはあり得ません。だからそのような大量破壊兵器が存在するというだけで、人類は大きな危機にさらされているのです。
今、ほとんどの武器はリモートコントロールシステムで遠隔操作しています。
こちらから電波信号を送るだけで、爆弾やミサイルが自分で起動して出ていってしまいます。世の中は電波だらけですから、もしそういう機械が電波を受けて混乱したり、自動的に起動したりしてしまったら、どうなるでしょう?
「ハイテク機器が誤作動するなんて、絶対あり得ない」「日本の原発は、世界一安全水準が高いから安全だ」。皆さんご存知のように、そういう言説は真っ赤な嘘です。人間のすることなんて、しょせん穴だらけです。それを認めない人のすることは、なおのこと危ない。信じたらひどい目にあいます。このように、我々はなんの危機感もなく破壊的な道具をつくったり破壊的な思考を持ったりするのです。ですから我々は「怒りは感情だから仕方がない」と放っておいてはいけないのです。
■「正しい怒り」は存在しない
怒りを放っておくと、我々一人ひとりの命にかかわります。怒りをコントロールしなければ、誰一人として幸福になれないのです。だから我々は、あまり自分に甘えないで、怒りが生まれないように性格を調整するべきです。
ここで間違えないでほしいのですが、怒りが生まれないようにすることは、「怒りと戦う」こととは違います。怒りと戦おうとする感情もまた「怒り」なので、良くないのです。そうではなくて「なんとかして、怒らないような人格を育てよう」ということなのです。
正義の味方になるためには悪人を倒さなくてはなりませんね。では、人を倒したり殺したりするために必要なのは何かというと、「怒り」なのです。
ということは「正義の味方」という仮面の下で、我々は「怒り」を正当化していることになります。正義の味方は「悪人を倒してやろう」などと、わざわざ敵を探して歩きまわるのですから、よからぬ感情でいっぱいというわけです。
正義の味方までいかなくても、そういう「何かと戦おう」という感情が強い人は、すごくストレスが溜まっていて、いろいろな問題を起こします。
本来楽しいはずの勉強でも、「テストでいい点数を取りたい」「受験戦争に勝ちたい」「ライバルに差をつけたい」という気持ちになってしまったら、そこにあるのは怒りです。どうして戦うのでしょう? 戦うからうまくいかなくて、苦しくなってしまうのに。
「悪に向かって闘おう」「正義の味方になろう」というのは仏教の考え方ではありません。「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。
■「殺していい」は成り立たない
ここで私が独断で考えたエピソードを紹介します。
大乗仏教では、「発心(ほっしん)、菩薩の心」という考えがあります。「菩薩」を「悟りを求める者。自らを救うより、他人を救うことに努める者」としています。ということは、現代風にいえば「正義の味方」ですね。そこで、菩薩が真剣真面目に自分の誓願を実行しようとしたと想像してみましょう。
菩薩はまず、「では、私がこの悪い連中を倒してしまったらどうか。世の中に悪いことばかり起こす連中はいたって迷惑だから、みんなのために殺してしまったらどうか」と考えます。
でもすぐにこう考え直します。
「私はどれぐらい人を殺せばいいのだろうか。どれぐらい殺せば、この世から悪い連中はいなくなるのだろうか。もしかしたらすべての生命を殺さなくてはいけないのではなかろうか。もしそういうことであれば、そんなことをするよりも、その『悪い連中を倒したい、殺したい』という私の心のほうを直したほうが早い「殺してもいい」は成り立たないのではないだろうか」
ここで言っていることを考えてみましょう。
人間は誰しも、心のどこかに「あの人は悪人だから、死んで当然だ」という考えを持っているものです。
でも、「悪人はみんな、死んで当然だ」という理屈にしたがうなら、どれぐらいの人が死ねばいいと思いますか?
結局、それは人類全体を破壊するということになってしまうのではないでしょうか。
では逆に完璧な善人はどうかというと、これもいませんね。ですからちょっと考えれば、「完璧な善人だったら、いてもいい。あなたは悪いことをするんだから、死んでもいい」というのが、とんでもない暴論だとわかるでしょう。
不正な行動をした政治家を「政治家にふさわしくない」と決めつけて、国から追い出してみてください。そうすればきっと、政治家は一人もいなくなってしまうでしょう。現実の世の中は、そんなものです。
■大切なのはどこまでも赦すこと
キリスト教のイエスさまにも似たような有名なエピソードがあります。
「不倫をした女は石で殴って殺す」というユダヤ教の戒律にしたがって、人々が不倫した女の人を捕まえたときのことです。人々はその人を柱に縛って、石をぶつけて殺そうとしていました。不倫した女は処刑に決まっているというわけです。
そこにイエスが現れて「あなたがたは何をしようとしているんですか」と聞きます。「この女は不倫をして旦那を裏切った。だから、我々が神さまの教えにしたがって、石で殴って殺すのだ」と人々は答えます。
するとイエスは、「よくわかりました。では、最初に何も罪を犯してない人から石を投げてください」と、言って去ったのです。
その言葉を聞いたとたん、誰も石を取ることができなくなってしまいました。それでこの女性の命は救われたのです。
このイエスの言葉は真理です。「悪いことをしたのだから、その人には罰を与えても当然だ」という思考は、本当におかしいのです。「殺してもいい」などという物差しは、どこにも存在しないのですから。
ここでイエスが言っていることは、つまり「赦してあげてください」ということです。どこまで赦すのかというと、「どこまでも」です。赦しにはリミットがないのです。「その教えは、間違いなく正しくて、それで幸福が得られる。神の世界が自分に現れる」と言っています。「神の世界」は「幸福という状態」のことですね。
たしかに、「人が何をしようとも、どうなろうとも、私はその人を赦します。その人を拒絶せず、愛情を持ちます」とすべてを赦す気持ちになれたら、その人の心は愛情と幸福だけでいっぱいになってしまうのです。
その状態を、キリスト教では「神」と呼び、他の宗教では別の言葉で表しています。その単語自体はあまり意味を持ちません。大切なのは「赦す」という行為なのです。また、人の感情を神格化しない仏教は、単純に「慈しみ、赦す」という言葉を使います。
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スリランカ上座仏教長老
1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。80年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。ベストセラー『怒らないこと』『バカの理由』ほか著書多数。右の写真は、釈迦牟尼(ブッダ)の身体から発したとされる後光の色を配した「五色の仏教旗」。
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(スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ)
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