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世界有数の宇宙飛行士でも、給与は普通の職員と同じ…野口聡一さんのJAXA退職が示す「日本方式の限界」

プレジデントオンライン / 2022年6月22日 12時15分

記者会見する、宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職する宇宙飛行士の野口聡一さん=2022年5月25日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

■「燃え尽き症候群的なものがある」

JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙飛行士として26年間勤務し、3回の宇宙飛行をした野口聡一(57)さんが、6月1日でJAXAを退職した。60歳の定年まで3年を残しての「早期退職」。英雄やスターのように受け止められる宇宙飛行士だが、いつまでも宇宙飛行を続けられるわけではない、やはり組織に所属する”1人のサラリーマン”なんだ、と改めて考えさせられた。

5月25日に東京都内で開かれた退職記者会見で、野口さんは、次々と感慨深い言葉を口にした。

「後進に道を譲りたい」
「(JAXAにいて次の飛行ができる可能性は)限りなくゼロに近い」
「民間人として宇宙へ行ける可能性は半々ぐらい」
「燃え尽き症候群的なものがある」
「JAXAは温かい組織。心地良かった。そのまま心地よく終わるよりも、民間や世界に出て行って、もう一度もまれてみるのが良い」
「JAXAを嫌いになって辞めるわけではない」

定年まで踏みとどまるか、それとも気力も体力もあるうちに、次のキャリアへ転身すべきか。多くのサラリーマンが直面する問題だ。野口さんもそんな揺れる思いを抱いていたように感じられた。そして野口さんが選んだのは新たな道。今後は民間宇宙旅行の水先案内人やガイド役、大学での研究など、幅広い場での活動を目指すという。

さっそく6月20日には、NECグループのシンクタンク「国際社会経済研究所」が、野口さんを7月1日付で理事に招聘すると発表。日清食品ホールディングスも、「カップヌードルミュージアム」(横浜市)の名誉館長に、野口さんが就任したと公表した。早くも活躍の場が広がっているようだ。

■意欲も能力も十分あるのになぜ引退するのか

石川島播磨重工業(現IHI)のエンジニアだった野口さんは1996年にJAXAの飛行士に採用された。2005年、09年、20年と3回宇宙飛行を体験し、国際宇宙ステーション(ISS)滞在日数は延べ335日17時間超。日本人飛行士の中で一番長い。ISSから宇宙空間へ出て作業をする船外活動も4回体験した。20年の4回目の船外活動では、ISSの端まで行き、「この先は死というところまで行けた」「生と死の境界点を見た」と語っている。

まだ意欲も能力も十分なのに、「後進に道を譲る」。サラリーマン人生風に言えば、「役職定年」のようなものなのか。なんだか切ない。

背景にはポスト不足がある。「宇宙飛行の機会」というポストが限られる中、後輩たちに譲らざるをえないということだろう。

■宇宙飛行士は普段何をしているのか

日本で宇宙飛行士という職業が誕生したのは、1985年。毛利衛さん、向井千秋さん、土井隆雄さんの3人が1期生として採用された。7年後には2期生・若田光一さん、さらに4年後に3期生の野口さんが続く。野口さんの後も複数の飛行士が採用され、これまでにJAXAでは11人の飛行士が誕生した。現在は、13年ぶりに6期生の選抜を進めており、来年春に若干名を採用する予定だ。

宇宙から帰還後、にっこり笑って手を振る姿が印象的な宇宙飛行士だが、そもそもどんな仕事をしているのだろうか。

国際宇宙ステーション(ISS)に滞在して、世界の科学者から託された各種の宇宙実験をする。老朽化が進むISSの補修・修理をする。ISSが完成する前は建設作業も担った。飛行していない時も、能力維持のために地上で訓練を繰り返す。

こうした表向きの活動だけではなく、テレビなどでは見えないところでも仕事を重ねている。

例えば飛行機会獲得のための「営業活動」。日本には、人を乗せるロケットも宇宙船もない。このため宇宙飛行はNASA(米航空宇宙局)頼りになっている。NASAから「一緒に仕事をしたい」と、思ってもらわないことには、声がかからない。コミュ力(コミュニケーション力)がとても重要だ。飛行士たちは、仕事の時だけでなく、パーティーなどにもこまめに顔を出し、自らをアピールする。

■給与はJAXA職員と同じ、講演料もタダ

日本国内では、品行方正の優等生であることや、いつも笑顔で人に接することなど、宇宙のプラスイメージを伝える広告塔の役割も求められる。宇宙飛行後に政治家や官庁幹部にあいさつ回りを欠かさないのはもちろん、政治家たちのさまざまな会合にも呼ばれる。政治家たちには、宇宙飛行士好きの人が多い。政治家一人ひとりとのツーショット撮影が求められ、それにも笑顔で応じる。

こうしたさまざまな仕事をこなしているのだから、さぞや高収入なのかと思うが、そうでもない。

飛行士の待遇は、基本的に大卒、大学院卒のJAXA職員と同じだ。30歳で本給約32万円、35歳で約36万円、これに各種手当がつく。飛行士には、さらに「宇宙飛行士手当」もつく。飛行が決まってから、帰還までは手当の額も増える。

ただ、飛行士たちは理工系の大学院を修了していたり、医師としてのキャリアを持っていたりするエリートだ。それを考えれば、ずば抜けて高い給与水準とはいえない。

講演など、さまざまなイベントにも引っ張りだこではあるが、JAXAの仕事として受けた場合、謝礼を受け取ることはできない。

■過去にはアルコール依存、暴行事件も

こうした仕事や生活なので、当然ストレスもたまる。1期生の毛利衛さんは、自身の著書『毛利衛、ふわっと宇宙へ』で、

「一挙一動は常にマスコミに報道されているから、下手なことを言って周囲の人に迷惑をかけてもいけない」「顔をのぞきこまれて、『やっぱりそうですよね』などと見知らぬ人から声をかけられる。内心はとても憂鬱(ゆううつ)なのに顔だけはにっこりしなければならない」などと、心情を明かしている。

人類初の宇宙飛行をした旧ソ連のガガーリンは、飛行後、ストレスからアルコール依存になったとも伝えられている。宇宙飛行士は離婚率が高い、との指摘もある。

飛行が決まるまでの待ち時間がとても長く、先が見えないストレスも大きい。

待ち時間の最中に、恋敵の女性を襲撃して逮捕され、NASAに解雇された女性飛行士もいる。唐辛子スプレー缶、金槌、折りたたみ式ナイフなどを用意し、宇宙飛行士の本拠地のテキサス州から、恋敵のいるフロリダ州まで約1600キロを車で走り、恋敵に唐辛子スプレーを噴射して襲いかかった、と報じられた。

NASAはこの事件をきっかけに、心理試験の見直しや、精神的支援策などに乗り出した。日本の企業でも重視されている職場のメンタルヘルス対策だ。事件以前は、宇宙滞在中の対策にばかり目が向いていたが、地上での待ち時間も含めたメンタルヘルス対策が大事だと認識したのだろう。

■宇宙飛行士は「つぶしがきかない」仕事

退職後、宇宙飛行士は何をしているのだろうか。

NASAの飛行士は政治家、大手宇宙企業勤務、宇宙ベンチャー経営、大学教授などさまざまな仕事へ転身している。

JAXAでは1期生の3人は、文部科学省傘下の科学館館長、大学副学長、大学教授に就任した。やはりエリートならではの転身だ。

ただ、宇宙飛行士は、「つぶしがきかない」仕事だと言われている。宇宙で仕事をこなしたことは能力の高さの証明になる。だが、宇宙飛行士ならではの専門性となると、なかなか評価が難しい。

宇宙実験の仕事をしたり、実際にロケットや宇宙船に乗ったりしているが、実験を計画し研究成果を出す科学者や、宇宙船などを開発した技術者という専門家がいてこそできることだ。ユーザーの視点で、宇宙船の操作のしやすさ、乗り心地などを助言する道もあるだろう。

地球を周回する貨物宇宙船
写真=iStock.com/3DSculptor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/3DSculptor

だが、日本政府やJAXAは、独自に人を宇宙へ送り出すロケットや宇宙船の計画を持っていないので、国内では生かしにくい。

可能性がありそうなのは、野口さんが退職記者会見で語ったように、米国の宇宙ベンチャーなどが手掛ける民間宇宙旅行のアドバイスやガイドなどの仕事だ。ただ、NASAの退職飛行士もたくさんおり、競争相手が多い。米国の宇宙旅行ベンチャーが、日本の大富豪を顧客として獲得しようというのなら、日本人の元飛行士が有利になるかもしれないが。

■つぶしがきかないのはエンジニアも同じ

宇宙飛行は一握りの人しかできない。きわめて稀有な体験だ。JAXAの飛行士の育成や雇用には多額の国費が投入されている。

飛行士がどのようにキャリアを形成し、その経験をどう生かしていくか、再雇用はどうあるべきか、などについて、これまでJAXAではあまり検討してこなかったという。退職してしまえば、その後で何をするかは本人の自由であるし、退職者がまだ少ないことや、今後、定年も延長されるので、時間的余裕もあるからだろう。

だが、選抜中の新しい飛行士も誕生する。これから飛行士が増えていく中、飛行士のキャリアの在り方を描くことも大事だろう。

実は宇宙関連の仕事をしている人の間でも「つぶしがきかない」と嘆く声が少なくない。衛星開発などの仕事をするエンジニアたちだ。

衛星はいったん宇宙に打ち上げてしまうと、故障しても修理できない。そのため、部品やシステムには、頑丈で安定した技術や、宇宙用の特別な部品を使う。価格も高くなる。

■「転職して一体何ができるのだろうか…」

ITやソフト関連技術も、確実性を重視するため、地上で使われているものより古いものを採用している。最近は国内の宇宙ベンチャーや大学が、秋葉原で売っている普通の部品を使い、衛星の価格を下げる取り組みを進めている。まだ少数派だが、こうした新しい動きは今後、進むだろう。

「古い技術になじんでいる僕らは、転職して一体何ができるのだろうか……」。エンジニアのぼやきも聞こえてくる。

これまでは宇宙という特殊な環境下での仕事のため、こうした問題は見過ごされてきた。「宇宙は特別」という発想も根強い。だが、そうした考えから脱却し、つぶしがきくような技術や産業に育てていく意識を持つことが必要だ。そうでないと、日本の宇宙の競争力はどんどん下がってしまう。

宇宙飛行士の年齢も、一律にはくくれないところがある。NASAでは飛行士を退いた後、政治家に転じ、その後77歳で再び宇宙飛行をした例もある。

退職後の飛行士のキャリア動向や、宇宙産業の在り方に光を当てたいという思惑が、今回の野口さんにはあったのではないだろうか。

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知野 恵子(ちの・けいこ)
ジャーナリスト
東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の各部記者、解説部次長、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が発刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。

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(ジャーナリスト 知野 恵子)

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